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【エデン】2025/7:お題「鍛錬の間」 - あさぎそーご
2025/07/15 (Tue) 18:07:07
気付いたら2か月過ぎてたので投下しておきますc⌒っ.ω.)
いつも通り、〆切なし・自由参加です
※鍛錬の間=時々出てくる練習ができるダンジョンのこと。洞窟型。
以下本編より抜粋
鍛錬の間とは。
浅瀬も浅瀬、殆ど危険のない超お手軽ダンジョンの中にあり、主にスキルを「試す」場所として知られている。
洞窟の空洞から沢山の道が枝分かれしており、それぞれが小部屋に通じている。なんなら道の手前に中の広さを示す看板までつけられている始末だ。
コトワリは危険物を扱う時には、危険物対応の部屋を借りて瓶に移したり、試したりすることが多い。
Re: 【エデン】2025/7:お題「鍛錬の間」 - 秋待諷月
2025/07/27 (Sun) 17:09:56
(前回の「鮮やかな」とのダブルお題です)
***
色は咲く
変わった色の花畑を見つけた、と、アロが鼻高々に報告したのは、とある日の午後、クラン「エル・ブロンシュ」拠点のリビングでのことだった。
その場に居合わせたメンバーは、ダイニングテーブルに座っていたティトンとコトワリの二人。ティトンはナイフで大量のジャガイモの皮剥きをしつつ、コトワリは洗浄を終えた薬瓶を磨きつつ、揃って首を傾ける。
「変わった色って、どんな色さ?」
「キレイな緑色ー!」
「葉ではなく花が緑色、ということですか? それは確かに、少し変わっていますね」
職業柄、植物にも造詣が深いコトワリは、緑色の花畑を思い浮かべながらコメントした。自然界において緑色の花自体は珍しくはないが、葉や茎に紛れてしまうため印象に残りにくく、人の目には「花」と映りにくい。アロが「花畑」と表現した以上、分かりやすく「花」と認識できる外見の植物が広範囲に生育していると推察され、珍しい景色のように思えた。人工的なものだとしたらなおさらだ。
ティトンも同様の感覚を抱いたのか、「へぇ~」と興味津々である。皮を剥き終えたジャガイモを水を張ったボウルに沈めてナイフを畳むと、改めてアロに向き直る。
「それ、どこで見つけたの?」
「鍛錬の間。大名PIYO行列のあとについて入った道の、一番奥まで進んだとこで見つけたー」
「あそこかぁ。となると、僕も入ったことがない部屋かな」
珍奇なPIYO観察報告を受け、コトワリは口をモグモグとさせたが、ティトンが注目しているのは発見場所のみのようである。
アロが言う「鍛錬の間」とは、エデンの中でも危険性がかなり低いと認知されている、とある洞窟ダンジョン内の一部エリアの通称だ。
始点となる大空洞から、複数の小部屋に通じる道が無数に伸びる構造になっており、各部屋は完全に独立している。ダンジョン特有の現象である「生き返り」こそ対象外であるものの、エデンの恩恵であるPIYOの自動修復は機能しており、物損や周辺被害、騒音等を気にせず存分にスキルを使用できることから、訓練やアイテム実験の場として冒険者たちに重宝されていた。
部屋によっては同盟組合に管理されており、コトワリも時折、新ポーションの実験のために部屋を借用しているため、馴染みは深い。だが一方で、単純に使い勝手が悪い等の理由で、貸し出しの対象になっていない部屋も多かった。
生粋のダンジョンオタクであるティトンですら把握していない場所だと知り、ふふん、と、アロが得意げに胸を張る。
「ティトンも知らないんだ? ひょっとして、オレだけが知ってる場所かなー?」
「あ、そんな風に言われたら発掘調査士の名折れだなぁ。そうとなればこの目で確かめなきゃ気が済まないよ。アロ、今から案内して! コトワリ、行くよ!」
アロに怒ったわけではなく、むしろ楽しげに意気込んで、ティトンは勢いよく立ち上がった。アロはその場でくるりと一回転して両手を大きく広げ、「おっけー!」と請け負う。
「……え? 僕も行くんですか?」
数拍遅れてようやく口に出したコトワリの質問は、はしゃぐ二人の耳には届かなかったらしい。「ほら早く!」「早くー!」と両側から引っ張り立たされ外へ引き摺り出されてしまっては、コトワリに抵抗の術などありはしなかった。
PIYOの行列こそ発見できなかったものの、アロの記憶を頼りに進入した道は細かった。
天井が低い上に左右の壁の間は極端に狭く、体を横向きにしてカニ歩きすることでようやく前進できるようなありさまである。小柄なティトンはまだしも、アロやコトワリは武器の大きさにも邪魔されて難儀すること度々だ。
さらに、道はぐねぐねと蛇行し、明かりが無ければ何も見えないほど真っ暗で、その上のトドメとばかりに、とにかく長い。入り口から歩くこと早十分、行けども行けども一向に小部屋へ辿り着けない。
魔獣の一匹、トラップの一つも見当たらないとは言え、部屋に行くだけでこれだけ骨が折れるとなれば、貸し出されていないのも大いに納得だった。
「だいた、い、こんな洞窟の奥に、花畑なんて、不自然過ぎるんです、よ……」
巨大な杖を抱き込んでの横歩きという慣れない動きを続けているために、早くも疲労が見えてきたコトワリが呟いた。その背後、殿を務めつつカンテラを掲げるティトンが、「だからこそ!」と主張する。
「どんな場所か気になるんだよ。キノコやコケならともかく、日光も差さない洞窟の中に花が咲くってだけでも珍しいのに」
「……キノコやコケ、ですか」
ティトンが発したそれらの単語に、コトワリはふと嫌な予感を覚えた。
キノコやコケ類の中には、闇の中で黄緑色に発光する種が多数存在する。ひょっとして、もしかしなくても、アロが見た「黄緑色の花畑」とは、花に似た外見の発光キノコやコケの群生なのではないだろうか?
ここまで苦労した挙げ句、最終的に対面するのがキノコかもしれないと考えた瞬間、コトワリの疲労はドッと増した。興味本位で見に来ただけのことなので、花だろうがキノコだろうが不都合は無いのだが、なんとなく気分の問題である。
せめて食べられるキノコを収穫できれば夕餉には貢献できるが、高確率で毒キノコだろう。それならそれでポーションの材料になるかもしれないが、低ランクダンジョンで入手できる毒の効力などたかが知れている。
――などととりとめも無いことを考えていたコトワリは、そこでふと、思い出すことがあった。収穫と言えば。
「アロさん、さっきは花を摘んでこなかったんですね」
カンテラの灯で照らされた先、幅が少し広くなってきた道の中央で揺れるピンク色の後頭部に、コトワリはそう話しかけた。珍しいものや面白いものを見つけると拾わずにいられない習性の持ち主であるアロが、花の一本も摘んでこなかったことが気になったのだ。背後でティトンも「確かに」と首肯している。
後ろは振り返らず、迷い無くズンズンと前進しながら、「んーとねー」とアロは答える。
「摘もうとしたんだけど、摘めなかったんだー。固くてさ」
「固い?」
コトワリとティトンが口を揃えて復唱したのと、アロが「着いた!」と叫んだのが同時だった。
ぴたりと足を止めたアロに衝突しそうになったコトワリと、連鎖してティトンも急停止して、アロの両肩越しに道の先を覗き込む。ティトンのカンテラが暗闇を照らす。
そこは、ぽっかりと広がる半球状の空間だった。
人工的なものではなく、天井も壁も岩肌がそのままになった空洞である。高さこそ、一番低い場所であればコトワリでも手が届きそうなほどだが、床、というか地面は、アロがチャクラムを振り回しながら思い切り走り回れるほどの広さがある。
ただし、アロがそれを実行することはないだろう。空洞の床一面を、膝から腰ほどの高さがある突起状の鉱物が埋め尽くしているためである。
地面から生えたように見える石の色は、仄かに茶を帯びた乳白色。結晶のような形状の小さな石片が折り重なり、放射状に広がる様は、なるほど、花に似ていた。
ここは石の花畑だ。
思いがけない光景に、コトワリとティトンは「おお」と感嘆を上げ、遠目にしげしげと石を観察する。
「これは、水晶ですかね? それとも鍾乳石の一種?」
「うーん、どうだろう? 形だけならフラワーアメジストみたいだだけど、水晶だとしたら、採掘された様子が無いのは妙だよね。市場価値の無い鉱石なのかも」
コトワリの投げかけを受け、ティトンは花のような姿を持つ希少鉱石を例に出しつつ考えを述べる。「鍛錬の間」は完全踏破済みダンジョンであり、誰にも知られていない部屋は存在しないはずだ。いくら道が狭いとは言え、宝石や希少鉱物の類が採掘できる部屋であれば放っておかれはしないだろう。
そんな二人の考えなどお構いなしに。
「すごいのはこれからだよー。見てて!」
これまで空洞の入り口手前でうずうずとしていたアロが、待ちきれないとばかりに両手を振ってアピールした。彼は青い羽根のような上着をはためかせながら、石の花が咲き並ぶ、その隙間に身を躍り込ませる。それと同時。
一瞬にして、地面一帯が鮮やかな黄緑色に染まった。
「わぁ!」
「えぇ?」
「ねー!」
ティトンが感動の、コトワリが驚きの声を上げ、振り返ったアロが満面の笑みを浮かべる。
光るキノコやコケに似た蛍光色の源は、花のように咲き誇る鉱物全体。ティトンがカンテラの灯を消せば、黄緑色の光はいっそう輝きを増して闇に浮かび上がる。光の中でくるくると踊るアロの姿は、確かに「変わった色の花畑」の中にいるようだった。
「これは面白いね。動物が近付くと光る性質なのかな?」
もっと近くで観察しようとしてか、ティトンが空洞に足を踏み入れた、その時、さらなる異変が起きた。石の色が、黄緑色からエメラルドグリーンに変じたのである。
え、と、今度はアロも含めた三人同時に目を丸くする。アロも初めて見る現象なのだろう。先までより青みを帯びた、だが相変わらず鮮やかな色の花が咲き乱れる様に、アロとティトンはいっそう興奮する。
空洞の入り口手前から動くことなく、遠目に二人を眺めているうちに、コトワリはあることに気が付いた。
「アロさん、ちょっとこちらに戻ってみてくれませんか?」
ちょいちょいと手招きをして呼びかけると、アロは特に疑問も持たない様子で「いいよー」と舞い戻ってくる。彼が空洞から道に踏み入ると同時、石の色が再び変じた。今度は涼やかな水色へと。ティトンとアロが「おお」と目を見張り、コトワリは「やっぱり」と確信を深めた。
最初に見た黄緑色は、アロの首の後ろに浮かぶ、三角形を二つ並べた光と同じ色。そして今見ている水色は、ティトンの首の周囲に浮かぶ二重円の光と同じだ。
この石の花は、どうやら、空洞内に入ってきた者のハロの色に影響を受けて発光しているらしい。故に、アロとティトンが同時に入った際には、二人のハロの色を混ぜ合わせた色になったのだろう。
なんのためにそんな性質を持つのかは分からない。あるいは近寄る者のハロを吸い取る消耗系トラップなのかもしれないが、こんな不便な場所にあっては通りがかる者も稀であり、罠の意味はほとんど無いだろう。「なんのためにあるか分からない不思議な場所」など、エデンにおいては珍しくもなく、この空間もその一つだと推測された。
アロとティトンは取っ替え引っ替えに空洞を出入りしては、キャッキャと色の変化を楽しんでいる。ハロの色との関係性はさすがに気付いたようで、黄緑色と水色の花を愛でることに満足したらしい二人の目が、ギラリとコトワリの右手首を捉えた。そこに浮かぶのは、円と正方形が組み合わさった、淡い朱色に光るハロである。
「ねーねー、コトワリさんもおいでよー。一緒にお花見しよー!」
「三人で同時に入ったら、どんな色になるか試してみようよ!」
花畑の中から手を振られ、さらには無邪気な視線を向けられ、コトワリはその輝く瞳の眩さに「うっ」と身じろぎした。つい目を逸らし、伏し目がちに言う。
「僕は、その……遠慮しておきますよ」
その返答に、きょとんと目を瞬かせる二人の純朴な眼差しが、なおコトワリの気まずさを増幅させる。
別に何も、遠慮する必要などは無いことはコトワリも分かっている。ただ、想像してしまったのだ。二人のハロの色に、己のハロの色を混ぜたらどうなるのかを。
あの綺麗なエメラルドグリーンに、この褪せたような朱色が混ざったら何色になるか? 恐らく、濁った薄緑か灰茶色になる。明るく眩しく、あの二人の人柄をそのまま反映したかのような鮮やかな色を、自分の色が台無しにしてしまうようで、それがなんだか憚られた――にも、関わらず。
がしっ、と。
いつの間にやら目の前に寄ってきていた二人に両腕を掴まれたコトワリは、そのまま空洞内に引きずりこまれてしまう。ちょうど先ほど、クランから外へと引っ張り出されたときと同じように。
「いいから、ほら、早く!」
「早くー!」
花以上に満開の二人の笑顔。「いえ、ですから僕は」と、コトワリが二人の手を振りほどこうと悪あがきをする、その前に。
花の色は変じた。
黄緑と水色、そして、淡い朱色の三色に。
各色の花の本数はおよそ均等だ。色ごとに固まって咲いているわけではなく、それぞれの色の花が仲良く混ざり合って、調和を乱すこともなく鮮やかな色を咲かせている。
どうやら石は――いや、この空洞の「花畑」は、三つ以上のハロを同時に感知した場合には、色を混ぜることなく、色の数だけ花を塗り分ける性質があるらしい。
「これは……アリなんですか?」
呆気に取られて呟くコトワリの傍らで、ティトンが「あはっ」と嬉しそうに笑った。その逆横から、アロが歓声を上げて花畑に突撃していく。見れば三色に染まったPIYOたちが、そろぞろと列を成して石の花の間を練り歩いていた。
「今度はイロハとクエルも連れてこようか。五人で見れば、きっと、もっと綺麗だよね」
コトワリの顔を覗き込んで、悪戯っぽくティトンが言う。
この三色の花畑に、今ここにいない二人のハロと同じ、金と銀の花が加わった景色を想像して、コトワリは「そうですね」と微笑んだ。
数歩進んで膝を折り、朱色に光る一輪の花に手を伸ばして触れる。「綺麗だ」と素直に思えた。
視界に入った己の手首に浮かぶ色も、いつもより少しだけ、鮮やかに見える気がした。
Fin.
Re: 【エデン】2025/7:お題「鍛錬の間」 - 淡島かりす
2025/08/22 (Fri) 14:17:05
クエルはその日、朝食を皆と済ませたあとにあることに気がついた。コートのポケットや部屋などを一通り探したあとに、どうやら間違いないと確信を得ると、鍛錬の間へと向かうことにした。
「まぁ、あんなものを落とすのはあそこしかないしな……」
鍛錬の間にいき、完全密室になる小部屋を借りたのが数日前のことである。クエルはそこで或る缶詰を開けた。缶詰の蒐集を趣味とするクエルには、同じ趣味を持つ仲間もいる。たまに余剰に手に入れてしまったものや、自分には使い道がないものなどを交換する機会も多い。その時開けた缶詰も、『三日月』にいるトルン・トーレという者から譲り受けたものだった。「影缶」と名前のつけられたその缶は、まず開けると一番近くにいた人間の姿の影を作る。戦闘に使っても良し、雑務を手伝わせても良し、というなんとも便利な代物なのだが、まだ試作段階で周囲に複数人いると影を作るのに失敗してしまうし、消失までの時間も不安定とのことだった。クエルはそれを鍛錬の間で試した。鍛錬の相手としては申し分なかったし、何も指示をしなくても動いてくれるのは助かった。しかし現状はそれぐらいしか使い道がなさそうだった。
どうやらその時、携帯用の缶切りナイフを落としたらしい。缶切りナイフというのは、文字通り缶詰を開けるためのものである。少し前に手に入れたのだが、ダンジョンに行くときは盟主が張り切ってお弁当を作るし、自室にも愛用の缶切りがあるので使いどころがなかった。そのためその日だけ持ち出したわけだが、どうやらそれがいけなかったらしい。ナイフ自体は大したものではないのだが、放っておくのも気が引けた。
「まぁ誰かに拾われていたらそれまでだが」
大丈夫だろう、と特に根拠もなく考える。缶切りナイフは特に殺傷能力もない小さな作りで、本当に缶詰にしか使いようがない。それに刃の部分を柄にたたみ込めるようになっていて、そうしてしまうと掌に隠れてしまうほど小さくなる。普通のダンジョンならまだしも鍛錬の間で足元を気にして歩く者はいない。
そう考えながら鍛錬の間に到着したクエルは、前に使っていた部屋を目指して奥へ進んでいく。いくつかの分岐があるが、どれもわかりやすい説明書き付きなので、相当な方向音痴でもなければ迷うことはない。それに数日前に行った場所くらい覚えている。
記憶に新しい道を進んでいくと、ふと途中で嘆くような声が聞こえた。
「あー、もうなんてこと……どうしてこう運が悪いのか……」
どこから聞こえてくるのか。気になって周囲を見回すと、左手側の通路で地面に這いつくばるようにしている人影があった。倒れているのかと思ったがそういうわけではなく、どうやら何かを探している様子だった。自分と同じように何か落としたのかも知れない。そう思ったクエルは声を掛けてみることにした。
「おい、あんた。どうしたんだ?」
「んぇ?」
少しくぐもった声にはあまり似つかわしくない間の抜けた言葉を放ちつつ、その人物は顔をあげた。しかしその表情はよくわからなかった。なぜなら、顔と体の殆どが衣類などで隠れていたためである。動きやすい黒い服に防塵加工をしたごわついた生地の白いコート。コートのフードを眉下まで引き下げ、首を守るマフラーは逆に鼻の上まで引き上げている。赤色のレンズが入った大きな眼鏡をつけていて、そのせいで目の色すらわからない。
しかし膝の土を手袋を装着した手で払って立ち上がった姿は、随分と小さかった。ティトンよりも更に背が低い。
「これはこれは、失礼いたしました」
相手は小さく頭を下げる。フードに兎耳がついているのがその時見えた。
「実は、そこの隙間にゴミが落ちていまして。」
「ゴミ?」
相手が指さしたところには岩と岩の隙間があった。覗き込むと焚き火をする時などに使う火バサミが見える。そしてその先に破れた火薬袋があった。
「道具を使って取ろうとしたら、それすら取りこぼしてしまって。いやはや、手は入るのですが指が届かず。どうしたものかと思っていた次第です」
その足元には、さきほどまで体に隠れてわからなかったが背負い紐のついた籠が置かれていた。中にはゴミらしきものが沢山入っている。
「ちょっとそこどいてくれ」
クエルは相手に体をずらしてもらうと、手を岩の間に入れた。そして火バサミを掴むと、ついでに袋もつかみ取る。後ろで「おぉ」と短い拍手が聞こえた。
「ほら」
「ありがとうございます。大変助かりました」
「あんた、ゴミ拾いしてるのか?」
「えぇ、鍛錬の間には要らないものを棄てていく不届き者が多いのですよ」
受け取った火バサミをカチカチ鳴らして、相手は首を左右に振る。
「元々、専門は魔物などがドロップする物の研究なのですが、色々なものを拾っているうちにゴミのことも気になってしまいまして。それで自主的にゴミ拾いを」
「あぁ、ドロップってあれか。攻撃や追跡過程で魔物が落とす羽や鱗」
「そうです。糞なども調べますよ。ドロップしやすい地形とかそういうのもありまして。そういうところでしたらランクの高くない方も安全に貴重なものを手に入れられるのです」
「なるほど、そういう視点はなかったな」
「いやはや、それにしても助かりました。この火バサミは気に入っておりまして。これで今までいくつのものを拾い上げてきたことか。あ、申し遅れました。ルー・ユエトゥと申します」
ルーはマフラーを首まで下げてから名乗り、再びお辞儀をした。兎のような少し窄まった口だった。
「俺は『エル・ブロンシュ』のクエルクスだ」
「クエルクスさんですね。……おや?」
ルーは首を傾げたと思うと、後ろを向いて籠の前に屈み込んだ。そして暫く中を漁っていたが、やがて何かを手に取った。
「もしかしてこちら、クエルクスさんのではありませんか?」
差し出されたのは小さな缶切りナイフだった。まさにそれを探しに此処まで来たクエルは驚きながら頷く。
「うっかり落としてしまって探しにきたところだ。でもよくわかったな。名前なんか書いてないのに」
「これです」
ルーが右足を持ち上げる。膝のところに大小の丸を重ねたハロが赤く輝いていた。小さな丸が大きな丸の内側、右上寄りに接している。まるで兎の瞳のように見えた。
「物に宿った思念を辿ることが出来るスキルなのですよ。戦闘には不向きですが、調査などには非常に役立つのです」
「それで缶切りナイフに残っていた俺の情報を得たってわけか」
「いやはや、随分大事に使っていたようですから、落とし物ではなさそうだったので他のゴミとは分けて入れていたのですよ。早めに返せて安心しました」
「俺もあんたに拾って貰って助かった。まだゴミを拾うのか?」
「いやいや、そろそろ終わりです。これからまだやることがありまして」
「やること?」
「はい。このゴミを然るべきところに持って行かないといけないのです」
「あぁ、浄化ダンジョンか」
不要物などを飲み込み、一定量に達するとレアアイテムと交換してくれるダンジョンが存在する。どれほどの量を入れればいいのか、何が出てくるかもわからない不思議なダンジョンだが、それが却ってギャンブル性が高いということで冒険者達に好まれていた。
「あそこは便利ですよね。素敵なものをくれたりしますし」
うんうん、とルーは頷いた。
「でもそこは一番最後です。返せるゴミを全部返し終わって、それでも余ったものを入れに行くんですよ」
「返すって……」
籠の中身と、膝のハロを交互に見たクエルは、「まさか」と呟いた。
「ゴミを全部落とし主に返すのか?」
「ポイ捨てはよろしくないですからね」
ルーは胸を張ってそう言った。
「これを繰り返すことにより、段々とゴミを棄てる方が減っているのです。とても有意義なことですよ」
「なんだか……気が遠くなるような作業だな」
「いえいえ、ダンジョンの景観を守るには欠かせないことです。まぁあまりハロが大きくないので数日がかりですが」
「聞いているだけで大変そうなんだが」
「まぁ好きでやっていることです。おーっと、こうしてはいられません」
ルーは慌てて籠を背負った。
「お話するのが楽しくてついつい時間を消費してしまいました。実は他のクランメンバにも手伝って貰っているところでして。そろそろ集合時間なので行かないと」
「あぁ、気にしないでくれ」
「それでは失礼します」
跳ねるように走り出したルーを、クエルは一度呼び止めた。
「あんた、どこのクランの人間だ?」
「おや! 申し上げておりませんで失礼しました」
「あー、お辞儀すんな。ゴミ全部落ちるぞ」
頭を下げようとする相手を制止する。ルーは「おっとと」ととぼけた声を上げた。
「所属クランは『星期三的猫』です。またいつかどこかでお会いしましょう」
手短に所属を述べて、ルーは今度こそその場から立ち去った。残されたクエルは、顔見知りレベルの染物屋や学者風の男のことを思い出す。一緒に彼らが不定期に行っている「違反者の洗い出し」も。
「あのクランの連中って、あぁいうのばっかりなのか……?」
ルールを守る事が好きな者ばかり集まっている可能性も否定出来ないが、なんというかそれ以前の人柄的な問題も関係している気がする。クエルはそう思ったものの、それ以上口に出すのは控えることにした。代わりに非常に些細な、どうでもいい感想を口にした。
「星期三的猫なのに兎なのか……」
END
Re: 【エデン】2025/7:お題「鍛錬の間」
- あさぎそーご
2025/09/04 (Thu) 16:04:16
「コトワリさん、暇でしょ?」
「いえ、アロさん。暇なわけではないんですよ?」
否定に構わず、笑顔のアロはカウンターに頬杖を付く。困ったコトワリはとりあえずの説明を試みた。
本日、彼は自身が経営する雑貨屋ではなく、鍛錬の間の受付に座っていた。
なぜかというと、普段から《《お世話に》》なっているクラン「パレス・オーダー」……通称【秩序】に所属するエリックに助っ人を頼まれたからだ。
【秩序】は普通の冒険者があまりやりたがらない、クラン総括部から出される事務や警備、ダンジョンの巡回などのクエストを引き受ける、そこそこ大きなクランだ。駆け出しの冒険者達がここで場数を踏んで、卒業し、新たなクランへ旅立っていくことも少なくない。【秩序】なくして他のクランは回らないとは誰が言った言葉か。とにもかくにも、誰もが一度は彼等【秩序】に助けられたことがある。
そんな中、不本意ながら常連になってしまっているコトワリは、日頃から人手不足の彼等の頼みを断る理由などなく、店を早めに切り上げて受付の仕事に勤しんでいるわけだ。
店を閉めるにあたって、立ち寄ったアロに事情を話して追い出す形になってしまったのだが、彼はコトワリが受付に座るなりやってきて、先のセリフを告げたのである。
鍛錬の間の受付は入退場者全員に所属と名前を書いてもらい、退出後に清掃担当に知らせる……本当に簡単な仕事だ。鍛錬の間全てを管理しているわけではなく、入り口付近の混み合う部屋だけなので、頻繁に人が訪れるわけではない。しかし誰かがいないと管理にはならない…雑貨屋の店番と似たようなものである。アロもそれをよく知っているからだろう。名簿を眺めるコトワリの弁解を聞き流し、適当に頷いた。
「うんーでも、暇だよね?じゃあこれあげるー」
有無を言わさず…いや、言うことはしたが聞き入れられずに押し付けられたのは、真っ白な葉と薄紅色の鉱石。それと、青味がかった硬質の枝。
「それでどんなポーションできるー?」
ワクワクと問うアロの言葉通り、これらはポーションの素材の差し入れである。
コトワリが頼んだわけではない。アロは素材を組み合わせ新しいポーションができる事そのものに興味があるらしく、時々こうして目に付いた素材を提供していた。
コトワリも素材が手に入ることはありがたいし、なにより自分のスキルに興味を持ってくれている喜びもあるので、お互いWin-Winな関係だったりする。
筆頭はアロだが、白羽の銘は「隙あらば猫」。他のメンバーも珍しい素材が余ったら、ポーションの材料にと持ってくるのがお決まりとなっていた。組み合わせ次第で別のものができる、というのは好奇心の塊にとっては最大の娯楽なのかもしれない。
かくいうコトワリ本人も、レシピ収集のため精製に夢中になって倒れるのが日常茶飯事になっているとかいないとか。
現状にピッタリな差し入れを押し返す理由もなく、コトワリは礼を述べてカバンから器具を取り出した。アロに手伝ってもらいながら素材を砕き、フラスコに収める。そこに、知った顔が3人やってきて受付表にサインをしはじめた。
「みなさんお揃いで鍛錬ですか?」
コトワリが皮肉めいて尋ねると、順番に答えが返される。
「いや、アロに呼ばれた。オマエがここに半日缶詰だからって」
「新しいポーションの実験したいんだって。僕も行き詰まったとこだったし、気晴らしに丁度いいなって」
「素材、かき集めてきたから即興で作って貰おうぜって」
「そうそうー楽しそうだなってー」
クエルクス、ティトン、イロハ、アロと続く間にサインを終えたクランの仲間達。コトワリは呆然としながら空いている部屋の札を渡し、数秒後に我に返った。
「これ全部精製するんですか?」
サインの片手間カウンターに並べられた素材達を見下ろす彼に、仲間達はまた順々に答える。
「全部じゃなくていいよー?」
「折を見て取りに来るから、よろしくな」
「つか、新作のポーションあるだろ?よこせ」
「心配しないで。効果はちゃんとメモして、後でまとめるつもりだから」
差し出された4つの手を数秒眺め、コトワリは背負っていたカバンから手頃なものを手渡した。
4人に割り振られた部屋はそこそこの広さがあり、天井も高い。洞窟なので床以外の凹凸は激しいが、どのみちどの部屋も条件は一緒だろう。
壊してしまってもPIYOが修復してくれるので心配はないが、逆に外から持ち込んだもの……部屋番号やコトワリが座っていたカウンターなども《《修復》》されてしまうので、毎回外の倉庫に運ばなければならないのが大変だと、【秩序】のメンバーに聞いたことがある。思い出しながら、ティトンはリュックサックを床に置いてハンマーを担いだ。
「さて。どれからいく?」
比較的平らな床に並んだ色とりどりのポーション。右から順に、コトワリから説明された効力を読み上げる。
パワーアップ
魅了
収縮
アンチマジック
発光
……どれがどの程度の時間、どの程度の効力を発揮するのか。そしてどう戦闘に役立てるのか。これから自らを被験体に試していくわけだ。
ポーション自体はコトワリが精製し、鑑定所で鑑定したものではあるが、細かいところまでは試してみるまで分からない。そのため、白羽の中で鍛錬の間を利用する機会が比較的多いのはコトワリだろう。
「読み上げた順でいいだろ」
「とはいえ、どうパワーアップするのかな?」
「文字通りでは?」
言いながらクエルクスが拾い上げたのは、透明度のある赤いポーション。それをそのままアロに放る。
アロはわーいと受け取って蓋を開け、飲み干した。
「そこの岩とかどう?」
「よーし…えーーい」
ぺたぺたと駆け寄り、巻き付く。アロがギリギリ抱えきれる程度の、しかし普通なら持ち上げられない大きさの岩がミシミシと音を立てる。
「んーー持てそうで持てないーー」
早くも諦めたアロが手を離すと、小さな地響きが。一見分からなかったが、数センチは浮かんでいたのだろう。
「素手で割る!とかは?」
「えー手が痛くなっちゃわないー?」
パンチの仕草をするティトンにアロが首を振った。
「まあ、うちには積極的に殴り合うタイプはいないからな」
前衛のクエルクスもアタッカーのティトンも、ヒットアンドアウェイが多く取っ組み合いになることは少ない。中衛のアロは勿論。強いて言うなら対人でのイロハくらいだろうか?
従って、白羽でパワー系のポーションが使われる機会は少ない。コトワリも理解していて、試しにと渡したのだろう。
イロハとクエルクスが考察していると、走り回っていたアロが楽しげに笑った。
「おー!でもティトンが軽々!」
「すごーい!見てみて!大道芸みたい?」
アロの片手で軽々持ち上げられたティトンがバランスを取る様は、確かに芸と呼べなくもない。
「成る程。荷物運びには便利か」
「間違って荷物壊さないようにしないとだな」
「持続時間もそこそこみたいだね」
「じゃあさー、このままこれも飲んでみていいー?」
ティトンを下ろし、アロは置かれたままのポーションのうち1つを手に取った。
「しゅーしゅく!」
じゃーんと効果音を口で表現しながら蓋を開ける彼を、クエルクスとイロハが慌てて止めにかかる。
「まて。どう縮むんだ?」
「まずは岩とかで試した方が…」
「んー大丈夫と思うよー?」
朗らかに飲み干された真っ青なポーションが、アロの体をみるみるうちに小さくした。
「ほらーやったー!ちびっこー」
心配して屈んだ3人の前でアロが跳ねる。丁度掌サイズくらいだろうか?
「ちびっこっつーか…」
「小人?」
「踏みつぶさないようにしないと」
「つぶされないよー」
気をもんで動けなくなった3人をよそに、アロはどこまでもマイペースだ。ティトンのブーツにへばりつき、持ち上げようと何度か唸る。
「んーーーー!ティトンのこと持てると思ったのにー」
諦めて大の字に寝転がるアロにクエルクスが言った。
「パワーも一緒に縮んだな」
「いや、ポーションの効力が切れたのかも。こっちは持てそうか?」
言いながら手頃な小石を拾い上げたイロハが、アロの側に置く。アロは起き上がって現在の顔ほどの大きさの石を頭の上まで持ち上げた。
「ふーん!」
「ドヤ顔」
「質量的な問題みたいだ」
「狭い部屋に小さな物を運ぶくらいはできる…と。うん、隙間から鍵を持って侵入…効果が切れたら解錠とか、できそうだよね」
それぞれが見解を述べ、ティトンによってメモがされていく中、いつの間にか壁際に走っていたアロが楽しげに笑う。
「わーー!!PIYOが大きいーーーー」
嬉しそうに持ち上げて、PIYOを運ぶ様は最早小動物に近い。
アロがPIYOの密集地と仲間を何度か往復する間に、煙が立ち込めた。PIYOを掲げたまま元のサイズに戻ったアロは、残念そうに口を尖らせる。折角集めたPIYOも驚いて散ってしまった。
アロは掌に乗せたままだったPIYOを地に下ろし、再びティトンを持ち上げる。
「パワーアップはまだ続いてるかもー」
「時間測ってるから、ちょっとアレ背負ってて?重くなったら教えてよ」
メモを取る態勢のまま宙に浮いたティトンは、動じることなく自分のリュックを示した。まっかせてーーと、リュックに向かうアロを横目に、イロハがピンク色のポーションを避ける。
「魅了は……ちと怖いからスルーで」
だな。とクエルクスも同意した。魅了にも色々種類があり、魔物相手の「友好化」や人同士の感情に作用するもの、仲直りに使うだけの簡易的なものまで様々だ。PIYOで試してもよかったが、生憎全部逃げてしまった。
代わりに、とクエルクスが手にしたのは薄紫と薄青のマーブル色のポーション。
「アンチマジック。ティトンの属性で試すか」
「おっけー。じゃ、クエルが飲んでよ」
指名を受けたティトンは軽く頷くと、懐中時計を横目にメモを置いて、代わりにハンマーを拾い上げる。イロハとアロが壁際に移動するのを待って、クエルクスはティトンと向かい合った。
「加減はしろよ?」
「大丈夫大丈夫」
屈伸運動をするティトンの頭を眺めつつ、ポーションを呷る。淡い光がクエルクスを包んだ。
「いくよー?」
声掛けに頷くと、一呼吸置いて炎が巻き起こる。刻印から吐き出される熱はそこそこ強かったが、クエルクスは大して熱く感じなかった。
様子を見ていたアロがじりじり近寄り、大分離れた位置で立ち止まる。
「ねークエルさん、これめっちゃあつーーい」
炎に手を伸ばしては引っ込める。アロの不思議な動きに眉を顰めながら、クエルクスはティトンを振り向いた。
それを受けた彼はすぐに炎をしまい、切り替える。
「イエロー、ワン」
合図と共に身構えるクエルクスの背後で、アロとイロハが身を低くした。見届けたティトンがハンマーを下ろす。
「トリガー!」
掛け声を雷鳴が追いかけた。正面から受けたクエルクスが、顔の前で交差させていた腕を解く。
ダメージはない。衝撃は感じたが、受け流せる程度だ。
続けて他の属性を試すうちに、クエルクスを包んでいた光が失われていく。視覚的に効果時間が分かるのも優秀だ。
「これはかなり使えるな」
肩の力を抜いたクエルクスが空き瓶を蹴り上げ、手に収める。ティトンも駆け寄りながら同意した。
「いいね!効果時間も、2分くらいあったし!」
「欲を言えば5分は欲しいか」
「ものによっては、材料の量で調整できるってー。前にコトワリさんが言ってたー」
イロハとアロも会話に加わり、残りのポーションを輪の中央に提示する。
「これは…発光だっけ?」
「光のポーションとどう違うんだ?」
ティトンに続いて、イロハも首を傾けた。
普段コトワリが使っている光のポーションは、物質にかけると一定時間光りを帯びるという単純な代物で、ランタン代わりに使われることが多い。
「おんなじ効果かもー」
「ま、試してみる他なかろう」
アロに頷いたクエルクスが瓶の蓋を開ける。
近場の岩に数滴垂らすも変化は見られず、更に半分程注いでみてもなにも起きそうにない。
一同首を捻る中、アロがどさっとリュックを下ろした。
「重いー」
「効果切れた?大体15分くらいかな。優秀優秀」
ティトンが耳からペンを拾ってメモする間、アロはクエルクスに歩み寄りポーションを覗き込む。
「貸してー?」
差し出された瓶を受け取った彼は、下から見上げたり上から見下ろしたりした後、徐に掌にポーションを注いだ。
「うわ??」
唐突に訪れたのは溢れんばかりの眩しさ。思わず目を覆ったティトンの腕を、発光するアロが掴む。
「アロ、ちょっ…」
掴まれたことで自身も光ったことに驚いたティトンがイロハに接触。アロの動きを制御しようと手を伸ばしたクエルクスにも発光は伝染した。
数分後
受付でハロを酷使していたコトワリが、近づいてくる光に目を細めて抗議する。
「ちょ…みなさん、まぶし……」
辛うじて光の塊の正体を認識できたのは、見える前からアロに名前を呼ばれていたからだ。アロは受付のカウンターに身を乗り出して朗らかに言う。
「コトワリさーん、直して?」
「解錠するポーションないか?」
「というか、効果いつ切れる?もう10分はこのままだよ??」
「つかなんだこれ。岩は光らんかったが?」
「えっと……すみません、ぼくもよく分からなくて……」
立て続けに問い詰められ、引き気味になりながらもカバンを漁るコトワリの腕をアロが掴んだ。
「ひっ…」
「わーい、コトワリさんもおそろいー!」
彼に悪気はない。分かっていても、まさか道連れにされるとは思っていなかったコトワリが羞恥に震える。コトワリは単に目立ちたくないだけ。逆にアロは状況を楽しんでいるだけで、コトワリにも楽しさを共有したかっただけだ。
「とりあえず教会だな」
「かなー?」
「1日光りっぱなしとかだったらどーする?踊るー?」
「間違いなく街中で噂になるのでクランルームに引きこもります」
「いや、原因オマエの作ったポーションだが?」
愉快なビジュアルに反して半数以上が困った顔をする中、更に仲間を増やさんとダンジョン管理をする【秩序】のメンバーに接近するアロが、クエルクスに首根っこを掴まれ引き戻された。
後々分かった正しい「発光ポーション」の使い方は以下の通り。
生体に反応して光り、居場所を知らせるものらしい。本来なら地面に撒いて、魔物などの足跡を光らたりして追跡するのだとか。
間違っても直接かけたりしてはいけないと、身を持って知った白羽メンバーであった。
【エデン】世界の仕組みと神様について① - 透峰 零
2024/12/15 (Sun) 22:21:26
視界を占めるのは、どこまでも澄んだ青。
そして、自らの口から昇っていく小さな気泡と無数の赤い筋だった。水面がひどく遠い。
――あ、これは死ぬな
とイロハはどこか冷静に思った。
故郷では、死ぬ前には走馬灯という生まれてから今までの情景が見えるというが、イロハが思い出したのは《《こう》》なるまでの経緯である。
聖廟ダンジョン《アルバスデウス》。別名を「旧《ふる》き神々の住まう白き場所」。そう呼ばれる氷雪ダンジョンに一人で入ったのは今朝のことだ。
一人で来たことに、深い意味はない。
理由らしい理由を挙げるならば、最近の自分はクランのメンバーに頼ることが多く、ふと不安になったからだ。
彼らと共にいることは心地よいが、だからこそ恐ろしくもあった。
――自分はよくても、彼らにとってはどうだろう。
負担になってはいないか。疎まれてはいないか。
――今の距離は適切か。
一度生じた不安が消えることはなく、ゆえに少し距離を取ろうと思ったのだ。今日は珍しく朝から予定がなく、一人になるのにちょうど良かったというのも理由の一つではある。
行き先にこのダンジョンを選んだのはランクがB+と手頃なことと、ずっと気になっていたものがあるからだ。
ここ、《アルバスデウス》が聖なる場所と言われる由縁の一つ。
最深部に存在する、神が生まれたという伝承を持つ泉。その水は、人の罪を量ると言われている。善い人間には甘く、罪人は大層苦く感じるというのだ。
馬鹿げた話だと思う。
だが、頭から否定もできないのはその泉がダンジョン内にあるからという、その一点に尽きる。
ダンジョンの中では、何が起こっても不思議ではない。何しろ、死人ですら生き返るのだから。
ダンジョン内で死んだ者は《《神》》の力で、一番近い教会に転送される。そして教会で蘇生措置を施されると、死んだ者は再び目を覚ますのである。
嘘のような話だが、これはエデンの中では常識と言って良かった。
もっとも、何の犠牲もないわけではない。
対価として求められるのは一定額の金銭だ。もしも金銭が足りなければ、差額はそれに類するもの――記憶や身体の一部を求められるという噂である。
幸い、イロハ自身はまだ死んだことはないが、同じクランに所属するコトワリなどは心配になるくらいよく死んでいる。
だから。ダンジョンの中にある泉ならば、本当に罪科を量れるのかもしれない。
そんな馬鹿げた考えのもと、イロハはこのダンジョンの最深部まで来てしまったのだ。
件の泉は、最深部のど真ん中にある洞の中にあった。その入口で、イロハは足を止める。
罠もないのにイロハが入るのを躊躇ったのは、中に先客がいたからだ。
数は三人。千里眼で見た姿は覚えのあるクランのものだった。
一人はうなじ、一人は左手の甲、一人は右頬。それぞれに彫られているのは、血のように真っ赤な涙滴型の刺青だ。
こんな消せない印を嬉々としてつけるクランは一つしかない。
【アーシャーム】。【生贄】の通称で呼ばれるこのクランは、エデンではあまり好かれていなかった。
まずシンプルに、素行が悪い。
町の方の被害で言えば、飲食店やアイテムショップで難癖をつけて商品を安く買おうとするのはまだ可愛い方で、暴力を振るうことは日常茶飯事。気に入らない店員への人格否定などの暴言や性的な嫌がらせ、ありもしない誹謗中傷を行って営業を傾かせたこともある。
元々用心棒で生計を立てていたこともあるイロハは、その延長でエデンでもクランを通さずに様々な依頼を受けているが、困りごとの中で高確率で挙がるのが彼らの名前だ。それ故、あまり愉快でない対峙をしたことは一度や二度ではなかった。
クラン間での【生贄】の評価も同様で、褒められるものはない。常習的に低ランククランから略奪まがいのことをしているのだから、当然と言えよう。
つまり、【生贄】というクランは顔を合わせる相手としては、考えうる限り最悪な相手なのである。
しかもその内の一人――頬にクラン印を入れている男は、つい数日前にイロハがとある店で摘み出した相手だった。
「さて、どうしたものか」と、しばし考えた末にイロハは踵を返す。
今日にこだわることはない、というのがその理由だ。このダンジョンは、氷が溶けて魔獣が活性化する真夏こそランクがS級にまで跳ね上がるが、それ以外の季節は概ねBランクで安定している。
だから、別に今日でなくてもいい。
残念に思うよりも、むしろ安堵する気持ちを自覚しながら、イロハは胸の内で言い聞かす。
急げば半日ほどでダンジョンからは出られる。クランに帰る頃には真夜中になっているだろうが、盟主には「遅くなるかもしれない」と伝えているので問題ないはずだった。
そんなことを考えながら十歩ほど歩いたところで、イロハは足を止める。
決断は、少し遅かったようだ。
「よお、千里眼」
振り返った先、洞の入口にいたのは【生贄】の三人だった。声をかけたのは、頬に刺青のある男である。なお、名前は知らない。
「スキル名で人を呼ぶな。不愉快だ」
「不愉快? コソコソと覗き見しといて、よくそんなこと言えるな」
嘲るような男の声に、イロハは唇を歪める。
「気遣い、と言ってもらいたいね。あんただって、自分がボロ負けした相手のツラなんて見たくはないだろう。氷使い」
返された皮肉に、男がぐっと詰まった。
その隙に、イロハは両脇に控える二人に素早く視線を走らせる。先の氷使いの男は野営用の装備を背負っていたが、こちらは代わりに山ほどの大瓶を背負っていた。中に入っているのは泉の水で間違いないだろう。かの水を使ったポーション類は極めて高い効能を持つため、道具屋に卸せばそれなりの高値で取引してもらえる。
(しまった。俺もコトワリに持って帰ってやれば良かったな)
イロハが思い出したのは、クランメンバーの一人、ポーション精製能力を有する雑貨店店主だ。思いつきに近い形で出発したため用意はしていなかったが、持ち帰れば喜んでくれただろう。
「そういえばお前、ずいぶんと軽装だな」
考えを読んだわけではないだろうが、氷使いが怪訝な顔をした。
それもそのはずで、彼らが持っている野営装備などをイロハは一切持っていない。
《アルバスデウス》は十の階層から成るダンジョンであり、大小多くの洞を有する複雑な構造を持つ。夏季以外は氷や雪で多くの道が閉ざされるため多少はマシだが、その分行き止まりや魔獣の住処にぶつかる可能性が高い。
そのため、冬季の最深部到達時間の平均はパーティー三人で一日半。野営装備は必須と言えるだろう。
だが、それはあくまで平均。
イロハの千里眼然り、遠見や透視のスキルを持つ者にとって、迷路は迷路にあらず。単なる雪の積もったダンジョンと同じである。
もっとも、そんな事情を彼らに説明する義理はイロハにはない。不毛な会話を打ち止めにするためにも、黙って肩をすくめるにとどめた。
これで放っておいてくれれば互いに平和だと思うのだが、相手は終わりにする気はないらしい。
深入りされたくない、というイロハの様子を敏感に嗅ぎ取ったのか、ねちっこい笑みを浮かべて言葉を続ける。
「こんなとこまで来て、散歩ってわけでもないだろ。その様子じゃ素材集めってわけでもねえし」
「俺がどこで何してようが勝手だろ」
感情的にならぬよう気をつけながら、イロハは答える。
別に悪いことをしているわけではないが、彼らに目的を知られるのは嫌だった。しかし、良くも悪くも勘の働く者というのはいる。
イロハから見て、氷使いの右隣にいる小柄な男が「ははーん、わかった」とわざとらしく言った。これまた、覚えのある顔である。数ヶ月前、支援要請を受けてイロハが同行した別クランから、素材を奪おうとした中の一人だ。確かスキルは脚部強化《レッグバフ》だったか。
「お前、あの噂試しに来たのか」
恐らくは単なるカマかけだったのだろう。それでも、男の言葉はイロハの顔をこわばらせるには十分だった。
「なんだそれ?」
怪訝な顔をしたのは、最後の一人だ。イロハは知らない顔だが、丸々とした体つきからして戦闘職ではなさそうである。おおかた、罠の解除や水が本物か見るために連れてこられた鑑定眼持ちといったところか。
「この水は人の善悪を量れるって話さ」
小柄な男の言葉に、他の二人はわずかに目を見開く。
「昔はこの水を罪人に飲ませて、その味で罪の重さを決めたらしいぜ。ま、清廉潔白な生き方してたら気にもならねえだろうが」
小柄な男の言葉に、ようやく合点がいったらしい氷使いの男が「なるほどなぁ」と唇の端を吊り上げた。
「そういうことなら、せっかく来たんだ。分けてやるよ」
手を伸ばした彼が、小柄な男の背に負った瓶を一本手に取り、イロハに向けて差し出す。無言のまま目を細めたイロハの反応は、おおいに彼らを満足させたらしい。
「ほら、遠慮するなよ。知りたいんだろ」
ますます笑みを深めた相手に、イロハは乱暴に舌を打った。男達の笑みが凍りつく。
「いらねえよ」
底冷えのする低い声に、男達の顔から笑みが消える。
「あ? なんだ、その態度。喧嘩売ってんのか?」
「馬鹿かお前。確実に勝てる勝負を喧嘩とは言わねえよ」
蔑みも憐憫も、この手の相手にはいらない。「ごく当然のことを、当然のごとく言った」そういう態度が、一番効くのだ。
イロハの予想通り、彼らは完全に戦闘へのスイッチが入ったようだった。言葉や態度で示しても分からない相手には、|暴力《これ》が一番手っ取り早い。
薄っすらとイロハは笑った。結局、自分も同じ穴の狢なのだ。
間合いは十分にある。
相手で一番早いのは、脚力強化の男だろう。だが、彼の間合いは超近距離。イロハに近づくまでに数秒の間を要するため、その間に射止めることは簡単だ。
では氷使いはどうか。
彼の場合は空気中の水分を使って氷を顕現させる必要があるが、自分の手元にしか作れない。もちろん、その後に投擲したりは可能だが、イロハはその隙を与えるつもりはなかった。放たれた矢をピンポイントで凍らせる技術を持っていないのは、先日の一件で確認済みだ。そして、周囲の氷を――自分よりはるかに大きい物量を自在に操るには、あの男の習熟度は未熟に過ぎた。
脚力強化やもう一人との連携もあるかもしれないが、三人程度なら戦術も限られる。何とかなるだろう。
そもそも、スキルを使うまでもないかもしれない。彼ら程度の練度では、連携するために目配せなどの合図《スキ》が必要だ。
それさえ逃さなければ、動きを読むのは容易い。
結論。
殺しはしないが、服に二、三箇所穴が開くくらいは我慢してもらおう。
「舐めやがって」
小柄な男が低く腰を落とす。いつでも矢を抜けるよう、イロハも軽く右手を曲げた。
と、そこで。
空気を震わせる咆哮が轟いた。
目の前の三人が肩をびくりと跳ね上げる。
「なんだ……?」
イロハも素早く辺りを見回した。反響していて距離は判別しにくいが、音源自体はそう遠くはない。
「チッ、もう来やがったか」
氷使いが乱暴に言い捨てたのを皮切りに、三人が一斉に走り出す。その進路上にいるイロハのことなど、すっかり眼中にないようだった。
むしろ邪魔だとばかりに押し除けて奥の出口に向かう逃げっぷりは、いっそ見事と言ってよいだろう。
ただならぬ様子に、とりあえず踵を返したイロハも走りながら千里眼を発動させる。
仮想視点を後方に定め、細かい位置を調整。
現実に流れる視界とは別の景色が、次々と脳内で切り替わっていく。三人が出てきた洞の中、異常なし。洞内左から伸びる通路の奥、行き止まり。正面通路、異常なし。その隣の通路。覗いた途端、スキル阻害の罠《トラップ》でもあったのか暗転。強制的にスキルを停止させられ、一瞬だけ意識が飛ぶ。
崩れた姿勢を転ぶ前になんとか立て直し、再びスキルを発動。
そこで再度、咆哮が響く。さっきより近い。おかげで大まかな方向が把握できた。
イロハが走る道の後方。洞から出てすぐに左右に伸びる横穴のうち、向かって右側の穴奥。
そこに、一匹のドラゴンがいた。
白銀の鱗に金色の角と爪。スキル越しでもわかる堂々とした体躯は、神の獣と言っても過言ではない美しさだったろう。
――白目を剥き、とめどなく唾液を溢れさせてさえいなければ。
白竜《ホワイト・ドラゴン》。
《アルバスデウス》が一時期だけでもS級に跳ね上がる要因たる魔獣の姿が、そこにはあった。
「おい、どういうことだ!」
即座にスキルを停止し、イロハは前を走る男達に怒鳴った。
彼らの態度からして、このドラゴンのことを知っていたのは明らかだ。案の定、チラリとイロハを一瞥した氷使いが忌々しげに吐き捨てる。
「ああ?! てめえに話す義理はねえよ」
「ふざけんな! 何もしてねえのに、真冬に白竜が凶暴化するはずあるか!」
普段の白竜は、その巨体に反して温厚かつ思慮深い魔獣である。鱗の硬さもさることながら、回復力の高さから並の攻撃ではまず傷をつけることは不可能。人ごときが多少攻撃したところで、よほど腹が減っていない限りは相手にもしてもらえないだろう。
そんな白竜が正気を失い暴れ狂う唯一の季節こそが夏季であった。その原因は、このダンジョンの一部に生える植物である。
紅焔花《ピクラリダ》。
ドラゴン潰しの異称で呼ばれるタンポポに似たこの多年草は、竜種が食せば興奮状態に陥り、強い攻撃性を発揮させる。
主な群生地は雪と氷で閉ざされているが、氷が溶ける夏季だけは生育期と重なることもあり、多くのドラゴンが口にしてしまうのだ。あるいは、人間で言うところのアルコールのように、彼らにとっては一種の嗜好品扱いなのかもしれない。
さらに厄介なことに、白竜は紅焔花を体内で分解・貯蔵することで可燃性の強いガスを生成して攻撃に転用できる。
イロハが千里眼で視た白竜は、どう見ても正気ではない。
このダンジョンで白竜をあそこまで狂わせるものといえば、紅焔花をおいて他にはないだろう。問題は、どうしてこの季節に白竜が紅焔花を食せたのかである。
何かの要因で、群生地に繋がる道が開けてしまったのか。
考えながらも、イロハは身を捻って後方を確認する。
三度の咆哮と、氷壁が崩れる音。穴の奥から、先ほど確認した威容がゆっくりと現れるところだった。距離は数十メートルしか離れていない。イロハ達にとっては遠いが、相手はちょっとした豪邸ほどの体躯である。すぐに追いつかれるだろう。
「くそ」
小さく毒づき、イロハは再び前方へと顔を向ける。
前を行く三人も、ちょうどイロハの肩越しに敵の姿を確認したところらしい。目に見えてその顔が引き攣っていた。
ゆっくりと白竜が足を踏み出す。それだけで地面が揺れ、周囲の氷が砕けて舞った。
「う、おおおおお!」
足を止めた氷使いが意を決したように叫び、右腕を高く掲げる。広げられた手のひらに冷気が渦を巻き、見る間に一メートルほどの紡錘形の氷が成形された。
「くらいやがれ!」
大きく振り下された腕の動きに合わせ、巨大な氷のナイフがイロハの頭上を飛び越えて白竜へと向かう。
もしも当たっていれば、いくら白竜といえど多少のダメージにはなっただろう。
――当たっていれば、だが。
白竜が大きく口を開く。
不自然に膨らんだ喉が上下し、ただでさえ赤い口腔内がさらに明るくなった。
一瞬後、熱い風が四人の全身を撫でていく。
白竜が吐き出した熱波の余波だ。当然ながら、それは飛んでいった氷塊を一瞬で蒸発させていた。
「……だろうな」
ぼそりと呟き、イロハは氷使いへと視線を戻す。
恐らくは、あれが彼の持てる全力だったのだろう。目を大きく見開いた男の顔に浮かぶのは死への恐怖と、プライドが粉々に砕かれた者特有の絶望だ。
足を止めた彼に釣られて、他の二人も呆然と立ち尽くす。
打ちひしがれたその姿に、イロハは大きく顔を顰めた。
あの様子では、彼らはもう戦力にはならないだろう。放っておいたら、踏み潰されるか焼き殺されるか、あるいは丸呑みにされるか――。
「ああ……ったく!」
そこまで考え、イロハは完全に足を止めた。
彼らを助ける義理はないし、そこまで自分はお人好しではない。
だが、ここで彼らを置いて自分だけ身を隠すのも寝覚めが悪すぎた。
では、彼らを叱咤激励して共闘でもするか。
浮かんだ考えを「無理だ」と即座にイロハは切り捨てる。
脚力強化は強力だが、間合いが悪い。あの竜相手だと、近づく前に火炎の餌食だろう。では氷使いは? 先ほどの攻撃を見る限り、あれが全力。加えて、それを防がれたことで完全に腰が引けている。もう一人は非戦闘員。すでに失神寸前で震えている。
――だから、イロハは彼らに期待することを諦めた。
「右手三つ目に出てくる横穴に入れ。そのまま真っ直ぐ行けば、出口までの最短経路だ」
身体ごと白竜に向きなおるイロハの言葉に、背中から息をのむ気配が伝わってくる。ついで、「ハッ」と嘲るような声。
「俺たち助けて、お仲間みたいな良い子ちゃんになろうってか?」
そこに宿る揶揄の響きに、イロハは矢筒に伸ばした手を止めた。
「――ごちゃごちゃうるせえな」
口をついて出たのは、ひどく冷たい声だった。
「弱い上に足止める覚悟もねえなら、さっさと行けよ。邪魔なだけだ」
普段のイロハなら、もう少し彼らのプライドに斟酌して言葉を選んだかもしれない。だが、彼とて聖人君子ではないのだ。感謝されたいと思って足を止めたわけではないが、さりとて無礼な言葉を投げられて良い気分はしない。むしろ腹を立てるなと言う方が無理であろう。
くわえて、男たちの自尊心を慮ってやるほどの余裕もなかった。
(まずいな)
矢をつがえながら、イロハは胸中で一人ごちる。
狙いが定められない。
遠くはあるが、相手が巨体なので当てるのは難しくない。問題はどこに当てるか、だ。
さすがに関節は真正面からは無理だろう。何より、竜種は関節であろうと鱗に覆われている。隙間に捩じ込んだとて、肉までは届かないだろう。この距離なら威力も落ちるから尚更だ。
眼。狙えないことはないが、スキルの補助なしではさすがに難しい。それに、高い回復力を持つ白竜相手では、ダメージとなる前に回復されてしまう。
そもそも、矢を放ったとて焼き尽くされるかもしれない。
千里眼を使うまでもなく、攻撃が成功する可能性がまったく見当たらなかった。勝利の糸口すら定められないまま未来を読んでも、無駄に疲労するだけだ。
例えるなら、大河に落ちた一本の糸をなんの手がかりもなく手繰り寄せるに等しい。スキルで河の情報を全て知ることはできても、イロハにはそれを正確により分けることは不可能だった。
迷いが圧力となり、額に冷や汗を滲ませる。この時、すでに彼の頭から背後の三人のことは抜け落ちていた。
まさか、この状況でこれ以上絡んでくるとは考えてもみなかったのである。
「……偉そうに」
低い声。背筋に悪寒が走る。
覚えのある感覚だった。
――誰かに背中を狙われる感覚。
咄嗟に横に跳んだイロハの左脛を抉って、氷でできたナイフが雪に突き立った。白に赤が散る。棒立ちなら、確実に足が貫かれていただろう。
「……っ」
避けたはいいが、片足では勢いのついた体を支えきれず、イロハは肩から地面に倒れ込む。
「てめえ、何を……」
「お前が悪いんだ」
見上げた先では、顔をこわばらせた氷使いが笑みらしきものを浮かべていた。
「偉そうに命令するんなら、お手なみ拝見させてくれよ。あんたがそこで足止めしててくれるなら、俺たちも安心して逃げれる」
たたみ掛けるように言ったのは、脚力強化の男だ。
「……つくづく、見下げ果てた奴らだな」
「先に僕らを馬鹿にしたのはお前だろう!」
詰るように小太りの男が叫んだ。
呼応するように、背後で白竜が吠える。あるいは、イロハの足から流れ出る血の匂いを嗅ぎつけたのかもしれない。身を捩ると、金色の瞳と目が合った。白竜の大きな眼球が、しっかりとイロハの方を見据えている。
視界の外で、三人分の足音が遠ざかっていく。わずかにイロハは身じろぎした。足の傷は刺さらなかった分出血が激しく、すでに感覚はないに等しい。
(ちくしょう)
弓を構える。踏ん張りがきかないので、当然ながら飛ぶ気がしない。
それでも、何もせずにここで死ぬのだけは我慢がならなかった。絶望や悲嘆よりも、彼らの思惑通りに死んでたまるかという思いがくる自分に、イロハは内心で苦笑する。
見つめ合ったのは一秒か二秒か。
もしかしたら、もう少し長かったかもしれないし、短かったかもしれない。
だらしなく隙間を見せていた白竜の口が、さらに大きく開かれていく。同時に腹が大きく膨れ、喉にぼこりと瘤が浮かび上がった。
竜息《ドラゴンブレス》。
考えるよりも前に、咄嗟に身体が動いていた。避けれないなら、せめて急所は守ろうと両腕を上げて顔の前で交差させる。
轟音。
閉じた瞼越しでもわかる暴力的な光の渦と熱が全身を包んでいく。何かが焦げる匂いと、バキバキという乾いた音。一際大きなその音が、周囲の雪氷が溶けて崩れたものだと気がついたのは、濁流に飲み込まれてからだった。
そして、話は冒頭に至る。
今のイロハは正真正銘の丸腰だった。
炎の中でもかろうじて持っていた弓も、氷水に流された際の衝撃で弾かれていった。
どこまでも青い世界。不規則に揺れる波の模様がやけに眩しい。熱いのか冷たいのか分からない感覚の中で、手を伸ばす。
唐突に周囲が暗くなり、遠くの水面にゆらりと大きな影が映った。水が重く揺れ、上方で大きな泡が幾つも発生する。何か大きなものが水中を潜ったのだろう。恐らくは、白竜の――
考える前に、腹に衝撃。
痛いというより、重いと称する方が的確な一撃が背中に抜けていく。
ついで、猛烈な違和感。その正体を考えるより先に、答えが目の前を通り過ぎる。赤黒い糸を引きながら凶悪に光る大きな爪が、視界を分断するようにゆっくりと引き上げられていく。
自身の身体からソレが抜けていく様を見て、思い出したように苦痛がやってきた。
ごぼ、と一際大きな気泡が弾け、冷たい水が喉に押し寄せてくる。それとは真逆に、熱いものが喉を駆け上がっていく感覚。
苦しい。痛い。熱い。
鼻の奥がツンとし、涙が勝手に溢れてはすぐに水に混ざっていく。
霞がかったように白く染まっていく視界と、遠くなっていく意識。
何も見えない中で、水中のそれとは異なる浮遊感が不意に全身を包んだ。
白の中で何かが瞬いている。
それは、無数の0と1の羅列だった。赤、青、緑、ピンク、燈色と、様々な色を持った二つの数字が白い世界を埋め尽くす勢いで蠢いている。
数字は、イロハの指先からも出ていた。というより、指先が0と1に分解されていると言った方が正しい。
奇妙な感覚だった。
己の体は確かに冷たい水中に没し、今も刻一刻と死に近づいているはずなのに、もう一つの意識の中では真っ白な空間で大量の数字に囲まれている。
指先は冷たく、腹の傷は塞がらない。
だというのに、その指は今も形を崩して数字へと変わっているのだ。
空中に放り出された数字はしばらく空中を漂い、やがて引き寄せられるように渦を巻きながら彼方の一点へと収束していく。
きっと、あそこに神とやらはいるのだろう。そうしてイロハが死ぬと、金品を回収するというわけだ。
いよいよ視界が狭まっていく。朦朧とした意識の中、ふとイロハの中に皮肉な想いが浮かぶ。
――いったい、ソイツはどんな面をして見物しているのだろう
何故そんなことを考えてしまったのかは分からない。
どうせ死ぬのなら、という自暴自棄な思いも手伝って、イロハはスキルを発動させる。
死にかけの体でハロを行使したからだろう。自分の中で、何か大事なものがごっそりと欠けていく感覚が広がっていく。
かまわず、白の彼方に焦点を合わせる。
弾かれない。かちり、と頭の中で何かが噛み合う感覚。
視えた。
瞬間、流れ込んできたのは『けたたましい』としか表現できないような情報の奔流だった。
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ERROR_FAIL
ERROR_ACCESS_DENIED
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PROCESS02_IN_PROGRESS
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PROCESS04_IN_PROGRESS
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・
・
・
ERROR_STOPPED_ON_Re■usci■at■■■ REQUEST
ぶつん、とどこかで何かが切れる音。
「ぁ……」
ごぶ、と一際大きな血塊が水に溶け、消えた。
◆◇◆◇
背後からの慌ただしい足音に、何事かとティトンは振り返った。すぐ傍でスクワットを行っていたクエルクスも同様だ。
クラン【エル・ブロンシュ】。通称を【白羽】。
そのアジトでもある、草原の真ん中に立つ二階建ての家へと続く一本道を、一人の男が駆けてくる。鎧を着た金髪の男は、ティトンもよく見知った顔だった。【秩序】――正式名称【パレス・オーダー】という、治安維持に力を入れているクランのメンバーである。
道の脇に作られたベンチに座ったティトンや、草原で鍛錬に励んでいるクエルクスには目もくれず、男はノックもそこそこに扉を開けて中へと入っていく。どう見ても、ただ事ではない。
「何かあったのかな?」
ティトンは首を傾げた。
またコトワリがダンジョンの浅瀬で死んだのだろうか。しかし、それなら当人がいないのは不自然だった。それに、朝会った時に「今日は一日店にいるつもりだ」と彼は言っていたはずだ。
アロはさっきまでティトン達の傍でPIYOと戯れていたが、「コトワリさんのお店行ってくるー」と言って出ていったところである。いつも通りの自由っぷりと言えよう。イロハは朝から姿を見ていない。昨日も朝早く出ていったそうだが、その際に盟主に「遅くなるかも」と告げていたそうだ。
今日も早朝に出ていったのか、あるいはまだ帰ってきていないのか。
「またコトワリが死んだんじゃねえのか?」
鍛錬を中断したクエルクスが、汗を拭きながら答える。考えることは同じらしい。
「うん、僕もそれは考えたんだけど……」
「けど?」
「だったら、どうしてコトワリがいないのかなって」
「確かにな」
二人が話していると、家の扉が開いた。【秩序】の彼と共に、白い髪の少年――【白羽】の盟主である梟も出てくる。
「何かあったんですか?」
ティトンの問いに答えたのは、【秩序】の男だった。
「昨日の夜遅くに、このクランのメンバーが教会に転送されてきたんだがな。神父の話だと、復活の儀式をしてもまだ目を覚さないらしい」
彼の言葉に目を丸くしたティトンは、クエルクスと顔を見合わせた。
to be continued……
【エデン】世界の仕組みと神様について② - 透峰 零
2024/12/21 (Sat) 17:03:13
男に案内されたのは、クランから少し離れた西の方にある教会だった。そう大きいわけではなく、神父が一人で切り盛りしている。
「どうぞ」
古いがよく磨き込まれた扉が、【秩序】の男によって開かれる。彼に促され、最初に盟主が、その後に一緒についてきたティトンとクエルクスが並んで入った。
入ってすぐ目に入るのは、ずらりと並んだ礼拝用の会衆席だ。その両側には、上部が優美なアーチを描く大きなステンドグラスの窓が設置され、午後の柔らかな光を室内に差し入れている。
男はそちらには見向きもせずに横切ると、講壇の脇にある扉を開けてさらに三人を促す。白く短い回廊を抜けると、こじんまりとした両開きの扉が現れる。どうやらここが目的の場所らしい。扉の上部には『復活儀式の間』と書かれた木製のプレートがかかっていた。
男の規則正しいノックに、室内から「どうぞ」とくぐもった声が答える。
「失礼します」
男がドアを開ける。
礼拝堂ほどの広さはないが、同等の明るさがあるこざっぱりとした部屋だった。だが、部屋の広さに反して人の気配がないせいか妙に寒々しい。
中には寝台に似た石の台が五つ。そのいずれもが、ほのかに白い輝きを宿している。
「どうも、わざわざ済まないね」
そう言ったのは、部屋奥に佇んだ中年の神父だった。
だが、彼の傍にある寝台に見知った顔を見つけ、ティトンは挨拶することも忘れて思わず息を呑む。
「イロハ……」
代わりに名を呼んだのはクエルクスだ。
二人の前に立っていた盟主が、ゆっくりと神父に向けて頷く。
「うん、確かに。うちのメンバーで間違いないかな。近くに寄っても?」
「どうぞ」
「ありがとう――二人も、良ければ一緒に確認してもらえるかな」
盟主に言われ、ティトンとクエルクスも固い顔のまま寝台に近寄る。
見慣れた白い顔。閉じられた瞼。胸の上で組まれた両手。いつも首の後で束ねている黒髪は、死ぬ過程でほどけたのか寝台の上に広がっている。
静かに上下する胸や穏やかな表情もそうだが、こんな場所でなければ昼寝しているだけに見えただろう。
「今までこんなことは?」
「ありませんよ。だから問題なんです」
盟主に問われた神父が、小さく肩をすくめた。
「それに、他にも奇妙な点はありましてね。ログがないんですよ」
神父が指差す先は寝台の下部だ。通常ならばそこには、彼ら聖職者が「ログ」と呼ぶ死亡時刻と場所の情報が、転送と同時に浮かび上がってくるという。
ところが、イロハの寝台にはそれがない。
より正確に言えば、情報はあるのだがそれが読み取れないのだ。
「ほら、ここ。何か書いてあるのは分かるんですけど、意味を成さないようなめちゃくちゃな並びなんですよ。文字の色もそう。普通なら青色なんですけど、彼の場合は赤色だから気味が悪くて」
「確かに。これじゃあどこかわからないね」
赤い文字の群れをしげしげと眺めていたティトンも、神父の言葉に同意する。
「ったく。他人《ヒト》の失せ物探すのは得意なくせに、てめえが行き先不明になってどうすんだよ」
呆れたように言ったクエルクスがイロハの頬を引っ張る。が、すぐに眉を寄せて手を離した。
「おい。こんな場所で寝こけてるわりには、こいつやけに血色いいな? 体温も普通みたいだし」
「ああ、それですか。どうも、その辺りも転送した状態で固定されてるみたいなんですよね。昨日からずっと同じなので」
「どうりで。割と本気で引っ張ったのに、跡すらついてねえ」
ふん、とクエルクスは不愉快そうに鼻を鳴らす。先ほど彼につねられたイロハの頬は、赤くもなっていない。
そういえば、とティトンは神父に問うた。
「装備とかは一緒に転送されてきてないんですか? もしかしたら、どこに行ったかの手掛かりになるかも」
「それならあちらに」
神父が指差したのは、部屋の隅の暗がりだ。そこには、ティトンにも覚えがある肩掛け鞄と矢筒が置かれている。クエルクスが小さく舌をうった。
「なんかあれば良いけどな」
「というと?」
「あいつ、一人の時は強行突破でさっさと帰ること前提だからな。最低限の装備しか持って行ってねえんだよ」
「何ていうか……イロハらしいねえ」
苦笑し、ティトンは鞄の中をあらためる。中身は、以前見た時と大きく変わっていない。
火付道具と水筒、小ぶりのナイフ等々。金貨が数枚。ということは、彼は少なくとも蘇生代は身につけていたのだろう。
「あれ?」
と、そこで違和感を覚える。何かが足りない。けれど、それが何か分からない。
「ねえ、クエル」
「こいつ、弓はどうした?」
指摘され、その足りないものの正体に思い至ったティトンは思わず「それだ」と口に出した。
「ダンジョンに行ったなら、持っていたはずだよね?」
「だな。んでもって、それを易々と手放すとは思えねえ」
「いっつも言ってるもんねぇ」
二人の会話に気がついた盟主が、「言ってるって、何を?」と尋ねてきた。
クランメンバーの間では当たり前になっているが、共にダンジョンに潜らない盟主は知らないのかもしれない。
「半分冗談なんですけど、『俺が死んだら弓だけは持って帰ってね』って、よく言ってたんです」
「蘇生代の足しにされるなら、まだ他のものの方がマシだからってよ」
口々に言いながらも、二人の頭に浮かぶ疑問は同じことだ。
通常、武器などの装備は少し離れたところにあったとて、直前まで持っていた者の所有物と認識される。イロハの手荷物に金貨が余っていたということは、蘇生代の足しに神が持っていったことはないだろう。
つまり、考えられる可能性は二つ。
死ぬ前に彼自身が誰かに譲渡したか、あるいは――死んで生き返るまでの僅かな間に、何者かが新たな所有者となったか。
◆◇◆◇
時間は少し遡る。
ちょうどティトンとクエルクスが教会に向かっている頃、コトワリは店のカウンターに積み上がる謎の生き物を半眼で眺めているところだった。
「アロさん、何をされてるんです?」
「PIYO積みだよー。コトワリもやる?」
「いえ、結構」
青や黄、桃色に緑。どこから手に入れてくるのか不明だが、アロは色も形も異なるPIYOを器用に積み上げていく。
「お客さんが来たらどかして下さいよ」
「はーい」
そんなことを二人が話していると、折よく店の扉が開けられた。
「おや、いらっしゃい」
入ってきた人物を見て、コトワリはちょっと眉を上げた。知った人物だったのである。
「ギャザーさん、今日はどうされました?」
「いやぁ、その……店に用があるわけじゃないんだけど」
歯切れ悪く言ったのは、素材収集クラン【ポケット・ポケット】、通称【PP】のメンバーであるギャザー・レウニールである。
「けどー?」
「何か用があって来たのには変わりないんでしょう。ああ、クラン員への贈答なら、名前を書いてそこの籠に入れといて下さい。後で渡しておきますから」
慣れた様子で部屋の隅に置かれた三脚の上の籐籠を示すコトワリに、ギャザーは慌てて両手を振った。
「いやいや、違うんだって。そのさ……イロハ、どうしてるかなーと思って」
「イロハさんですか? 盟主の話だと、昨日の朝から出かけてるみたいですけど」
コトワリはアロの方に顔を向けるが、彼も同じらしく「知らないよー」と首を横に振っている。
「何か困り事ですか? それとも支援要請?」
言いながらも、晴れないギャザーの顔に「どうやら違うらしい」とコトワリは予想をつける。
では、一体何だというのか。胸に嫌な予感が湧き上がってくる。
「見間違いならいいんだけどさ……。さっき【生贄】の奴らとすれ違った時に、イロハのと似た弓を持ってたから気になって。ほら、あいつの弓って地味すぎて逆に目立つから」
所在なさげに指を上下に揺らし、ギャザーは扉の方を指差した。
to be continued……
Re: 【エデン】世界の仕組みと神様について③ - 透峰 零
2025/01/04 (Sat) 00:15:54
「確かに、そうですね」
コトワリが知る限り、イロハの持つ弓はそう凝ったものではなく――だからこそ、目を引くものではあった。
機械仕掛けのボウガンや、ロングボウではなく、女子供でも扱えそうな短弓だ。
幾つかの材質を組み合わせた複合弓だが、目を引くのはそこに魔獣の素材がまったく使われていないことだった。恐らく彼がエデンに辿り着く前から使っていたものなのだろう。
もう少しいいものを持たないのか、とコトワリもそれとなく聞いてみたのだが、彼は笑って「これが一番いい」と言っていた。
現に、彼の弓はよく飛ぶ。初級の冒険者が持つような木を組み合わせたようなもののくせに、だ。
彼自身の腕やスキルとの相性もあるのだろう。慣れだってある。
それでも、彼が他の弓で引く時は確かにあの弓に劣っていた。
「コトワリ?」
ギャザーに呼ばれ、我に返った。戸惑い顔のまま彼は続ける。
「そいつら、ダンジョンで拾ったから売りにいくって話しててさ。たまたま聞こえたんだけど、気になって」
その言葉に、コトワリは自分の口元が引き締まるのが分かった。
「彼ら、売りに行くと言っていたんですね?」
「お、おう」
答えを聞いた時には席を立っていた。アロの方も、すでに入口に移動している。
「ちょっと店番お願いします。行きましょう、アロさん」
「はーい」
ドアを開けて待ち構えていたアロと共に外に出れば、昼下がりの陽光が二人を出迎えた。
「でもコトワリさん、場所は分かるのー?」
「分かりませんよ。けれど、ギャザーさんは「さっき見た」と言ってました。ということは、この近くには間違いない。職人通りにでも行ってみましょう」
その言葉でアロにも分かったのだろう。重ねて尋ねてはこなかった。
エデンにある店の数は、武器屋だけでも十は下らない。防具屋などが兼用しているものも含めれば、もっとその数は増えるだろう。店舗位置も、なんとなく固まってはいるが個人経営で細々とやっているところもあるため、きちんと統計を取れば果たしてどれだけの数があるのか。
そんなわけで、コトワリが最初に向かったのはエデンで武器防具を扱う店が集まる一画だった。幸いというべきか、場所はここからそう遠くない。体力のないコトワリの足でも、十五分もあれば事足りる。
「当たったー」
「そうですね」
珍しくよそ見をしないアロが前方を指差した。赤煉瓦が敷き詰められた鍛冶屋町の大通りの入口で、息を整えがてらコトワリも立ち止まる。
二人の視線の先。ちょうど近くの店舗から、見覚えのある刺青を施した一団が退出してきたところだった。数は三人。距離にして五メートルもないだろう。
「ケッ、しけてやがるぜ」
その内の一人、頬に刺青のある男が店に向かって唾を吐きかけた。その隣で「デカいからって調子のってんだよ」と小柄な男が同意を示す。
二人から少し遅れて出てきた小太りの男は「本当、ひどいよね」と、小刻みに首を上下に振っている。彼の手にある弓は、確かにコトワリにも覚えのあるものだった。背を向けて去りかける三人に、コトワリは咄嗟に声をかける。
「待って下さい」
「あ?」
振り返った小柄な男が、低音で唸った。普段ならば「何でもないです、失礼しました」と回れ右をしたくなる種類の声音である。というか、目すら合わせたくはない。隣にいたアロも意外だったのか、ぱちぱちと目を瞬かせてコトワリを見つめている。
臆病に波打つ心臓を深呼吸で黙らせ、コトワリは彼らを刺激しないように慎重に言葉を紡ぐ。
「その弓をどこで?」
「はぁ?」
小柄な男が、片目を眇《すが》めて威嚇するように首を傾けた。
「なんだぁ、お前? 関係あんのかよ」
「うちのクラン員の持っている武器と似ているもので……。失礼ですが、確認させて下さい」
真っ直ぐに差し出したコトワリの右手。そこに輝くハロを一瞥した男の唇が「ああ」と、嘲弄の形に歪む。
「誰かと思えば、白羽の雑魚店主とPIYO野郎か」
男自身のハロは、言うだけあってそれなりに大きい。左足首に輝く丸と四角がズレて重なりあった図形は、人の顔面くらいの大きさはある。
ぐっと唇を引き結んだコトワリの顔を下から覗き込み、ことさら煽るように男は言葉を重ねる。
「これはな、俺たちがダンジョンで拾ったんだよ。お前みたいな雑魚一人じゃ到底行けないダンジョンの底でな」
「そ、そうだよ。証拠もないのに、妙な因縁つけないでほしいな」
小太りの男も甲高い声で主張する。媚を含んだ、嫌な声だった。その援護に力を得たのか、小柄な男は腕を組んでニヤニヤとコトワリを見つめていたが、ふと片眉を上げて傍の男をふり仰いだ。
「なぁ、ガルヴァ。お前も何とか言ってやれよ」
促されたのは、今まで黙っていた頬に刺青を持つ男だ。
「何とかって。そもそもお前ら、そんな奴ら相手にするなよ。時間の無駄だろ」
彼はコトワリの方を見もしなかった。馬鹿にする価値もない、と言わんばかりの態度である。
「そもそも、武器がわかるくらい戦闘に連れて行ってもらってんのかも怪しいし?」
「確かにな。足手纏いだし、置いていかれてるだろ」
「!」
痛いところを突かれ、コトワリは息を呑んだ。確かに、コトワリはティトンやクエルクスに比べて彼と共に戦闘に参加する機会は少ない。
その数少ない戦闘の最中では武器に注目する余裕などないし、彼らの動きは早すぎた。
同じ後衛職だから並んで歩く時はどうかと思考を巡らせれば、そもそも並んで歩いた記憶がほとんどない。
なぜか。非戦闘職であるコトワリを守るためだ。前衛にはティトンとクエルクスがおり、アロは武器と本人の自由度の高さからポジションの固定はされていない。そうなると、戦闘力のないコトワリを真ん中にして安全性を高めるためには、必然的にイロハが殿が務めることになる。
だから、コトワリはダンジョン内で彼と並ぶことはほとんどなかった。
けれど、とコトワリは挫けそうになる己に言い返す。
戦闘中でなくても、自分は彼の弓を覚えているはずだ。
クランの庭で、ベンチに座って手入れする姿を知っている。その指の形すら、克明に思い出せた。
「……それでも」
「そこまで気になるなら本人に聞いてみたらどうだ? まぁ、《《聞ければ》》だがな」
言い募るコトワリに被せるように、ガルヴァが歯を剥いた。他の二人も「ああ、そりゃ良いな」「どうなったんだろうね」と言って、ゲラゲラと笑いを重ねる。
奇妙な言い回しに、コトワリは己の眉が寄っていくのが分かった。
「どういうことですか?」
「どうもこうも、そのまんまの意味だ」
追及する前に、コトワリは今までの流れを整理する。
考えてみると、確かにおかしい。そもそも、イロハがおいそれと大事な武器を落としたりするだろうか。答えは否だ。
では彼らが奪った? それも考えにくい。売るにしても旨みが少ないし、イロハが許さないだろう。しばしば誤解されるが、別に彼は非戦主義者ではない。沸点は高いし普段は温厚であるが、暴力にはしっかり暴力で返す。
右の頬を張られたら次の瞬間には相手の両頬を拳骨で殴るくらいには切り替えが早い。もっとも、そうでないと用心棒などつとまらないのだろう。
考え込んでいると、話は終わったとばかりに、三人が再び踵を返す。
その前に立ち塞がる人物がいた。
「なんだ。今度はお前か、PIYO野郎」
「返してよ」
三人――特に、後方で弓を持つ小太りの男をまっすぐに見つめたアロが平坦な声で言った。普段のころころとよく変わる豊かな表情はなりを潜め、感情の読めない琥珀色の瞳が三人を睥睨する。
その変わりようにはコトワリも少なからず驚いたが、相対した三人の衝撃はそれ以上だったらしい。
返す言葉を咄嗟に出せない彼らに向けて、アロが無言で一歩を踏み出す。
「……っ」
びくり、と小柄な男が肩を跳ねさせた。だが、すぐにそんな自分を恥じるようにアロを睨みつける。
「……だから、嫌だっつってんだろが!」
裏返った声と同時に、足首にある男のハロが淡く輝きを帯びた。瞬間的に跳ね上がった右足が、迷いなくアロの顔面に向かっていく。
思わず目を瞑ったコトワリの耳に、甲高く乾いた音が届いた。
to be continued……
Re: 【エデン】世界の仕組みと神様について④ - 透峰 零
2025/01/26 (Sun) 17:14:54
しかし、予想に反してアロの悲鳴はいつまで経っても聞こえてこない。代わりに聞こえたのは、聞き覚えのある爽やかな声。
「良くない。街中での無用なスキル行使は良くないよ」
目を開いたコトワリの前でひるがえったのは、端を黄色く染められた白の長髪。
「げっ」と【生贄】の三人が呻き声を上げた。
「ダック隊長〜?」
いつもの間伸びした口調に戻ったアロの呼び声に、目の前の人物が振り返る。
「昨日ぶりだね、アロ君」
きらりと白い歯を輝かせたのは、クラン【ダンスインザダック】のリーダー格である男である。通称はダック隊長。彼の本名を、少なくともコトワリは知らない。
「それで、これは一体どういうことかな?」
再び体を反転させた彼が、今度は【生贄】の三人に向き直る。その手にあるのは、恐らく蹴撃を受け止めたであろう小型のナイフだ。護身用にしか使い道のなさそうな頼りない造りのそれで、スキルののった攻撃を受け止めたのだとすると相当な腕前だ。ナイフは鞘から抜かれていないが、彼がその気になれば目の前の三人を制圧することは容易いだろう。
戦闘技能においては素人同然のコトワリでも、それくらいは理解できた。
「別に」
先ほどアロに蹴りかかった男が、しゃがみ込んだままで吐き捨てる。攻撃を受け止められた際に、衝撃を逃がすのに失敗したのかもしれない。
「因縁つけてきたのは、そいつらが先だよ」
「ほう」
ダックが目を瞬かせる。
「しかし、何か理由があるのだろう。そうでなければ、君が蹴りかかるほどに拗《こじ》れることもあるまい」
「さあね。それはそいつらに聞いてくれよ」
コトワリとアロを睨みつけながら、男が立ち上がった。いつの間にか、他の二人は既に距離を取っている。ダックの仲裁を幸いに、逃げるつもりだ。
「待て……!」
コトワリの制止が意味を成すはずもなく。
反転した男は、待っていた仲間二人を伴ってあっという間に雑踏へと紛れていった。
「大丈夫だったかい?」
再び振り返ったダックに尋ねられ、伸ばしていた手を下ろしたコトワリは、力ない笑みを浮かべた。
「はい、すみません」
「余計なお世話かと思ったが、その様子だと私の判断は間違っていなかったようだ」
ハッハ、と笑う彼にコトワリは「ありがとうございます」と頭を下げた。
「隊長さん、ありがとねー」
「なに、アロー君達が無事で何よりだ。しかし、一体どうして彼らと関わることになったんだい?」
軽快だったダックの表情が、わずかに曇る。彼も【生贄】については良い印象を持っていないのだろう。
「実は……」と、コトワリはざっとことの経緯を説明する。聞き終えたダックは「ふむ」と顎に手を当てた。
「確かにアサケノ君の弓は、《《原価なら》》大した価値はないだろうね。もっとも、あれに値段はつけれないだろうが。――そうですよね?」
コトワリの背後に目をやり、ダックが言う。振り返ったコトワリは、そこで初めて己の背後に男が立っているのに気がついた。
猪首のがっしりとした短躯と四角い面は、いかにも職人という外見をしている。恐らくは、先ほど【生贄】の三人が悪態をついて出てきたこの店の主人なのだろう。静かな迫力に押され、コトワリは一歩後ずさる。
「いつからそこに……?」
店主の大きな目がギョロリと動いた。
「お前がそこの隊長に事情を話してる辺りから、かな。騒ぎが聞こえたから、気になって様子を窺ってたんだよ」
「そうですか。それは気づかずに失礼しました」
一礼し、コトワリは男に問いかける。
「それで、先ほどの。値段をつけれないというのは?」
「つけようとしたら、高すぎるんだよねー」
店主より先に答えたのはアロだ。
少し目を丸くした店主は、ついで目元を和ませてアロを見上げた。
「よく分かったな、坊主」
「えへへー。何となくー」
褒められたアロは、くすぐったそうに頭をかいた。
再び難しい顔になった店主は腕を組み、慎重に口を開く。
「あれは、原価だけで言えば本当に大したことはない。何しろ、貴重な素材は一切使ってないからな」
「材料だけなら誰でも揃えられる、と」
店主は真顔で頷いた。
「そうだ。ただな、同じものを作ることは不可能だよ。少なくとも、俺の知る限りエデンで作れる人間はいない。あれはな、恐ろしく手間が掛かってる上に、誰も真似できないような職人技の末に作られたもんだ。俺は弓は専門外だが、木材の一つとっても年単位の時間をかけてるはずだぞ。……一度だけちらっと見せてもらったが、貼り合わせてる木の硬さや種類も全部微妙に異なる上に、動物の骨や腱も複数使ってる。合わせてる膠《にかわ》にしたって、全部調合が違う。はっきり言って変態の所業だぞ、あれは」
なるほど、聞いているだけで頭が痛くなってくる代物である。
「確かに値段はつけれそうにないですね」
それに、簡単に手放すはずもない、とコトワリは胸のうちだけで付け足す。
「まぁな。この界隈だとあいつの弓はおっかなくて触れねえって有名だし、【生贄】の奴らに高額の金を渡す奴はいないよ。みんな大なり小なりアサには世話にはなってるからな」
アサ、と口の中で繰り返したコトワリはそれがイロハのことだと少しして気がついた。
「そもそも、あいつらが持ってくる武器や素材は正規のルートかも怪しいんだよな。混ぜ物が多かったり、呪われてたりするし。ああ、さっき持ってきた爆薬用の紅焔花《ピクラリダ》は珍しくマトモだったか。でもこの間だって」
「あ、あの。次はどこに行くとか言ってませんでしたか?」
放っておけば際限なく愚痴を続けそうな店主の言葉を、コトワリは遮った。
「うん? いや、すまん。特には何も聞いてない」
「多分、そこまで考えてないんじゃないー?」
いつになく辛辣だが、アロの見解にはコトワリも頷くしかなかった。
店主に礼を言い、店内へと戻るのを見送ったコトワリは「さて」と呟いて顎に指を当てる。
「当てずっぽうで追うのも無駄が多いですし……どうしたものか」
ちょうどその時、通りの入り口から新たな一団が職人通りに足を踏み入れた。
彼らが身に付けているのは揃いの赤い石だ。クラン、【赤嘴《ベックルージュ》】。入隊条件にハロの大きさを組み込むなど、実力主義の大手クランである。
その内の一人、白緑色の衣に包んだ少女がコトワリの姿に目を止めて足を止めた。
近くのメンバーに二言、三言断りを入れて輪を抜けてきた彼女が、コトワリの方に早足で向かってくる。
「コトワリくん、偶然だね」
「ゆあさん……」
仲間から離れた途端に弾んだ声をあげる彼女こそ、コトワリの恋人にして【赤嘴】きっての回復のエキスパートである、ゆあだ。
「こんなところで会うなんて珍しいね。あ、もしかして武器屋さんに用があったのはそっちの彼の方?」
ゆあに視線を向けられ、アロがにっこりと笑う。
「アロ・アローだよー」
「ありがとう。私はゆあ、よろしくね」
笑みを返したゆあは、ダックにも小さく頭を下げた。
「お久しぶりです」
「ああ。君の方は相変わらず忙しいようだな」
どうやら、二人は知らない仲ではないらしい。軽い挨拶だけで済ませると、ゆあは改めて首を傾げた。
「隊長さんも一緒って、ますますどういう状況?」
「僕らのクランのメンバーが持ってた武器を、別クランの人が持ってたんですよ。ここで売ろうとしてたみたいなんで理由を聞いたら、逆上されまして……。隊長さんには、そこを助けていただきました。ただ、その間に逃げられてしまったから、どうしたものかと」
ため息をついたコトワリに、ゆあは「大変だったね」と顔を曇らせた。
「売ろうとして失敗したなら……。素材にバラして売ったりするかもしれないし、鍛治クランの方に行ってみたらどうかな?」
ゆあの言葉に、アロが「そっかー」と手を打った。一方、「バラす」という言葉に顔を引き攣らせたのはコトワリである。
先ほどの店主の言葉が本当なら、いよいよ取り返しがつかない。
「ありがとうございます、ゆあさん。行ってみます」
「手伝おうか?」
控え目な提案に、コトワリは小さくかぶりを振った。視界の端では、ゆあを待っている【赤嘴】の面子がコトワリ達に好奇の視線を注いでいるのが見える。あまり彼女に負担をかけさせるわけにもいかない。
「大丈夫ですよ、お気持ちだけもらっておきます」
それでもまだ心配そうな彼女に微笑すれば、隣から「むぅ」というダックの唸りが聞こえた。
「私も一緒に行ければいいのだが……。あいにく、この後はコダック達とダンジョンに行く依頼があってな」
「大丈夫ー」
心の底から無念そうなダックに、にぱっとアロが笑いかける。
「なんとかなるよー。ね、コトワリ」
「……そうですね」
正確には「なんとかしないといけない」ではあるのだが。
しかし、アロの笑顔を見ていると不思議と先ほどまでの焦燥はなりをひそめていた。
案外、「なんとかならない」ことなんて世界には少ないのかもしれない。そんな気持ちのまま、コトワリは足を踏み出した。
to be continued……
【エデン】世界の仕組みと神様について⑤ - 透峰 零
2025/03/15 (Sat) 18:24:30
「とりあえずどうする?」
教会から出たクエルクスは開口一番、ティトンに問うた。盟主はもうしばらく教会に留まるという。
「……職人通りに行ってみよう。武器に関することなら、何か情報があるかもしれない」
顎先を指で摘んで考えながら、さらにティトンは続ける。
「それから、通り道には鍛治クランもあるよね。そっちもついでに当たってみよう。ないとは思うけど、拾ったなら素材として売る連中が現れるかもしれない」
「そうだな。片っ端から聞いて回るか。あんな骨董品、持ってる奴がいたら相当目立つはずだしな」
頷きあった二人は、鍛治クランの方へと歩を進める。
鍛治クランとは、その名の通り武具や防具の製作に特化したクランである。彼らが作ったものの一部は鍛冶屋で売られたりもするため、クランルームは職人通りの近くに構えられていた。
赤煉瓦が特徴的な職人通りをしばらく進んだところで裏道へ入り、東へと進む。冬であるにも関わらず、この辺りは気温が高い。商品を扱う店舗ではなく、作業場が多くなるからだろう。現に今も、あちらこちらから鉄を打つ音と火の気配が漂っている。
「……いつもながら、ここらの熱気はすごいな」
コートのボタンを外しながらぼやいたクエルクスに、ティトンも頷く。
「凄いよね。火は屋内で使ってるはずなのに、ここまで熱が届いてくる」
「中はもっと暑いんだろうな。鍛治クランの奴らが年中半袖なのも納得行くってもんだ」
話しながらも、二人の目は油断なく周囲を探っている。だが、情報が入ってきたのは耳からだった。
「ほらよ。持っていきな」
低い女の声と、ジャラリという重々しい音。
二人が同時に首を回した先の路地では、一人の女が三人組に小袋を渡しているところだった。頭上高くで一つにまとめられた真紅の髪と難燃性の作業着。腰に吊られた何本もの鎚からして、鍛治クランの人間なのだろう。女性ではあるが身長は高く、コトワリと同じくらいに見えた。
彼女が手渡した小袋はいかにも中身が詰まっていそうであり、先ほどの音はここから発されたと見て間違いないだろう。
「【生贄】の奴らじゃねえか……。なんでこんなところにいるんだ?」
声を潜めてクエルクスが囁く。
「確かに、妙だね」
ティトンも三人組の持つ刺青には覚えがあった。【生贄】は、他のクランと折り合いが悪い。ダンジョンの内外を問わず、彼らの素行の悪さは有名である。
そんな【生贄】のメンバーがわざわざ鍛治クランと取引などするだろうか。鍛治クランの人間にしても、応じるとは思えなかった。
「おい、あれ」
クエルクスが驚いたような声を上げる。その視線の先を辿り、ティトンもすぐに彼の動揺の理由を悟った。
小袋の代わりに女が受け取ったのは、見覚えのある小弓である。
「イロハの、だね」
【生贄】の三人はティトン達とは逆方向へと素早く踵を返すと、足早に離れていった。その背中を見送っていた女が振り返る。
振り返り、ぎょっと目を見開いた。恐らくは、路地の入り口に立つティトンとクエルクスに今になって気がついたのだろう。
だが、ティトンの首から下がる白い羽のついた首飾りを見た途端にその表情が安堵に変わる。
「なんだ、良かった。あんたら白羽の人か」
言いながら、彼女は腰に差した鎚の一つを手に取り打撃面を二人に見せた。
丸い小口の周囲を縁取るように彫られた茨冠の紋章。鍛治クラン【隠者の茨冠】――通称、【隠者】に所属するクラン員の証である。
「あたしは【隠者】のリーリェ。リーリェ・リフラン。ちょうど良かった。これ、ケノに返しといて」
笑いながら、彼女は手にした小弓を差し出した。手を出しながら、ティトンは首を傾げる。
「ケノ……って、イロハのこと?」
「そういやそんな名前だっけ。そう、そいつ」
女性の答えに、ティトンは「はぁ」と曖昧な声を出した。もしここにコトワリがいたら、「あの人、呼び名に頓着しなさすぎでしょ」と呆れたかもしれない。
「貸しひとつだよ、って。あいつら、価値のわからない馬鹿だから分解《バラ》しかねないからさ」
「それには同意するがな、あんたの目的はなんだ。結構な大金だったようだが?」
横から口を挟んだクエルクスに、女は軽く肩をすくめた。
「ああ、良いよ。あれ、一部は石だからね」
「なに?」
「硬貨は表面だけだよ。底の方には石を詰めてある。あいつら、よっぽど焦ってたんだね。碌に確認もしなかったよ」
「……それって、詐欺になるんじゃないの?」
ティトンの指摘に、女はけろりとして言った。
「あたしは具体的な値段の提示はしてないよ。「その弓ならこれくらい出してやる」って、袋を見せただけだもん。中を確認しないあいつらが悪い」
さすがは鍛治クランのメンバーである。呆れ半分、感心半分でティトンは目の前の女性を見上げた。これくらい抜け目がないと、武器屋や防具屋とも直接値段交渉はできないのかもしれない。
軽く頭を左右に振ったクエルクスが口を挟む。
「言い分はわかるが、あいつら相手に通じるのか?」
「さぁ? 文句言ってくるようなら相手してやるけどね。というか、何であいつらが持ってたのさ」
「それは俺らの方が聞きたいな。あんた、その辺は何も聞いてないのか?」
リーリェは返事の代わりに肩を大仰にすくめた。
「聞いたよ。でも、あいつら「拾った」の一点ばりでね。埒が明かなかったんだよ」
「拾った……ねぇ」
低い声でクエルクスは唸った。彼が何を考えているかは、ティトンにも分かる。あの弓が手放された時――すなわち、イロハが死んだ時に彼らは近くいた可能性が高い。だとすれば、彼の死と何らかの因果関係があると考えるのが自然だろう。
黙り込んだ二人の微妙な空気に、リーリェは眉を寄せた。
「なに。ケノのやつ、何かドジ踏んだの?」
「いや、何というか……」
言葉を濁したクエルクスが目を逸らした。ちょうどその時。
「ティトンとクエルさんだー」
折よくと言うべきか、アロの声が背後から聞こえた。
二人が振り返ると、疲労困憊しているコトワリと、いつもと変わらない様子のアロが路地を覗き込んでいる。
「あれー。それ、なんでティトンが持ってるの?」
軽く目を瞠ったアロが、ティトンの手元を指差して小走りで傍に寄ってくる。
「それ、【生贄】の人たちが持っていっちゃってたんだよー。大変だったんだから」
あまり大変そうでない口調で続けられたアロの言葉に、ティトンとクエルクスは無言のまま視線を交わした。
どうやらあちらの二人も、別ルートからこの弓の行方を追っていたらしい。
「この人が取り返してくれたんだよ」
ティトンの言葉に、リーリェが軽く会釈をする。
「ありがとうございますー」
「お手数おかけしました」
「良いって、良いって。困った時はお互い様だよ。あいつにもよろしく言っといて」
ニッと笑った彼女は片手を振って「じゃあね」と近くの建物へと姿を消した。
あとに取り残された四人は誰にともなく顔を見合わす。
「さて、と」
最初に口を開いたのはティトンだった。
「ちょっと、情報整理の必要がありそうだね」
【エデン】世界の仕組みと神様について⑥ - 透峰 零
2025/04/29 (Tue) 23:34:24
ティトンの提案に、他三人はその場に留まって続く言葉を待つ。
「僕とクエルは教会に行ってたんだ。【秩序】の人が盟主さんを教会に呼んだから、それについて行ったんだけどね。呼ばれた理由ってのは、昨夜から生き返らない【白羽】のメンバーがいるから確認して欲しいってものだった」
そこでティトンは一度言葉を切る。誰とはなしに、ティトンの持つ短弓に視線が集まってしまうのは仕方のないことだろう。弓を顎でしゃくり、クエルクスが後を引き継ぐ。
「まーそこで、アレがないのに気がついてな。職人通りに行く道すがら、鍛治クランの方も覗いてみようって話になったんだよ。あの武器オタクどもなら、なんか情報拾ってるかもしれんからな。そしたら、【隠者】の女が【生贄】の連中からその弓を買い取ってたんだ」
「実際には買い叩いたって感じだけどね。で、その【隠者】の人が「持ち主に返しといて」って僕らに弓を渡してくれたんだ」
なるほど、とコトワリは顎に手をあてる。彼らの話はこれで全部なのだろう。次はこちらの番、とでもいうようにティトンが右手をコトワリに向けてくる。
「……というか、生き返らない?」
今さらながらの重大情報に、コトワリは愕然と呟く。
「イロハさん、死んじゃってたのー?」
「うん」
アロの確認に、ティトンが頷く。
「外傷は?」
「今のところないよ。でもそもそも、生き返らないってのがイレギュラーだから、傷だけ治ったってことも考えられるよね」
言って、ティトンはクエルクスを見上げる。彼の意を汲んだクエルクスも「そうだな」と答えた。
「俺も一緒に確認したが、でかい傷は見当たらなかった。髪がほどけてたから、戦闘の類はあったのかもしれんがな。呑気に寝てるだけに見えたぜ。だから、死因は分からん」
「イロハのことだから、毒ってことも考えられるけど……」
ティトンが顔を曇らせる。彼がその推論に辿り着いた理由は、コトワリにも理解できた。
イロハは戦闘手段の幅広さ・ハロの大きさ共に手堅い実力を持つが、短所がないわけではない。
毒に弱いのだ。
これは毒が効きやすいというより、より正確に言うと「状態異常からの回復がしにくい」というものだった。
それは本人にも自覚があるのだろう。
回復薬を多めに消費する負い目もあってか、中途半端な解毒状態で自室で伸びているところを発見されたこともある。
解毒ポーションの精製に伴う毒舌状態のコトワリが怒って以降、そういうところは見ていないが、だからといって彼の体質までが変わるわけではない。
外傷がないというなら、確かに中毒死と考えるのが自然ではあるだろう。
だが、今回は――
「違うと思うよー」
異を唱えたのはアロだった。
「だって、それなら【生贄】の人達が弓を持ってるのおかしくない?」
「それだ。連中、「拾った」って言ってたらしいが本当なのか?」
クエルクスに問われ、コトワリは素直に「そうですね」と頷いた。
「何でも、《《僕のような雑魚一人では行けないダンジョンの底》》で拾ったらしいですよ」
「コトワリさん、もしかして根に持ってるー?」
「ははは、まさか」
コトワリは乾いた笑いを響かせた。二人の話を聞いたティトンが眉を寄せる。
「コトワリ一人では行けない……。それに《《底》》ってことは、ある程度の深度と難度のある地下型ダンジョンってことか」
「だが、あいつが一人で短期突破できると考えたってことは……ランクはB+。いってたとしてもA+ってところか」
「うん、Sランクではないだろうね」
ティトンとクエルクスのやり取りに、コトワリは眉を寄せる。
「あの、彼は教会にいたんですよね。でしたら、ログが残っているはずでは?」
「ログ自体はあるんだけどね。読めないような変な文字の並びになってるし、色も青じゃなくて赤色になっててさ。それもあって、神父様も怖かったみたい。だから、イロハがいつ・どこで死んだか分からないんだよ」
「なるほど、そういうことだったんですね」
「だが、今のでだいぶと絞り込めたんじゃねえか? でかしたぞ、ガキ共」
クエルクスがニヤリと笑う。そこでアロが「あ」と小さく声を上げた。
「そういえばー。【生贄】の人達がおかしなこと言ってたよ」
「おかしなこと?」
おうむ返したティトンに、アロは「うん」と頷いた。
「「そこまで気になるなら本人に聞いてみたらどうだ? 聞ければな」って。他の二人も、それ聞いて笑ってたんだ。気持ち悪かったー。あれ、イロハさんが死んでたの知ってたのかな」
ティトンとクエルクスの顔色がさっと変わった。
「あいつら……!」
呻き、クエルクスが歯を軋らせた。その前で、コトワリは慌てて両手を振る。
あの三人が何かをしたのは間違いないだろうが、彼らが殺したと考えるのは短慮に過ぎないだろうか。
「いや、待ってください。彼らの実力でイロハさんが殺せるとは思えません」
「阿呆、俺だってそこまで単純じゃねーよ。おいアロ、他にはあいつら何か言ってなかったか? 何でもいい」
「んっとー」と顎に指を当てて中空を睨んだアロに、ティトンが助け舟を出す。
「さっき、アロは「他の二人も笑ってた」って言ってたね。その時、どんなことを話してたか覚えてる?」
「確か「それは良いな」って。あと、「どうなったんだろうな」って言ってたと思うよ」
「へぇ」と、ティトンの声の温度が下がった。思わずコトワリは一歩後ずさる。
「……僕の推論を話すよ」
「ど、どうぞ」
「たぶん、あの三人はイロハを直接殺してはいない。けれど、いずれ死ぬことを理解して放置した。あるいは、殺されるように仕向けた。そんなところじゃないかな」
「俺も同感だ。じゃねぇと、「どうなったのか」なんて感想は出てこない。まぁ、それは――」
と、クエルクスはそこで言葉を切って半身だけで振り向いた。
「本人共に直接聞きゃ済む話だわな」
彼の視線の先。路地の入り口では、軽くなった袋を片手に憤りの表情を浮かべた【生贄】の三人がやって来るところだった。
「飛んで火にいる何とやら、だ」
獰猛に笑ったクエルクスが、腰に下げた短剣の柄を軽く叩いた。
【エデン】世界の仕組みと神様について⑦ - 透峰 零
2025/06/22 (Sun) 11:07:22
「あ?」
最初に四人に気がついたのは小柄な男だった。訝しげな彼の声に釣られ、他の二人も足を止める。
「何だ、今度は全員揃ってお出迎えか。【白羽】はよっぽど暇なんだな」
「全員じゃないだろうが」
小柄な男の皮肉に、低い声で答えたのはクエルだ。一瞬、【生贄】の三人の顔に「またか」とでも言いたそうな白けた表情が浮かぶ。
「いい加減にしろよな」
一歩踏み出したリーダー格の刺青の男――確か他のメンバーにガルヴァと呼ばれていた――が、わざとらしいうんざり顔でコトワリを見やった。
「さっきから、人のいく先いく先で邪魔しやがって。妙な言いがかりは止めてくれよ。仲間を増やせば何とかなるとでも思ったのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
咄嗟のことで弱気な返しをしたのがいけなかった。勢いを得たのか、ガルヴァが厳しい声を出す。
「さっきも言ったが、証拠は何もないだろうが。良い加減に迷惑なんだよ。盟主を通して正式に抗議しても良いんだぜ」
「証拠?」
繰り返したのはコトワリではない。ティトンだ。【生贄】の三人だけではなく、その場にいる全員の視線が青髪の青年に向けられる。
「証拠はないよ、確かにね。でも、この弓は確かにうちのクラン員の持つものだ。疑うのなら、鑑定をお願いしても良いよ。鑑定スキルを持つ知り合いなら何人か心当たりがある。前の持ち主が誰だったか遡って見るくらいは可能なはずだ。それとも、持ち主が誰か分かったら不都合なことでもあるの?」
「誰もんなことは言ってねえだろが」
「そう、つまり君たちにはやましいことが無いんだね。だったら、この弓を手に入れた時の状況を話せるはずだ。そうでないと僕らは納得できない。引き下がれない」
常の明るいものとは異なる、静かな圧を込めた口調だった。
「何も見ていない、聞いていないというなら、ダンジョンの名前だけでも教えてもらおうか。そうしたら、僕が自分で調査に行くよ。――君たちに行けて、僕が行けないはずがないからね」
硬いものでも飲み込んだような顔で三人は黙り込んだ。
彼らも、ティトンのランクが自分達よりはるかに上だという自覚はあるのだろう。加えて、エデンでも名の通った調査士であるティトンに引け目もあったのかもしれない。
だが、無言の睨み合いはそう長く続かなかった。痺れを切らした小柄な男が腕を横薙ぎに振るったのだ。
「うるせえ! ごちゃごちゃ抜かすな! ともかく、俺たちは関係ねえってんだよ!」
恐らくはティトンを脅すための動きだったのだろう。だが、いかんせん勢いが強すぎた。
棒立ちならば確実に顔面を強打したであろう腕を、ティトンはバックステップで躱わす。同時に、右手の槌が油断なく三人へと向けられた。流れるような一連の動きは長年の経験が成せる技であり、半ば無意識だったと言ってもいい。
「はっ、街中でやろうってのか。このチビ」
彼が構えたことで【生贄】の三人の緊張感も一気に高まった。前に出た小柄な男が、わずかに腰を落とす。コトワリは彼の能力を知らないが、先ほど職人通りでアロを蹴ろうとしたことからして、脚部強化など小回りの聞くスキルなのだろう。
対して、ティトンのスキルは刻印魔法と呼ばれる強力な攻撃力を有するものだ。その名の通り、槌で刻印された印を通して雷水火風という属性の異なる攻撃を繰り出すことができるのである。
エデンでもトップクラスの攻撃力を誇るスキルには間違いないが、こういった狭い場所で使うのには向いていない。それはティトンも理解しているのだろう。珍しく、目に迷いがある。
物の多い裏路地だ。炎や雷はどれだけ威力を抑えても引火の可能性がある以上は危なすぎる。かといって水や風では、加減すると相手を止めるほどの威力は出ない。
それはアロのチャクラムにしても同じだった。狭い通路では振り回せないし、無理に使ったところで威力は半減してしまう。
唯一小回りがききそうなクエルクスは隊列の後方だ。入れ替わることは可能だが、どうしたって隙はできる。
――では、最後尾にいる自分は?
自問自答し、コトワリは腰に下げた鞄に手を伸ばした。取り出したのは小ぶりな硝子瓶。
「ティトンさん、下がって下さい」
言うと同時に、瓶を前方に投擲する。素直に一歩下がったティトンと【生贄】の三人の間に落ちた瓶が、乾いた音を響かせて粉々に砕け散った。刺激臭と共に、ビビッドなオレンジ色の液体が地面に広がる。内心でコトワリは毒づいた。
(しまった、距離が足りない)
液体である以上は三人に直接かけないと威力は激減してしまう。気化した成分を吸うだけでは、望むだけの効果は到底得られない。もう一度投げるかとコトワリが迷っていると、ティトンの真後ろにいたアロが動いた。
後退したティトンと入れ替わるように前に出ると、地面すれすれまで体を沈み込ませてこぼれた液体に手をかざす。
「チェーンジ、《ガス》」
ぶわり、と空気がオレンジ色に染まった。アロのスキルで液体が一気に気化したのだ。顔を上げたアロがティトンへと視線をやる。それだけで、彼はアロの狙いを理解したようだった。
「オッケー!」
振りかぶった槌の先端が、手近な壁に叩きつけられる。硬質な音と共に刻印されたのは、中央に三本線が走る新緑色の印だ。
「グリーン・ワン! トリガー!」
叫びと同時に発動した局所的な強風が、滞留していたオレンジ色のガスを【生贄】の三人へと叩きつける。
「う……っ、わっ……」
「てめっ……ら」
「あ、うわわわわぁあぁ……」
三者三様の悲鳴。どうやら、コトワリの企みは二人のフォローでうまくいったようだ。
ほっとコトワリが胸を撫で下ろしている前で、クエルクスがコートを脱いだ。
「おら、ガキ共は下がっとけ」
乱暴に言いながら左右に振られたコートが、彼の手の中で振られたそのままで形で固まる。クエルクスの持つスキルは、触れているものに不壊の『盾』属性を与えると言うものだ。おおかた、わずかに残ったガスの侵入を阻むためにコートを盾としたのだろう。歪な形で固定されたコートを片手で支えたクエルクスが顔を顰める。
「くせえ」
「すみませんね。使えそうな手持ちのものが、それくらいしかなくて」
コトワリは小さく舌を出した。困った時の彼の癖である。
「あれ、吸ったらどうなるの?」
クエルクスに最前列を譲ったティトンが、盾の向こうを透かし見るように目を細めた。咄嗟に風で相手に吹きつけたが、詳しい効能までは彼も知らなかったらしい。
「麻痺のデバフがかかりますね」
「喋れんのかよ、それ」
「そこまで重症化はしないはずですよ。ちょっと気合い入れたら全然いけます」
「コトワリさん、怒ってるー?」
アロの問いに、コトワリはふっと唇の端を歪めた。
「死ぬよりはマシじゃないですか? 毒を投げなかっただけ褒めて欲しいですね。――まぁ、ダンジョン内だと生き返るから何をしても良い、と考える方もいますけど」
【生贄】の三人にも聞こえるようにコトワリは答える。アロに対する返答としてはズレていたが、言及する者はこの場にいなかった。
「そろそろ良いだろ」
呟いたクエルクスの手の中で、元の柔らかさを取り戻したコートがはためく。その向こうから現れたのは、地面に丸くなって呻き声を上げる【生贄】の三人だ。
彼らの前にしゃがみ込んだクエルクスが、低い声で問いかける。
「で、どうなんだ? イロハが死んだのはお前らが何か仕組んだのか」
【エデン】世界の仕組みと神様について⑧ - 透峰 零
2025/07/17 (Thu) 17:59:38
「死んだ」というクエルクスの言葉に、わずかにガルヴァの目が揺れる。が、すぐに彼はふてぶてしく吐き捨てた。
「何だよ、やっぱりあいつ死んでたのか」
すかさず、小柄な男も笑いながら追従する。
「生き返ってから武器がないのに気づいて、お前らに泣きついたってとこか? ダッセェ」
クエルクスの手がぴくりと動いた。そんな彼を宥めるように、ティトンが右手を挙げる。
「違うよ」
怪訝そうな顔の三人に、彼は淡々と事実を告げる。
「生き返らない」
こぼれ落ちそうな程に目を剥く三人に、大きく息を吐いたクエルクスが後を続けた。
「教会には転送されてきたけどな、何しても起きねぇんだよ」
「ロ、ログは……?」
恐る恐る尋ねた小太りの男に、【白羽】の四人は揃って首を横に振る。代表して答えたのはティトンだ。
「駄目だったよ。字の並びもぐちゃぐちゃで読める状態じゃない」
【生贄】の三人の間で静かに動揺が広がる。
互いに押し付けるような、非難するような視線を交わし合った末に、沈黙を破ったのは小柄な男だった。ごくり、と唾を飲み込んだ彼は慎重に尋ねる。
「じ、じゃあ……あいつ、死んだ時の状態で転送されてきたのか? 怪我とかもそのままで?」
教会で直接イロハの状態を確認したティトンとクエルクスは答えない。目の前の三人は、他にも何か情報を握っている。それを引き出すために黙って様子を伺っているのだ。案の定、無言のままで自分達を見下ろすティトンとクエルクスに焦れたように、小柄な男は悲鳴じみた声を上げる。
「ち、違うんだ! あの足は」
「足?」
「あ、いや……」
繰り返したクエルクスに、男は目を逸らして言葉尻を濁す。そんな仲間を、「馬鹿っ」とガルヴァが小さな声で叱責した。クエルクスが目を細める。
「で、お前らは何をしたんだ?」
「いや、俺たちは……」
「別に、何も……ねぇ?」
途端にモゴモゴと口籠る取り巻き二人に苛立ったのか、ガルヴァが声を荒げる。
「っていうか、生き返らないって本当なのかよ! 俺たちを嵌めようって魂胆じゃねえのか?!」
この後に及んでの言い草に、クエルクスの片頬が一瞬だけ引き攣る。笑ったようだった。
「馬鹿かお前ら。あいつが無事なら、俺らに泣きつくなんて可愛げのあることするか。生き返ったらすぐにお前らを探し出して、ぶん殴りに行ってるぞ」
それはそう、とコトワリも大いに納得して頷いてしまった。人探し、もの探しは千里眼を持つ彼の得意とすることの一つである。顔の広さと相まって、彼らが呑気に過ごせるほどの時間を与えるはずがない。
生贄の三人も理解しているのか、それ以上は何も反論しなかった。
不貞腐れたように目を逸らしていたガルヴァが、ぽつりと言う。
「……別に。俺たちだって、あいつを殺したわけじゃねえよ」
他の二人が無言でガルヴァの方を見やる。だが、決して【白羽】メンバーの方には顔を向けない。
黙って先を促すクエルクスに、ぽつぽつとガルヴァは話し出す。
「《アルバスデウス》の最深部で、たまたまあいつに会ったんだ。辛気くせえツラしてたから、ちょっとからかってやったんだよ。この前、染め物屋で恥かかされた礼もしたかったしな」
染め物屋、とコトワリは呟いた。
イロハが懇意にしている染物屋といえば、一つしか思いつかない。
「そういえばー、この前イロハさんが言ってたねー」
「ええ。確か、ハオシンさんの店でロンさんと不合格者が鉢合わせたとか」
こっそりと耳打ちしてきたアロに、コトワリも答える。
ハオシンとロンは星期三的猫《シンシーサンダマオ》というクランに所属する冒険者であり、不合格者というのはA級《ランク》の冒険者試験に落ちた者のことだ。
それというのも、ロンが管理するとある洞窟は「参拝すればA級試験に合格できる」という噂を持つパワースポットであり、多数の冒険者が願掛けに訪れる。だが、もちろんそれはただの気休め。祈ったからといって確実な効果があるわけではない。
大半の者はそんなことを承知の上だが、中には納得できずに八つ当たりの材料とする者もいる。そんな《《不合格者》》が、ハオシンの営む染物屋内でロンとばったり出くわしたらしい。ロンはハオシンと同じクランのため、店にもよく顔を出すのが悪い方に作用した。
店内で一方的に言いがかりをつける者がいたから摘み出した、とイロハが語っていたのはコトワリの記憶にも新しい。どうも、それが彼らだったようだ。
【生贄】の三人がB級だとすれば、この季節の《アルバスデウス》は丁度良いレベルであり、辻褄は合う。
「からかうって何をした?」
「水だよ」
「水ぅ?」
クエルクスの詰問に答えたのは、小柄な男だった。
「あそこが、『旧《ふる》き神々の住まう白き場所』なんて大層な名前で呼ばれてる理由くらいは知ってるだろ? 最下層にある、神の生まれたとされる泉。その泉の水は、人の罪を量るって言われてるんだよ。真っ当な生き方してたら試したいなんて思わないだろ。だってのにあいつ、指摘したら真っ青な顔して黙りこみやがったんだよ。だから」
「わかった、一旦黙れ」
不愉快そうに言葉を遮り、クエルクスはティトンを振り向いた。
「知ってるか?」
端的な問い。各ダンジョンの情報に精通している彼なら、真偽のほどを知っていてもおかしくはないだろう。
「知ってるよ。というか、それをイロハに話したのは僕だ。でも、それは壁画とか他の文献に書かれていただけ。人の罪科を決める根拠にはなり得ない。――そんなこと、イロハだって分かってるはずだよ」
ティトンがイロハに水の話をしたのは、《アルバスデウス》の一階層の壁画の前だった。
その時、彼は眩しいものでも見るように目を細めて言ったのだ。
「『神様ってやつは、どうやって俺達の罪を決めるんだろうな』って。そう言ってた」
ふん、と小柄な男が鼻を鳴らした。
「ああ、そうかい。でも、奴は信じてたみたいだぜ」
再びクエルクスが【生贄】の三人に向き直る。
「お前らがあいつに難癖つけたのはわかった。それで? 取っ組み合いでもしたか?」
「……いや。言い争いの途中で白竜に襲われたんだ」
「ちょっと待って! どうしてこの時期の白竜が人を襲うのさ!?」
納得できない、といった風に割ってはいったのはティトンだ。数多のダンジョンを攻略してきた彼は、《アルバスデウス》の攻略レベルの変動についても当然知っている。
「あの竜は、夏季以外では滅多に人を襲わないはずだよ! イロハと会う前に何があったの!?」
ティトンの剣幕に、下を向いたままの三人の肩が小さく跳ねた。気まずい沈黙が満ちる。
「あ、えっと……」
おずおずと声を絞り出したのは、小太りの男だった。中途半端に何かを言いかけ、他の二人の顔色を伺うように忙しなく目を左右に動かす。
その様子に、観念したようにガルヴァが大きく息を吐いた。
「紅焔花《ピクラリダ》の花を取りに行ったんだよ。氷があって邪魔なのは知ってたから爆薬で吹っ飛ばしたんだが、俺が設置位置をミスってな。思ったよりデカく崩れたんだ」
やけくそ気味の早口な説明に、小太りの男が驚いたように顔を上げた。
「ち、違うよ! あれは僕が解析結果をうまく読み取れなかったからで」
「ああ?! うるせえな。別にんなこと、どっちでも良いだろが!」
一喝して仲間を黙らせたガルヴァは、さらに説明を続ける。
「俺のスキルで、ある程度は元に戻そうと思ったんだよ。そしたら、採取の途中で白竜に見つかって……。花を見た途端に目の色変えて割れ目を広げて押し入ってきたんだ。――あとは、言わなくても分かんだろ。あの花を食べた竜がどうなるか」
厳しい顔つきのままでティトンが頷く。苛々と次の問いを重ねたのはクエルクスだ。
「それで、逃げた先でイロハと会ったと? お前ら、あいつに情報の共有はしてなかったのかよ」
負けず劣らずの尖った声でガルヴァは答える。
「言ってねえ。どうせまた、したり顔で説教でもするんだろうって思うと、腹が立ったんだよ」
「そんな勝手な」
呆れた声を上げたティトンを、ガルヴァはぎっと睨みつけた。
「勝手? 確かにそうだな。だけど面白くねえんだよ。あいつが正論を吐いて実行できるのは、それだけハロとスキルに恵まれてるからだろうが!」
後でなりゆきを見守っていたコトワリの心臓が、嫌な風に跳ねた。
「生まれ持った能力の差で平然と人を見下して、綺麗事を押し付けてきやがって。そのくせ、自分《てめえ》の行いが怖くて審判を求める。――じゃあ、てめえは何を信じて俺らを踏みつけやがるってんだよ!」
一方的に捲し立てるガルヴァから、コトワリは咄嗟に目を逸らした。
彼が何を言いたいか、自分は理解できる。できて、しまう。
思わずコトワリは自らの手首を、そこに浮かぶ小さなハロごと握りしめた。
気がつけば、彼の背にあるハロを目で追ってしまいそうになる自分がいる。
比べてしまう自分がいる。
心の隅にいつでも澱《おり》のように沈み、凝《こご》っている淀み。
自覚すると、ますます惨めさを増す劣等感。
人は言う。ハロは神様からの加護《ギフト》。そこに貴賤などなく、持つ者は持たざる者を助けるべきだと。
――詭弁だと、そう思う。
差はある。残酷なほど明確に、埋められないほどに深く。
それは厳然とした事実だ。
コトワリはたまに考えることがある。
これが神の意思だとすれば、どうして自分達は違いを与えられたのだろう、と。
「コトワリさんー?」
いつの間にか俯いていたらしい。呼びかけと共に覗き込んできたアロの心配そうな顔に、コトワリは長考から覚めた。
「大丈夫ー?」
「え、ええ。……すみません、ぼうっとしてました」
頭を軽く振り、先ほどまで考えていたことに無理やり蓋をする。
そう、彼らの言い分は分かる。
だとしても、理解と納得は別の話だ。
責められるべき非や過失があるのは彼らの方であることに変わりはない。正しく生きられない責任を他人に求めるのは単なる八つ当たりであり、イロハが非難される理由はないはずである。
「……もういい。それで、お前らとイロハはどうしたんだ」
「どう、って……」
「何もせずに逃げたのか、戦ったのか、隠れたのか、どうしたんだってことだよ」
クエルクスに睨めつけられ、小柄な男が歯切れ悪くぼそぼそと答える。
「最初は戦おうとした、けど……。歯が立たなかったから逃げた」
「イロハも一緒に逃げたのか?」
容赦のない追求への答えは、きまり悪そうな無言だった。
ティトンの顔色がさっと変わる。
「もしかして、イロハを置いて逃げたの?」
「俺たちからじゃない! あいつが自分で言ったんだ、「邪魔だ」って!」
勢いよく顔を上げてのガルヴァの訴えに、倍する声量でクエルクスが怒鳴り返す。
「だからって普通、置いていくかよ! お前らは、あいつの武器もスキルも知ってるだろうが! なんでそんなこと言わせた!」
千里眼は本来、戦闘向けのスキルではない。
ティトンのように破壊力のある攻撃特化のものでもなければ、クエルクスのように防御力に優れているわけでもない。
ただ、視えるだけだ。
過去が、未来が、遠きの景色が。――あるいは、人の心の内が。
エデンは広く、特殊な眼にまつわるスキルを持つ者もまた多い。過去視や未来視はもとより、透視や拡大鏡のような目を持つ者もいる。
その大半は補助的な役割を担うものであり、発動時には平時とは全く異なる視界となることがほとんどだ。そのため、イロハのように戦闘にも積極的に活用する方が珍しいと言えた。
さらに、彼が扱う武器は弓だ。
間合いの広さこそあるが、単純な威力だけで言えば大剣や戦斧には大きく劣る。人間や小型の魔獣相手ならばともかく、大型魔獣ともなればよほど上手く急所を狙わない限りは致命傷とならない。相手が硬い鱗に全身を覆われている竜種ともなれば、それすらも絶望的だ。
つまるところ、彼のスキルや武器を考えると「一人で残る」という決断は自殺するに等しく、よほどの理由でもない限りは選ぶはずがないのである。
クエルクスの怒りも、三人がイロハを見殺しにしたという結果ではなく、その結果を選ばざるを得ないまでに追い込んだことに対してと思われた。
「知るかよ!」
答えたガルヴァの声は震えていた。いや、声だけではない。その手も、麻痺薬の痙攣とは異なる震えを見せている。
「俺たちだって分かんねえし、こ……怖いんだよ、あいつが。《《あんなの》》前にして、他人を頼るより切り捨てるって選択をあっさりするあいつが!」
「怖いって……」
迫力に気圧され、言葉を途中で飲み込んだクエルクスにガルヴァはさらに詰め寄る。
「じゃあ、お前らはあいつが怖くないのか? あいつは人の心を読める。過去も覗ける。それが出来るってことは――自覚があるってことは、何度もやったことがあるからだろうが!」
【エデン】世界の仕組みと神様について⑨ - 透峰 零
2025/09/01 (Mon) 18:27:55
握ったクエルクスの拳から力が抜ける。
へたり込んだまま睨みあげてくる相手に重なったのは、この場にいない男の斜に構えた目つきだった。
「俺は神が嫌いだよ」
力のない呟きが脳裏に蘇る。
その声を聞いたのはつい最近だ。一週間ほど前、クエルクスが期限の近い缶詰を消費するためにリビングに積み上げた時だった。
ツマミのような物が多かったのと、アロがジュースと間違えて酒を開けたことで、最終的に皆で飲んで騒いだ。その後だった。
間の細かいことは覚えていない。次にはっきりと記憶が繋がるのは、真夜中である。
多分どこかの段階で寝落ちしたのだろう。
突っ伏していたテーブルから顔を上げると、右側のソファからは健やかな寝息が聞こえた。コトワリを間に挟んで、アロとティトンの三人が仲良くブランケットに包まっている。その後ろの壁際には、かろうじて片付けをする余力は残っていたのか、空になった缶詰が積み上がっていた。
三人の寝息以外に音はない。
青い光が視界の隅で踊る。宴の熱はすっかり冷めているはずなのに、テーブルの上にはまだ灯りが灯っていた。
コトワリが「余っていたので」と宴の途中で持ってきたアロマキャンドルだ。キャンドル自身の持つ深い青色が炎に照らされ、テーブルの上でまるで波のように揺れている。
薄暗いテーブルの対角上では、イロハが一人で杯を傾けていた。珍しいこともあるものだ。というか――
「お前、そんなに強かったか?」
クエルクスの記憶では、彼は好んで酒を飲む方ではなかったはずだ。
「酔い潰されない方法は知ってるよ」と本人が語っていたように、付き合いで嗜む程度だったと思うが。
クエルクスの問いに答える声はない。
「これはもしや……」と半ば予想しながら対面に座ると、案の定とろんとした目を向けられた。
完全に酔っている。
「良い飲み方じゃないな」
「明日は特に用もないし、一日寝てたら治る」
「そういう意味じゃねえよ」
もう中身が残っていないグラスを、クエルクスは一瞥した。
「何かあったか?」
グラスを揺らしていたイロハの手が、ぴたりと止まる。
再びクエルクスに向けられた目には、どこか皮肉っぽい光が宿っていた。常の親しみやすさは、欠片も見当たらない。
いや、思えばこの男の目つきは元からあまり良くなかった。喋り方や表情でそう見えないだけだ。
ややあって、イロハが口を開く。
「昨日さ、たまたま育った場所の近くに行ったんだ。ショートカットでダンジョン通りたいって商人の付き添いでね」
エデンの中には幾つも「部屋」と呼ばれる異空間がある。独立しているものもあるが、中には別の「部屋」に繋がっているものもあった。ダンジョンからダンジョンに飛ぶものもあるし、街の一角に繋がっているものもある。
素材を仕入れるついでに、そういったダンジョンを通り道にする商人は珍しくない。
イロハが付き合ったのもそういう類だろう。そういえば二日ほど前に「しばらく留守にする」と言って、今日帰ってきたのだったか。
ソファからの寝息が一瞬だけ途切れ、しばらくして再開した。
「ふぅん、どの辺だ?」
頬杖をついてクエルクスは雑に問う。
「あー」と呻き声を上げてイロハは人差し指でテーブルを二、三回叩いた。
「東区の枯れ噴水の裏に扉あるだろ。あそこ通って、あとはひたすら真っ直ぐ歩いて行くんだよ。行き止まりになったら近くの開けれる扉を通って、あとはその繰り返し」
「へぇ」
「まぁ、育った場所って言っても、さほど広くはないぜ。せいぜい、広いダンジョンのワンフロアくらいだったし」
「そうか。それでも、借主はかなり稼いでたな」
「部屋」の規模は様々だ。室内に直接繋がっている、文字通りの「誰かの部屋」である場合もあれば、街程度の広さになるものもある。ダンジョンと同じくらいとは、相当なものだ。
イロハが頷いた。舟を漕ぐ一歩手前のような危うい動きだった。
「そうかも。最初はもうちょっと小さかったんだけどね。店も人もかなり多かったと思うよ。ごちゃごちゃしてて、上品なとこじゃなかったけど」
「今は?」
「ないよ。家賃未納で全部消えたから。今は全然知らねークランの部屋になってた。誰も覚えてないって」
目を瞠るクエルクスに、イロハはケラケラと笑った。
「支配人が家賃持ち逃げしてさ。かき集めても足りなかったんだ。で、維持できないからこの部屋は閉鎖します、って」
言葉を失うクエルクスの前で、イロハは笑いを治めた。
「勝手だよな」
冷たい声だった。
「……そいつは知らんかった」
「言ってないからな。言う必要もないだろ、今とは関係ないんだ。――いや、違うな」
ゆるゆると首を横に振って、イロハはグラスから手を離す。なぜだか、それにクエルクスはホッとした。
「いい場所だったけど、ロクでもないこともしてたから。蓋をするべきじゃないか。俺も人の弱みや隠しごとを散々暴いてきたし、誰も逃げ方なんて考えなかった。毎日見たくないものばっかだった」
「そうか」
「だから、俺は神が嫌いだよ。この世で二番目に嫌いだ」
それは理不尽に居場所を奪われたからか、あるいは逃げようもないほど大きな『|神様からの授けもの《ハロ》』を押し付けてきたからか。
追求するより先に、正直な感想がクエルクスの口からこぼれ落ちた。
「神官どもには聞かせられん暴言だな」
「あんたが言わなきゃいい」
投げやりに言って、イロハはグラスの上で両手を重ね合わせる。腕の隙間に顔を埋めるようにして、声が絞り出された。
「俺は」
――こんなの、欲しくなかった
吐息のように弱々しい呟き。
多分、それがどれだけ恵まれた悩みかを本人は理解している。
理解しているからこそ、こうして酒に溺れでもしないと吐露できないのだろう。
言葉の代わりに大きく息を吐き、クエルクスはグラスに手を伸ばした。今は何を言っても聞こえないだろうと思ったからだ。
「飲み過ぎだ、馬鹿」
氷が溶けて水滴だらけのグラスを掴み、引き寄せる。
言いたいことを言って満足したのか、テーブルに崩れ落ちたイロハからは微かな寝息が聞こえてきた。
彼が、その夜に零したことを覚えていたかは分からない。
クエルクスもその後は自室に引き上げたし、翌朝に会った時のイロハはいつも通りだった。
だから、それ以上は聞かなかった。
聞けなかった。
あの時、空になったグラスに手を伸ばした自分は何を言おうとしたのだろう。
多分、と今になってクエルクスは思い返す。
あの時起きたのが自分でなければ、あの男はあそこまで饒舌にならなかったかもしれない、と。
ティトンやコトワリなら、彼の悪い飲み方を止めるか咎めるかしただろう。もしくは、親身になって話を聞くか。アロは話を聞くか怪しいし、好奇心が旺盛なので色々と尋ねたかもしれない。
けれど、あの時の彼は誰かに聞いて欲しかったわけではないのだ。
ただ、腹に溜まった「何か」を吐き出さないとやっていけなかったのだと、そう思う。
投げたボールがまともに自分の手元に返ってきたら、良くも悪くもイロハはその時点で夢見心地から覚めていただろう。
そして、「ごめん。忘れて」とでも笑う気がした。
改めて目の前の男を見下ろし、問われたことを考える。
――人の心が読めるから、《《自分達には見えないものが視えるから》》怖くないのか
答えは自然と言葉になっていた。
「怖がる道理がねえからな」
続けてクエルクスは鼻で笑う。
「お前らが考えるほどあいつは強くねえし、単純だぞ。もっとよく見ろ」
「……は?」
間の抜けた声を上げるガルヴァに、クエルクスは「もういい」と手を振る。事実、怒りは急速に萎んでいた。ありもしない虚像に怯え、攻撃する彼らに馬鹿らしくなった、ともいう。
クエルクスの背後にいた三人も、同じ感情のようだった。
「行こう」
ティトンが力強く言う。
「行くって、もしかして……」
確認半分、不安半分の顔をしたコトワリが目を彷徨わせる。アロが小さく首を倒した。
「アルバスデウス、じゃないのー?」
「やっぱり、そうですよね」
ガックリと肩を落としたコトワリに、ティトンが明るく手を上げる。
「大丈夫! 僕、あそこなら地図持ってるよ!」
「そういうことじゃないんですが……」
「オレも、今日は後ろの方歩くから大丈夫だよー」
「きみの場合は、横にも前にも上にも下にも行くでしょう」
いつも通りのやり取りを始める三人に、クエルクスは小さく口元を緩めた。
「ごちゃごちゃ言ってねーで、行くぞガキ共!」
「はーい! あ、ねえクエル。盟主には言っておこうよ」
「そうですね。これでぼくらもイロハさんと同じになったら笑えませんし」
「コトワリさん、縁起悪ーい。あとで紅白PIYOあげようかー?」
「いえ、大丈夫です。というか、すぐ出てくるものなんですか?」
呆然とする三人を置いて、【白羽】の四人は来た道を戻っていく。
先ほどよりも賑やかになったその背中が振り返ることは、なかった。
「……ちくしょう。なんで」
見送るガルヴァの喉から、絞り出すような声が漏れた。
【エデン】2025/5:お題「鮮やかな」 - あさぎそーご
2025/05/15 (Thu) 13:40:47
殆ど自分用にお題開催です( ˘ω˘ )
みなさん長編連載中、リアル多忙中だと思いますので無理のない範囲でよろしくおねがいします
いつも通り、〆切なし・自由参加です
Re: 【エデン】2025/5:お題「鮮やかな」 - 此木
2025/06/03 (Tue) 23:29:30
「こんにちは〜」
と声をかけ、けれどアロ・アローは返事が返ってくる前に扉を開けた。
軋みを上げて扉が開く。ひとひらの月明かりさえ差し込まない暗い部屋だった。壁も天井も、窓の向こうさえも、闇の底に沈んでいる。同時に埃の匂い、冷たい空気が溢れる。長い間、人の気配がなかった証だ。
ここは、ダンスクラン『ダンスインザダック』のリーダー格ダック隊長から面白いものが見られるよと教えられたダンジョンの一角だ。
奇妙なダンジョンだと思う。まるで白羽のクランハウスのような二階建ての一軒家の玄関扉が入り口だった。扉を潜って次に現れたのは長い板張りの廊下と、幾つもの扉だ。
『選ぶのは一つだけだよ』ダック隊長の言葉に従い、なんとなく一番奥まで行ったら楽しそうという理由で選んだ最奥の扉は深い蒼、夜の色をしていた。
「ここであってるはずなんだけどなぁ」
誰かが生活していたに違いない、しかし今は夜に沈んだ部屋にはソファーやテーブルと言ったかつての気配の残渣しかない。
アロは面白いものってなんだろう、と改めて首をかしげた。
その時、ひとつだけ……まるでそれだけが夜を拒絶するように、淡い光が瞬いた。
「PIYOだぁ」
思わず叫ぶと部屋の隅でふわりと優しい光が揺れた。
そこには、PIYO=雛の形をした不思議な生き物が静かに光を放っていた。黄色く柔らかな羽根が、まるで小さな灯火のように淡く輝く。
アロは思わず息を呑む。
「PIYOって、光るんだねぇ……」
PIYOはまるでアロを歓迎するかのように、ゆっくりと羽を震わせた。その光はアロの心に温かさを運んでくる。
「どこに隠れてたのかなぁ? ずっとここにいたの?」
PIYOは答えないけれど、その光は色を変えて強く輝く。橙、黄、緑、青、藍、紫と輝き、アロを照らす。
「うわぁ、ゲーミングPCみたい」
アロ自身、自分が何を言ったのかよく分かっていないに違いない。意味だって分かってなどいないだろう。ただ、それは禁じられていた。
「ピヨッッ」
PIYOの強い鳴き声が空気を震わせた瞬間、アロの足元がわずかに揺れた。光が広がる。まるで呼吸のように、部屋全体が淡く脈打つ。思わず目を細めた。
PIYOの光が強まり、部屋の隅々にまで奇妙な『紋様』が浮かび上がる。
線。印。言葉とも記号ともつかない幾何学のようなそれは、壁、床、天井すべてに編み込まれている。
光が弾ける。全ての色が混じり合い、白い輝きとなって部屋に広がる、アロを飲み込む。
輝きの中心でPIYOは首を傾げた。そして一度だけ、『Piyo』と鳴いた。
「ピヨ」
くすぐったい感触でアロは目を覚ました。いつの間にかソファーに座り込んで寝ていたらしい。
何かすごいものを見たような気もするが、はてなんだっただろう。
顔の上で踊るように尻を振るPIYOを頭の上にのせて立ち上がる。
「ピヨ」
ひと声鳴いて頭からテーブルに飛び降りたPIYOがまた鮮やかなまでに光だす。
「うわぁ!……」
感嘆の声を上げ、何かを口にしかけたが出てこなかった。忘れてしまったことがあるような気もするが、出てこない。出てこないということは、気にしても仕方がないということなので、PIYOの輝きを堪能することにした。
「キレーだよねぇ。今度みんなにも見せて上げよう」
多分たっぷり半日はPIYOを愛でて、アロはようやくPIYOを解放する。
「ピ、ピヨ~」
心持ち煤けたPIYOがヨタヨタと初めにいた部屋の角へ引っ込んでいく。
アロは追いかけずにただ問いかける。
「ありがとね。また会えるかなぁ?」
「ピヨ」
「そっかぁ、じゃあまたね」
口にしてアロはゆっくりと部屋を後にした。PIYOの光はその背中をそっと照らしていた。
Re: 【エデン】2025/5:お題「鮮やかな」 - 透峰 零
2025/06/15 (Sun) 21:32:59
その日は、アロ・アローの主観では「ちょっと暑い日」だった。
朝は涼しかったのだが、陽の昇る日中ともなると屋外にいるのは中々に厳しい。
そんなわけで、昼食後には商業区画であるハビラをぶらぶらし、早々にクランに戻ることにした。
そして、それはアロ以外のメンバーも同じだったらしい。クランの拠点である一軒家の扉を開けると、リビングには盟主以外の全員が集っていた。扉の開閉音に、皆が一斉にアロの方へと顔を向ける。
「アロだ、おかえりー!」
「おかえりなさい」
「おう」
「おかえり。ちょうど良かった」
四人それぞれの出迎えに、アロも「ただいまー」と答える。そのまま皆が座っているテーブルへ向かおうとしたが、ふと足を止めて首を傾げた。
「それ、スイカ? 今日のおやつなのー?」
アロが指差したのは、テーブル上の大皿だ。表皮を黒と緑の縞模様に彩られた大きな果実はスイカに間違いはない。だが、そのスイカはちょっと妙だった。
おやつにスイカが出ること自体は、別におかしくない。アロが「おかしいな?」と思ったのはスイカの切り方だ。
そのスイカは、真っ二つに切られて皿に載せられていたのである。アロやティトンならば、二つに切ったスイカを全員でスプーンで突ついて食べようという考えになってもおかしくはない。だが、この場には繊細な(だとアロは思っている)コトワリや、几帳面なクエルクスがいる。だとすれば、スイカは四等分ないし五等分されていそうなものだと思ったのだ。では、おやつではないのかというと、ちょっと分からない。
それらの考えを全て伝えるにはアロの言葉はかなり不足していたが、誰も突っ込みはしなかった。代わりに、口元を緩めたイロハが小さく手招きする。
「見てみな」
言われるままに、とことことアロはテーブルに近づく。抱えていた紙袋をとりあえずテーブルに置いて落ち着くと、近くにいたクエルクスが中央にあった皿をアロの方へと寄せてくれた。覗き込むまでもなく、スイカの中身がアロの目に飛び込んでくる。
「わー!」
赤、燈、黄、白、緑。
目が眩むほどの色彩と甘い匂い。思わず、アロは大きく息を吸い込んだ。
半分に切られたスイカは、それ自体を器として使用するためだったらしい。中には丸くくり抜かれた果実が、赤い果汁の中に浮かんでいる。言うまでもなく、果汁はスイカの実を潰したものだ。そこに炭酸水でも加えたのか、細かい気泡がシュワシュワと音を立てては弾けている。
さらに、中に入っているのはスイカだけではなかった。艶々と瑞々しい燈色の果実は黄桃だろうし、薄く切られた黄色の扇はパイナップルだ。星形に型抜きされた白いものはよく分からないが、入っている以上は食べ物には違いない。随所に散らされたミントと相まって、非常に色鮮やかな一品となっている。
「すごーい、宝石箱みたい。どうしたのー?」
この「どうしたの」は、「どうしてスイカを切るだけじゃないの?」であり「こんなに沢山の果物をどうしたの?」でもある。
まずは後者から答えることにしたらしいイロハが、キッチンを指差す。釣られて目を向けた先では、部屋の隅にスイカが転がっていた。
無造作に、ごろごろと。五つほど。
「わぁ」
「昨日作りすぎちゃったんで上げますって言われた」
普通ならば「そんなノリでスイカって出来るの?」と言うかもしれないが、もう何度か同じことがあったので、アロは気にしないことにしている。代わりに別のことを尋ねた。
「あれ、イロハさんが全部持って帰ってきたのー?」
小さめのものでも、スイカ一つで相当な重量があるはずだ。戦闘要員である以上は鍛えているが、どちらかというとイロハの体つきはほっそりとしている。いくら親切心からくるものだとて、暑い日にスイカ五つを押し付けるのは、新手の嫌がらせと言われてもおかしくはない。
アロの心配に、イロハは苦笑した。
「いや、さすがに俺が貰ったのは二つだけだよ」
「じゃあー」
テーブルにある一つを合わせて、合計六つのスイカがさっきまでは転がっていたことになる。その内の二つはイロハが持って帰ってきたものだとすれば。
「あとの四個はどこからきたの〜?」
「僕とクエルクスとコトワリも一つずつ貰ったの。残り一つは盟主が裏の畑で収穫したんだよ」
答えたのはティトンだった。
白羽では、たまにこのように食材が偏って集まることがある。理由は様々で、盟主の畑が予想以上に成功したからだったり、手伝いをしたお礼だったり、他クランからのお裾分けや物々交換が重なったりした時だ。
そして、全体の三割ほどを占める理由に「謎の女性達からの贈り物」というものがあった。
果物や野菜の素材を「昨日作りすぎてしまいまして」という謎の理由と共に渡してくるのである。
当初こそ、彼女達に植物育成系のスキルでもあるのかと訝ったのだが、身体のどこにもスキル保持者の証であるハロが見当たらない。
そうなると、作りすぎたというのが建前ということになる。
心当たりについて話し合いもしたが、確固たるものは出てこなかった。強いていうならば、イロハが何とも微妙な顔をしたくらいだろう。
しかし、さすがに理由も分からないのにそう何度も貰うわけにはいかない。
そこで、こっそり盟主に相談したところ「悪気はないんだよ。ちょっと変わった声援みたいなものだからね。ありがたく頂いておきなさい。お断りした方が彼女達も悲しむからね」とニコニコして言われてしまった。
盟主直々にそう言われてしまっては仕方ない。彼は何か知っているふうではあるが、同時に、それを明かすつもりもないようなのだ。
そんなわけで、意図せず「本人達に悪意はない」という太鼓判を盟主直々にもらう形になってしまって以降は、釈然としないままもありがたく好意に甘えることにしている。
イロハの言い方からして、恐らくは今回のスイカも彼女達からなのだろう。
「その桃とかも貰ったのー?」
「いや、黄桃とパイナップルはクエルクスの缶詰。そろそろ期限が切れるからって持ってきてくれたんだ」
「ちなみに、スターココナッツは僕がダンジョンで取ってきたやつだよー」
ティトンが元気よく手を挙げて自己申告する。スターココナッツはダンジョンで取れる希少果実の一つではあるが、ティトンほどのレベルであれば問題なく採種して来れるのだろう。なお、希少種だけあって通常のココナッツと比べると香りは芳醇、僅かに酸味を含んだ上品な味をしている。
「ミントは僕ですね。もらった鉢の中で、いつの間にか元気に茂りすぎていたので」
どこか苦々しい口調で言ったのはコトワリだ。
大きめの木杓子でスイカの中身を掬いあげながら、イロハが総括する。
「というわけで、今日は持ち寄ったものをとりあえずぶち込んでみたんだ。なかなか華やかだろ」
ガラスの器に盛り付けられた色とりどりのフルーツが、アロへと差し出される。
「ありがとー」
器を受け取ったアロは、置きっぱなしにしていた紙袋を指先でつついて笑った。
「じゃあ、オレはちょっと遅かったねー」
四人の動きが、束の間止まった。特に気にすることなく、アロは袋の口を開けて全員に見えるように少しだけ傾ける。
「ほらー、これ。オレもさっきお姉さんにオレンジ貰ったんだよー」
袋の中にみっしりと詰まったオレンジ色に、イロハが何ごとか小さく呟いて額を押さえた。
「だいじょぶー?」
小刻みに頷いて、イロハはアロの心配を制するように右手を挙げた。
「問題ない。……いや、さすがにここまでくると貰いっぱなしというのは気が引けるなぁと思って」
「返礼にサングリアでも作ってみるか?」
冗談めかしてクエルクスが言う。それに「良いかも!」と手を打ち合わせて同意したのはティトンだ。
「確かに、何かお礼したいよね! だったら僕、他にも果物取ってこようか?」
「ハーブ系ならぼくにも協力できますけど……」
控え目に進言したコトワリは、そこで何かに気がついたように目を伏せた。
「どうしたのー?」
「いえ。彼女達、かなり裕福なお家のお嬢さん方のようですから。庶民の味が口に合うかな、と」
クエルクスが器用に片眉を上げた。
「そうなのか? 確かに、やたら小綺麗な格好はしてたが」
苦笑いしたのはイロハだ。
「俺も詳しくはないけど、サッシュ一つ取っても染めや刺繍に手がかかってる。シンプルだけど、あれだけでかなりの値だと思うぜ」
「かなりの値って、どれくらい?」
「カロル鳥の卵一つと交換できるくらい」
答えに、問いかけたティトンの目の方が丸くなる。カロル鳥の卵殻は、数ある魔獣素材の中でもトップクラスで高価なものだ。丸一つあれば、家族四人が一年は楽に暮らせるだろう。
「それは……凄いね」
「凄いんだよ、多分な」
「いったい、普段はどんな服着てるんでしょうね……」
真顔で頷くイロハと、恐ろしそうにぼやくコトワリが顔を突き合わせる。そこで、再び入り口の扉が開いた。
「君達が選んだものなら、あの子達は何でも喜ぶと思うよ」
声と共に入ってきたのは、真っ白な髪をした五歳ほどの子供である。このクランの盟主である「梟」だ。
彼の手には、小ぶりの菜摘み籠が抱えられていた。中に入っているのは、ブルーベリーにラズベリー、それに杏子だ。どれも裏の畑で獲れるものである。
どこから聞いていたのかは定かでないが、今の話を聞いて収穫してきたのかもしれない。
五人の傍まで歩いてきた盟主は、少し背伸びすると籠をテーブルに載せた。
「というわけで、はい」
アロの持ってきたオレンジに、スイカの中の果実。そこに盟主の載せた果物籠も加わり、テーブルの上はまるで極彩色の絵の具をぶちまけたような賑やかさだ。
誰にともなく、五人は顔を見合わせる。
その表情が、全員の心情を如実に物語っていた。すなわち。
――ここまで言われてはやるしかないだろう、と。
後日。
エデンのどこかで、女性達の黄色い歓声が上がったとか上がらなかったとか。
Re: 【エデン】2025/5:お題「鮮やかな」 - あさぎそーご
2025/06/28 (Sat) 15:56:34
白羽《エル・ブロンシュ》のメンバーは盟主を入れて6人。頻繁にダンジョンに潜るのは、盟主を除く5人。
コトワリ以外は、単独で出向く事もある。逆にコトワリは、誰かと一緒でなければダンジョンに潜ることはない。単純に、一人では戦えないから。
非戦闘員のコトワリが怪我をしないよう、大抵はイロハが最後尾に付き、他の3人が前を歩く。つまり、仲間と一緒であればどんなに危険なダンジョンでも、コトワリが被害に遭う機会は少ない。
「わ?!」
休憩中、上からスライムが降ってきたりしなければ。
状態異常:暗闇
付与されると、目が見えなくなる。スミのような単純なものではなく、原理は分からないが視覚が遮断される。毒と同じくらいメジャーな状態異常だ。
職業柄、真っ先にくらうクエルクスは、慣れているのか動じることなく対応する。一旦距離を取り、音、気配、その他諸々の感覚を開いてから、周りに指示を仰ぐのが定石。
ティトンやアロは、全く見えずとも感覚だけで動く。臆することなくスタスタ歩く様を見た仲間達が、驚くより先に呆れたくらいだ。
イロハはそもそも、暗闇を異常と認識するのか怪しい。千里眼さえあれば、眼球が本来の機能を果たさずとも見えるかもしれないし。逆に、千里眼を使いこなしている状態よりも「楽だ」と言いそうで少し怖い。
対応は様々ながら、みんな順応力が高く、危険度は低めに見ているだろう。
それに比べてコトワリは感覚に疎く、暗闇になると歩くことさえ困難だ。
さて。
頭でスライムを受け止めたコトワリは、怪我もなく早急に救出されたものの「暗闇」状態に陥っていた。
油断していたわけでもなく、本当に偶然、本来なら上階にいるはずの《《はぐれスライム》》が、コトワリの頭上に潜んでいただけの、なんとも不運な話である。
今日は5人揃ってそう難しくない依頼をこなしに、アテストス遺跡の第3層に来ていた。まだ攻略途中だが、石造りの頑丈な、地下に降りていくタイプの典型的な中級ダンジョンである。
途中、アロのスキルを使って鉱物採集をした後、難なく討伐対象を倒し、戦利品を持ってあとは帰るだけ……というところでこの騒ぎだ。
ティトンのスキルで頭から水を浴びた後、口に入ったスライムで咽るコトワリの背中を擦りながら、イロハが声をかける。
「コトワリ、カバン、開けるぞ」
「げほっ…すみま、せん。暗闇専用の……ポーションは、持ってきて……いないので…」
前述の通り、味方は暗闇に対応できるし、自分が暗闇になることは殆どない。コトワリの言葉に、イロハは頷いてカバンを開けた。
状態異常の種類は本当に様々だ。それぞれ対応するポーションは存在するものの、全種類持ち歩くとなると難しい。それこそ、コトワリのカバンに詰め込みきれない量になる。
これを解決するのは万能薬だが、全てに効果がある万能薬は高級品。作るのも難しい。
ではどうするか。
各状態異常を、動くのに支障ない程度に無効化する異常回復薬を使うのが一般的だ。
これなら安価で、大抵の状態異常をある程度まで回復してくれる。味方のサポートがあれば、生還することはできるだろう。あとはダンジョンの外に出てから、治療師なり教会なりに駆け込めばいい。
「背中のカバンであってるか?」
「はい、薄い紫の…」
「ああ、これじゃない?」
横からティトンが取り出した丸瓶には、確かに「異常回復」と書かれた封がしてある。
「口に運べる自信がないので、頭からかけて頂けませんか」
明後日の方向に声をかけるコトワリに頷きながら、ティトンが封を切った。座ったまま微動だにしない彼の頭に、言われた通りポーションをかける。
冷たかったのか、ひっ……と短い悲鳴が上がった。なんとも言えぬ表情のコトワリの瞳に、僅かながら光が戻る。
焦点を合わせるまでに数秒かかったが、目の前のクエルクスが目が合ったことを確認して息を吐いた。
「コトワリさんー、大丈夫?」
心配そうに横から割り込んだアロが、どこから探してきたのか、コトワリの手にPIYOを乗せる。赤と青、2色の珍しいPIYOだったが、コトワリは驚くでもなく答えた。
「一応、歩くことくらいはできると思いますが…」
力ない声から、具合でも悪いのかと首を傾げる仲間たちに、彼は簡潔に説明する。
「異常回復ポーションだけでは、色彩まで回復しないんです」
言葉通り、現在コトワリの視界は白黒だ。しかし仲間達に彼の不安は理解されなかった。
「見えてはいるんだろ?」
「はい、ですが……」
「大丈夫大丈夫、フォローするし。あとは帰るだけだから。とりあえず歩こうか?道すがら聞くよ」
先導するティトンに、アロとクエルクスが続く。コトワリの危惧は、数歩先で形になった。
「大丈夫か?」
「っ……すみません」
段差に躓いてイロハに支えられるコトワリを振り向いて、ティトンが頬を掻く。
「成る程…ごめん、ここって壁も床も似た感じだもんね」
コントラストが同じだと、ちょっとした段差すら見分けられない。巨大な杖を連れて来ているので、ぶつけないようにするとなると全てが慎重になる。
石橋を叩きすぎて割れる程に。
「じゃあー、はい!」
アロが笑顔でコトワリの腕を引いた。加えてイロハが口頭で注意を促す。それでもいつもの半分程度の速度でしか歩けず、もどかしそうな彼の後ろからイロハの静止がかかる。
「待った。そっちは駄目だ。魔物が移動中」
「そっか。戦闘は避けたいね」
「迂回するか」
「じゃあ、こっちはー?まだマップ埋めてないよね?」
「んー……そうだな」
アロの提案した方角を千里眼で確認したイロハは、数十秒置いて口を開いた。
「魔物はいないが、真っ暗だ」
「面倒だな」
クエルクスが顔をしかめる。
現在いる舗装された空間から外れ、洞窟に似た横穴に入ろうというのだから、光源がなくともおかしくはない。元々明るいダンジョンなので、今日はランタンを持ってきていなかった。ただでさえ暗闇状態のコトワリを連れて闇の中を歩くのは、例え夜目がきこうと不安なことだろう。
「コトワリ、光のポーションある?」
「はい、えっと…少々お待ち下さい」
ティトンに問われ、コトワリはカバンの中から一つ一つ、ポーションを出して確認をはじめる。普段なら、数秒あればでてくるものがなかなか見つからない。それもそのはず。
「そっかー。ポーションの色、わからないと不便だよねー」
入念に封に記された名称を確認するコトワリを見て、アロが加勢する。色というのは便利なもので、種類さえ記憶しておけばそうそう間違いは起こさない。しかし全てがグレーに塗りたくられては、取り違いを起こして大惨事になる可能性もある。
多少タイムロスになろうと、慎重にならなければ。つまり、咄嗟に必要になってしまった時には、役にたたないとも言えるのだが。
「その調子だと、調合もできんな」
「ですね……」
クエルクスの指摘を、コトワリは素直に肯定する。薬草の種類を間違えそうで迂闊にできない。即ちハロの使い道も減るわけだ。
「すみません…」
「脆弱なもので?」
「……はい」
「ん?気にしてるのか?」
いつもの口癖すら出ないほど、落ち込むコトワリの背中をイロハが擦る。
普段から明るい仲間の表情ですら、今のコトワリには沈んで見えた。眩しいのは苦手なはずなのに。ただ色がないだけで、気分も沈んでしまう《《脆弱な》》自分が嫌になる。コトワリは小さくため息をつく。
「気持ちは分かるぜ」
「何事も、上手く回らない時はあるが?」
「だねー」
3人の慰めを受けながら、コトワリはやっと見つけたポーションを杖の宝石部分にたらし、洞窟の入り口に掲げた。真っ黒な道に白が滲む。
その中に足を踏み入れたティトンが、振り向き気味に笑顔を見せた。
「でもさ、凹んだ後は、きっといいことが待ってるよ」
「だといいのですが…」
苦笑するコトワリを中央に、円陣を保って先に進む。イロハが言うには罠もなく、一本道らしい。ただ、途中から急な坂道になっていて、どちらかといえば2階の《《落とし穴》》の出口扱いだろうとの結論が出た。
「次来る時、ショートカットとして使えたらいいね」
「どんだけ落ちるか……によるが?」
「そもそも、登れそうなんですか?」
「それはまあ、今から確かめてみないと」
「たのしみー。きっと滑り台だよねー」
噛み合っているのかいないのか、それぞれが好き勝手に落とし穴の妄想を膨らませながら歩く。
道は2人並んでも余裕で歩ける広さがあり、真っ暗で湿っぽくなければ快適かもしれない。
5分ほど進んだ辺りで、前を歩いていたアロが歩調を緩めた。
「ねー、なんかさ、水の音しないー?」
問われ、全員が足を止める。
静寂の中、耳を澄ますと確かに聞こえた。
天井から水が滴っている音……というよりは、連続して水面に水が落ちる音に近い。
足を止めて数秒後、千里眼で位置を把握したイロハが壁を示す。
「多分だけど、確かめる価値はあると思うぜ」
声色で確信したティトンの目が輝いた。
「爆破のポーションある?」
「はい、さっき光を探した時に……」
らんらんと振り向いた彼に問われ、コトワリはカバンを開く。取り出したのは、小規模な爆発を起こす、主に簡単な壁を破壊するためのポーションだ。戦闘に使えないこともないが、狙いを外したら一大事なのであまり使われることはない。いつもならアロに頼むところだが、今回は採集で疲れているだろうし、壁を壊すだけならこれで十分だろう。
受け取ったティトンがイロハに言われた位置に設置、全員充分距離を取った。
「耳、塞いどけ?」
イロハが矢をつがえる前にクエルクスが促す。彼は彼で、コートを脱いで衝撃に備えるようだ。
「いいかい?」
「やっちゃえイロハさんー」
アロの合図の後、短い風切り音。次いでクエルクスのコートが翻るのと同時に、そこそこの爆発音、風圧。
全てが終息したのを確認し、正面で盾のスキルを発動していたクエルクスがコートを着直す。その背後は眩しいくらいに明るかった。
「もしかして!もしかしてだけど??」
「なになにー?いいものあるー?」
ティトンとアロがパタパタと走っていく。その後ろにクエルクスが続くと、イロハがコトワリの背に手を添えた。
殆どが黒だったコトワリの視界は、白に侵食されてよく見えない。それくらい明るいのだと理解はしたが、眩しいという感覚とは違うように感じていた。
「すごいすごい、やっぱりマップはちゃんと埋めないとね!」
興奮気味のティトンの声が響く。
壊れた壁の瓦礫に躓かないよう、覗き込んだコトワリの目に変化が訪れた。
「わ……」
色が戻っていく。鮮やかな緑。やっと、眩しさを覚えて目を細めた。
世界はこんなに明るかっただろうか。空気にも色があるように思えて、呆然としてしまう。
光に目が慣れた頃には、全てが酷く鮮やかに見えた。馴染みのある仲間の色ですら。
「珍しいもの見つけたな」
「ほんとだよー!やー、これで攻略が楽になるー」
佇むコトワリの後ろから笑うイロハに、調査の片手間ティトンがはしゃぐ。
壁の向こうに広がっていたのは、回復の泉。
稀にダンジョン内に生成される天然のポーションだ。大抵はどこからか湧き出ているか、染み出しているか。今回見つけたものは壁際から流れて水盆に溜まり、洗面台のようになっていた。
このポーションは不思議なことに、掬って蓋をするまでの間に蒸発してしまうので、外に持ち出すことはできない。
代わりに、周囲にポーションの効果が充満しているため、近づくだけで回復効果がある。
しかも魔物には毒なのか、近辺で見かけたことはなく、セーフティゾーンとしても使えるありがたい場所だ。
「入るには、毎回壁壊さんといけんがな」
「そだねー、PIYOが直しちゃうもんねー?」
クエルクスの苦笑にアロが同意する。話しながらもアロの目線は室内を巡っているので、未だ珍しいPIYOを諦めていないらしい。
ポーションのおかげでデバフが消え、仲間の表情にも色が戻ったコトワリは、張り詰めていた緊張が解けてふっと息を吐いた。
身も心もすっかり回復した5人は、その後長い滑り台状の洞窟を逆走する羽目になり……
結局くたくたでクランルームに帰宅したとかなんとか。
Re: 【エデン】2025/5:お題「鮮やかな」 - 淡島かりす
2025/06/28 (Sat) 16:49:06
イロハは自分をお人好しだとか面倒見が良いとか思ったことは無い。周りはそう言うが、本人は否定している。しかし実際には他のクランの手助けをしたり、色々な頼まれ事を請け負っていることが多い。それは大抵は成り行きによるものである。イロハはその能力により、偶に本人が望まないとしても未来を見てしまうことがある。自分が関わり合いになり、そして無視した出来事の顛末を見た時に、悪い結果になっているのは流石に目覚めが悪い。実際そこまで深刻に考えているわけではないが、要するにイロハは様々なことに気を回しすぎるがために頼まれ事が多くなる人間と言えた。
「サーモンちゃん、どうしたの? なんだか疲れてなーい?」
染物屋の前で声をかけられて立ち止まる。店主のハオシンが店の前に染物のサンプルを飾っているところに通りかかったようだった。
この染物屋とも長い付き合いである。知り合いのそのまた知り合い、くらいの関係性だったのが、気付けばかなり親しい関係になっていた。
「さっきまで『ラビリンス』の攻略をしてたんだ」
それは入る度に形を変えるダンジョンのことだった。ダンジョン内の鉱物や植物も一緒に変質するので、一種の運試しとして入ることが多い。
「あら、あそこに入るの珍しいわね」
「依頼を受けたんだ。俺の趣味じゃないよ。かなり面倒な作りになってて、出るのに時間がかかった」
「まぁ、大変ねぇ。これからどこか行くの?」
「飯でも食おうかと思って」
「あら、じゃあ丁度いいわ。これからアタシもご飯なの。食べていきなさいよ」
「いや、それは」
「いいじゃない。一人で食べるのも寂しいんだもの。ね、お願い」
ハオシンは両手を合わせてイロハを見る。見た目で誤解されるが、ハオシンは甘え上手なところがある。年上のロンにぞんざいな扱いをしつつも、甘いものをねだってみたりする時にはそれなりに年下らしくなる。ロンのほうは呆れつつも年上の余裕でそれを許していた。
イロハはハオシンの右目に浮かんだ紫色のハロを見る。菱形の中、上寄りに三角形が配置されている。ハロ自体は虹彩と殆ど変わらないほど小さい。しかし能力が目に関わるためだろうか、ハオシンの能力の持続力は意外と高かった。
「じゃあ、お招きに預かろうかな」
「やった。入って入って。今日はお粥よ」
店の入口に「休憩中」の札をかけたハオシンは、イロハを中へと導く。染物屋の中は相変わらず色の洪水だった。
「こっちこっち」
受付カウンターの奥にある部屋に通される。そこは作業部屋に繋がる小部屋で、休憩室として使われているようだった。中央に据えられたテーブルの上に土鍋が一つ載っていて、その周りに惣菜の入った小鉢がいくつも並んでいた。小皿は彩り鮮やかで、中の惣菜の色の単調さを補っている。
「今日は蒸し蒸ししてるから冷たいものにしたのよぉ」
「お粥なのに?」
「凍り粥ってやつよ。丁度外歩いてたら、噴水のお水凍らせてる子がいたからお粥凍らせてもらったの」
「なんだそれ」
しかしそういうことをやりそうな人間にイロハは一人心当たりはあった。
冷えた鍋の蓋が取り除かれる。中には半ば凍りかけた粥が入っていた。
「凍り粥っていうのは初めてだ」
「美味しいわよ。好きなおかず載せて召し上がれ」
粥を器に盛り、一番近くに置かれた小皿から唐辛子で漬けた蕪を取って載せる。
「これもオススメよ」
ハオシンが差し出したのは黒い豆だった。匂いからして蜂蜜で味付けしているらしい。
「辛いのと合うか?」
「あら、合わないものなんて置いてないわよ」
あれもこれもと、結局小皿にあったものを全て粥の上に載せられた。赤、黄、緑、黒、橙。白い粥は鮮やかな色に彩られ、最初に見た時とはまるで別物になっていた。陶器で出来た匙を入れて一口分をすくいあげる。口の中に入れると、多種多様な味が混じり合い、そしてそれを冷たい粥が引き締めながら包み込む。
「美味しいな」
「でしょ、でしょ。あ、お茶もあるから飲んでね」
ハオシンは嬉しそうに言いつつ同じように鮮やかな粥を口に入れる。
「今日は忙しかったから美味しいわぁ。こういう日に限ってロンロン来ないんだもの」
「あの本に、この店の年間変動を記録させてるんだろうな。そんなに忙しかったのか」
「今日はセールなのよ。染料って定期的に交換するんだけど、どうしても余っちゃうでしょ。だからいつもより安い値段で染めれる日なの」
「なるほど。それは忙しいな」
「サーモンちゃんも染める? お代はいらないわよ」
「今は別に染めるものは無いな」
「中途半端に残っちゃってるのがあるのよね。仕方ないわ、その辺歩いてる羊でも染めましょ」
「その辺歩かないだろ、羊は」
「あら、歩いてるわよ。こんなの」
ハオシンは手で大きさを示したが、それは両手で抱えられるようなサイズだった。
「それ羊か?」
「角の花屋さんが育ててるのよ、綿花羊。お花から出てくるの。可愛いわよ」
「花屋って確か……」
「そうよ、『ファクトリー』に属してるクランの」
他愛もない話をしながら粥を食べ進める。粥と言うと病気の時などに食べるイメージだが、凍っていて歯ごたえがあるのと惣菜が豊富なために腹に溜まる。
「ロンが言っていた洞窟の件はどうなったんだ?」
「あぁ、あれ? 実はアヒルさんのところの盟主ちゃんに相談したのよ」
「ダンスインザダック?」
「そう。で、いいアイデア貰ったんだけど実現するのにちょっと人手が足らないの。手伝ってくれない?」
「まぁ乗りかかった船だし、俺は構わないぜ。報酬は貰うけどな」
「それは勿論よ。とりあえず手付金じゃないけど、何か染めておく?」
イロハは思わず苦笑をこぼした。余程、中途半端な量の染料があるのだろう。
「何色が余ってるんだ?」
「混色よ。マーブルってやつ。少し前に特注で作ったんだけど、捨てるには手間がかかったぶん惜しいし、かといって店頭に出すほどは量がないし」
「なんでも染められる?」
「えぇ、大丈夫よ」
なんでも言って、と身を乗り出すハオシンに、イロハは微笑みつつ口を開いた。
「イロハさん、それはどうしたんですか?」
コトワリの言葉の意味をイロハは一瞬理解できなかったが、相手の視線がどこに向いているかわかるとすぐにそのことを思い出した。
「あぁ、染めたんだよ」
「染めた? 矢羽をですか」
イロハの背負った矢筒から除く矢羽は、いずれも鮮やかな色に染められていた。
「まぁちょっと気分転換というか。変か?」
「いえ、別に。ただ、いつもは白一色だから珍しいなと思っただけです」
二人の前方には、好き勝手に進もうとするティトンとアロ。そしてその首根っこを掴んで止めているクエルクスの姿がある。
イロハはその能力と戦闘スタイルから後方にいることが多く、コトワリは体力の低さなどから自然と遅れることが多い。従ってダンジョン内では二人で話すことが度々あった。
「何か矢羽の色によって鏃が違ったりするんですか?」
「いや、そうじゃない。単にその時気に入った色に染めてもらっただけだ」
「気に入った色ですか」
「あぁ」
イロハは背に手を回して適当に一本抜き取った。矢羽の色は鮮やかな赤だった。ハオシンに何色にするかと尋ねられた時のことを思い出しながら言葉を続けた。
「正確に言うと、美味しかった色だな」
「はぁ?」
首を傾げるコトワリに意味が告げられることはなかった。
【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/02/10 (Mon) 11:49:44
「見えてきたよ、コトワリさん!」
前方を軽やかに歩くアロが嬉しそうに報告をした。武器である杖を歩行補助道具にしたコトワリは、「そうですか」と力ない返事をした。隆起した岩山、所謂カルスト地形が広がるダンジョンは、凶暴な魔獣が少ない代わりにまともに歩ける場所も少ない。しかし岩山の一つ一つはそれぞれ洞窟となっていて、その中に希少な動物や鉱物が入っているため最近では様々なクランが出入りをしていた。
「大丈夫ー?」
「大丈夫ではないですね……」
アロはいつも元気いっぱいである。年齢が若いというのも重要な要因の一つではあるだろうが、育ってきた環境や生まれ持った素質のほうが大きいのだろう。虚弱なコトワリには非常に羨ましい。
「しかし、本当にこんな場所が願掛けに使われているのですか?」
「今ねー、人気のパワースロットなんだよ」
「パワースポットですね」
今日の朝のことだった。皆でパンの周りをマヨネーズで囲み、その中に卵を落としたトーストを食べ、食後の紅茶を楽しんでいる時にアロが突然言った。願掛けに行こうと。
ここ最近、コトワリは冒険者としてのランクを上げるために様々な特訓をしていた。といっても半分ほどは皆にスパルタを受けているようなものだが。何にせよ虚弱なこととハロの小ささもあって色々と苦労している。そんな中でのアロの提案は、要するに「ランク試験を合格出来るように願掛けに行こう」ということだった。
「イロハさんはそこまで険しい場所ではないと言っていたと思いますが……」
「そうだね。難しい山とかじゃなくてよかったねー」
最近流行りの願掛けスポット。それは最初はただの噂だったのが、いつの間にやら全てのクランに伝わり、まるで何十年も前からの常識のように扱われるに至っている。
最初の発見者は二人いて、そのうち一人はイロハだった。だが当たり前だがパワースポットを探しに来て見つけたわけではない。
「このあたりに綺麗な光るチョウチョさんいるから探しに来たって言ってたねー」
「他のクランの方に協力していたとか……。僕が言えたことではないですが、イロハさんはお人好しが過ぎます」
「イロハさんらしいよねー」
アロは身軽に進んでいく。その首の後ろの、蝶のようなハロを追いかけるようにコトワリも足元を踏みしめた。アロは何を考えているのかわからないこともよくあるが、基本的には善良である。今日のこととて、コトワリを険しい山に連れてきて疲弊させようとしているのではなく、一種の気晴らしで連れてきてくれたことはわかっている。油断するとすぐにマイナス思考になるコトワリにとって、裏表のないプラス思考のアロはある意味とても良いコンビだった。
暫くすると拓けた場所に出た。そこは人の手によって平らに均されており、入口と思しき場所も木材で補強されていた。中の説明が書かれた看板も立っているので、人気のパワースポットという表現にも説得力がある。しかし入口には扉が設置されており、今は鍵が掛かっているようだった。何人かの先客が、その扉がいつ開くのかとそわそわした様子で伺っている。
「中にはまだ入れないのですか?」
「うん。何日かに一回だけ開くんだってー」
「それはどうして?」
「開けておくと危険だからー」
「えっ」
「アローさん!」
不意に誰かが声をかけた。振り返ると灰色のフード付きパーカーを来た背の高い男が笑みを浮かべていた。
「あ、パルスさんだー。こんにちは」
灰色のパーカーにはアヒルを模した白いハートに「DANCE」の文字が入ったロゴが大きく描かれている。ダンス・イン・ザ・ダックのメンバだとわかった途端、コトワリは辺りを警戒したが、他にメンバはいないようだった。
「あのね、俺は別にアローって名字じゃないよ。アロ・アローで一つの名前なの」
「いや、すみません。隊長がそう呼んでいるので」
金髪をハーフモヒカンにした男は明るく笑う。
「今日は一人なのー?」
「実はAランク試験を受けることになりまして。隊長が是非とも此処に行ってこいと。アローさんは?」
「オレはAランクはもう持ってるよー。今日はコトワリさんの引率」
「引率!?」
コトワリは思わず突っ込んでしまった。アロの言葉選びは少々独特だが、かといって引率はないだろう、と内心少し落ち込む。だがアロはそんな様子は目に入らないようで、寧ろ嬉しそうな顔をしていた。
「コトワリさんも今度Aランク受けるんだー」
「そうなんですね! お互い頑張りましょう!」
明るい声と共に差し出された手をコトワリは軽く握って済ませようとしたが、肩関節を持って行かれる勢いで強く上下された。
丁度その時、甲高い鐘の音が響いた。入口のほうから聞こえたため、そちらへと視線を向ける。背が高くてやや猫背気味の男が、白く塗られた手鐘を掲げていた。細い銀縁の片眼鏡に高級なチェーンを通している。長く伸ばした橙色の髪を項辺りで適当に括っている。年の頃は四十半ばといったところか。学者然とした見た目を裏付けるかのように小脇に分厚い魔法書を抱えている。
「あー、あの人だよ。イロハさんが手伝ったの」
アロがコトワリに耳打ちした。ということはあれが『星期三的猫《シンシーサンダマオ》』のロン・ホアジャか、とコトワリは記憶の中からその人物の情報を取り出す。ダンジョンごとに現れる動物の違いについて研究しており、分厚い魔法書には大量の情報が記録されていると言う。手の甲に浮かんだ赤色のハロは三角形の中に四角を入れた形で、コトワリと殆ど大きさは変わらない。彼のハロは特殊なもので、その抱えている魔法書にしか適用されない。制限が大きい代わりに恩恵も大きい、所謂「制約型」と呼ばれるものである。魔法書に無限の情報を入れられ、無限に引き出すことが出来る。
「非戦闘員だからイロハさんに動向を願ったのでしょうか」
「ううん、あの人本で魔物ぶっ叩くらしいよ」
「……まぁ痛そうではありますが」
ロンが咳払いをしたので二人は口を閉ざした。
「お集まりの皆様。これより開門を行います」
片眼鏡の奥で薄茶色の瞳が動く。此処に居る人数を数えているのだと悟ったコトワリは、なんとなく自分でも同じように周囲を見回した。自分を入れて八人いるが、全員が中に入るかはわからない。
「一人ずつ中に入り、参拝をしていただきます。説明をいたしますので、皆様お近くまで来て頂きますよう……」
ロンは入口の看板を示しながら言った。八人が看板の前へと集まると、ロンは再び口を開く。
「始めに、この洞窟の中には殆ど光源がありません。皆様には暗闇の中、最奥を目指して頂きます」
コトワリは驚いて口を半開きにしたが、他のアロを含めた七人は既に知っていたのか黙って頷いている。
「中はいくつもの道に分岐しています。間違った道へ進みますと非常に危険ですので、必ず道順を守ってください」
「危険というのは?」
一番前にいた若い女が訊ねる。
「私も全ての道を確認したわけではありませんが、最悪の場合は死に至ります」
一瞬、場がざわめいた。しかしロンはその様子を見て口元に笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ。道を護って頂ければ問題ありません。寧ろ道を護れば命の保証はされるのですから、下手なダンジョンよりは安全でしょう」
確かに、とコトワリは呟いた。冒険者である以上、常に身の危険というものは意識しなければならない。パワースポットだからといって完全に安全とは言えないだろう。そもそもここは元はただの洞窟である。
「道順を説明いたします。まず中に入って頂いたあとに私が扉を閉めます。そうしましたら、左側の壁を触れながら真っ直ぐお進みください。途中で大きく左に曲がるところがあります。そこは道が二叉になっていますが、その先で合流するのでどちらに進んで頂いても結構です。基本的にはそのまま左側の壁に沿って進んで頂くのが良いのですが、偶に天井から水が垂れていることがありますので、それが苦手な方は右へ」
皆黙って聞いている。中に光源がない以上、メモの類いをしても無駄だとわかっているためだろう。
「その先でまた道が二つに分かれますが、ここでは必ず左側へ進んでください」
看板に書かれた簡略地図を示しながらロンは淡々と説明する。間に余計な情報が挟まれないのはコトワリにとっては有り難かった。
「ここから先は壁に手を添えて進んでください。分岐が五回ありますが、安全のために目印を用意しています」
「目印ってのはなんだ?」
粗野な風貌の、金棒を背負った男がぶっきらぼうに訊ねる。
「この参拝では暗闇の中で如何に意識を鋭敏に出来るかという課題があります。A級試験でも周囲への意識は特に求められる事項です。そのため事前にお伝えすることは出来ません」
「その目印を見失って怪我でもしたらどうしてくれるんだ? 今度の大事なA級試験に差し障ったらどうしてくれる」
脅すように男が言うが、ロンは涼しい表情で首を左右に振った。
「もしそれで怪我をするようであれば、A級は見送ったほうが良いでしょうね」
男が喉に何か詰まったような表情をして黙り込んだ。
「目印はわかりやすいものなので問題ありません。最奥まで行きましたら、そこに祠があります。祠の中にはお守りとでもいいましょうか、願掛けのための符がありますので持ち帰ってきてください。何かご質問はありますか?」
「はいはーい」
アロが右手を挙げる。
「帰るときって逆のやりかたで戻ればいいんですかー?」
「えぇ、そうですよ。中で怪我をしたり、どうしても進めなくなってしまった場合には叫んで頂ければ助けに行きますので」
「だって、コトワリさん」
「叫ぶようなことがないように気をつけますよ……」
「あの、すみません」
今度はパルスが手を上げた。
「中は暗闇ということはわかりました。ですがハロの放つ光については問題ないのでしょうか」
言うまでも無くハロは光を放っている。それに人によって大きさも形も違うから、場合によっては自分の周囲を照らせてしまう者もいるだろう。コトワリのハロは大きくないのでその心配はないが、前方にいる人の良さそうな剣士などは腰のあたりに大きなハロがある。ティトンより少し小さいくらいだろう、とコトワリはなんとなく知っている人間のハロの大きさと比べた。
「それについては問題ありません」
質問に対してロンはあっさりと返した。
「この洞窟は特定の物質しか光らないのです。ですからハロは光りませんし、基本的に流通している光源、またはそれに準ずる効果のあるものについても持ち込んだところで何の意味も成しません」
「そんな特殊な場所なんですか」
「偶然の産物、とでも言うべきでしょうか。人体に何か影響があるものではないのです。岩の性質や洞窟の形状によるものでしょう。なのでご心配には及びません」
はぁ、と何人かが感心したような声を出した。
「他にご質問がなければ、説明は以上となります。今回の参加者は八名でよろしいでしょうか」
「あ、オレは違いますー。コトワリさんの付き添いです」
付き添いもちょっとな、とコトワリは思ったが口には出さなかった。
「では七名ですね。入る順番はくじで決めて頂きます」
そう言ってロンは細長い箱の中に木の札を七つ入れて全員に一つずつ引かせていった。コトワリは、案の定とでも言うべきか一番最後に決まった。
(続く)
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/02/21 (Fri) 14:25:52
七人というと随分と多いようにも思えたが、順番が回ってくるまでにさほど時間は掛からなかった。否、一人あたり十分から二十分くらいはかかっているので、それなりの時間にはなっていた筈なのだが、コトワリは瞑想と言う名の昼寝に身を任せていたので体感的にはその半分以下だった。昨夜遅くまで薬の調合に夢中になっていたのが原因だろう。もし今日ここにくるのだと予めわかっていれば、そんな無茶はしなかった。
「コトワリさん、コトワリさん」
肩を軽く揺すられて目を開ける。アロが笑顔で覗き込んでいた。
「次、コトワリさんの番ですよー」
「ありがとうございます、アロさん」
しかしコトワリとしてはアロを責めたりする気にはならなかった。アロが自分のためを思って此処に連れてきてくれたことを理解しているためである。多分、最初に誘われた時に寝不足を理由に断っても、軽く「そっかー」と済ませてくれたに違いない。つまり誘いに乗った時点でコトワリの寝不足はただの過去と化した。それを誰かに責任転嫁するほど、コトワリは身勝手ではない。
「他の方々は?」
周囲を見回すと半数ほど減っているようだった。
「終わったから帰っちゃった。洞窟の他にあまり見るものないしねー」
近くで休憩しているのが二人。少し離れたところで、パルスがアヒルのロゴが入ったパーカーを翻して踊っているのが見えた。
「コトワリさんが戻ってきたら、パルスさんと別の洞窟入ろうね」
「何故ですか?」
「パルスさんのハロね、防御力と回避の底上げしてくれるんだって。折角だから体験したいと思ってー」
「……返事は保留でいいでしょうか」
洞窟を出たときに自分のやる気や体力がどれほど残っているかわからなかったので、コトワリはそう言った。アロはやはりあっさりと「わかったー」と受け入れる。
「いってらっしゃーい」
見送りの言葉を受けて、コトワリは扉の前へと進んだ。ロンが扉に手をかけたが、少し考えてからコトワリを見る。
「説明をもう一度聞きますか?」
「どうしてですか?」
「いや、あのピンクの髪の青年に三回くらい説明を強請られたもので」
洞窟に入らないのに説明を聞いてどうするのか、とその顔には書かれている。コトワリは苦笑しつつ首を左右に振った。
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「わかりました。それではどうぞ」
扉が開かれた瞬間、冷たい風がコトワリを撫でつけた。中に入り、数歩進んだところで背後の扉がゆっくりと閉じていく。外からの光が段々と細くなっていき、最後には完全に閉ざされた。それと同時に周囲が全くの暗闇に満たされる。
「これは……思ったよりも暗い」
コトワリはそう呟きながら、左側の壁に手を添える。元々の岩の性質なのだろうか、表面は滑らかで触り心地は悪くなかった。少なくとも普通の岩場のように手をついた拍子にかすり傷が出来てしまうようなことはなさそうだった。
完全なる闇の中を壁だけを頼りに進んでいく。目を開いていても意味がないような闇だが、かといって閉じるのは余計に恐ろしかった。目を閉じた瞬間に足元にぽっかりと穴が空いて落ちてしまうのではないか。そんな想像がかき立てられる。
一度思いついてしまったものは中々頭の中から消えてくれなかった。コトワリは気を紛らわせるためにいくつかの他愛も無い知識を思い浮かべる。例えば「星期三的猫」のこと。クラン間での交流はさほど多くはないが、「隙あらば猫」を信条とする白羽にとっては親近感が湧くクランである。交流があまりないのは別に仲が悪いわけではなく、そのクランが団体行動を好まずに一人一人が自由に動き回っているのと、その殆どが学者気質によるものだからである。彼らはエデンやダンジョンを研究対象として、昼夜問わずに実地研究に明け暮れている。そしてある程度研究成果が集まると冊子にして希望者に配る。確かティトンもいくつかその冊子を持っていたはずだが、コトワリは目を通したことがない。
要するに星期三的猫は、冒険者というよりは研究者なのだろう。研究するのに都合が良いのでクランとして集まっているだけで、皆で力を合わせてダンジョンに行こうだとか、そういうことには縁薄い。だからロンもこの洞窟に最初に訪れた際に、自分のクランの人間ではなくイロハを同行させていたのかもしれない。
「っと」
分かれ道に出た。勿論視認はできないが、風の流れが先ほどと変わったのがわかる。左手で触れた壁は指先あたりで大きく左に曲がっていた。
どちらに行っても良いなら、このまま左に進んだ方が楽だろう。コトワリは壁に手を添えたまま左へ進む。
暗い。どこまでも。最初に感じた恐怖は次第に麻痺してきていた。代わりに今度は、自分が闇の一部に溶け込んでいくような、自己の曖昧さを感じ取る。いつも当たり前に見ている自分の手や足が見えない。闇の中でそれらを動かしていてもわからない。目を開いていても意味をなしていない。闇の中を意識だけが進んでいるような感覚。自分は闇なのか、コトワリなのか、それともあるいは別の。
「よくない、よくない」
そう呟いて意識を戻す。あまり良好とはいえない足場をゆっくりと進みつつ、また別の思考を巡らせた。
そもそもなぜこの洞窟がパワースポット扱いを受けるようになったかと言うと、洞窟が見つかった後にロンがAランク試験を突破したからである。学者肌揃いの星期三的猫からAランクが出るのは珍しいことで、周囲は冗談交じりにどんな特訓をしたのかとロンに訊ねた。ロンがその問いに洞窟に行っただけだと答えたことから噂が広まってしまった。同行したのが実力者のイロハだったことも大きいのだろう。
「でもどうしてこのような管理に……」
ただの洞窟がまるでアトラクションのようになってしまっている現状を考えてコトワリを首を傾げる。もしかすると、噂を鵜呑みにして洞窟に入り込み、怪我をした人間が多くいたのかもしれない。しかし危険な場所だからと完全に封鎖しようとすれば、殊更無断で入り込む人間は増えるだろう。人間の心理とはそういうものである。だから今のように整備したうえで数日おきに開放する手段を取った。そう考えると色々合点がいく。
「おっと」
次の分岐ポイントに差し掛かった。ここでは必ず左に行けと言われたことを思い出しながら、コトワリは左の方向へと進んでいく。
暫くそのまま歩みを進めると、ふと左手に何かが触れた。岩肌とは違う、冷たくて滑らかな触感。金属かあるいは加工した石か。指でその輪郭を確かめると矢印の形をしているのがわかった。その先端は右側を示している。
「なるほど。これが目印……」
暗闇の中では目は頼りにならない。音が反響しやすい場所では聴覚も役には立たないだろう。指先に神経を集中させて情報を手に入れるというのは、なるほど確かにAランク試験を受ける人間にとっては重要なことなのかもしれない。試験では周囲に意識を配り、その場の状況を正確に把握する必要がある。これをロンが考えたとしたら、随分と粋な計らいだと思い、コトワリは誰にも見えない笑みを零した。
その先も同じように分岐に差し掛かる毎に矢印を頼りに進み、ついに最奥に辿り着いた時にはコトワリの指先はかなり疲弊していた。
「や、やっと着いた……」
最奥は少し広い空間になっていた。人が十人入れる程度の広さはある。その中央に設置された「祠」はかなり凝った造りとなっていた。淡雪石と呼ばれる半透明の石を直方体に切り出したものを組み合わせ、その結合部に烏羽木と見られる黒い木材を使っている。そしてその中に符が何枚か置かれていた。
しかしコトワリは符よりも何よりも、あることがまず気になっていた。祠や符が見えるということは、当たり前だが光があることになる。実際祠の周りだけは非常に明るくなっていて、今まで暗闇を進んできた分余計に眩しく見えた。
よく見ると祠全体が光っており、それが周囲を照らしている事に気がつく。注意深く観察すると、符が置かれたその更に奥に紫色の小石が詰まっていた。その石が発光し、淡雪石が光を増幅しているらしい。ロンが言っていた「特定のものしか光らない」というのはこのことか、とコトワリは納得した。後でアロに話してあげよう。そう思いつつ符を手に取る。
「……帰り道もあるんだった」
嫌な事実を思い出してうんざりしつつも、コトワリは諦めて来た道を戻り始めた。
やっとの思いで元来た場所まで戻り、閉ざされた扉を何度か叩く。数秒おいて、扉がゆっくりと開かれて外の世界の光が戻ってきた。
「お疲れ様でした」
ロンが優しく出迎える。眼鏡の奥の瞳がコトワリが持っている符を見た。
「奥まで到達出来たようですね。おめでとうございます」
「良い経験になりました」
コトワリはそう言って完全に洞窟から抜け出した。それを待っていたようにアロが近付いてきた。どこで捕まえたのかPIYOを肩や頭に乗せている。
「コトワリさん、お疲れ様ー。どうでしたー?」
「なかなか面白かったですよ」
「祠まで行けたなら、今度の試験もきっと合格だねー」
アロは我が事のように嬉しそうに飛び跳ねる。さきほどまでいた暗闇でも、きっとアロはこのままなのだろうなと思い、コトワリは笑みを零した。
「そうですね。今なら何でも出来そうですよ」
ついついそんなリップサービスをしてしまう程度にはコトワリ自身も達成感を抱いていた。
「じゃあ願掛けも終わったからー」
「えぇ、帰……」
「次の洞窟にれっつごー」
「えっ」
一瞬固まってしまったコトワリだったが、アロの向こうにパルスがいるのを見て約束を思い出す。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「パルスさーん。コトワリさん、今なら何でも出来るんだってー」
「それは凄いですね! では一番難しそうな洞窟に行きましょう!」
勝手に話が進んでいく。コトワリは止めようとしたものの、無邪気で奔放なアロは聞いていなかったし、パルスはコトワリの脆弱さなど知らないので言葉通りに受け止めてしまっている。
あんなこと言わなければ良かった。コトワリは本日最大の後悔を抱えつつも二人に引きずられるようにして山を下りていく。最後に残されたロンはコトワリの心中を知ってか知らずか、「ご武運を」と言いながら頭を下げて見送った。
(続く)
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/03/11 (Tue) 16:17:13
それから数日経った日の朝。朝食を終えてからコトワリが店で在庫のチェックをしていると、どこからかアヒルの鳴き声が聞こえてきた。それはだんだん近付いてきて、やがて店の扉が開いたと思うとアヒルを抱えたアロが入ってきた。
「コトワリさん、頼まれてたものー」
「頼んでませんが……」
「羽毛欲しいって言ったよー?」
「生えている羽毛は駄目ですね。毟ったら可哀想ですし」
アロは「そっかぁ」と言ってアヒルをなぜかカウンターに乗せた。動物に嫌われやすいコトワリは思わず狭いカウンターの中で数歩後ずさったが、アヒルは気にも留めずに仮眠モードに突入する。パールダックと呼ばれる種類で、羽毛を保護する脂が真珠のように光るのが由来となっている。
「このアヒルはどこから?」
「ダック隊長のところでわけてもらったー。畑に沢山いるからって」
「そんなキュウリやナスじゃないんですから……というかそんなに沢山いるなら羽毛も沢山落ちているのでは?」
「あ、そうかも。もう一回行ってくる」
「いえ、急いでないので後で良いですよ。お茶でも飲みましょうか。良い茶葉が手に入ったんです」
アロは素直に頷いて、カウンターのそばに置いてあった椅子に腰を下ろした。アロは基本的に誰かの手伝いというものはしない。自分があまりそういうことに向いていないことを自覚しているためである。
「そういえばねー、隊長から聞いたんだけど」
「何ですか?」
「この前、暗い洞窟に行ったでしょ? その時に参加した人が行方不明になってるんだって」
「行方不明?」
その単語にコトワリは紅茶の缶を開けた格好のまま聞き返した。
「どういうことですか?」
「えーっと、なんかね、一人ずつ消えちゃってるみたい。もう三人目になるって言ってたー」
「三人目?」
えっと、とアロは考えをまとめるためなのか頭をゆるゆると左右に揺らす。
「洞窟に行った翌日に、『小夜啼鳥』のメンバがいなくなっちゃったんだって。朝、同じクランの人が部屋を見に行ったら誰もいなかったみたい。その二日後に、今度は『青の地平線』のメンバが、晩ご飯食べたあとに散歩に行くって言って帰ってこなくて、昨日は『ベアリング・ベア』のメンバが気がついたらいなくなってたらしいよー」
「まだ三人とも見つかっていないのですか?」
「そうみたい。だからコトワリさんもいなくなってたら困るーって思って急いでここに来たんだよねー」
無邪気に言うアロだったが、コトワリは今の話にどこか引っかかりと、多少の不気味さを覚えていた。ダンジョンに行って迷子になって行方不明になる冒険者自体は珍しくない。しかしその場合はその人間の予定を誰かしらが把握しているので、早期に発見が出来る。今回のように三人が三人とも、誰にも行き先を告げずに行方をくらませるというのは非常に珍しいうえに起こりがたい。
「その三人は……あの時のどなたなんでしょうか」
「うーん、全員はわからないけど、『小夜啼鳥』の人は剣背負ってた人だと思う。剣の柄のところに鳥さんのマークあったし」
そういえば剣士が一人いた気がするが、あまり細かいことは思い出せなかった。特に会話をしたわけではないので、当然と言えば当然かもしれない。
「パルスさんは無事なんでしょうか」
ダンスインザダックのメンバのことを思い出してコトワリが訊ねると、アロは大きく頷いた。
「ちょっと怯えてたけど、元気そうだったよー。なんだっけ、えっと……金隠しじゃなくて、所得隠しじゃなくて……」
「神隠し、だろ」
指摘したのはコトワリではなく、アロが開けたままだった扉から入ってきたイロハだった。
「三人とも神隠しに遭ったんじゃないかって、暇な連中が噂してたぜ」
「イロハさんも紅茶を飲みますか?」
「あぁ」
イロハは片手に大きな麻袋を抱えていた。中には林檎が沢山入っている。
「それどうしたのー?」
「通りすがりの女性に頂いた。昨日作り過ぎちゃったのでどうぞ、って」
「お夕飯のおかずみたいに作り過ぎちゃうものなの、林檎って」
アロが林檎に手を伸ばす。イロハは止めもせずに、寧ろ美味しそうなものを選んで渡してやった。
「イロハさんは行方不明の方々については?」
「知らないな。でもどこのクランも必死に探してるみたいだぜ」
「捜索の依頼を受けたりは?」
千里眼の能力は捜索や探索において効力を発揮する。イロハは冒険者のランクも上位であり他のクランにも顔が利くため、そのような頼まれごとをすることも多い。
「相談はされたけど、断った」
「断ったんですか」
「どこのダンジョンにいる、ってわかれば手伝えるけどな。どこにいるかわからない奴を探すわけにはいかないだろ」
「まぁそれはそうですね。せめて目星だけでもつけば良いのですが……」
コトワリは紅茶の入ったカップを二客、それぞれの前へと置いた。ブレンドした茶葉の良い香りが店の中へと広がっていく。
「新しいブレンドです。どうでしょうか」
味の感想を求めると、すぐに口をつけていたアロはその格好のまましばし固まって、やがて笑顔を浮かべた。
「美味しいよー。ミント?」
「えぇ、ミントとジャスミンを入れています」
「爽やかでいい香りだな。味もくどくない」
イロハが一口ゆっくり味わってから感想を述べる。
「ブレンドの名前は?」
「夜の雨です」
「洞窟でインスピレーションを受けたってとこか」
「恥ずかしながら」
「いや、いいと思うぜ?」
イロハはその味が気に入ったのか、早々に二口目を運ぶ。
「あぁ、此処に立ち寄った理由忘れてた。浄化用のポーションを一つ欲しいんだが」
「いいですよ。用意しておきます。どこかに行かれるんですか?」
「クエルと昨日ダンジョンに潜ったんだけどな、うっかり毒持ちの魔獣を泉の近くで倒しちまったんだ。そのへんの薬草で応急浄化はしたんだけど、ちゃんと浄化しないと泉に来た動物が可哀想だから」
「わかりました。となると水質浄化のものがいいですね。丁度ストックがありますから持って行ってください」
普通の客なら金を取るところだが、そこは同じクランの誼である。
「代わりに何か良いものがあれば持ってきてください」
「わかってるよ」
コトワリは二人に背を向けて、背後にある棚の中からポーションを漁る。
「そのダンジョンに行方不明の人いるといいねぇ」
アロがのんびりとした口調で言うのが聞こえた。考えたことがそのまま口に出るのはアロの長所でもあり短所でもある。要するにそれはイロハにただ働きをしろということだろう、とコトワリは内心苦笑した。
「いいや、そいつらはどこにもいないと思うぜ」
そんな思考の途中で聞こえてきたイロハの声は随分と冷たい響きを持ちつつ、それでいてなぜか面白がっているような調子も含んでいるように聞こえた。平素のイロハらしくない声にコトワリは思わず振り返る。目が合ったイロハはいつもと変わらず穏やかだった。
「あのダンジョン、A級じゃないと行けないからな」
「そっかー、じゃあいないね」
今のは気のせいだったのだろうか。コトワリは確認したかったが、一体誰にどうやって確認すればいいのかわからなかったため、仕方なくもう一度棚のほうへ向き直った。
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/03/23 (Sun) 14:37:05
昼を少し過ぎた頃に、コトワリは店じまいをした。今日は客も少ないし、先約もない。店を閉めればそれだけ売り上げは落ちるが、開けていたところで確実に売り上げが上がるわけでもない。そもそも今日のコトワリは、あまり商売に身が入っていなかった。理由は言うまでも無く「神隠し」である。同じ日に同じ場所にいた七人のうち三人が消えたと聞かされて平然としていられるほどコトワリは神経が太くなかった。
ではこういう場合どうするか。自室に戻って引きこもってもいいが、そんなことをして何か解決するわけでもない。コトワリは自分が比較的臆病な部類であると自覚はしているが、同時にその事実をそのまま受け入れない程度の自尊心があった。要するに、怯えて引きこもるよりは怯えて挑みたい。その結果がどうであれ、後々まで引き摺らないことが大事だった。
店を出て戸締まりをし、通りを歩き出してから数十秒後、コトワリは何かが後ろをついてくるのに気がついて振り返った。自分の視線の高さには誰もいなかったが、気配はそもそも地面に近い位置にあった。視線をそのまま落とすと、そこにアヒルが一羽立っていた。
「そういえばアロさんが忘れていったんでしたっけ……」
ダンスインザダックのところに戻してあげたほうが良いだろう。コトワリはそう考えて手を伸ばしかけたが、アヒルが抗議するように鳴きながら首を上下に動かした。コトワリは思わず短い悲鳴を上げて後ずさる。コトワリは動物が嫌いではないが、なぜか動物はコトワリのことを嫌う。どうやらこのアヒルもそうらしい。
しかしこれでは連れていくことが出来ない。どうしたものかとコトワリは悩んだが、アヒルは気にも留めずに歩き出した。
「あ、ちょ……っ」
傍らをすり抜けていったアヒルを追いかけようとして踵を返した途端、バランスを崩してその場に倒れ込んだ。周囲に通行人がいなくて助かった。もし大勢に見られていたら涙も出ない。
アヒルは数歩歩いて行った先で立ち止まり、コトワリの方を振り返る。その視線は「何してんの?」と言わんばかりの冷ややかなものだった。コトワリが立ち上がって服についた泥を払うのを見届けてから再び歩き出す。その態度はまるでついてこいと言っているかのようだった。もしかすると自分の元の居場所に戻ろうとしているのかもしれない。コトワリはそのアヒルを放っておくことも出来ず、仕方なくついていくことにした。幸いにしてアヒルの足取りは速く、コトワリが普通に歩いていても追い抜かさずに済む程度のものだった。
暫く歩いて行くと通行人が増えてきて賑やかになってきた。そろそろ昼時だからだろう。ダンジョンの中に食事を持ち込んで食べる者もいれば、現地調達でどうにかする者もいるし、食材を購入して調理、あるいは調理されたものを購入する者もいる。要するに昼時に人が多いのは珍しいことではなかった。
不意にアヒルが鳴いて前方に走って行った。コトワリがそれを追いかけると、どこかで見覚えのある大男がそこにいた。コトワリと目が合うと少し考え込んだあとに表情を明るくする。
「あぁ、あんたか。この前ぶりだな」
「えーっと……」
「この前、願掛けの洞窟で会っただろ?」
コトワリはその言葉で相手が誰か思い出した。怪我をしたらどうするのかとロンに食ってかかり、即座に返り討ちにされた男だった。背負った金棒にも見覚えがある。
「この前は名乗っていなかったな。『三日月』のシュテム・ドートだ」
三日月というクランは規模が大きいことで有名であるが、それ以外にあまり特徴はない。人数が必要なダンジョン攻略の際に協力を求められることが多いクランだった。そういうクランだと一人でも多くAランクに入ったほうが良いのだろう。
「このアヒルはあんたのペットか?」
アヒルはシュテムの足元で鳴いている。
「いえ、これは違うクランの……畑にいたものを持ってきてしまったもので」
「人の畑のものを持ってきたら駄目だろ」
「あぁいや、多分向こうも了承済みと言いますか……大丈夫です」
それ以外に説明のしようがないので曖昧に返す。シュテムは不思議そうな顔をしたものの追及することはなかった。
「あんたは無事なんだな」
「神隠しの噂ですか。僕も先ほど聞いたばかりです」
「俺は昨日、同じクランの仲間に聞かされたよ。ったく、ランク試験も近付いてるってのに迷惑な話だ」
「本当ですね。シュテムさんの身の回りでは何か変わったことなどは?」
「あぁ? いや、別にこれといって変わったことはないな」
「そうですか……」
コトワリは少し考え込む。相手は不思議そうにしながらも立ち去らずにコトワリの言葉を待っていた。
「では願掛けの際に何か気になったことは?」
「そんなの聞いてどうするんだ?」
「気になることをそのままに出来ない性分でして。僕と一緒にいたピンク髪の仲間も心配してくれていますから」
「あぁ、あのデカいチャクラムの」
シュテムはアロのことを思い出したようだった。
「変な奴だったな。待ってる間ずーっと一人遊びしてて。いつもそうなのか?」
「えぇ、アロさんはあまり周りを気にしませんから」
「ふぅん。まぁ冒険者なんて多かれ少なかれ皆変わってるもんだよな。『青の地平線』のコルトってわかるか? あの時一緒にいた奴で行方不明になってる」
「どういう方ですか?」
「背が低くてがっちりとした体付きの茶髪の男だよ。俺もあまり親しくはないんだが、色んなダンジョンに潜り込んでるから結構な頻度で会うんだ。あいつ、最初は悠々と洞窟に入っていったのに出てくる時は息切らせてたからな。あんな図体で暗いところが怖かったのかもしれないな」
「暗いダンジョンは別に珍しくはないですよね」
「明かりを持たずに入るってのは珍しいだろ。そのせいじゃないか?」
「……いなくなった三人と、僕と貴方、ダンスインザダックの方一名。残りの一人は誰かわかりますか?」
「んー……? 多分あの仕掛け銃の女かな。名前は知らないけど、このあたりでよく見かけるぜ」
そう言ってシュテムは周りを見回すと「ほら」と遠くを指さした。コトワリはそちらに視線を向けるが人や物に遮られてよく見えない。
「あの染め物屋に入っていったのがそうだよ。長い銀髪の」
「ありがとうございます。ちょっと彼女にも話を聞いてきます」
「おぉ、何かわかったら教えてくれ」
シュテムは人の良い笑みで手を振る。あの日は洞窟に入る前で気が立っていただけで根が善良な人間のようだった。第一印象で決めつけるのはよくないな、とコトワリは内心で考える。
コトワリが染め物屋に向かおうとする足元で、再びアヒルが鳴き声を上げて羽を広げた。まるで「さぁ行こう」と促しているようにも見える。
「君は変わったアヒルですね。まぁどうせ君を送り届けないといけませんから、暫くは同行願いますよ」
アヒルに話しかけるなんて馬鹿げていると思いつつ、コトワリが丁寧な口調で言うと、アヒルはその意を得たりとばかりに長い首を何度か縦に振った。
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/04/19 (Sat) 11:49:42
装備や衣服をクランの色に合わせて染める者は多い。それ以外にも手に入れた魔獣の毛皮に少々のムラがある場合、敢えて染め直すことによって価値をつけたりすることもある。つまり冒険者にとっては必要ではあるが、そこまで必要とする頻度は高くない。それが染め物屋だった。入口に掲げられた看板には「どんなものでもあなたの色に」というキャッチコピーが添えられている。文字一つ一つの色が違うのがこだわりを感じさせた。
中に入ると染め物独特の揮発臭と薬品臭が漂っていた。壁には色のサンプルとして等幅の色とりどりの布が大量に下がっている。その上には染め物の種類と大きさによって変わる料金と時間の説明。さほど広くない店内には人が何人かいたが、コトワリはその中に馴染みの顔を見つけて声を掛けた。
「ティトンさん」
熱心に布を見ていた青髪の青年が顔を上げる。コトワリを見ると真剣な表情を一変させて破顔した。いつも被っている飛行帽は小脇に挟んでいた。
「珍しいところで会うね。何か染めに来たの?」
「いえ、人を探していまして。ティトンさんは?」
「帽子の裏地が結構痛んできたから、ついでに染め直そうかと思って。いつも草木染めだけど鉱石染めなんかもいいかなーって。知ってる? ここってダンジョンで見つけた植物や鉱物を買い取ってもらって、それで染めてもらうことも可能なんだよ」
「買い取りですか」
「うん、ほら今やってる」
ティトンが奥を示す。腰の高さほどのカウンターの前に長い銀髪の女が立っていた。傍らには仕掛け銃が立てかけられている。仕掛け銃というのは長い銃身に弾をいれてバネの力で発射する武器である。クロスボウよりも射撃精度が高いが、扱いが難しいため好んで使う者は少ない。
「ティトンさん、彼女をご存じですか?」
「ミトラさん? うん、知ってる。珍しい鉱物取ってくるのが上手くて、たまに研究用の資料として分けてもらうから」
「どこのクランですか?」
「前に会ったときはヴァージネスデルソルにいたけど、今はわからないな。彼女って「野良」だから」
ヴァージネスデルソルというのは「太陽の乙女たち」という意味の通り女性のみで構成されたクランである。恋愛禁止という妙な決まりがあることで有名であるが、それ以外は至って友好的なクランだった。
野良とはクランを転々とする冒険者のことである。冒険者はクランに所属していないと色々な不利益を被るが、一つのところに長く所属するのを好まない者も多々存在する。
「ティトンさんは鉱物お好きですよね」
「じゃがいものほうが好きだよ」
「それは知っています」
思わず真面目に返してしまったコトワリに、ティトンは「冗談冗談」と笑う。
「鉱物は確かに好きだよ。形も色々あって面白いし、薬になるものも多いからね。それに植物と違って腐ったり枯れたりしないからじっくり研究できる」
「確かにそうですね」
「それにさっきも言ったけど、こういうところで高値で取引される鉱物も多いからね。クランが資金難になった時のために鉱物の知識があれば役に立つ……と思う」
そう言いながらティトンの目が泳ぐ。研究材料を売り払わなければいけない場面を想像したのだろう。恐らく最後まで手放しはしないのだろうな、とコトワリは密かに笑った。幸いにして白羽は金持ちとは言えないが不自由なく全員過ごすことが出来ているため、当面そのような事態にはならない。
「ミトラさんに何か用なの?」
「えぇ、少し聞きたいことがありまして。あ、丁度取引が終わったようですね」
コトワリはカウンターの方へ向かった。ティトンはティトンで染めたい色が見つかったらしく、サンプルの布を片手についてくる。
「あの」
コトワリが声を掛けた時、カウンターの中にいた男の方が口を開いた。
「あら、いらっしゃい。何か染める? それとも売る?」
男は薄化粧を施した顔に大きなサングラスをかけていた。薄茶色のレンズの奥で切れ長の一重が微笑んでいる。肩ぐらいまでの群青色の髪の一部を三つ編みにして顔の横に垂らし、派手な細布を一緒に編み込んでいた。細身の体にスタンドカラーの黒い服を着て、極彩色の刺繍で飾った上衣を羽織っている。布も服も商品サンプルの一部に違いない。
「あ、いえ。ぼくは……」
「おや」
ミトラがコトワリを見て首を傾げた。極彩色の男を見てからだと、ミトラの銀髪やモノトーンで揃えた服はどこか安心する。
「先日お会いしたような。違ったかな?」
「願掛けの洞窟で」
「あぁ、なるほど」
ミトラは納得したように呟いた。
「少しお話を聞きたいのですが、よろしいですか?」
「話?」
ほぼ初対面の男に言われたためだろうか、ミトラはあからさまに面倒そうな顔をした。
「お時間は取らせません。少し店の外……痛い痛い痛い」
急に脛をつつかれたコトワリは顔をしかめた。足元でアヒルが首を前後に動かしてコトワリの脛にくちばしをめり込ませていた。慌ててコトワリがアヒルを持ち上げると、ミトラはそれを見て少し笑った。
「あなたのペットか?」
「そういうわけではないのですが」
「ここにはペットを染めに来る人も多いらしい。私はもっぱら持ち込み専門なのだが」
アヒルのおかげで警戒心が薄れたのか、ミトラは少し饒舌になった。
「鉱物を採取するのが得意と」
「あぁ、でもAランクを持っていないといけない場所ってのが多くてね。それで試験を受けようと思ったんだ」
「あの洞窟に行った人が次々に行方不明になっているという噂は聞きましたか?」
「いや、初耳だ」
ミトラはそう言って少し考え込む。
「こういう場合に情報をすぐに手に入れられないのが野良の辛いところだな。一応今はディープダンジョンダイバーズに籍を置いているが、必要最低限の情報共有しかされないし」
「身の回りで何か変わったことなどありませんでしたか?」
「いや、特にはない。そもそもここ数日は鉱物集めのためにダンジョンにいたから」
「あの日のことで覚えていることはありませんか?」
「覚えていること……。といっても洞窟の中では何も見なかったし、私はすぐに帰ってしまったからな。あぁ、でも待っている時にダンスインザダックのメンバーとは話をした。それぐらいだな」
アヒルを見て思い出したらしい女はそう言った。
「お知り合いだったんですか?」
「そういうわけじゃない。ただの暇つぶしさ。この辺りで鉱物が取れそうな場所がないかとね。そして情報交換としてこちらも知っている洞窟の話をした」
もしかしてあの日、アロに連れて行かれた場所だろうか。コトワリはその時のことをうっかり思い出しそうになって慌てて記憶に蓋をした。あのグルグル白蛇タックルとナスのことは早急に忘れたい。
「他は特に話せることはないな」
「そうですか。すみませんでした、引き留めて」
「いや、構わない。お陰で有益な情報を手に入れられた。せいぜい気をつけることにするよ」
ミトラはそう言い残して店から出て行った。コトワリはそれを見送ったあとに、ティトンの方に顔を向ける。飛行帽をカウンターに置いて染めの相談をしていたティトンは、その視線に気付いて顔を上げた。
「話終わったの?」
「えぇ、ぼくの用事も終わりましたので失礼し……」
「あらぁ、素敵なアヒルちゃん」
ティトンの相手をしていた派手な男が口を開いた。
「何色に染めるの?」
「え、いや」
違う、と言いかけたコトワリだったが、腕の中にいたアヒルが勝手にカウンターの上に移動してしまった。しかもいつのまにやらクチバシに細長い布を咥えている。
「まぁー、賢いのね。どこを染めましょうか。今アヒル界隈で流行なのは尻尾よぉ」
男はアヒルの尻尾を指で触れる。それから思い出したように「あらやだ」とその手を口の前に置いた。
「ごめんなさいね、アタシったら。店長のハオシン・フェンと申します。気軽にハオハオと呼んで頂戴ね」
「は、はぁ」
店の名前が入ったカードを渡されたコトワリは、ハオシンの名前に添えられたクラン名を見て驚いた顔をした。
「星期三的猫の方なんですか?」
「そおよぉ。ご存じなの?」
「えぇ、ロンさんが管理されている洞窟に先日お邪魔したんです」
「あらそぉ」
サングラスの奥でハオシンの目が細められた。
「あの場所の人気も長いわよね。ロンロンもよく飽きないものだわ」
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/04/24 (Thu) 16:58:27
「貴方はあの洞窟には?」
「行かないわよぉ。暗いの嫌いだもの。最初はアタシを連れていこうとしたのよ、ロンロンたら。良い迷惑よねぇ。だからサーモンちゃんに頼んだの」
「サーモンちゃん?」
「白羽の弓遣いよ」
まさかアサケノの中心二文字を取ったのだろうか。だとするとあまりに突拍子もなさ過ぎる。コトワリは呆れるのを通り越して一種の恐怖を覚えつつも言葉を続けた。
「お知り合いなんですか?」
「染め物をよくしに来るのよぉ。この前なんて羊の毛を持ってきたわ。同じクランの子に綿花頼んだら羊毛持ってきちゃったんですって。アタシだったら怒るけど、気にしないところがサーモンちゃんの偉いところよねぇ」
繰り返される「サーモン」のせいで頭の中で魚が群れを成す。コトワリは何らかの助けを求めてティトンの方を見たが、ティトンはカウンターの隅に置かれた鉱物のサンプルに夢中になってしまっていた。揚げたてのポテトを見たときと同じ目の輝き。こうなるとあまり期待出来そうにない。
「じゃあ染めちゃうわね」
「え、いや。そのアヒルは……」
止めようとして手を出したコトワリだったが、アヒルのクチバシによってはたき落とされた。先ほど足をつつかれた時と同じくらい痛い。
「この色選ぶなんていい目をしてるわねぇ。うちでも一番高値で取引されてるのよぉ」
「た、高値?」
「ほら、美しいでしょう。この鮮やかな紅色。しかもこれ暗いところで光るのよ。前なんて全身この色にしたワンちゃんがいて、しばらくの間「光る犬」って話題になってたんだから。アヒルちゃんも光るアヒルになりましょうね」
「すみません、ぼくそんなに持ち合わせがないんですよ」
しかもそのアヒルは自分のではない。ダンスインザダックだって、急に尾羽だけ赤く染まったアヒルを返されても困るだろう。否、あのクランの場合は喜びそうでもあるが。
「ハオシン、ちょっと良いですか」
店の奥から一人の男が現れた。先ほど話に上がったばかりのロン・ホアジャだった。
「今接客中よぉ、急に来てどうしたの?」
アヒルの尾羽を櫛で整えながらハオシンが問い返す。口ぶりからしてずっと店にいたわけではなく、何かの用事で立ち寄ったらしい。
「前に来た時に、忘れ物をしてしまって」
「あぁ、ペン軸でしょ? なんであんなに書き物しておきながら、書く物を忘れて帰るのか理解に苦しむわ」
「気付いていたなら持って帰ってきてくれてもいいのでは……。どうせ帰る場所は同じでしょう」
「嫌よ、面倒くさいもの。戻るならついでに今日の取引記録も持って行きなさいよ」
「それは前に来たときにもしましたが……」
「いいでしょ、別に。あぁ、でもこのお二人のお相手が済むまで待っていてちょうだい」
喧嘩なのかじゃれ合いなのか。微妙にわかりづらいやりとりをしている二人を眺めていると。ロンがコトワリに気がついた。
「またお会いしましたね。先日はあのあと大丈夫でしたか?」
「えぇ、なんとか」
失踪者の件を訊ねるべきだろうか。しかし直接言うのは憚られた。あまり考えたくはないことだが、ロン自身が失踪に関わっている可能性も捨てきれない。
「ハオシン、彼は白羽の方ですよ」
「あら」
ハオシンは目を丸くする。
「白羽なら安心ね」
「安心?」
「こういう商売してると、色々ケチをつけられることが多いのよぉ。だからどうしても警戒しちゃうのよね。でも白羽は評判の良いクランだから」
それは主にイロハの功績ではないだろうか。コトワリはそう思ったが、わざわざ否定するのも相手の話をぞんざいにしているかのようで気が咎めたため愛想笑いに徹する。
「因みに、ティトンさんも同じクランです」
「え、何なに? 何か話してたの?」
サンプルに目がくっつくほどに見入っていたティトンが顔を上げる。すると丁度アヒルと目が合い、なぜか双方深々とお辞儀をした。よくわからないが何か二人で分かち合ったのかも知れない。
「コトワリ、このアヒルどうしたの?」
「アロさんが間違えてダンスインザダックから持ってきてしまって。これから返しにいくところなんですよ」
「今日、あのクラン誰もいないと思うよ」
さらりと告げられた言葉にコトワリは「え」と固まる。
「なんかね、ものすごく音が反響するダンジョン見つけたんだって。だから皆で踊り込みに行くんだ、ってダック隊長が。ないとふぃーばーでポンポンとか言ってたよ」
「そうですか……」
「アヒルだけならそのまま置いてくればいいんじゃないの?」
「いえ、流石に何も言わずと言うのは……」
「あ、そっか。じゃあうちで預かるしかないね」
当然のようにティトンが言ったため、コトワリはもう一度「え」と呻いた。
「うちのクランに?」
「明日返せば大丈夫だよ。盟主さんも駄目とは言わないだろうし」
言葉が理解出来るはずもないのにアヒルは両羽を広げて何度か鳴いた。まるでその意見に合意しているかのように。いつの間にか尻尾は綺麗な紅色に染まっている。
「素敵でしょう、この色」
「そ、そうですね……」
誇らしげなハオシンとは真逆の表情でコトワリは同意する。財布の中にある金だけで足りるのか、という切実な悩みのために。しかしその表情に気がついたハオシンは「あらぁ」と口角を上げた。
「大丈夫よ、サービスしてあげる」
「本当ですか?」
「サーモンちゃんにはロンロンがお世話になってるもの~。それにちょっとお願いしたいことがあるのよね」
意味ありげな言葉に、ハオシンの後ろでロンが溜息をついた。
「またですか。ほどほどにしないとお客さんを無くしますよ」
「いいじゃないの、もう。ロンロンはさっさと帰りなさいよ」
「はいはい……」
ロンはカウンターの下から取引記録らしい紙をまとめて取り出し、それを持って店の奥へを消えた。ハオシンはそれを見送ることすらせずに、逆にカウンターに身を乗り出す。何を頼まれるのか。タダより高いものはないということか。身構えたコトワリにハオシンは笑みを深くした。
「アヒルちゃんの服作らせて頂戴」
「……はい?」
コトワリの疑問符に合わせて、ティトンとアヒルが首を傾げた。
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/04/29 (Tue) 07:48:37
目が覚めるとそこは暖かくて白い場所だった。コトワリはなぜこんな状況なのかと寝ぼけた頭で考える。
昨日はとても賑やかだった。染め物屋で仕立ててもらった服を着たアヒルをティトンが抱っこしてクランルームに持ち帰った瞬間から。ハオシンが作ったのは小さな帽子とケープだった。チューリップをひっくり返したような形をした紺色の帽子に、同じ色で作った裾の広がったケープという組み合わせは少し独特ではあったが、アヒルは非常にお気に召したようだった。皆でアヒルを取り囲んで、口々にその縫製の細やかさについて語り合ったこと、そしてその内容を思い出す。
「小さい帽子可愛いー。すごく細かく縫ってあるね」
アロが帽子の表面の縫い目を見ながら感嘆符を上げると、ティトンがその語尾に被せるように何度か頷いた。食事用のテーブルの上でアヒルは誇らしげに首を真っ直ぐ持ち上げている。
「凄かったよ。目の前であっという間に縫っちゃうんだもん」
「普通の針で縫うのか?」
ケープの裾を持ち上げながら訊ねたのはクエルクスだった。眉間に軽く皺を寄せているが不機嫌なわけではなく、ケープの作りをよく見ようとしてのことだった。
「いえ、釣り針のような形のものでした。それを木で出来たピンセットを使って」
「それにしたって細かすぎるんだが? 性能のいい拡大鏡がないと無理だろ、これは」
「ハオシンには必要ないな」
イロハが笑いながらそう言った。
「あいつのスキルだよ。胡麻くらいの大きさのものをまるで卵のような大きさで見ることが出来る。クランの中じゃ、他の奴らが集めてきたものを検分したりするのに重宝されてるらしい。まぁつまり天然の拡大鏡を持っているようなもんだ」
「あぁ、なるほど。だからロンさんはハオシンさんに最初同行を依頼したんですね」
「まぁ俺の千里眼と少し似てるからな。拡大して見た物はその大きさのものとして扱うことが出来るから、米粒に文字を書いたりするのも朝飯前だって言ってたぜ。だから細かい作業をするのが好きで、店に来た動物の服を作るのを趣味にしてる」
「無料で作って頂きましたが、良かったのでしょうか」
「気にするなよ。一種のストレス解消らしくてな。金を貰っちゃうと好きなものが作れなくなるって言ってたから。ところでこのアヒル、アロが持ってきたんだろ?」
「うん。畑で取れた新鮮なアヒルさん」
「ナスみたいに言うな」
呆れた口調でクエルクスが言う。
「お前が連れてきたならお前が返しに行けばいいと思うんだが? なんで人に押しつける」
「押しつけてないもん。コトワリさんのお店に忘れちゃっただけ」
「同じことだが?」
そのままお説教が始まってしまいそうだったので、コトワリは「まぁまぁ」と穏やかに割って入った。
「別にぼくは構いませんよ。明日、ダンスインザダックの人にお会いする予定でしたし」
「ダンスでも習いに行くのか?」
そんなわけはないとわかっているだろうに、どこか悪戯っぽくイロハが言う。コトワリは首を勢いよく左右に振った。
「ぼくも命は惜しいんです」
「大袈裟だな。ところでアヒルの寝床はどうする?」
「使っていない籠があったので、その中に寝て頂こうかなと」
「コトワリの部屋に置くんだろ? だったら下に敷く毛布もあったほうがいいな」
「いや、別に此処に置いておい……痛い痛い痛い」
脇腹をくちばしで抉られて、コトワリは体を少し反らしたままテーブルから数歩離れた。アヒルはつぶらな瞳でコトワリを見つめている。それに気付いた他の四人もコトワリのほうに視線を向けたため、構図的に四人と一羽から見つめられる格好となった。
「コトワリの部屋がいいんじゃないか?」
「置いておくだけなら問題ないと思うが」
「このアヒル、コトワリのこと大好きみたいだね」
「アヒルさん、尻尾ピンク色で可愛いからね」
そこまで思い出したところで、コトワリは漸く自分の身に何が起こっているのか理解した。先ほどから視界を覆っている純白はアヒルの羽の色。暖かさはアヒルの体温。ほんの少しの息苦しさはアヒルの重みが唇と鼻を塞いでいるから。
「あの、どいていただけますか」
コトワリの顔の上にアヒルが鎮座していた。寝るときは確かに籠の中に入れたのに、いつの間にやら移動したらしい。
「……失礼します」
両手でアヒルを掴んで顔から引き剥がす。そのまま体を起こすと、アヒルがやや不満そうな鳴き声を上げた。
「すみませんね。流石に死因がアヒルは嫌ですので」
床に下ろされたアヒルは小さく鳴きながら部屋の中の散歩を始める。コトワリはそれを踏みつけないように気をつけながら着替えを済ませると、籠の中に置いてあった帽子とケープを取り出してアヒルに着せた。
「では行きましょうか」
部屋から出ると朝食の匂いがしたものの人の気配は少なかった。どうやら随分と寝過ごしてしまったらしい。コトワリはそう思いながらアヒルと共に階下に下りる。六人掛けのテーブルの上にはコトワリの分の朝食が置いてあった。白いご飯に焼き鮭。豆腐とピーマンの味噌汁にメロンの浅漬け。鮭を見て思わず昨日のことを思い出してしまったコトワリは口元に笑みを浮かべた。
「何笑ってやがる」
テーブルの向こう側に置かれたソファーからクエルクスが不審そうに呼びかけてきた。コトワリは慌てて笑みを消す。
「おはようございます」
「随分よく寝てたが、朝飯は食うだろ。食わないと身が持たん」
「えぇ、いただきます。他の方々は?」
「全員とっくに出かけた。盟主のやつはお前が飯食い終わらないと出かけられないとさ」
その言葉と食卓に並ぶものから考えるに、今日の食事当番は盟主の梟ということだろう。平素あまり当番表を記憶していないコトワリは、少し申し訳ない気持ちになりながら席に着く。
「クエルさんは今日は用事はないんですか」
「あ? 別に暇人じゃないが?」
「そこまで言ってないです」
「一度缶詰の朝市に行って戻ってきたところだ」
クエルクスは髪を後ろに撫でつけるように掻き上げて、それから声のトーンを少し下げた。
「そこで聞いたんだが、ディープダンジョンダイバーズのミトラって女が消えたらしい」
「え?」
コトワリは口に運びかけていた箸を止めた。
「ミトラさんが?」
「お前と同じ日に願掛けに行った連中が次々に消えてるらしいな。アロから聞いた」
クエルクスはコトワリの隣の椅子に腰を下ろした。表情は不機嫌と心配が等分に混じっている。
「ミトラさんはどうして」
「昨日戻ってこなかったらしい。染物屋に行った後に仲間に会って、もう一度ダンジョンに潜ると言っていたようだが、そこから先のことがわからないと」
「そんな……。昨日お会いした時には特に変わったことはないと言っていたのに」
「染物屋で会ったのか」
「はい、その」
失踪事件を調べていたと言うべきか。コトワリは少し悩んで口ごもる。しかしクエルクスはその様子を見て何かを察したようだった。
「必要なら手を貸すが?」
こういう少しぶっきらぼうな優しさがクエルクスがクエルクスたるところだった。押しつけがましくもなければ遠慮しているわけでもない。仲間が困っているのを察して先回りしてくれるのがイロハだとすれば、困っていることを確認したうえで選択肢の一つになってくれるのがクエルクスだろう。
「ありがとうございます。でも一人で問題ないです。手を貸して欲しい時はお願いしますから」
「わかった。でも行き先はちゃんと教えろ。どこかにふらふら行って古い井戸にでも落ちたら探せなくなる」
「そんなことは無い、と言い切れないのが辛いですね。今日はアヒルを返しにダンスインザダックのところにお邪魔して、パルスさんと話してきます。彼も願掛けの場にいましたから」
「あのクランは何かあっても踊って回避するだろ」
「それも否定出来ないですね。そのあとで可能ならミトラさんのことをクランの方に聞いてきます」
コトワリは笑いながら食事を再開した。少し冷めてしまった鮭と白米が混じり合って食欲を刺激する。ふと気がついてアヒルを見ると、既に盟主が用意していたらしいアヒル用の皿にクチバシを何度も叩きつけるようにして食事を取っていた。
「ところで」
クエルクスがふと思い出したように口を開いた。
「アロの奴から話を聞いて気になったんだが、小夜啼鳥のところのメンバーが願掛けにいたんだよな?」
「えぇ、そうですが」
「お前、何の願掛けに行ったんだ?」
「Aランク試験の合格です。あの日の朝、アロさんがそう言ったのを聞いていたはずでは」
「確認だ、確認。だとすると少し妙なことがある」
「妙、とは」
「小夜啼鳥の連中は、全員Aランク以上だ。願掛けに行く必要なんかない」
その時飲み込んだ鮭の皮は、美味しいはずなのに全く味がしなかった。
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/05/10 (Sat) 23:44:46
一言で言うなら、ダンスインザダックは異色のクランである。皆ダンスが好きで、ダンジョンの前でもダンジョンの中でも踊っている。そのためなのか、あるいはそれゆえなのか全員体力が高い。しかし踊っているだけのクランかと思いきやダンジョン踏破や魔獣退治にも卒が無い。リーダー格のダック隊長が他のメンバを「コダック」と総称してとりまとめ、自ら前線に立って指示をしているところを見れば、一種の部隊だと考えることも出来る。変なクランだが軽視は出来ない。それがダンスインザダックに対する皆の認識だった。
「やぁ、コトワリくん」
最初、クランルームに直接出向いたものの「不在」の札が掛かっていたためにハビラの方に出てきたコトワリだったが、運良くすぐに彼らを見つけることが出来た。ティトンの話によれば夜通し踊っていたはずなのに、全員眠そうどころか疲れた様子すらない。しかもなぜかメンバそれぞれが魔獣の皮や鉱物などを持っていた。
「おはようございます、ダック隊長」
果物の入った箱を抱えたダックにコトワリは挨拶を返した。ダックというのは本名ではないらしいが、特に誰も気にしていないので探る者はいない。というよりもあまりに彼が「ダック隊長」らしい振る舞いをしているので違和感がないからだろう。
「踊りに行っていたと聞きましたが」
「あぁ、踊りながらダンジョンを踏破する、俗に言うナイトフィーバーをしていたんだ」
「ぼくが知らない俗界がありますね」
「その過程で手に入れたものを換金しているところなんだ。全部持ち帰ると盟主が煩いからね」
ダックはそう言って快活に笑った。
「そうだ。果物はどうかな。沢山採れたのでお裾分けしよう」
「ありがとうございます」
「いいんだよ。この果物は足が早くて換金に向かないのでね。後ほど一箱持って行こう」
「一箱!?」
てっきり一個か二個だと思っていたコトワリだったが、ダックの後ろには同じような箱がいくつも置いてあった。まぁ盟主やイロハがどうにかしてくれるだろう、と前向きに諦める。
「ところでそのアヒルはうちのかな?」
ダックがイロハの足元に目を向ける。そこにいたアヒルが甲高く鳴いて羽を何度か動かした。
「あ、はい。アロさんが間違えて持ってきてしまって」
「随分素敵な装いになったじゃないか。素晴らしい」
「すみません。これはその……染物屋で」
別に謝ることでもないのだが、常の性でコトワリが謝罪をすると、ダックは「いやいや」と首を横に振った。
「気にしなくて結構。アヒルも嬉しそうだから問題は無い」
「そういって頂けると気が楽になります。アヒルさん、お返ししますね」
「あぁ」
ダックはそう言って箱を持つのとは逆の手でアヒルを抱き上げる。手つきは非常に慣れたものだった。アヒルも満足そうにその手の中に収まっている。
「そちらのクランにはアヒルが沢山いたりするんですか?」
「あぁ。盟主が非常に可愛がっているんだ。一羽づつに加護を授けたりしてね。このアヒルはその中でも特にお気に入りだったと思う。な、E-03」
「名前に愛情が感じられませんが」
型番みたいな名前をつけられたアヒルは、自分の名前のことは気にしていないようだった。と言うよりアヒルには人間のつけた名前など意味を持たないのかもしれない。
「アヒルへの加護というのは?」
「導きの加護だよ。迷っている人を導いてくれるんだ。便利だろう?」
コトワリの脳裏に昨日のことが様様と浮かぶ。アヒルが自分を誘導しているように見えたのはあながち思い込みでもなかったのかもしれない。
「おや、この尻尾は?」
紅色に染まった尾羽に気付いたダックが疑問符をあげた。
「染物屋さんで染めて頂きまして」
「ふぅん」
ダックは少し目を細めて尾羽をまじまじと見ていたが、そこにパルスがやってくると視線をそちらに転じた。
「隊長、それにコトワリさんではありませんか。先日はどうも!」
相変わらずのハキハキとした喋り方でパルスはコトワリに挨拶をした。
「パルス。換金は終わったか?」
「はい。やっぱり星屑茸は高く売れますね」
「ならそこにある果物の箱を一つ、白羽に届けて欲しいのだが」
「お安い御用です。早速行ってきましょう」
「あ、ちょっと待ってください」
すぐにでも箱を担いで走り出しそうな勢いのパルスをコトワリは引き留めた。
「パルスさんは失踪事件のことは」
「勿論知ってます。隊長にそのことを話したのはオレですからね。そうですよね、隊長」
「あぁ。いや、少し待ってくれ」
ダックは他のメンバに休憩するように指示を出すと、二人をさり気なく少し離れたところへと誘導した。
「あまり皆を心配させたくないからな。それで、失踪事件のことを話にきたのかい?」
「えぇ、実は……」
コトワリが、ミトラが行方不明になったことを話すと二人は顔を見合わせた。
「また物騒な……。パルス、失踪事件のことを知ったのは朝の踊り込みに行った時だったな?」
「はい。小夜啼鳥のメンバの方から聞かれて。それで知った形ですね」
「私はそれを聞いて妙だと思って、念のためアロー君にも教えたんだ」
「妙というのは……小夜啼鳥のメンバーが願掛けに行くわけがないからですか?」
コトワリがそう言うと、ダックは短く顎を引いた。
「流石コトワリ君。知っていたんだね」
「いえ、ぼくも今朝クエルさんから聞いたばかりですが」
「あのクランのことは昔から知っているのでね。Aランクでなければそもそも入れないクランの人間が、なぜ願掛けなんかに行くのかと不思議に思ったわけだ。まぁそこまで話す前にアロー君はコトワリ君を心配してアヒルを持って行ってしまったけどね」
ハッハッハッ、とダックは大きく口を開けて笑う。しかし不意にそれをやめて真面目な顔になると言葉を続けた。
「別にAランク以上が入ってはいけないという決まりがあるわけではないから、それだけでおかしいとは言えないがね。例えば暗い場所で動けるような鍛錬をしにいった可能性もある。ただ確実に言えるのは、願掛けが目的ではなかったということだ」
「まぁ本当に何かの加護がもらえるわけでもないですしね」
あの洞窟はあくまでただの洞窟である。パワースポットなどと言われているが、行った事により何かの効果が得られるわけではない。
「願掛け以外の目的で洞窟を訪れた者が失踪しているのかもしれないと思ったんだがね。パルスにそう言ったら非現実的だと笑われたよ」
「だってそうでしょう」
語尾に重ねるようにパルスが口を開く。
「誰がどうやって、その人が願掛け以外の目的で訪れたってわかるんですか? アローさんみたいに「オレは引率でーす」って素直に言うわけないし」
「そもそもアロー君は中には入らなかったんだろう?」
「はい。でも待っている間は暇だったようで、中の歩き方を何度もロンさんに確認していましたから、もしかすると入ってみたかったのかもしれないですね」
「アロー君は素直だからな。願掛けじゃないと入ってはいけないと思ったのかもしれない」
「確かに」
パルスは同意しながら笑う。
「結局、何度か聞いたあとに、コトワリさんのことを心配していましたよ」
「ぼくのことを?」
「道に迷わないかとか色々。ほら、途中の二叉路のこと覚えてます? どっちに行ってもいいけど左側は偶に水が垂れてるかもしれないって言われていた」
「あぁ、ありましたね」
「コトワリさんが通った時だけナメクジが落ちてきたりしたらどうしよう、って」
アロらしい独特な心配の仕方だった。あれで本人は大真面目なのだが、聞きようによってはふざけているように思えるかもしれない。だがコトワリはアロがそういうことでふざけないことをよく知っている。
「そういえばあの道、ぼくは右に行くのが面倒だったので左に進みましたが、パルスさんは?」
「オレも左に。確かに水は垂れてましたけど、大したことはなかったですしね」
「えぇ。もしかするとあの日は水が少ない日だったのかもしれません。ほどほどに涼しくて却って良かったぐらいで……」
コトワリはその時、小さな引っかかりを覚えた。それが何に因る物なのか、無意識に記憶を辿っていく。昨日から今日までの様々な会話。そして洞窟の中でのこと。それらが目まぐるしく脳裏を駆け巡り、やがて引っかかっていたことの正体が判明する。
「あれ? でもそれって……」
「どうかしたかい、コトワリ君。悩みがあるならジャズダンスでも」
「あ、大丈夫です」
ダックの申し出を即座に拒否しつつ、コトワリは今自分の頭の中に浮かんだ違和感を更に紐解いていく。たった一つの小さな綻びが、今まで暗幕に覆われていた謎を次第に開いていくような感覚がした。そしてそれに合わせて記憶の断片が頭の中で雑多に再生される。
漆黒の闇の中を進む自分。手のひらの感触。
意味ありげな言葉を放ったイロハ。千里眼の能力。
自分の前を身軽に歩くアロ。その首のハロ。
染め物屋で話すハオシンとロン。アヒルが咥えたサンプル。
ミトラのことを話していたティトン。カウンターの上の飛行帽。
クエルクスとの会話。消えた人々。
『開けておくと危険だからー』『説明をもう一度聞きますか?』『行方不明になってるんだって』『夜の雨です』
『そいつらはどこにもいないと思うぜ』『冒険者なんて』『出てくる時は息を切らせて』『あら、いらっしゃい』『洞窟の中では何も見えなかったし』
『この色を選ぶなんて』『戻るならついでに』『彼は白羽の方ですよ』
『あっという間に縫っちゃうんだもん』『性能のいい拡大鏡がないと』『だからロンさんは』
『小夜啼鳥の連中は全員Aランク以上だ』
いくつかの不要な情報は自然と削り落とされ、まるでそうなることが決まっていたかのようにコトワリの頭の中で一つの結論が組み上がった。
「パルスも気をつけた方がいい。お前は踊っていると周りが見えなくなるからな」
「だからここ数日は皆さんと一緒にいることにしてるじゃないですか」
「ソロダンスは暫くお預けだ。まぁ良い機会だから皆でロックの練習でも……」
「パルスさん」
コトワリは二人の話を遮るように口を開いた。
「パルスさんはAランク試験の願掛けに行ったんですよね」
「えぇ、そうですよ。本当にそれだけです」
「なら多分、パルスさんやぼくは行方不明になる可能性は低いと思います」
コトワリの言葉に二人はきょとんとした表情になる。
「どういう意味だい、コトワリ君」
「行方不明になる条件を満たしていないんですよ。そして、だからこそぼくたちは彼らが行方不明になった理由がわからずにいたんです」
「全然わからないんですけど……」
「今度説明します。ぼくは今からある人に会って、この考えが正しいか確認してこないと」
そう言ってコトワリは踵を返した。しかしその数秒後に、アヒルの鳴き声が追いかけてきたことに気がついて立ち止まる。あのアヒルが、必死にコトワリの後ろをついてきていた。
コトワリがダックのほうに目を向けると、ジェスチャーで「連れていってくれ」と返される。アヒルを持っていた右手を宙でひらひらとさせて、その手首のあたりが赤くなっているところを見ると、どうやらこのアヒルはダックの手首をつついて逃げてきたらしい。
「……まぁ、君がいたほうが話が早そうですね。もう少しだけ付き合ってください」
アヒルは嬉しそうに鳴き声を上げる。そして、昨日と同じようにコトワリの先に立って歩き出した。
「では道案内お願いしますね。一緒に事件を解決しましょう」
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/06/12 (Thu) 22:13:57
霧雨が髪を濡らす。淡い色をした空は人間の都合など何一つ知らぬまま、というよりも興味がないようにどこまでも広がっている。此処に来るのは二度目だったが、前は晴れていたので随分と見晴らしが違っていた。見覚えのある道を一歩ずつ踏みしめるように傾斜を登っていくと、やはり見覚えのある場所へと行き着いた。
「やっぱり、二度目でもきついですね……」
コトワリは大きく肩を上下させて息を整える。その足元でアヒルは大きく体を左右に震わせて羽についた水滴を払った。当たり前だがその水滴の殆どはコトワリの脛を濡らす。
「おや、いかがしましたか」
穏やかな声がコトワリの耳に入った。コトワリが顔を上げると、ロン・ホアジャが分厚い本を片手に立っていた。その後ろには閉ざされた岩戸と案内板が見える。
「また願掛けですか? でも今日は開かないんですよ」
「知ってますよ。でも今から開くんですよね、その扉」
コトワリは相手の穏やかな声に合わせるように静かに言葉を紡いだ。
「神隠しに遭った人たちが中にいるから」
「あらぁ」
困ったような呆れたような声と共に、ロンの後ろからハオシン・フェンが顔を出した。
「ロンロン、話しちゃったの?」
「いえ、私は何も」
「じゃあサーモンちゃん?」
ハオシンは口を尖らせながら右後方を振り返る。岩を背にして立っていたイロハは雨の様子を気にしていたらしいが、呼ばれたことで視線を転じた。
「ナルちゃんに話しちゃったの」
「それコトワリの渾名か?」
イロハは可笑しそうに笑った。
「俺も何も話してないぜ。コトワリが失踪事件を気にしていたのは知ってるけど」
「止めなかったの?」
「別にコトワリの自由だ。うちのクランのモットーは「隙あらば猫」、だからな」
な、とイロハに同意を求められたコトワリは苦笑いを浮かべた。
「やはり三人ともグルでしたか」
「グルなんて人聞きが悪いわねぇ、ちゃんとしたお仕事仲間よぉ」
ハオシンが頬を膨らませたが、ロンが右手を伸ばして両頬を挟み込むようにすると口の中の息を無理矢理吐き出させた。
「少しお静かに。知道了嗎?」
「知道了」
言葉のニュアンスから、どうやら「わかった」と返したようだった。ただハオシンの顔には依然として不満が残っている。ロンはそれを一瞥したものの、特に何も言わなかった。そのあたりは年上の余裕というものなのかもしれない。
「普通は行方不明者が出ても皆さんそれほど気にしないのですが。今回はよくありませんでしたね。数が多すぎました」
ロンは溜息をついて首を左右に振った。
「しかしここまでいらっしゃるとは。後学のためにどのように辿り着いたか教えて頂いてもよろしいですか?」
「えぇ、こちらもぼくの考えが正しいかどうか答え合わせをしたくて来たようなものですから」
コトワリがそう言うと、ロンは「そうだ」と両手を打ち鳴らした。
「丁度今、お茶を淹れようとしていたところなんですよ。よければご一緒に。このような雨が一番体を冷やしますからね」
入口から少し離れた場所に布と棒と組み合わせた簡単な雨よけが作られていて、その下に小さな焚き火、使いこまれた陶器製のポットが仕掛けられていた。細くくびれた注ぎ口からは白い湯気が立ちのぼっている。
「椅子までは用意がないけど、そこは勘弁してくださいね」
四人で雨よけの下に入り、ハオシンが傍においてあった背負い籠の中から適当に四つ器を出す。陶器製なのはポットと同じだが柄や形はバラバラだった。手慣れた様子でハオシンはポットに茶葉を入れて、抽出された茶を器に注ぐ。花の香りが茶に混じってあたりに漂った。
「良い匂いですね」
「うちの人間が作ってるんですよ。クエリの花の香りをつけた茶葉です」
ロンはそこでふと、コトワリが連れてきたアヒルに目を向けた。
「アヒルさんには何を差し上げましょうか」
「少なくともお茶ではないと思いますが」
「あ、俺いいの持ってるぜ」
イロハが服の袂に手を入れ、魚の形をしたクラッカーのようなものを取り出した。
「この前、泉の浄化をしたら別のクランの奴にお礼に貰ったんだ」
「お菓子ですか?」
「動物にあげても平気なやつ。そのへんの猫が食うかなと思って貰っておいたんだけどな」
クラッカーを地面に置く。アヒルはそれに近付いてクチバシで何度かつついたあとに嬉しそうに食べ始めた。
「よかった。やはりお茶会は皆さんが参加しないとつまらないですからね」
ロンがそう言って茶を啜る。片眼鏡が一瞬だけ曇った。
「それではお聞かせ願いましょうか。どうして貴方はここに行き着いたのですか?」
「えぇ」
コトワリは話し始める前に一口茶を口に含んだ。
「色々な方から話を聞きました。それだけでは行方不明者が何処にいるのかも、願掛けとの関連性もわからなかった。そこに散らばっていた情報同士を結びつけることや紐解くことが出来なかったからです。でも些細なきっかけでぼくは皆さんの話が一つの解を持っていることに気がつきました」
「きっかけ?」
ロンが聞き返す。コトワリは小さく顎を引いた。
「本当に些細なことです。ダンスインザダックのパルスさんと先ほど話した時に、洞窟の中の話になりました。中にある二叉路をどちらに進んだのか、という。ロンさんは道順を説明するときに、どちらに進んでも良いと言いました。そして併せてこうも言った。「左の道は天井から水が垂れてくる」と」
「はぁ」
ロンは不思議そうに相槌をうつ。コトワリの言う「些細なこと」がなんであるかが汲み取れないようだった。ハオシンも似たような表情を作っている。
「洞窟に行った翌日、ぼくはフレーバーティーを作ってアロさんとイロハさんに振る舞いました。「夜の雨」と名付けた紅茶を飲んだイロハさんはこう言ったんです」
ーー洞窟でインスピレーションを受けたってとこか
「これが引っかかりました」
「なんでだ?」
疑問を口にしたのはイロハだった。コトワリはそちらに顔を向ける。
「洞窟の二叉路はどちらに行っても良い。そして天井から水が垂れてくることもある。それがロンさんの説明です。それにぼくは「夜の雨」と名付けただけで詳細な背景は語らなかった。なのにイロハさんは、まるでぼくが水の垂れてくる道を選んで歩いたことを知っているかのように的確に言い当てました」
イロハの表情が少しだけ緩んだ。苦笑いを顔に浮かべる寸前で押さえ込んでいる。そんな表情だった。
「ぼくはどうやって道を進んだか誰にも話しませんでした。でもイロハさんはわかっていた。どうしてだろうと思ったときに、今度はアロさんのことを思い出したんです」
「あろさん?」
ハオシンが呼称を復唱する。
「俺たちのクランのメンバの一人だよ。コトワリを願掛けに連れていったんだ。本人は中には入らなかったけどな」
「あらそう、道理で知らないはずだわ。ルーメンちゃんとは違うわよね?」
「クエルじゃない。今度紹介するよ。……悪かったな、続けてくれ」
「いえ」
コトワリは首を左右に振った。寧ろ今のやりとりはコトワリの推理を裏付けるものだったため有り難かった。
「アロさんは道順を何度もロンさんに訊ねたそうです。そしてパルスさんの話によれば、ぼくが道に迷わないか心配した。きっとアロさんにはわからないことがあったのではないか、とぼくは考えました」
アロは直感が鋭いが、それは本人の無意識下で行われていることが多い。何度も道順を尋ねたのは何かがおかしいと思ったからだろう。しかしそれをコトワリに言わなかったということは、アロの中で「コトワリに害はない」と結論つけられたからに違いない。
「ロンさんがぼくたちにした説明はこうでした」
まず左の壁を触れながら真っ直ぐ進む。
大きく左に曲がる場所がある。
二叉路はどちらに進んでも構わないが、左は水が垂れてくることがある。
その先で再び二叉路になるが、そこでは必ず左に進む。
そこから先は壁に手を添えて進む。目印に沿って分岐を選ぶ。
「随分記憶力が良いですね」
ロンが感心したように言う。コトワリは緩く首を左右に振って話を続けた。
「改めて思い返すと非常に妙な箇所があります。あの時は覚えるのに精一杯でそこに気がつきませんでした」
「妙な箇所と申しますと?」
「最初の二叉と最後の行程です。最初は左に手をつけと指示し、二つ目の二叉では必ず左に行くようにと指示している。なら最初の二叉路もそのまま左の壁に沿って進めばいいじゃないですか。それなら説明だって簡単に済む。ずっと左の壁に沿って進み、目印を見つけたらそれに従って進め、とね」
ロンは片眼鏡の奥で目を細めた。肯定も否定もなく、コトワリの話に耳を傾けるつもりのようだった。
「最後の行程についても壁に手を添えるように言いながら、右か左かを指示していない。あれほど途中まで左右に気を配っていたのに。もし目印が片方の壁にしか存在しないようなものだったら迷子になってしまいます」
コトワリはあの暗闇の中を思い出しながら続けた。そう、あの場所は暗すぎた。わずかな手がかりでもなければ闇の底に転がり落ちてしまいそうなほどに。なのにどうしてロンは曖昧で冗長な説明をしたのか。
「最初の二叉で、左右どちらに進んでも良いというのは嘘ですね?」
あらぁ、とハオシンが困ったような顔を作ってロンを見る。しかしロンは表情を変えなかった。イロハに至っては楽しそうにすら見える眼差しでコトワリを見守っている。
「あの二叉路で右に進むのは明らかに手間です。でも敢えてそちらに進んだ人は正規ルートから外れるようになっている」
「それだと皆さん道に迷ってしまうのではありませんか? 彼らが行方不明になったのは洞窟から無事に生還されたあとです」
「いいえ、道には迷わない。というよりこの洞窟には正規ルートの他にいくつものルートがあって、それぞれ違うゴールに辿り着くようになっている筈です」
コトワリは器を足元に置いて、両手を宙に掲げた。そこに見えない壁があるかのように左手を虚空に留める。
「左手をずっと添えて歩く分には問題ありません。正規ルートに確実に導かれるからです。では最初の分岐で初めて右に進もうとした方はどうなるでしょう。まず最初に大きく左に曲がる感覚で分岐だと気がつきます。右に行ってみたい場合、次の分岐のことを考えると右側の分岐に移動したあとに左側の壁に手を添えるのが賢い方法です」
「ただでさえ暗闇では方向感覚が鈍りますからね。確実簡単な方法が好ましい」
「正規ルートをA、分岐で右を選んだ時に進むルートをBとします。そしてそれとは別にCというルートが存在します」
コトワリは今度は右手を壁に添える仕草をした。
「最初から右に行こうと決めている方がいたらどうでしょう。どうせ右に行くのだからと右手を壁につけて進んでいくのではないでしょうか」
「しかしそれですと次の分岐がどこかわからなくなるのでは?」
ロンは落ち着いた声で指摘する。雨は先ほどより少し強まったようだった。
「……最後の行程で、貴方は目印があると皆に言いました。でもどのような形をしているかだとか、どういうものかは教えなかった。暗闇を只管に進んでいた人間が、もしそこに何らかの変化を見つけたとしたら、それが目印だと何の疑いもなく思い込んでしまうのではないでしょうか。例えそれが偽物だとしても」
二つ目の分岐路がどのような場所にあって、どうすればそれとわかるのかロンは言わなかった。もしそこに何かを発見したなら、最後の行程の「目印」と同じような何かの指標だと勘違いしても無理はない。
「Cルートを進んだ人はBルートからも更に離れた場所まで誘導され、そこで「二つ目の二叉路の目印」を発見するようになっているんです。そうしてどんどんと正規ルートから外れていく」
「一体何のために?」
ロンの声にわずかに挑戦的な響きが含まれた。コトワリはその目を見返しながら口元を少し持ち上げる。
「不純な動機で洞窟に入ったものを洗い出すためです」
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/06/20 (Fri) 12:03:02
少しの間の静寂。雨の音がそれを埋める。
「行方不明となった人たちは同じ目的で願掛けに訪れ、洞窟を下見したんです。そして貴方たちは彼らのような人を探し出して注視するために洞窟に仕掛けを作った」
コトワリは再び記憶の中から必要な情報を探り当てる。
「『青の地平線』のコルトさん、これも参加者の一人で行方不明になっていますが、この方は洞窟から息を切らせて出てきたそうです。覚えていますか?」
「えぇ」
ロンは短く答えた。
「それがどうかしましたか?」
「息を切らせるというのは、通常であれば走ったときや重いものを持ったときなどの運動による負荷がかかった時に発生する現象です。でも真っ暗な洞窟の中で走り回ったりするでしょうか。もっと他の理由で息を切らせていたと考えられます。例えば、何かを発見して興奮していたとか」
洞窟の中で何かを見つけ、興奮を押し殺しながら帰り道を急ぐ。心拍の上昇により呼吸が浅くなるのはあり得ない話ではない。
「行方不明者は総じて同じ目的で洞窟に入り、同じものを見つけた。そしてそれを求めて洞窟に再び入り込んで行方不明となった。ぼくはそう考えました。では何を見つけたのか。答えは最初からぼくの知識の中にあったんです」
コトワリは今度はハオシンを見た。
「貴方の店では染料の材料となるものを買い取っていますね」
「えぇ、そうよ」
ハオシンは肯定を返した。続けて何か言おうとしたのか紅を引いた口を開きかけるが、思い直したように口を閉ざす。コトワリは足元にいたアヒルを抱き上げると、その紅色の尾羽を三人に見えるようにした。
「これは暗いところで光る染料を使っていて、お店でも一番高値で取引されている。貴方はそう言いました。ただ染める時の値段だけを言うなら、「取引」という言葉は使わない。きっとあれは染料の買い取り価格のことも指したのだと思います」
「ハオシン」
ロンが咎めるような目を向けるが、ハオシンは「なによぉ」と眉を寄せた。
「ちょっと口が滑っただけじゃない」
「貴方の口が滑らなかった瞬間など知りませんが」
「あら、あるわよ。今は思いつかないけど」
短い口論が終わったのを確認してからコトワリは続けた。
「暗闇で光る染料は高く売れる。これを知っている方々があの洞窟に入ろうとしていたとしたらどうでしょうか。そして間違ったルートの先で「目印」としての発光物体を見つけたとしたら」
三人とも何も答えなかった。それが最大の肯定だろう。
洞窟に最初に訪れた時、アロから聞いたことを思い出す。イロハとロンがこの洞窟を訪れた理由は「光るチョウチョがいるから」だった。ハロの光すらも使い物にならない特殊な洞窟にも関わらず。それはつまり、非常に特殊な発光機能を持つ生物や植物が自生しているということではないか。それはあの光っていた祠が証明している。
「彼らは発光物質を目印だと勘違いした。それに導かれるようにして洞窟の奥まで進み、そこに用意されていた符を持ち帰った。参加者の一人が息を切らせて出てきたのは、目的だったものを見つけた嬉しさからでしょう。しかし見つけたものをそのまま持ち帰るのはまずい。なぜならロンさんがいるからです。出迎えた時に光る物質を持っていたら、それはどうしたのかと聞かれるのは目に見えています。だから彼らは願掛けが行われていない日に改めて洞窟に入ろうとした。そして行方不明となった」
「……私たちが「彼ら」をどうやって知ったとお思いですか?」
コトワリはアヒルを地面に置き直した。アヒル自体は重くないが、雨天の中持ち続けていると単純に手が湿ってくる。
「そもそも洞窟の中でその人がどのルートを進んだか、その時点ではわかりません。それに単に好奇心で分岐を右に進んだり、あるいは単純に間違えた方との区別も必要です。どうやってそれらを判別するのか。貴方がたは二つの仕掛けを作り、その両方に引っかかった方をターゲットにしたんです」
「なるほど、お聞きしましょう」
「一つは、洞窟から持ち帰る符です。あの洞窟にはいくつものルートと、それに合わせたゴールがあるのではないでしょうか。どの符を持ち帰ったかによって、その人がどのルートを選んだかわかる仕組みになっている」
「ルートごとに異なる符を用意したと? ですが、それだと正しいルートと異なるルートを進んだ人同士が話せばわかってしまいますよ」
「別に皆さんがその違いを知る必要はないんです。見る人にだけそれがわかればいい。例えば、符の片隅に小さな……針の穴ほどの大きさの印がついていたらどうでしょうか。普通の人には見ることが出来ない。でも、ある能力を持った方は容易に見ることが出来る。例えばハオシンさんのような」
精巧な裁縫が出来、胡麻を卵のような大きさで見ることが出来る男。彼ならば符に細工することも、それを読み取ることも出来る。
「誰がどのルートを通ったのかをハオシンさんに読み取らせて、ロンさんは詳細を記憶する。どんな多くの人がいたとしても、貴方の能力なら可能です」
「二つ目は?」
肯定も否定もせずにロンは先を促した。
「次の仕掛けはハオシンさんの店です。ハオシンさんの店に過去に発光物質を持ち込んだ客の取引記録と、符の記録と照らし合わせる。もしどちらにも該当する方がいれば要注意人物ということになります。これも貴方の能力をもってすれば簡単なことです」
コトワリはロンの表情を読みながら続ける。
「気になっていたんです。あの時、どうしてロンさんがハオシンさんの店に来たのか。同じクランのメンバーが店に来ること自体は珍しくありません。ですがあなたは長居するわけでもなければ手伝うわけでもなく、取引記録だけを持って帰って行った」
「別にそれとて珍しいとは言い切れませんが」
「えぇ、そうです。でも貴方は最初にハオシンさんが、ティトンさんとぼくの取引が終わるまで待てと言われたのに、結局途中で帰りました」
あの時のことを思い出しつつ進める。
「ぼくたち二人の取引記録は不要だと判断したんです。ぼくはそもそも正しいルートを進みましたし、ティトンさんも染める相談にきただけで買い取りはしていない。そしてそれ以上に貴方にはぼくたちが安全だという判断材料があった。それは、ぼくたちが白羽……イロハさんと同じクランだからです」
それを聞いたイロハが「あー」と、まるでクエルクスのような声で呻いた。
「だから俺のところは特別扱いしなくていいって言ったのに」
「すみません……。ですが白羽の方々は悪い噂もありませんし、もしそのようなことをすればイロハさんが真っ先に知るでしょうから不要だと思いまして」
面目なさそうにロンが言う。もはや隠す気はないようだった。ハオシンも「そうねぇ」と同調する。
「そもそも余所のクランのメンバの行動に口を出すって、禁止はされてないけどお行儀が悪い、みたいなところあるじゃない。だからあの生意気な生贄の連中にも誰も手を出さないわけだし」
「もしそれが可能であれば、わたしたちもこのような回りくどい手段を取らずに済んだのですが」
ロンはそこで全員を見回すと、茶を入れ直すために器を差し出すように言った。全員分の器がロンの元に集まり、そこに暖かい茶が注がれた。
「ここの洞窟の中にあるのは、貴方がお考えの通り特殊な発光物質です。光る蝶は私が偶然見つけました。中に入ろうとしたところ、明かりが一切使えないことに気がつきまして、それでイロハさんに同行をお願いしたんです」
器の一つがイロハに返された。イロハはそれを受け取りながら話を引き継ぐ。
「洞窟の中を色々調べて、蝶だけじゃなくて苔や石も光ることがわかったんだ。ロンが言うには、前にも同じ洞窟を見つけたけど行儀の悪い連中に根こそぎ採取されちまったらしい。同じことが起きたら厄介だけど、かといって一つの場所を一つのクランが独占することは禁じられてる。どうすればいいかって相談されたんだ」
イロハはその時のことを思い出したのか、苦笑しながら頭を掻く。
「まずは洞窟を「パワースポット」に仕立て上げた。元々ロンはAランクになれるだけの実力はあったけど、必要なくて取ってなかっただけだからな。洞窟に行ったらAランクになれたって噂を流したら面白いほどに釣れた」
「BランクからAランクにあがるのが一番難しいと言われてますからね」
ロンは二杯目をハオシンに渡した。
「洞窟に人が沢山来て危ないの、って盟主さんに相談したのよ。それから盟主同士の話し合いで、あの洞窟をうちで管理するのを認めて貰ったってわけ」
「それまでに入った方々は、発光物は見つけなかったんですか?」
「泥を入れておいたのよ」
ハオシンはそう言った。
「あのあたりは溶解しやすい岩石がいっぱいあるから。特殊なお水をかけると泥なんてあっという間に作れちゃうわ。それを中に入れておくと、入った人は数歩入れば真っ暗闇、しかも足元はぐちゃぐちゃだから、すぐに逃げ帰っちゃうってわけ」
「あぁ……確かにそれは嫌ですね」
コトワリはいつだったか水が満たされたダンジョンで靴下を脱いだことを思い出しつつ笑った。
「管理をうちに任せて貰って、それであの仕掛けを作ったんです」
ロンが三杯目をコトワリに渡した。
「洞窟に忍び込みそうな人を探し出して、彼らが願掛け以外の日に洞窟に入り込むのを待ちました。流石に毎日ここで見張るわけにはいきませんからね」
「確認しますが、貴方がたが行方不明にしているわけではないんですよね?」
「違いますよ。勝手に行方不明になるんです」
その回答もコトワリが予期していた通りだった。というより、もし故意に人に危害を加えるような真似をしているのであればイロハが加担するわけがない。
「願掛けの日以外は中の目印を取り払うか、違う位置に変えることにしています。迷路理論を利用したものなので説明は割愛しますが、人は一定の目標を持ち歩きますが、その目標を誤認させると正しい道に戻れなくなるんです。まぁそもそも皆さん、勝手に洞窟に入って勝手に目印を誤認して勝手に行方不明になってしまっているだけですけどね」
「入らなければ迷わないんだから、アタシたちのせいじゃないわよ」
「それでも放っておくわけにもいかないから、行方不明者が一定量になった時に俺たちが助けに行くって仕組みだ。人道的だろ?」
「この仕組みは皆さんで考えたんですか?」
コトワリは気になっていたことを訊ねる。すると三人はそれぞれの方法で否定を返した。
「アドバイスをもらったんですよ。こういうことに詳しい方がいるので」
「罠とかじゃなくて、「仕組み」を考えるのが上手な人がいるのよぉ」
「その人に考えて貰った仕組みを元に、この洞窟を作り上げたって形だな」
「はぁ……。色んな人がいるんですねぇ」
ここにいる三人はどうやら顔が広いらしい。店を経営しているがそこまで他人と深い付き合いをするわけではないコトワリは少し感心した。
「このお茶を飲み終わったら、中の方々を助けにいきましょうか」
「コトワリも手伝ってくれるだろ?」
「えぇ。……ところで助けた人たちはどうするんですか?」
「別にどうもしないわよ。大体は暗闇に閉じ込められて意気消沈してるし、さっきも言ったけど他のクランの人をあまり責め立てるわけにもいかないでしょ?」
ハオシンは快活に笑って続けた。
「だからね、黙って入り込んでしまったことに対してだけ叱ることにしているの。皆、それで大人しくなるわ」
「確かに大人しくなるな。ハオシンが怖いから」
「怖くないわよ。ねぇ、ロンロン」
「そうですね。そういうことにしましょう」
「ひどーい。二人の頭をレインボーに染めてやろうかしら」
仲良くじゃれ合う三人を見ながらコトワリは茶を啜る。その横でアヒルは暢気に鳴き声を上げていた。
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/06/21 (Sat) 11:08:57
他のクランルームを訪れるのに特に決まりのようなものはない。というより、そもそも他のクランルームに用事があるようなことは稀なので、都度クランメンバ同士で話をして連れて行ってもらうことが多い。
果たしてこの場合、アヒルはクランメンバに入るのだろうか。コトワリはそう思いながら前方を歩くアヒルの尾羽を追いかける。洞窟から行方不明者を助け出したあと、イロハたちは彼らをそれぞれのクランに連行することになったが、コトワリはそこでお役御免となった。理由としては至って単純で、コトワリの体力が尽きたからである。ハオシンに死ぬほど怒られている行方不明者たちに同情しながらダンジョンを抜け、そのままアヒルを返すためにダンスインザダックのクランルームに向かっていた。
「怒るのにも才能がいると聞きますが、ハオシンさんはそういった意味では才能の塊ですね」
思わずそう独りごちる。アヒルはまるでそれに同調するように小さく何度か鳴いた。
この先何があってもハオシンの機嫌を損ねることだけは絶対にやめよう、と心に誓う。自分はまだ逆さ吊りにもなりたくないし、あの凄みのある顔で詰められたくもない。ハオシン本人はロンとは違って光る蝶や石に興味は薄いようだったが、あれは単純にロンへの友情みたいなものなのだろう。
「あ、ここですね」
アヒルが立ち止まった場所でコトワリは扉を確かめる。クランルームの入口の扉には、パルスが着ていたパーカーに描かれていたのと同じロゴがあった。アヒルは何歩か前に出ると、クチバシで何度か扉を叩く。すると扉が勝手に開いて中の光景がコトワリの目に入ってきた。
「入って、いいんでしょうかね。これは」
アヒルと共に中に入る。するとすぐに音楽が聞こえてきた。
白や黒のタイルが敷き詰められた庭。ところどころに置かれた鏡。住居とは異なる、恐らくはダンスの練習をするための建物まである。建物の窓に動く影が見えることから、恐らく中で誰かが踊っているものと思われた。
「徹底的にダンスをするためのクランルームですね」
アヒルはそちらには目もくれずに奥へと進む。白と黒のタイルの先に平屋造りのカラフルな建物が現れた。中央に出入り口があり、両側に部屋が連なっている。両端に進むにつれて屋根に緩やかな傾斜がつくようになっていて、遠くから見ると極彩色の鳥が翼を広げているように見えた。
各部屋には大きな窓が設えてあって、そこからも出入りが可能なようだった。よく見ると窓は鏡面仕立てになっている。全ての部屋の窓を閉じれば巨大な鏡に出来るのだろう。非常に徹底している。
「あれ?」
コトワリは右翼の一部屋を見て首を傾げた。窓が開け放たれ、白いテーブルと椅子が庭に出されている。テーブルの上にはティーセットが置かれていたが、コトワリが気になったのはそこではなかった。
「盟主さん?」
椅子に座っていたのは幼い子供の姿をした、白羽の盟主である梟だった。
「おや、どうしたの?」
「いえ、ぼくはアヒルを返しに……。盟主さんこそどうしてここに」
「ルーニーにお招きされたんだよ。あぁ、ルーニーというのはここの盟主でね。最近仲良くしているんだ」
梟はそう言って優しく笑った。
「先日、隊長さんに助けて貰ったからそのお礼に煮物を持って行ったら意気投合してしまって」
「助けて貰った?」
「大した話じゃないよ」
アヒルはテーブルの周りを右往左往していたが、やがて焦れたように羽を広げて何度か鳴いた。その声が届いたのだろう、室内から誰かが現れる。
「おかえりなさい、E-03。随分、随分長いお出かけだったのね」
現れたのは十才くらいの容姿をした少女だった。レースがたっぷりついた白いドレスにヘッドウェア。靴も爪も全て白でコーディネートしている。後頭部に三角形を二つ重ねた大きなハロが光っていた。大きな三角形の中に小さな三角形を逆向きに重ねて、小さな三角形を四つ積み上げたような形になっている。
「あらら、どちらさま?」
アヒルを抱き上げた少女はコトワリを見上げて首を傾げる。黄色い髪を縦に巻き、真っ白な服装の中でそれが差し色の役割をしていた。極端に細い目をしているので常に目を閉じているように見える。瞳の色はよくわからない。
「うちのコトワリだよ」
「アヒルを持って行っちゃった方とは別なのね」
ルーニーはアヒルに視線を落とすと、再び「あらら」と呟いた。
「E-03の尻尾が赤くなってるわ。赤くなってる」
「いや、そのいろいろありまして……。すみません」
「大丈夫よ。これ、ハオシン君のお店で染めたんでしょう?」
「ご存じなのですか?」
「よく染め物をするのよ、うちのクラン。ほらほら、ダンスって衣装を合わせる必要があるから」
アヒルは少女に撫でられて幸せそうに目を閉じている。つけられた名前は置いておくとして、随分可愛がられているようだった。
「あららら、そうだわ。貴方の珈琲も必要ね」
「いえ、お構いなく。すぐにお暇しますから」
「そう言わずに飲んで行きなさい」
梟が取りなすように言った。ルーニーはテーブルに新しいカップを用意し始めている。アヒルはルーニーが座っていたであろう椅子の上に移動させられていた。
「ルーニーの焼いたお菓子はおいしいよ」
皿の上にはアヒルの形をしたクッキーやフィナンシェが積み上がっていた。どれも香ばしい甘い匂いをまとっている。洞窟での作業で疲労した体にその匂いはあまりに魅力的だった。
「では、お言葉に甘えて」
椅子に腰を下ろすとすぐに珈琲が入ったカップが置かれた。
「お砂糖とミルクはご自由にどうぞ。遠慮なく食べて頂戴ね」
「はい、ありがとうございます」
コトワリは珈琲を飲んで、フィナンシェを一つ摘まんだ。苦みと甘みが体の中に行き渡る。
「ルーニーさんもダンスをされるんですか?」
ダックや他のメンバと違い、ダンスに向いていない格好をしているのが気になったコトワリがそう訊ねると、ルーニーは頷き一つを返した。椅子をアヒルに譲り渡しているので立ったままであるが、背があまり高くないのでコトワリと視線はさほど変わらない。
「でもでも私は他の皆ほとダンスが好きなわけじゃないの。元々、ダンスが好きな人たちをまとめるために盟主になったから」
「そうなんですか」
「そうそう、そうなの。だからね、いつもは皆のためにお菓子焼いたり、皆の服を染めるためにハオシン君のお店に行ったり行ったりするの」
ルーニーは言葉の一部を繰り返す癖があるようだった。舌足らずな喋り方とよく合っている。
「皆がよりよく、よりよく暮らせるようにするのが好きなのよ。あ、チョコソースもあるから使ってね」
「ではこのクランルームも」
「皆がダンスしたいって言うんだもの。ダンスの練習がいっぱいいっぱいできるようにしてるの。貴方も踊りたい時は来て良いのよ」
「あ、大丈夫です」
「あらら、ピンクの子はよく来るのに」
残念そうにするルーニーに梟が「コトワリは虚弱なんだ」と注釈する。
「前にダンスしたら死にかけたらしいよ」
別に死にかけては、と言おうとしたがあながち間違いでもないので堂々と否定することは出来なかった。
「そういえばコトワリ、行方不明者のことはもういいのかい?」
「行方不明者?」
梟の言葉にルーニーが疑問符をあげる。コトワリがどう説明すればよいのか悩んでいると、ルーニーは「まぁまぁまぁ」と口元を抑えた。
「貴方、願掛けに行ったのね。そうなのね」
「え?」
「E-03を染めに行ったわけじゃなくて、染められちゃったのね。ハオシン君、そういうところあるもの。きっと白羽だから問題ないと思ったのかしら。イロハ君が聞いたら呆れそうだわ。もう呆れたかしら」
「……えっと、ご存じなんですか? 願掛けの洞窟のこと」
「えぇ、もちろん。前にロン君たちに相談されたもの」
あ、とコトワリは驚きで声を零した。三人が言っていた「仕組みを考えるのが上手い人」が目の前にいるルーニーだと理解したためだった。このクランルームを見てもその一端は見て取れる。
「貴女だったんですか、あの仕組みを考えたのは」
「そうよそうよ。勿論細かいところは三人に任せたから、今どうなっているかは知らないけど。三人とも喜んでくれたわ」
嬉しそうに言うルーニーにコトワリは苦笑を零す。世間は広いようで狭いと思ったためだった。
「どういうこと? 一人だけのけ者にしないでほしいな」
梟が半ば冗談交じりであるが、不満そうに言う。コトワリはそちらに視線を転じた。
「今から説明しますよ。もしかしたら、このアヒルさんがいなかったらわからなかったかもしれない事件でしたから、ルーニーさんにも是非聞いて頂きたいです」
アヒルのことを口にしたからか、うたた寝をしていたアヒルが首をもたげる。ルーニーはそれを見ると再びアヒルを抱き上げて自分も椅子に腰掛けた。
「まぁまぁ、それは楽しみだわ。私もあの洞窟がどうなったか気になってたの」
「昨日はあまり話を聞けなかったから、最初からお願いできるかな」
「えぇ、まず発端としては……」
なごやかなお茶会が始まる。今日もエデンは平和で物騒で穏やかで剣呑だった。
〜名探偵コトワリ 完〜
【エデン】「天使な悪魔」 - あさぎそーご
2025/02/23 (Sun) 20:54:22
「ちょっとコトワリ、どうしたのその顔…っ!」
クランルームに入ってきた彼にティトンが叫ぶ。オフィルに繋がる木製の扉を閉め、コトワリは皮肉に笑った。
「あなたがこんな時間まで庭にいるなんて珍しいですね。雨でも降るのではないですか?」
「さっき行き詰って一旦戻ったんだ。誤魔化さないで説明しろ、コトワリ」
目を見開き歯を食い縛るティトンを通り越すと、今度はイロハが圧をかけてくる。コトワリは一つのため息で緊張を緩和しにかかった。
「ちょっとモメただけです心配ありません。ポーションを切らしていたので取りに来たんですよ。店よりここのが近かったもので」
頬から目尻にかけてコブのように腫れた顔を見て、心配するなと言われても納得できるわけがない。しかしとりあえずポーションを取りに行くのが第一かと、イロハは一旦コトワリを見送る。
彼が庭の片隅にある一軒家に入ったところで、後ろからティトンが泣きそうな声を出した。
「ちょっとモメただけであんな風になるの?敵は何?どんなモンスターだったのかな…」
「いや、どんな能天気だこのガキは」
ミーティングをしていたテーブルセットからクエルクスがため息を浴びせる。騒ぎに気づいたのか、アロも奥の泉から「どうしたのー?」と歩いてきていた。肩には2匹のPIYOが乗っている。
「相手は多分、他のクランの奴だな」
「あー…ごめん、そういうことか。そうだよね」
「ダンジョン攻略中だったからスイッチがそっちにあったんだもんねー?」
「うん、そんな感じ…」
ふー、と息を整えて。ティトンは家の扉から仲間に向き直った。
「モメたってことは、うちと仲が悪いどっかだよね?また黒牙かな?」
「いや、あのクランにあんなパワーがあるやつはいなかった筈だぞ?」
探索に力を入れている白羽と比べ、【ノアル•クロ】通称「黒牙」はどちらかというと財宝目的のクランだ。しかしどうにも無茶をして破産しがちで、上手く回っていないらしい。
だからこそ、順調に攻略を進めている白羽を目の敵にし、絡んでくることも少なくない。なお、ティトンを「芋野郎」と呼び始めたのも彼等である。
「じゃあ生贄?」
「あいつらなら、有り得なくはないだろうが…」
「コトワリさん、あの人達避けるの上手だけどねー?」
アロの言う通り、【アーシャーム】通称「生贄」はいろんな意味でコトワリと相性が悪く、顔を合わせる事すら嫌がるレベルだ。金に汚く喧嘩早い。非戦闘員にしてみれば災害のようなものである。
「そもそも絡まれたんだろ?アレだけですんでりゃ生贄の線は薄くないか?」
「言われてみれば」
「じゃあ、どこ?」
揃って首を傾げていると、ポーションで傷を治したコトワリが家から出てきた。よそよそしく外に向かう彼の肩をクエルクスが掴む。
「コラ、逃げる気か」
「大丈夫です。白羽には迷惑かけませんから」
「んーでもさ、どのみち事情を聞いとかないと僕達も困るかもだし」
「それは…そうですけど」
治った頬を掻きながら、それでも渋るコトワリの周りにゆっくりと4人が集まった。顔を見合わせるクエルクスとティトンの代わりに、イロハが口を開く。
「やり返しにいくわけじゃないんだろ?」
「ぼくに仕返しができるとでも?」
「代わりに行ってやろうか?」
「無茶です」
「つまり、格上ってことか」
「……はぁ…きみたちの好奇心にはほとほと呆れますよ」
「それがウチの方針だからな」
「違いねえ」
あっという間に終わりそうな聴取に、諦めたコトワリが答えを言った。
「「赤嘴」ですよ」
その名を聞いて全員の顔色が変わる。心配と焦燥、不安が絶妙に交じった感じに。
「【ベックルージュ】?あの大手の?」
「なんだって絡まれたんだ…ポーション値切られでもしたか?」
「まさか。彼等にはそんなもの必要ありませんよ」
「じゃあ、どうしてー?」
「……知り合いがそこに所属しているんです。まだ、本調子ではないので休ませてあげてほしいと…つまり、出しゃばった結果ですね。まあ、無駄でしたが」
諸々省いた説明が終わると、いち早くアロが首を傾けた。
「んーー?コトワリさん、それって彼女さんのことでしょー?」
「……あ、はい…」
早速バレては伏せた意味がない。気不味そうに目を逸らすコトワリをよそに、それぞれが見解を呟く。
「ほー。赤嘴か…随分無茶してるって噂は前々から聞いてるが」
「いくらハロが多くても、身体がもたないことってあるもんね」
「まあ、辛いな。見ているだけで、なにもできないのも辛いだろうし」
流石彼女と同じくらいのハロを持つ仲間。理解が早くて助かる、とコトワリは胸を撫でおろす。最も、赤嘴のメンバーも彼等に負けず劣らずのハロの持ち主の筈なのだが…なぜ理解してくれないのだろうか。
「赤嘴の彼等は明るくパリピな脳筋でノンデリだからねえ」
コトワリの心の中での呟きを拾ったのは盟主の梟だった。家から出てきた彼は、ふわふわと歩み寄りコトワリの袖を掴む。
「話を聞く限り、まだダンジョンの入り口辺りだろうからね。早いうちに謝りに行ってくるよ」
「そういうことなので……失礼します」
頭を下げられた4人は、顔を見合わせて後に続いた。
「赤嘴って強いんですよね?2人だけで大丈夫ですか?」
「必要ならついて行きますけど」
「うーん、まあ、大丈夫だと思うよ」
梟は赤嘴の盟主とも盟主会で顔を合わせているから、なんとなく知っているのだろう。心配するティトンとイロハに笑顔を向け、オフィルに続く扉を開ける。と、部屋の前に天使のような容貌の女が立っていた。
彼女は姿を認めるなりコトワリに飛びついて、泣きそうな声を出す。
「ごめんね、痛かったでしょ?大丈夫?ごめんね!ごめんね…」
謝罪の間も淡く輝くのは、彼女を天使たらしめている、頭上に浮かぶ巨大なハロだ。淡い黄緑色の光が辺りに広がって、瞬間的に、広範囲に効果をもたらしていく。
「うわ!昨日包丁で切ったとこ治った」「足が…骨折が…なお…え?」「あれ?毒消しで微妙に抜けきらなかった毒が…消えてる…」「見てみてティトンー!ささくれが治った!」
騒然とする通りすがりの人々…及びアロの報告の中、我に返ったコトワリが慌てて彼女を止めにかかる。
「ゆあさん…!もう大丈夫ですから、スキル止めて…」
腹部に巻き付き一心不乱にスキルを発動していた彼女…ゆあは、顔を上げてコトワリの両頬を撫で回した。
「ほんと?もう痛くない?跡残ってない?」
「はい、あお、はいひょうふへぶ」
もちもちされながら答えるコトワリの後ろ、見物ついでに顔を出した白羽メンバーがクランルームの扉を閉める。
「今の、彼女さんのスキルー?」
「そう。大抵のものは回復できちゃうし、範囲も広い。SS級のヒーラーだよ」
盟主の解説に「まじか」と感嘆が連なった。
その間に訪れた「天使様」と拝む者、ありがとうございます!と明るく礼を述べる者等、通行人達が去ったところで、コトワリが話を軌道に戻す。
「あの、クランの…赤嘴のみなさんは…」
「知らないよ、あんなやつら」
ぷーんとそっぽを向いて膨れた彼女に、コトワリの後ろからティトンがたずねた。
「えとー、あのさ、コトワリが殴られたとこ見てたわけじゃないんだよね?」
予想外のところから飛んできた質問に、ゆあは不思議そうな顔で答える。
「もし見てたら、そのまま帰したりしないよ?」
「だよね。じゃあどうして知ってるの?」
「ん?コトワリくんが殴られたこと?」
「そう」
ティトンだけでなくみんなが頷いたのを、未だ彼女と仲間を遮ろうとするコトワリ越しに感じたゆあは、ふわっと笑って一息に言った。
「あー、そっか。そうだよねー?普通、いちいち報告してこないよね?分かる、分かるよ?でもね。うちのクランの奴等、みーーんな馬鹿だからさ。言ってくるんだよねー。アイツのこと殴ったったでーって。ほんと、意味わかんないよね?」
「誰が馬鹿だ!あ?」
唐突に割り込んだのは、遠くから駆けてくる二人組の女性。どちらも赤嘴のクラン印を首から下げている。あの距離から聞こえたのか…?と震えるクエルクスをよそに話は進む。
「てか、あんた…盟主になんてことすんのよ!」
彼女達の怒りと焦りの形相からただ事ではないと察しながら、白羽の5人は大人しく成り行きを見守る体勢を取った。対して当事者のゆあは即座に臨戦態勢になる。
「は?こっちの台詞なんだけど」
先程までのふわふわから一変、ゆあが発した氷のような声色に、オフィルの一角が凍りついた。
イロハがチラリとコトワリを見るが、動じた様子はない。少なくともコトワリは、彼女のこの一面を知っているようだ。
ゆあの前までやって来た二人組が、掴みかからん勢いで背後を示す。
「ふざけんなし!早く戻って治せアホ女!」
「そっちで勝手に治したらいいじゃん」
シラケた調子であしらう彼女を、再び遠くから別の声が呼んだ。
「おい、ゆあ」
全員が振り向くと、脇腹を押さえた血まみれの大男がこちらに歩いてくるのが見える。ギョッとするティトンの真横を、赤嘴の女性二人が横切り男に駆け寄った。
「ちょっ…盟主!大丈夫?」
「無理しちゃ駄目じゃん!」
あっというまに両側から支えられた赤嘴の盟主は、赤い短髪に黒い鎧。厳つい体格だが整った顔をしている。背中に背負った大斧は鑑定するまでもなく一級品に見えた。後頭部で後光のように輝く大きなハロも、見事な赤だ。
そんな人間があれだけの怪我を、ダンジョンの外で負っている。話からしてその犯人は…
白羽の面々がゆあを振り向くと、彼女は忌々しげに顔を歪めて冷めた台詞を吐いた。
「なにしに来たの?折角綺麗な床が血で汚れるじゃん…あ、この前両足ブチ切れてたよね?そっちにしといたらよかったかー」
内容は元より穏やかな笑顔が怖い。意味も分からず身震いしたクエルクスがコトワリに耳打ちする。
「どういうことだ?」
状況と言葉に対する質問に、コトワリは困ったように答えた。
「彼女は…なんといいますか。その個体が一度経験した怪我も復元……つまり、「回復」できるんですよ…」
成る程、と隣で聞いていたティトンが納得し、恐怖する。ダンジョンでは生かすも殺すもヒーラーの機嫌次第……とは上級者ならよく聞く言葉だ。ゆあのスキルは顕著にその最上位に君臨しているのかもしれない。
ひっそりと身を縮めるギャラリーを無視して、赤嘴の揉め事は続く。
「盟主のお気にだからって調子に乗りやがって…」
「調子にのったのはそっちでしょう?私の大事な人を傷つけて…絶対に許さない」
「それを言うならあんただって!私らの大事な盟主をこんなにしたじゃん」
「あのさ、報復って言葉知らないの?馬鹿なの?死ぬの?」
「まあまあ、落ち着きなさい」
2対1の罵り合いに割って入ったのは梟だった。子供の姿ながらに圧のある彼を前に女性陣が黙ると、梟は赤嘴の盟主を見上げて不敵に笑う。
「うちの子がなにやら世話になったみたいだね」
「梟…テメエ」
温度差のある睨み合いは数秒続いたが、渦中にいる筈のコトワリは綺麗に無視されていた。眼中にないのだろう。察した梟が早々に話を切り上げる。
「喧嘩を買うつもりはないよ。君が彼女に謝れば済む話だ」
梟は言いながら、赤嘴の盟主とゆあの間から一歩引いた。相手が変わっただけで、険悪さは継続する。
赤嘴の盟主から謝るつもりはなさそうだ。そして引くつもりも。ゆあははなから理解しているのか、呆れたように条件を出す。
「梟さんにも、白羽のみなさんにも、今後一切出だしはしないって誓うなら戻ってもいいよ?」
「はぁ?」
すかさず左側の女性が食って掛かるのを、赤嘴盟主が遮って答えた。
「分かった」
「盟主!なんでこんなやつ…」
右側の女性が悔しげに食い下がる。鼻で笑うゆあを手のひらで示し、梟が口添えした。
「彼女がいなければ君たちの探索は厳しいものになる。それは間違いないだろう?もう少し大事に扱ってあげてほしいものだね」
その言葉を聞いて、ゆあが密かに恐縮するのに白羽の5人が気付く。しかし赤嘴の3人は構う様子もない。梟にあからさまに嫌な顔を向けた。
「大事にしているさ。貴様等には到底できないようなもてなしをしている」
血まみれの手を布で拭い、なにかを取り出した赤嘴の盟主は、ゆあの目の前に拳を突き出す。促されて手を出したゆあの手に降り注いだのは、大量の金貨だ。
「報酬が不服なら上乗せしてやる。早く治せ。時間が惜しい」
高圧的な態度と、上からの物言いと。
手から溢れそうな金貨を見据えたまま、肩を震わせていたゆあの顔が上がる。
「タヒね!」
汚い言葉と共に景気よく投げつけられた金貨が、赤嘴盟主の顔に直撃し、いくつか張り付いた。それでも動じず顔を歪めただけの彼に、ゆあは人差し指を突きつける。
「そんなものいらないから約束しろ!誓え!」
低い声で命令され、不機嫌ながらも赤嘴の盟主はため息を吐いた。
「チッ…気難しい女だ。分かった、手を出さなきゃいいんだろ?」
「手だけじゃない。どんな危害でも、加えたら赤嘴は抜けるから」
「……は?」
一瞬にして空気が変わった。重苦しく、上からのしかかるような。確かな圧力を感じて、殆どの人間が身を縮めざるを得ない中、ゆあは堂々と相手を睨みつけている。そして一番小柄な梟も、いつもと変わらぬ表情で息をついた。
「全く、メンツが大事なのは分かるけどね。少しは大人になりなさい」
「ガキに言われたくない」
「そうかい?ならなおさら、ゆあちゃんとの約束は守らないとねえ?それさえできれば彼女という最上級のブランドは、君達に手を貸してくれるんだから」
「貴様等が出し抜かなければな」
「そんな心配をしていたのかい?呆れたねえ」
圧を軽くいなした梟は、続けて穏やかに説明する。
「私達はたった6人の小規模クランだよ。彼女のような高級品を受け入れるには勿体ない。それに例え彼女がいようとも、君達赤嘴が挑むようなダンジョンを攻略できるほどの力はないさ。残念ながらね」
確かに。悔しいが、実力も手数も足りない。特に最難関ダンジョンにいるレイドのような強敵とは縁が無いくらいだ。
白羽メンバーが揃って頷くのを横目に、それでも赤嘴盟主は忌々しげに梟を見下ろす。
「疑わしいな。貴様が動けば容易いだろう」
「いやー、君達みたいなのが暴れるから。盟主会が忙しくてね」
成る程、いつもおどけて躱しているのか。梟の様子から、白羽の全員が2人の盟主の関係性を察した。
赤嘴盟主は舌を打ち、ゆあに疑問を投げる。
「こんな富も力も無い奴らに構ってなにが楽しいんだ」
「はーー」
ため息が深すぎて言葉になるほどに。吐ききったゆあは、心底呆れた声で返答した。
「説明したところであんたらには一生わからないよ」
その後何度か念を押し、赤嘴の盟主を回復したゆあは、3人を先に返して頭を下げた。
「ご迷惑おかけしました」
謝罪を受けた白羽メンバーは、盟主を筆頭に「いやいや、とんでもない」と両手を振る。その様子を朗らかに眺め、ゆあは最後にコトワリに向き直った。
「本当にごめんね?帰ったらもう一回治癒するから、いい子で待っててね?」
頬を優しく撫でられたコトワリが「もう治ってますよ…」と小さく呟くのに構わず、ゆあは大きく手を振って去っていった。
残された6人は見送るコトワリを待って部屋に戻る。
「しかし…あんだけ仲悪そうなのによく居着いてるな…」
「彼女も目的があってあのクランにいますから」
クエルクスのぼやきに、なんとも言えない表情のコトワリが答えた。その下から梟が不穏を注ぐ。
「それにね、赤嘴に彼女が居てくれるうちは大人しくしているだろうけど」
背中に怖気が走ったのか、ティトンは腕を擦りながら空を見上げた。
「抜ける…って言った時、空気変わったもんね…」
「コトワリ…もしかしなくとも責任重大だな?」
「えっと…ぼく、なにもできませんけど…」
茶化すでもなくイロハに背中を叩かれ、ぽかんとするコトワリを置いて4人は会議に戻る。
コトワリは謝礼ついでに盟主の手伝いをするようだ。今日のノルマは2階の廊下の雑巾がけだとかなんとか。
「しかし…あのスキルは凄い上に…………恐ろしいな…」
飲みかけだったマスカットソーダを飲み干して、クエルクスが目を細めた。その淡い緑から情景を思い出してティトンも頷く。
「コトワリのこと、あんまり死なせないように気をつけようね…」
「痛いのやだもんねー」
アロは朗らかに笑うが、内容を考えるととても笑えたものではない。
「そう怖がらずとも。コトワリが白羽《うち》にいる限りは心配無用じゃないか?」
イロハが軽く肩を竦めれば、複数の同意が返ってくる。今日の抗争がどこまでバーサク状態だったのかは、後ほどコトワリに聞いておいたほうがいいかもしれないね…とだけ結論づけて。
翌日ダンジョンから戻った4人が、コトワリの「赤嘴とゆあさんはあれが通常営業ですよ」という言葉に絶句したのは、また別の話。
【エデン】「恋の話はコタツの中で」 - あさぎそーご
2025/02/03 (Mon) 17:26:50
華やかなマス目が天国と地獄を突きつける。
1人《《ふりだし》》に戻された自分のコマを見下ろしながら、コトワリは白羽《クラン》の仲間、イロハに言い渡される。
「じゃあ、恋バナなんてどうだ?」
あからさまに顔を引き攣らせた彼は、おお!という歓声と好奇の目に囲まれた。
「なんの罰ゲームですか」と言いかけて、コトワリは固まる。何故ならこれは正真正銘、今しがた負けた勝負の罰ゲームなのだから。
1年のはじまりはクランルームでまったり…という名の怠惰に身を任せたのが午後1時頃。折角だから親睦を深めてやろうと、はじまったのは《《すごろく》》だった。
1時間を経て。
一着であがったアロがマス目を読んで謎にPIYOを配る。彼は持ち前の運で開始早々好調な滑り出し。あれよあれよと億万長者に上り詰めた。これが無欲の勝利か…と羨望の眼差しで見つめるばかりである。次点のティトンが的確におもちゃの札を数えて配ったり巻き上げたりする係り。彼は運もあるが堅実な運営で着実に稼いだ。途中、芋に飛びつきさえしなければ逆転もあったかもしれない。
3位にクエルクス、4位にイロハ。どちらも順当に、それなりの山あり谷ありを経て、それなりの札束を持って終着点に辿り着いている。
一方コトワリは中盤で見事に最悪のマスを踏み、一億の借金を抱えたままスタート地点に戻ったところだ。なにを隠そう、今回の盤は一番稼いだ人が勝てるすごろく。唯一店を経営しているアドバンテージを活かすこともなく、惨敗も惨敗。呆然とする他にできることも見当たらない。
そもそもつい先ほど、おみくじいりのお菓子から《《凶》》を出してアロとティトンに「珍しい!凄い!」と賞賛されたばかりだというのに。
思わずため息を吐いたコトワリの目の前でいそいそと片付けがされていく。小ざっぱりしたコタツの上に置かれたのはミカンと湯飲みだ。朝からちまちま食べ続けているのに、まだ食べるのだろうか。ついでに蒸かし芋まで乗った辺りで催促の視線が飛んでくる。
誰が罰ゲームなどと言いだしたかは最早分からないが、同意の上での勝負であったことは確かだ。
イロハの提案は、クリスマスイブに花選びを手伝って貰ったことからくるものだろうと納得もできる。
恋の話で、コトワリが覚えている範囲でとなると、《《彼女》》の話の他に選択肢はない。
しかしなんともバツが悪く、コトワリは湯のみを盾に舌を出した。
「そもそもきみたち、色恋沙汰など興味がないでしょうに…」
「そんなことないよ?だってコトワリ聞いても教えてくれないし」
「相手の名前すら知らんな」
どことなくニヤニヤと答えるティトンとクエルを見て、コトワリは苦々しい顔になる。
「つまり、からかいたいだけじゃないですか」
「はは、まあ、罰ゲームだからな」
イロハが朗らかに指摘すると、更に顔が渋くなった。ハロが潤沢な今、自分の毒舌には期待できない。そもそも毒期でも言い負かされることがある彼等に、反論するだけ無駄だ。
悟ったコトワリはコタツに潜ってやり過ごそうとしたが、橙に輝く視界に仲間たちの顔が次々と割り込んでくる。
「逃さんぞー」
「コートーワーリーさーんー」
「観念しろ?はよ吐け?」
「大丈夫、盟主さんにカツ丼作ってもらお」
大の大人が5人揃ってコタツに頭を突っ込んでいる奇妙な状況。ハタから見ればどんなに滑稽だろうか。台所で盟主会に差し入れするおせちを詰めている盟主に見つかって、温く笑われでもしたら目も当てられない気がする。というか。
「新年早々こんなホラーなこたつは御免被ります」
じわじわと根負けしたコトワリが顔を出すと、コタツから沢山の足が生えている明らかにおかしな光景を目にしてしまい頭を抱えた。
その間にもいそいそと元の体勢に戻りゆく仲間たちを待たず、ため息と共に吐き出す。
「そもそも彼女とは、便宜上恋人という体になっているだけで、本当に付き合っているわけではないんですよ…」
独り言のような自白が短い沈黙を呼んだ。
意味がわからない。全員が同じ意図の表情でコトワリを見据える。
「それ、本気で言ってるの……?」
「節穴かよ……」
「ねー?妖怪フシアーナだねー」
「は……どういう意味ですか…」
「そのままの意味だ」
最後にイロハが答えると、コトワリの首が小さく傾いた。
「というかみなさん、彼女のこと知らないのではなかったんですか??」
「知らないよ?でも分かるよ。ねえ?」
ティトンが隣のクエルクスに振る。他3人からも視線を受けて、彼もまた頷いて答えた。
「この前偶然会った時だって、オマエが背中に隠したせいで顔すら見てないが?それでも分かったぞ?嫌でも」
「分かったって…なにがですか?」
人差し指を向けられたコトワリの首が更に傾くのを見て、全員が呆れた顔になる。そして全員気づいた。
こいつ、アホほど鈍感だと。
それほどに、コトワリの彼女の態度はあからさまだった。顔が見えなくとも声色や仕草だけで分かるくらいには。
「ちゃんと紹介してよ」
「駄目です」
身を乗り出すティトンから顔をそらすと、今度はアロと目が合った。
「なんでー?紹介したくない理由くらい教えてよー」
「そうだぞ、恋バナだからな」
更に首を回すとイロハに言われ、最後に向いた先ではクエルクスに睨まれる。視線すら逃げ場がなくなったコトワリは、コタツに伏す勢い任せに答えた。
「一目惚れでもされたら目も当てられないじゃないですか!」
当人の必死さは、残念ながら伝わらなかったらしい。ティトンがぽそっと感想を零す。
「惚気だ……」
「あーー…ね」
同意したアロ共々温い笑みを注がれて、しかし否定できなかったコトワリは、引き続きコタツの天板に向けて言葉を発した。
「彼女がきみたちに一目惚れする可能性だってあるんですよ?新年早々振られでもしたら……死んでしまいますから」
本当に死ななくとも死にたくなる。それは本心なのだから、分かってくれるはずだと期待するも返ってくるのは呆れた呟きばかり。
「ありえん…」
「節穴だぁ」
「フシアーナー」
「うん、全く心配ないと思う」
仲間たちの反応に一人困惑する彼の後頭部に蜜柑を積みながら、最後にティトンが核心を突く。
「っていうか、そこまで好きならちゃんと付き合ったらいいのに」
4つ、蜜柑を乗せたまま動かなくなったコトワリの耳がじわじわと赤くなった。どの単語に反応したのかは分からないが、こちらもこちらで分かりやすいことこの上ない。
揃ってにまにまと蜜柑を剥いていると、コトワリは長いため息の後小声でこぼした。
「きみたちは身内だからです」
「は?」
「ぼくのこと贔屓目に見てくださってるからそう言えるのでしょう。実際並んで歩いていても、そんな風に見る人はいやしませんよ」
事実、彼女の方がそこそこ有名なこともあって「従者さん」とか「お手伝いくん」とか、ひそひそされることしかない。
「まあ、確かに。ハロ格差で見る輩は多いか」
「えー?じゃあ諦めちゃうのー?」
「諦めたくはないです」
「なら、さっさと打ち明けちまえよ面倒くさい」
アロに揺すられ、クエルクスに深ーーいため息をつかれ、コトワリは渋々本心を口にする。
「もう少し、自信がついたら、そうするつもりです」
おお!と短い歓声が上がった。しかしすぐにティトンが気付く。
「そのもう少しって、ものすごーく長かったりしない?」
「そうかもしれませんね」
「具体的に目標でもあるのか?」
「まさかS級ー?わーおー」
「ちが…作りたいポーションがあるんです」
「お?」
「それができたら、ってこと?」
未だコタツに伏したままのコトワリを覗き込むティトンとアロ。観念して肯定した彼の頭上に、次々と明るい声が落ちた。
「へー。いいじゃん?」
「オレ、手伝うよー?」
「ダンジョン探索しながら素材集め!一石二鳥…いや、もっとかな?」
「まったく、世話の焼ける…だがまあ、それなら去年とやる事は同じか」
ぐるっと一周した感想に、コトワリが顔を上げたところに幼い声が割り込む。
「おやおや、なにやら話がまとまったようだ」
風呂敷に包まれた重ねに重ねた重箱。包まれていない5段をコタツに置き、広げるのは我らが盟主だ。
色とりどりのおせち料理が詰まった箱は視覚的にもおいしい。全員が感嘆と感謝を述べると、幼子姿の盟主、梟は立ち上がって言った。
「改めまして。今年もよろしく、諸君」
沢山お食べ、と去ってゆく背中を見送って、一同は仕切り直す。
「これ食べたら早速行く?」
「いえ、さすがに今日はもう…」
「折角だ。他にもいくつか抱負を出してだな…」
「オレ、新種のPIYO見付けたい!」
「忘れないようどこかに書いとくか」
だらだらと時は流れる。これぞ正月というものだ。
罰ゲームが無事終了したことに安堵するそばから、無茶な抱負による新たな苦難が訪れることを、彼はまだ知らない。
【エデン】「強化ポーションとA級試験」① - あさぎそーご
2024/11/04 (Mon) 19:53:03
シノノメ石
カロル鳥の卵の殻
テルローの精製水
透明の果実
淡色のカスミ
それぞれ適量を液体にして小一時間精製
完成した薄緑色の液体は……
…………
馴染の鑑定士の言葉が頭の中で反芻する。
軽くなった財布に反して鑑定屋のドアは確かに重かったが、いつもと違って苦もなく外に出られた。
無意識に早足になってしまうのも仕方がない。
しかし決して走ることはしなかった。
割ってしまったら台無しになる。
帰ったらすぐに試したい。
いや、駄目だ。今、この高揚感で「駄目だ」と分かってしまっては、もう立ち直れないかもしれない。
それならば。
「少し、試して頂きたいポーションがあるんですが…」
昼食後にはダンジョンだ!と準備に追われるクランのリビング。入口で控えめに片手を上げるコトワリを、下からアロが覗き込む。
「コトワリさん、笑顔がこわーい」
「また怪しいもん持ってきやがったのか?」
「いや、ちょ…信用なさすぎやしませんか…」
続くクエルクスの軽口に、更に口を歪めるコトワリをイロハが宥めた。
「まあまあ、ただの冗談だろ?で、どんな効果なんだ」
「……その、そんなに期待はしないで頂きたいんですが」
「うん?」
準備の手を止めずに頷き首を傾げるティトンと、同じように自分に注目する仲間達を見渡して、コトワリは背中に冷や汗を伝わせる。
「………とりあえず、鍛錬の間に向かいませんか?」
「えー?でもこれからダンジョンに潜ろうとしてるし、そこで試したらよくない?」
「それはまあ、そうしたいのもやまやまなんですが…」
不満気なティトンをなあなあにかわそうとすると、横からクエルクスが訝しげに言った。
「やっぱり怪しいもんなんだろ?」
「違います。どちらにせよ効果を確認してからでないと危険な気がして…」
「危険な」
イロハが不安な顔をする。コトワリは目を背けて抗議した。
「……そんな目を向けないで頂きたいですし、PIYOを積むのもやめて頂きたいですし…」
頭の上から聞こえる鳴き声と、アロの落とす影とを交互に認識し終え、顔の前で手を合わせる。
「その、お時間は取らせませんから」
物理的に頭を下げられないせめてものポーズとして。
「で?なんの効果があるのさ」
到着した鍛錬の間。円陣を組んだ中でティトンがジャガイモをかじりながら問う。
「………、………か」
「あ?」
「ですから。仮に上手く出来ていれば、の話ですけれども……」
「うんー?」
クエルクスとアロが耳に手を添えて近づいてくる。コトワリは深呼吸の後、やっとのことで一息にハッキリと告げた。
「……スキル強化です」
盛大な間。
目を泳がせるコトワリに、いち早く詰め寄ったのはティトンだった。
「えー??それって凄くない?確かお店でめちゃめちゃ高く買い取って貰えた記憶があるよ??」
「希少性も高いな?」
「高レベルクランが買い占めてじゃぶじゃぶしてるやつー?」
元々前のめりだったクエルクスとアロも距離を詰めてくる。コトワリは一歩下がって両手を前に出した。
「ですから、あくまでも上手く出来ていればの…」
「つまりコトワリ製なのか」
イロハが呟き、コトワリが否定しないことで場のテンションがぶち上がる。
「おおーー!すごーーーい!」
「試そう試そうー、オレ、地面バーンって割りたい」
「ちょ」
「どうしよう、僕のスタンプから超強力魔法が??」
「あの」
きゃっきゃとはしゃぐ2人は、コトワリが握っていた薄緑色のポーションを持って天に掲げた。あまりの素直さに、口をぱくぱくさせる彼の肩をイロハが叩く。
「コトワリ、自分でも使ってみたんだろう?」
「いえ、まだです」
「……は?なんで」
「…………色々あるんですよ…すみませんね、脆弱なもので」
絶句したクエルクスにいつもの言い訳をすると、短いため息が連なった。
「……まあ、ならアイツらに…」
クエルクスの言葉はパキッという重く高い音に遮られる。振り向いた3人は、洞窟の奥に続く水路が見渡す限り凍っているのを視認した。
「アロ、凄い…」
「ビックリしたー!スケートできるねー」
「おい、はしゃぐなガキ共……あー、なんだ。成功だろ?あれ」
「おめでとう、コトワリ」
水路の上をつるつるするティトンとアロ。見張りながら、振り向き気味にクエルクスが問い、答える間もなくイロハが祝う。
しかしなんとも言えぬ表情を浮かべるだけのコトワリの空気に、全員が首を傾げた。
「?どうしたの?コトワリ、嬉しくないの?」
「いえ、嬉しいですよ」
遠巻きに顔を覗き込んでくるティトンに近寄り、コトワリは氷に触れる。2人が乗っても割れる気配もない、しっかりした凝固。本来アロは、自分の掌が触れている範囲にスキルを発動するが、一度の発動で水路は奥まで氷結した。
そこまでハロの大きくないアロが、これだけの水を凍らせてもぴょんぴょんしていられるということは、コトワリの作ったポーションが「少しのハロでスキルを強化できる」証だ。
ハロはよく水の流れに例えられる。
ハロが大きければ沢山水が入り、小さければ貯めておける量も少ない。
コトワリは常日頃ハロが切れぬよう、細く長く使っているが、蛇口を最大まで捻ってしまえば消費は一瞬。しかも効果も小さく、一瞬とはいえフラスコ2つ分精製するのが精一杯だろう。
スキル強化ポーションの不安点がなくなったことを説明すると、4人の声がまた明るくなる。
「これで戦術の幅も広がるな」
「潜れるダンジョンも増える!すごーーい!楽しーーい!」
はしゃぐイロハとティトンを前にしても、手放しで喜ぶ気配がないコトワリを横からアロがつついた。
「量産できないとかー?」
「いえ、まあ…でも、きみたちの協力があればある程度は作れますよ」
「ほー?ハロが足りないか」
「少しずつ精製すればいいので…心配するほどではないです」
「なら…」
クエルクスの茶々の後、ティトンが口を尖らせると、コトワリは真面目な顔を無理矢理笑わせる。
「ぼくにできるかどうか…という話です」
実は冒険者には【ランク】が存在する。
試験に挑んでランクを上げなければ、立ち入れないダンジョンもあるほどには重要なものだ。
現在のコトワリはB−ランク。【仲間にAランク以上が数人いること】を条件とするダンジョンに、付き添いで参加させて貰っている状態にある。
端的に言うと後ろめたいし、彼が【Aランク】になれば更に潜れるダンジョンが増えるというわけだ。
そもそもコトワリのスキルでAランク以上のダンジョンに挑むのは無理な話で、付き添い以上のものにはなれない時点で申し訳無さの限度は超えているのだ。
つまりスキル強化ポーション精製は、コトワリの念願と言っても過言ではない。勿論他にも念願の精製品はあるのだが、それに必要な高ランク素材を集めるためにも一番に成功させたかったのがこれである。
何故なら味方の強化、貢献は勿論のこと。
コトワリ自身のスキルも強化が見込めるのだから。
<<つづく>>
Re: 【エデン】「強化ポーションとA級試験」② - あさぎそーご
2024/12/07 (Sat) 13:24:09
その日はそのままダンジョン探索に挑んだ。
スキル強化ポーションの予備はなかったので、本来の予定通り順調に進み、目的を達成するなり帰路につく。
クランルームに戻ると、風呂やらなにやらを済ませ、盟主特製の夕飯にありつき、疲れからそのまま解散となった。これ幸いと、残りのハロを全投入してスキル強化ポーションを2つ精製したコトワリは、力尽きてベッドで気絶する。
ティトンによって話題が掘り返されたのが翌日の昼時。
「コトワリってヒーラー枠は駄目なの?」
コトワリが昇級試験を受けるつもりだと話すなり仲間たちは背中を押してくれたが、Aランクともなると職業毎に試験も分かれていて、クリアできそうな職種を選ぶところから難題だ。コトワリはサンドイッチを飲み込んで伏せ目がちに答える。
「ヒーラーの合格条件は【10人以上のパーティーを死なせることなく1時間耐久する】でして…持っていけるポーションだけではもたないんですよ」
「ああ、確か条件に「1日以上背負っていられる量のアイテムのみ持ち込み可」ってのがあったな」
「すみませんね、脆弱なもので」
責められたわけでもないのにクエルクスの眼光から逃げたコトワリの視線を、イロハがゆるく追いかけた。
「濃縮ポーション薄めて使うとかも無理なのか?」
「①「戦闘中に一滴ずつ使ってください」という指示は基本無視されます。それどころではないですからね。②予め水に混ぜて薄めておく…という手段は、環境下によっては使えません。ティトンさんのような便利な方が必ずしもいるわけではないので」
「そっか。僕達とならできても、他のパーティーでもできなきゃ駄目ってことか」
難しいね、とティトンが呟くのにコトワリも頷いて答える。それぞれが唸る中、イロハが話を繋いだ。
「そうなると…やっぱりサポーターか。どんな試験だっけ?」
「自分をターゲットとする敵複数体を、味方をサポートしながら倒す」
手元の説明書を読み上げたコトワリは、それぞれが内容を飲み込む間にアールグレイティーを一口。ほっと息を吐いた後にティトンが口を開く。
「うん…うん…なるほど。味方はコトワリのことサポートしてくれるんだよね?」
「いいえ。分かりません」
「えっ」
「パーティーはその日集まったB級以下のアルバイトらしいな」
クエルクスが答えると、ティトンがジャガイモ片手に額に手を当てた。
「即席かぁー」
「まあ、条件は他の役職も同じだがな」
「アタッカーは魔獣の単独撃破だから知らなかったよ」
「つまり、コトワリさんは自分で自分を守らなきゃなのかー」
アロが朗らかにドーナツを齧るのを横目に、イロハが小さく肩を竦めて問う。
「とはいえ、事前に打ち合わせくらいは出来るだろ?」
「5分だけな」
「5分かぁ…」
「ポーションの説明だけでいっぱいいっぱいですよ」
「誰か一人盾になってもらうとかー?」
「味方殺しちゃ失格だろう…」
「厳しいなぁ」
「あ゛?試験で死人出す方が問題だろ?」
会話が一周すると、そこにはため息だけが残された。それぞれが咀嚼しながら横目にコトワリを見据え、一番先に口を空にしたクエルクスが問う。
「で?勝算は?」
もう一口食べようと開けていた口を一度閉じて、コトワリは思案してから答えた。
「午前中…思いつく限り全て試しましたが」
会話の間も彼の左手はポーションを精製しているらしい。残りのサンドイッチを口に押し込む右手頸で、ピンク色のハロが淡く輝いている。
「3割…ってところですかね」
短い間。なんとも言えない空気を吹き飛ばしたのは、皿に山盛りだったジャガイモをいち早く平らげたティトンだ。
「じゃあ、特訓だね!」
立ち上がり、にこやかに手を差し出されたコトワリは、口の中の物を処理しきれぬままおかしな声をだす。
「は?」
それは抗議にも近かったが、他4人の意見が一致してしまっていたため、あえなく無視された。
片付けを終えるなり庭に引きずり出されたコトワリは、仲間に囲まれて居心地悪そうにする。
「さあ、さっさと見せろ。やれ見せろほれ見せろ」
クエルクスが急かすと、諦めたのか覚悟を決めたのか、舌を出してから片手を広げた。
「ではまず、ポーションを飲まずに説明しますと…」
「御託はいい。やってみろ」
遮ったクエルクスが示したのは練習用のマトだ。コトワリはとぼとぼと背を向けて指定位置に付く。
カバンからフラスコを出し、指先で中身を宙空に浮かべてマトを狙う動きをした。4人がおお!と見守る中、コトワリが放った(??)水はへろへろと移動して地に落ちた。その間、実に10秒。
「………」
「………コトワリ?」
「笑ってくださいよ。これが僕の全力です」
「なにがしたいのか分からんが?」
「だからご説明しますといったじゃないですか最初に…はぁ…」
盛大なため息と共に仲間の輪に加わったコトワリは、先程のフラスコを持ったまま話を始める。
「ぼくのスキルは精製。そのおまけとして多少水属性があるらしく、水を操ることはできます」
「知ってる」
「お茶、おいしーよ?」
「はい。普段紅茶を淹れるのに大変役立ちますね」
「戦闘にはつかえそうにないが?」
「ですから…」
情けなさに膝をつきそうになるのを堪え、コトワリは自作のスキル強化ポーションを飲んで言った。
「せめて速度を上げられないか、試してみました」
もう一度同じ位置に立ち、同じ動作で指先に浮かせた水を誘導する。先程とは明らかに、水の流れが違う。コトワリの指に吸い寄せられるように、後ろに流れ、勢いを付けて前方に放たれた。
「おー」
「イロハの矢ほど速くはないけど」
見事水が命中したマトを見物しに走る3人。最後に到達したクエルクスがくるくる見回して苦言を呈す。
「威力も足りんが?穴どころか凹みもしてないぞ」
「そこはその、練習中ということで…」
ギクリと目を反らしたコトワリは、背後で顎を擦るイロハに気付いて舌を出した。
「でもその水がポーションだったら」
「あ」
イロハがコトワリのビーカーを示して呟くのに、ティトンがハッとして手を叩く。
「毒、やだー」
「せせこましいな」
「ええ、ほんとうに。嫌になるくらいではありますがね」
逃げるように駆け回るアロと、頭を掻いて苦笑するクエルクスと。2人の反応にため息を吐くコトワリを見て、ティトンが両手を拳に変えた。
「よし、木や岩、貫ける威力にできるようがんばろ?コトワリ」
「いえ、流石にそれは」
「スピード重視ならいけるんじゃないー?」
「誤射したらどうするんですか」
「練習ならいくらでも付き合うぜ」
「いくらでもは困りますから」
「ハロが持つ限り働け?」
満面の笑みで向かってくる4人から逃げられるはずもなく。
コトワリはその日、3回ほど気絶した。
<つづく>
Re: 【エデン】「強化ポーションとA級試験」① - あさぎそーご
2025/01/02 (Thu) 12:08:44
3週間後
コトワリは毎日2度の気絶を経てどうにかスキル強化ポーションを使いこなせるようになった。全て逃げ出そうとする彼を代わる代わる捕まえて、特訓場まで引きずり戻してくれたクラン員達のおかげである。
「じゃ、最終調整しよっか」
明るく言うティトンを筆頭に、4人の仲間と盟主までもがコトワリを囲んだ。
特訓に加えて毎日ポーションを作り続けていたせいで、体力もハロもカツカツ、どことなくぐったりげんなりした様子の彼が定位置に付く。
「まずは威力と速度。最大に調節しろ?」
クエルクスの指示。コトワリは頷くでもなくポーションを飲むと、カバンから試験管を出して指先で水を操る。試行錯誤の結果、ビー玉大の水滴を、サイドスローで投擲する形に落ち着いた。
左手で作業を行うコトワリの右手で、ハロが淡く輝く。音もなく飛び立った水滴は、小さな音と共にマトに命中。
「まずまずだな」
頷きながら、クエルクスが確認する。木材を貫通とまではいかないが、柔らかいものにならそれなりのダメージは与えられそうだ。速度もそこそこ。ただし、スピード重視の相手には通用しない可能性が高い。
「手に馴染めばもう少し出そうだね」
「今回は試験対策ってことで、コントロールに振ったからな」
ティトンとイロハも笑顔で頷く中、静かに見守っていた人物がすっと立ち上がる。
「では、魔獣役は私が引き受けよう」
盟主直々となれば全員が緊張するしかない。
小柄な盟主がてとてととマトをどかし、庭の中心に付く。彼はいつもの柔らかさを纏ったまま不敵に微笑むと、その姿を変貌させた。
真っ白で巨大な虎に。
ただ佇んでいるだけなのに、威圧に満ちた様相に一同が竦み上がる。傍らでPIYOを追いかけていたアロも、感嘆ながらに寄ってきて同じように固まった。
「みなさんは手を抜いてくださいよね。馬鹿みたいに強くちゃリハーサルにもなりませんから」
ここまで付き合わせてしまっているのに、毒が回って口調が強くなるのが多少心苦しいらしい。口数が少ないコトワリが言葉を発すると、軽い返事が木霊する。
ルールは簡単。
コトワリは練習用のインクを使い分ける。赤が攻撃、青が回復、黄色が支援だ。心配することなかれ。水溶性の顔料を使っているので、洗濯と風呂で簡単に洗い流せる。
盟主の額に赤インクを当てたら勝ち。因みにコトワリの全力水鉄砲を喰らった盟主の感想は「くすぐったいねえ」だったので、こちらもご安心頂きたい。
特訓しながら各々が考察した結果、一番大事なのは誤射をしないことだと結論づけた。今回の試験で共に戦うのは即席メンバーなので、特別神経をつかうことになる。
練習途中、勿論回復枠も考えた。指先から直接かけられるなら、前もって味方に瓶を渡さずとも、コトワリ自身が凝縮ポーションを薄めて使うこともできるからだ。しかしそれでも、味方の被弾次第で耐久時間も大きく左右される。それならまだ、サポーター枠に分があるだろう。
「コトワリさーん、準備おっけー?」
屈伸がてらアロが尋ねた。コトワリが頷くと、先頭のティトンがハンマーを構える。
「それじゃ、盟主さん。お願いします!」
全員が配置につく。盟主はその様子を満足気に眺めた後、咆哮で答えた。
それだけで身体が痺れる。冷や汗が伝う。こんな簡単な試験の練習には勿体ない相手だと、コトワリは改めて思った。しかし戯言を言っている場合ではない。
早速駆け出したティトンが白虎の足元に印を打つ。その頭上に迫る肉球をクエルクスの盾が防ぎ、2人は弾かれるように後退した。
全員、いつもの数倍動きが鈍い。あからさまなような気もしたが、恐らく本気を出されたら部屋がもたない。盟主は1割も出していないだろう。
「コトワリ、指示出し」
「そうでしたね…」
このクランにいる限り、余計な指示を飛ばす必要などない為慣れやしない。ため息で愚痴を払い、コトワリは顔を上げた。
「ティトンさんは横から攻撃、クエルさんは正面を。アロさんは後ろに回って下さい。イロハさんは全体のカバーを」
因みに練習中、イロハの千里眼《スキル》の使用は一切禁止だ。サポーターになるなら戦術も学ぶべきなのだろうが、今回は仕方がない。そもそもやることが多すぎる。キャパオーバーもいいとこだ。
コトワリが疲労で回らない頭を持ち上げると、盟主の身体が左右に揺さぶられる。よく見るとその背中にはアロがはりついていて、更には幸せそうに叫んだ。
「もふもふだー!」
「アロ、ずるーい!」
「おーい、みんな、真面目にな」
気持ちは分かるが…とイロハが呟くと、クエルクスもやんわり注意する。かくいうコトワリも責める気にはなれなかったし、もふられている盟主も楽しそうだ。
肩の力が抜ける。これは白羽のいいところでもあり。悪いところでもあるが、今回は前者だろう。
仕切り直し。
緊張で硬かった腕を広げて黄色のインクを飛ばすと、ティトンのギアが少し上がった。
走りざま、先程打った印に魔力を注いで発動させる。見事な火柱が空に上った。クエルクスが慌てて叫ぶ。
「こらティトン!火は禁止!雷もだ!」
「やばば」
髭を焦がしかけた白虎がアロを伴い後退する間にも、草原への引火をティトンが水で鎮火した。
今回、ダンジョンまでの移動時間を惜しんで庭を使っているため、初めての事態に加減が分からないのだ。
それすら愉しむように再び立て直し、構える。
背中から離れて背後に立つアロと、正面のティトン、左横のクエルクス。最後に右側のイロハとコトワリを、盟主の瞳が見渡した。
360度警戒を怠らない様子に、場が暫く硬直する。
じりじりと、それぞれが横に数歩移動した辺りでイロハが矢をつがえた。それを合図に3人が距離を詰める。
白虎は向かい来る全てを身体の回転で薙ぎ払い、追加で放たれた矢を器用にも手足で地に叩き落とした。その間数秒。狙いなど定まるわけもなく、コトワリは構えを緩める。
一番最初に着地したクエルクスが右前脚の標的になった。盾を発動しながらも弾かれた彼に青インクを飛ばす。
その間、着地からカウンターを狙うティトンにアロが便乗した。頭上からティトン、尻尾側にアロ。左正面では立て直したクエルクスが地面を蹴る。
3人の動きを認めた盟主は頷くように鳴いた後、全員の視界から消え失せた。
「な……??」
影が落ちる。見上げると白いもふもふが空の光の中に浮いていた。
跳躍。高い。
3人が攻撃から退避へ体勢を直した数秒後、白虎の着地と同時に地面が鳴き、震えた。サイズが違えば毛玉で遊ぶ猫のようだが、笑えないほど恐ろしい。
クエルクスなら、盾のスキルを駆使して間合いをつめる筈だ。ティトンならその背中に印を描くかもしれない。アロなら地面を砂にして時間を稼ぐだろうか。イロハなら時間をかけてでも千里眼で弱点を見つけられる。しかし今回はそうはいかない。コトワリ自身が隙を見出し、やり遂げなければならないから。
「同時攻撃は無駄です。一人ずつ、順番に!」
地面に転がりながらコトワリが告げる。反論がないことを不思議に思い、立ち上がった頃には指示通りに盤面が動いていた。
まずはクエル、弾かれたところに後ろからアロ。盟主が気を取られた隙に横からティトンが水を、次に上からイロハの矢が降る。
コトワリは自分が白虎の死角に入ったのを確認し、気づかれないよう構えた。上を向き、矢を弾く。次に正面のクエルを沈めて。
振り向いたところに…
狙いを定めた赤インクが盟主の額に当たった瞬間、ベンチで時間切れのタイマーが鳴り響いた。
Re: 【エデン】「強化ポーションとA級試験」① - あさぎそーご
2025/01/24 (Fri) 09:35:07
「杖のハロ、満タンにしてあるんだろうな?」
「言われた通り、ちまちま貯めましたよ。せせこましくね」
クエルクスにマフラーを締められながら答える。
背中と右腰のカバンは重いし、左手に持った杖もアホほど重い。コトワリは庭先のベンチからふらふらとクランルームの入り口に向かった。
付け焼き刃とはいえ形にはなった。コトワリの見栄の結晶とも言える巨大な杖の蓄積ハロさえあれば、試験を乗り切ることはできるだろう。これが仲間達による満場一致の見解だ。
「全く…ぶっつけ本番だなんて。本当に無茶をさせてくれやがりますね…きみたちは」
「仕方ないだろ?日程的に」
肩を竦めて笑うイロハに、目を細めて悪態をつく。
「急ぐ必要がありますかね?試験は半年後にもあるというのに」
「半年もあったら、その辺のダンジョン回り尽くしちゃうよ。コトワリが入れるダンジョンが増えるに越したことはないでしょ?」
早口にまくし立てるティトンに呆れてため息を付く間に、扉のノブに手が届いた。
「僕なんかいなくとも…」
「いなきゃこまるよー?」
扉に向けて呟いた言葉を拾ったアロが、背後の3人に並ぶ。コトワリは振り返り、やはり呆れて息をついた。
「本当に、変わった人達ですね…」
空が眩しい。
時刻はまだ昼前だ。
いってきますと小さく呟くと、4人それぞれの見送りの言葉が返ってきた。
コトワリはその全てを聞き終えてから、そっと扉を閉める。
A級昇格試験の受付はオフィルの中心にあるクラン会館だ。クランや冒険者のあれこれを取りまとめる場所で、ダンジョンに入る全員が個人情報を登録している。クランルームからはゆっくり歩いて5分程。
なお、試験会場は受付後に知らされる。大抵は手近で比較的安全なダンジョンの中だ。
ほどなくして会館に到着したコトワリは、少し並んだものの締め切りより大分早めに受付を済ませる。緊張を落ち着かせようと、広いロビーの片隅でベンチに座り、辺りを見渡した。
オフィルの白いイメージを崩さない内装は、眩しくも温かみがある。木製のものが多いからだろうか?ところどころ緑が侵食して太陽光が透けているからかもしれない。
受付カウンターの周辺は未だ人が多く、係員が忙しなく対応していた。書類と説明の飛び交う様を見ているだけでも目が回りそうになる。
いつしか視界がくるくる回り、睡魔に負けそうになった頃。呼ばれるままによたよたと指示に従う。
集まったのはサポーターA級受験者10名と、B級以下のアルバイト50名。フロアの各所には、別の役職志望者がそれぞれ集合していた。
コトワリは言われた通りにクジを引き、同じ数字を引いた4人とパーティーを組む。
タンカー、ヒーラー各1人とアタッカーが2人。助っ人はB級以下で、受験者全員同じ編成だが、勿論個々のスキルは違う。メンバーから自己紹介カードを受け取り、試験会場に移動しながら確認する。試験開始まで隔離されるため会話はできない。情報はカードと第一印象だけだ。
タンカーのスキルは《《バリア》》空気中に透明な壁を作れる、使い勝手のいい定番型。ヒーラーは触れた個所を癒やせるが、離れた場所にまでスキルが届かない。アタッカー2人はどちらも近接。交代で回復してもらうよう立ち回るなど、連携さえ取れればなんとかなりそうだ。
カードを見たコトワリはひとまず胸をなで下ろすが。
当然のように。即席パーティーのメンバーが、指示通りに動くわけなんてなかった。白羽《クラン》メンバーがどれだけ凄いかを、改めて思い知らされる結果となる。
開始前の5分しかない説明タイム中、アタッカー2人の衝突を皮切りに、問題は波のように押し寄せた。
討伐対象が今朝方盟主が変身したのと同じサイズ感の魔獣だったことはよしとしよう。
前線に立ったタンカーのバリアは薄く、しかも足が遅い。みるみるうちに後退してくるので、その背後にヒーラーを配置した。どのみち罵り合いながら走り回るアタッカーに触れるのは困難だろうとの判断だ。
あとは惨状になる前に、とにかく必死でポーションを投げた。コントロール練習は無駄にはならなかったわけだ。
スキル強化のポーションを説明する前に、アタッカーが張り合いはじめたのも幸いだったかもしれない。頭に血がのぼった状態で過剰な力を得たら…いや、どうなるかなんて考えたくもない。というかそれどころではない。
自分でスキル強化ポーションを飲んで、杖のハロを消費しながらポーションをばら撒く。回復と、補助と。隙を見て攻撃も。イロハの苦労を小規模ながら体感した気分だ。
いち早くハロ切れを起こしたタンカーにハロ回復のポーションを投げ、泣きながら回復するヒーラーにこっそりスキル強化を施し、喚きながら獲物を取り合う二人を窘めながら回復し。
これは、とても瓶ポーションでは処理しきれない。瓶ごとぶん投げるとなると、コントロールが百倍難しいから。自分は的当ての名手にはなれない。ゆるいキャッチボールがせいぜいだ。コトワリは諸々痛感しながら頭と指を動かし続ける。
最終的にまとめて狩られそうになったアタッカー陣が死ぬ前に、魔獣に浴びせた毒が回ってくれて事なきを得た。
倒れた魔獣を前にしても、アタッカー2人はまだ喧嘩していたし、タンカーとヒーラーは号泣するばかり。口を開けば悪態をつきそうなコトワリは、文句を言うわけにもいかず、精神的疲労により膝から崩れ落ちた。
夕刻。
晴れてA級試験に合格したというのに、疲れ切った表情のコトワリをクラン員が温かく出迎える。
今すぐ寝てしまいたい気分だったが、ティトンとアロの眩い眼差しに勝てるわけもなく夕餉の席に付いて、試験内容を一通り話し終えた。
試験…というよりはほとんど愚痴に近い語りを聞いたティトンが、肉じゃが片手に明るく頷く。
「うんうん、シミュレーション通りだったみたいだね!」
「コトワリはやればできるんだって」
「あの…話、聞いてました?」
ティトンと、隣で焼き魚を解体しながら笑うイロハに皮肉を飛ばすも軽く受け流され、逆方向からは皿を差し出された。
「受かっちゃえばおーるーおっけー!」
「そうは言いましてもね…」
アロから有無を言わせず押し付けられた山盛りのヒジキの煮物を崩しながら、コトワリは思う。
課題は山積みだ。
情報処理力、戦略、経験不足、ハロとの相談、仲間との連携…その他諸々。
使いこなすにはまだまだ練習が必要になる。暫くはケチらず、強化ポーションを多用したほうがいいだろうか。いや、強化する前にできることも沢山あるかもしれない。そもそも常に強化状態でいるわけではない。強化前の状態でも、まだ試行錯誤の余地はある。
「くそ…やることが…やることが多い…」
指折り数えて項垂れるコトワリの正面で、クエルクスが意地悪く笑う。
「訓練ならいくらでも付き合ってやるが」
「まあ、ゆっくりやったらいいさ」
「できたら褒めてあげるから安心してー?」
「そうそう!で、いっぱいダンジョン潜ろうね!」
底抜けに前向きな答えしか返ってこない食卓を前に、泣いていいのか笑っていいのか。しかしどう考えても、自分には勿体ない環境だ。
考え過ぎて複雑に笑うことしかできなくなったコトワリの前に、盟主が沢山の小鉢を並べていく。
「なにはともあれ合格おめでとう。沢山食べて大きくなりなさい」
「ありがとうございます…」
でもこんなには食べられません。
並ぶ料理と課題がダブって見えて目を回しかけながら、限界まで飲み込んだコトワリは、その日もやはり気絶したらしい。
おしまい
クエル的日常 - 此木晶
2025/01/09 (Thu) 19:49:47
その1
空腹を誘う香りが辺りに広がっている。
ハビラ-商業地域の一角でも特に飲食店の集まった一角だ。昼時にはまだ少し早い時間の為人通りは少ないが、其々の店が書き入れ時に備えて料理の下ごしらえに勤しんでいる。
香辛料や肉の脂、さまざまなハーブの香りが混じり合う。たとえそのつもりがなくとも足を止めてしまうことだろう。
そんな店先に目もくれず早足で進む男がいる。まとまりの悪い金髪を無造作に後ろに撫で付けた、かなり目つきの悪い男だ。焦げ茶色のコートから伸びる手足は身長に対してやけに細く見え、人によっては針金細工の人形を連想するかもしれない。
クラン白羽の前衛盾役を担うクエルクス・アイレクスと言う。兎に角缶詰が好きな男だ。どの程度かといえば、今もつい先程購入した缶詰の事が思考の大半を占めており、自身の空腹具合等には一切タスクが割り振られていない。
クエルがよく缶詰を購入する店からクランルームへ向かうルートとしてここが最短ルートである為、通り慣れているのも多少は関係あるのかもしれない。が、だとしても、大概としか言いようがない。
現在クエルの思考の大半を支配する缶詰だが、今回購入したのは金魚飴の缶詰だ。本来は、水飴の中を泳ぐ姿を見る為にも瓶詰めされるモノなので、缶詰になる事はまずない。その意味で役には立たないが希少価値はある。加えて、開封後中の水飴が水泡となって宙を漂い、紅魂金魚と暗闇金魚が泳ぐ様を鑑賞できるとの触れ込みだ。
保管用とは別に試食用の缶詰も確保できた為、真偽確認の為にも自室へと急いでいる訳だった。
「おーい、クエルクス」
期待で早足が既に、小走り位にはなっている。
「ちぃーと変わった缶詰が手に入ったんだが、食っちまっていいんだな?」
ピタと足を止めて、引き返す。
知り合いの中でクエルクスの名を略すことなく呼ぶものは少ない。クランのメンバーなら、アロハとたまにコトワリ位であとはクエル呼びであるし、知り合いにまで広げてもクエルもしくはルクスだ。ごく稀にエルと呼ばれることもあるが、クエルの精神衛生上の理由でやめてくれるようお願いしている。
「あ゛? 怨み倒すぞ」
「そこまでかよ」
威嚇するようなクエルに対し両手をあげて降参とポーズをとったのは、青いバンダナを頭に巻いた男だった。クエルと比べると頭一つ分程低い。
ここしばらくハビラで屋台を出している料理人だ。店先で缶を火で炙っている姿にクエルが興味をもって、話しかけたのが諸々のきっかけだ。
炙っていたのは、蓋を開け火を通すことで完成するキドニーパイの缶詰だった。
本人曰く、缶詰好きというよりは変わった食材を探している一環で缶詰を扱うことが多いのだそうだ。その辺や年が近いこともあり、クエルとはそれなりに話す関係が続いている。
屋台であっても一国一城の主であるのは変わらないので店主と呼ぶべきなのだろうが、本人が呼ばれるのを心底嫌がるのでクエルはオマエで通していた。
「で、わざわざ呼び止めたんだ。それなりのモノなんだろうな?」
「あんたの買った金魚飴、開けるのが少々遅くなってもいいと思う位の価値はあると思うぜ」
なんで知ってる? とクエルが視線を投げると、料理人は答える。
「ここにいたら何が何処の店に入ったかなんて、大体は聞こえてくんだよ」
「そういうものか。で、ブツは?」
「いやあんた、言い方。いーけどな。ほれ」
ことんと置かれた缶詰のラベルを見てクエルは固まる。
「お、おい、これ……」
「おー、知ってたか。流石だな。月光華の塩漬けだとさ。見つけた時はまだあるんだなって笑った、笑った」
あっはっはと料理人は笑う真似をするが、クエルからしてみればそんな場合でも余裕もない。月光華と言えば、月の光だけを浴びて数十年に一度しか花開かない希少性に加えて、その花弁が万能調味料とも言える旨味の塊故にとんでもない金額で取引される事で有名な、最高級品の一つだ。
クエルも実物は目にした事はないが、花弁一つで半年は遊んで暮らせるだけの額で取引されると聞いたことがある。
そんなものが缶詰だからとこうも無造作に置かれると、若干引く。が、同時に。
「おい、こら、止めろ! 気持ちは分からんくもないが、おかしな目で見られんだろーが!」
思わず両手を合わせて握り額に持っていき祈りを捧げそうになるクエルを料理人が止めた。
「勘弁してくれ。1人ならどんだけ奇行に走ろうが構わねぇけどよ。俺まで巻き込むな」
「すまん。思わずな……」
やり取りする2人を近所の店の従業員が見て、一様にまたかといった表情を作る時点で手遅れの感はあるのだが。
「そこまで大したもんじゃねぇぞ、これ」
料理人は一度置いた缶詰をつまみ上げクエルへ向けて弾いた。
人差し指と親指で作る輪程の大きさの缶がくるくる宙で回る。硬直したクエルが慌てて広げた掌に落ちる。
「そん中のほとんどが塩だし、漬けてある月光華の花弁だって、一回出汁とった出涸らしのほんの一欠片だ」
だから大した金額はしないと続けた料理人は、それでも塩の味すら格段に段違いだけどな、と締めくくった。
「確かに希少で物珍しいもんではあるけどよ、無闇矢鱈とありがたがるもんでもないさ。食い物なんてのは食ってこそだし、料理してこそだからな」
だからさ、と料理人は笑う。
「どっかでパーっと使ってやってくれ」
「わかった。幾らだ?」
料理人が告げた金額は驚く程安かった。
驚きの声の代わりに腹の虫がなったくらいだ。
「言っただろ。大してしないって。まぁもし申し訳ないとか思うんだったら、尚更そいつを使って何か作って食ってくれ。なんならプッタネスカの作り方なら今からでも教えてやるぜ」
「いやそれはいい。缶詰にある」
真顔で答えたクエルの顔を『コイツ本気か』と半眼で見たあとため息をついた。プッタネスカ、娼婦風の意味を持つパスタで、諸説あるが忙しい娼婦が仕事の合間にあり合わせの材料で手早く作ったからと言われる程手軽なメニューなのだが……。
「あんたはそういう奴だったな……」
よくよく考えれば、似たようなやり取りを今までに何度かしているのだから、最早何を言った所で大して違いはないと悟ったらしい料理人は代金を受け取ると屋台の裏に引っ込み、短めのバゲットを持っていた。
「試作品だ、齧ってけ。バゲットってよりバタールかもしれんが、味は保証する」
腹の虫がなったのを気にしたのかもしれない。何にせよ断る理由もないので受け取り礼を告げ、屋台をあとにする。
自覚した空腹を誤魔化すのに言われたとおりに齧りついた。
クラフトが小気味よく音を立てて割れ、クラムの柔らかくもちっとした食感を強く感じる。
確かにこれはバタールと呼ぶべきなのかもしれないが、そんな事関係なく美味いとクエルは思う。
歩みを刻む歩幅が広くそして速くなる。
パテの缶詰を開けてバタールと一緒につまみにしよう。月光華の塩漬けは、今度クランメンバー全員でダンジョン攻略成功した時に披露しようか。
そんなふうに考えると、自然笑みが漏れた。
【エデン】2024/11〜12:お題「わたす/しろ」 - あさぎそーご
2024/11/16 (Sat) 21:30:05
★今回はクリスマス、年末などこの時期に関するお話でお願いします(強制ではありません)
★2種類用意したのでお好きな方を。もちろん2つ使っていただいても構いません(1作にまとめても、2作出しても大丈夫です)
★漢字は好きなものを当てはめてください
★例のごとく締め切りなし、自由参加です
お忙しいと思いますので、無理のないようよろしくお願い致します!
Re: 【エデン】2024/11〜12:お題「わたす/しろ」 - 透峰 零
2024/12/15 (Sun) 22:30:25
貴女へ薔薇の花束を
コトワリは迷っていた。
何かというと、彼女に渡す花をどうするかである。
別に普段から花を贈っているわけではないが、今日ばかりは特別だ。いや、特別にしても良いだろう。と、自分に言い聞かせる。
クリスマス・イブ。
誰が言い出したか、そもそも起源すら定かではないが、この日はエデンで特別な意味を持つ祭りだった。神の誕生日を祝う為だとか、一番夜が長くなる冬の日を少しでも明るく過ごす為だとか。色々ともっともらしい理由をつけられているが、要は皆騒ぎたいだけなのだろうとコトワリは思っている。
祭りといっても、街が一つになって作り上げるものではない。家族や友人――あるいは恋人。そういった、小規模なコミュニティでそれぞれが騒ぎ、浮かれ、大切な人と特別な一夜を共有する。そういった種類のものだ。
通りの木々は数週間も前からガラス玉や金銀のモール飾りで華やかに飾り立てられ、ハビラに軒を連ねる店にはどこも立派なモミの木が鎮座している。
ケーキをはじめとした特別な菓子類を準備する製菓店。恋人の予約でいっぱいの小洒落たレストラン。この日のために各クランに採取を依頼され、街中に設置されまくっている星燈華の明るい光。そして、どこかソワソワとして落ち着かない空気。
そういったもの全てが、このクリスマスという日を構成しているのだ。
だから、とコトワリは己に言い聞かせる。
今日も今日とてクランの依頼に引っ張っていかれた彼女の元に、花束とケーキを持って訪ねていっても許されるのではないか、と。
夜には帰るから、と彼女も言っていたことだし。
そこまで考え、改めてコトワリは目の前に並ぶ色とりどりの花に目をやる。
今まで花なんて贈ったことがない為、どういったものが喜ばれるのかがわからない。
やはり薔薇だろうか。しかし、確か色によっても意味があると聞く。彼女を悲しくさせるようなものは避けたい。
それに予算の関係もある。悲しいかな、コトワリの財布はそこまで潤沢ではない。家賃が払える程度の金を残しつつ、貧相でない花束にしたいというのは贅沢だろうか。
「はーい、お客さん。彼女へのプレゼントですか」
バケツに刺さった花と睨めっこをしていたコトワリは、聞き覚えのある軽い声に顔を上げた。予想通りの顔に、思わず眉根が寄る。
「何やってんですか、君は」
「期間限定の店員さんだよ」
答えて手を振ったのは、同じクランに所属するイロハだ。
違うのは、いつも着ている燈色の上衣の上から黒いエプロンをつけていること。いつもは適当に束ねている黒髪を、丁寧に一本の三つ編みにしていることだろうか。
にこにこと笑う彼に、コトワリはじとっとした目を向けた。
「……ここって、そんな治安悪いエリアでしたっけ?」
「いや? 菓子と花と雑貨で溢れた、超平和なエリアだな」
「皮肉に真面目に返すのやめてくれません?」
はぁ、とコトワリは小さくため息をついた。
イロハは普段、ダンジョンに潜る以外にもエデンで便利屋まがいのことをしている。優男然とした風貌だが、多少の荒事なら顔色一つ変えずに引き受けるくらいには仕事選びに節操がない。単なるお人好しとも言えるかもしれないが。
「別に皮肉とは思ってないよ。似合わない自覚はあるからね」
「いや、逆に馴染みすぎて怖いってだけですよ。どうしたんです、その髪?」
「花屋で働くって言ったら、ティトンがやってくれた」
同じく【白羽】に所属する発掘調査士の顔を思い浮かべ、コトワリは「なるほどね」と頷いた。
そういえば、彼は以前にもイロハの髪で遊んでいた気がする。
「花屋って結構な肉体労働だからね。たまにバケツ洗いとか肥料運ぶの手伝ってんの。今日はそれに加えて、人が多そうだから店先もしてるだけ」
ほら、とイロハが指差した先にいるのは、薄茶の髪を頭の上でお団子にした女性だ。今は別の客の相手をしてブーケを作っているところらしい。
確かに、彼女一人でこの店を回すのは大変だろうな、と思うような華奢な姿である。
コトワリがそれ以上話題に突っ込まないのを見計らって、イロハは「それで」と続けた。
「あんたは何をお求めで?」
戻された話に、コトワリはわずかに視線を逸らして舌を出した。知り合いに改めて問われると、気恥ずかしさも倍増だ。
とはいえ、今さら別の店に行くのはもっと気まずい。それに、結局は同じように悩むことに変わりはないのだろう。
「………………彼女のプレゼントですよ」
「いいね。予算は?」
「……これくらいでお願いします」
観念してコトワリは指を四本伸ばして見せた。
「薔薇が定番かなとは思うんですけど、何を選んだら良いのかわからなくて。色の意味とか、あまり知らないので」
ボソボソと続けたコトワリに、イロハは「なるほど」と頷いた。
「まぁ、確かに黒薔薇とかは避けるべきかな。うちには置いてないけど。意味を持たせるなら、俺のおすすめはこかな」
イロハの指が伸ばされた先にあったのは、真っ白な薔薇だ。
「白、ですか。どういう意味が?」
「心からの尊敬」
言われ、コトワリは目を見開く。
「赤の「愛情」ってのもシンプルで良いとは思うんだけどね。あんたはこっちの方が好きかなって思って」
「…………そうですね」
「それに、白薔薇は他にも色々と意味があるんだ。枯れても意味があるなんて、珍しいよな」
「はぁ、そうなんですか。ちなみに、どういう意味なんでしょう」
「生涯を誓う。ま、これは今回関係ないかもだけど」
顔を赤くして俯くコトワリに笑って、イロハはさらに問う。
「本数はどうする?」
「そちらにも意味が?」
「代表的なところだと、一本で「一目ぼれ」。二本で「世界にあなたと二人だけ」三本で「愛してます」。五本で「あなたに出逢えて本当に良かった」九本で「いつもあなたを想っています」。十一本で「最愛」。十二本で」
「五本でお願いします。あとは、予算内で合う花を一緒に選んで下さい」
指折り数えるイロハの言葉を遮り、コトワリは答えた。数が増えるごとに小っ恥ずかしくなってくる意味に、自分が耐えられるとは思えない。
「まいどー」と言うと、イロハは奥に引っ込んでいった。すぐに戻ってきた彼が持っていたのは、色とりどりのリボンと包装紙だ。
「俺は花束作れないからね。先にこっちの色選んどいてもらおうかな」
しばらく迷った末、コトワリが選んだのは彼女の髪と同じ淡い金の包装紙に、瞳と同じ黄緑色のリボンだった。
その後、イロハが呼んできた店主を含めて三人で相談した結果できたのは、白薔薇を中心に松ぼっくり、コニファー、コットンフラワーなど白と緑を中心にすっきりとまとめられた花束だ。
「良い時間を過ごせますように」
「ありがとうございます」
店主から笑顔で渡された白い花束を受け取り、コトワリは小さく頭を下げた。
「ついでと言ってはなんですが、この辺りでおすすめのお菓子屋さんはありますか? 生菓子ばかりより、日持ちする焼き菓子も売ってるところがありがたいんですが」
「だったら、そこの角の――水色の看板出してる雑貨屋あるでしょ。そこを右に曲がって、三軒目にある『ゴールド・ブラウニー』ってお店とかおすすめよ。生菓子もあるけど、焼き菓子はどれも逸品なの。店の名前にもなってるブラウニーは特に美味しくてねぇ……。日持ちってことなら、シュトーレンも毎年いっぱい売ってるし」
菓子の味を思い出しているのか、言いながらも彼女は両手を胸の前で組んでうっとりと宙を眺めている。
だが、現実的な助言も忘れない。
「もう遅いから、行くなら急いだ方がいいかしら。かき入れ時だから沢山作ってはいるだろうけど、売り切れってこともよくあるのよ」
言われ、コトワリは空を降り仰いだ。
そろそろ冬の早い日は暮れようとしており、西の空には早くも一番星が輝き出している。
「確かにそうですね。では、ありがとうございました」
一礼し、言われた方に去っていくコトワリの背中はすぐに煌びやかな雑踏に紛れて見えなくなった。
その背中を見送って、くるりと女店主は店内を振り返る。
「あなた。白薔薇の花言葉、わざともう一つの方教えなかったでしょう?」
問われたイロハは、悪びれずに答える。
「あ、バレた?」
「そりゃあね。わざとマイナーな方言ってたら嫌でもわかるわよ」
「嘘は言ってないよ。それに、コトワリはちょっとくらい自信持った方がいい」
あなたは私にふさわしい。
特別な日に、彼女にそんな花を贈っても許されるくらいには彼は魅力的な男のはずだ。
呆れたように息をついて、彼女は首を左右に振った。
「ま、売上に貢献したのは褒めてあげましょ」
「お褒めに預かり光栄ですよ、雇用主様」
「はいはい。私たちもそろそろ閉店準備しましょう。――ところで、今日はこの後って暇?」
「暇といえば暇かな。あとはクランに帰るだけだし」
「そ、じゃあ」
イロハの前に差し出されたのは赤い薔薇の束だ。リボンも包装紙もない、バケツから直接掴んで束ねられただけの、冗談の小道具と言わんばかりの雑な花束。
花の数は十二。
「この後、夕飯でも一緒にどう? 素敵なお店見つけてね。本当は友達と行こうって話してたんだけど、風邪引いちゃったからさ」
目の前の花束を、イロハは目を丸くして見下ろした。ややあって、柔らかな笑みを浮かべて口を開く。
「それは魅力的なお誘いだな」
パッと、花を差し出す彼女の顔が輝いた。
「でも」
イロハは傍にあったバケツから、彼女が持つ薔薇とは別種のものを一本引き抜く。
色は鮮やかな黄色。
「今日は俺が夕飯当番なんだよね。だから、ごめん」
赤い薔薇の真ん中に、黄色い薔薇が差し込まれる。十三本になった花束を、イロハはそっと彼女の方に押し戻した。
「他にもっと良い人いると思うよ」
今度は彼女がまじまじと花束を見下ろす番だった。
「そっかぁ、残念」
花束を抱えて俯く彼女に、イロハは苦笑した。
「ま、飯は無理だけど手伝いならいつでも声かけてよ」
ふう、と彼女は大きくため息を一つ吐き、パッと顔を上げる。
「そーね。じゃあ、早速だけど店の外に並んでるバケツ運んで店内に入れてちょうだい」
「はいよ。って、切り替え早いな」
「いーでしょ。そこが私の取り柄なんだから」
わざとらしくそっぽを向く彼女に、イロハは笑った。
「そこも取り柄だよ」
「あなたのそーいうところ、どうかと思う」
ますますヘソを曲げた彼女が文句を言ったところで、ふと動きを止めた。
その視界を、白いものがよぎる。
「雪だ」
同じものを見たらしいイロハが、白い息を吐きながら告げる。
「今年はホワイト・クリスマスだな」
fin.
Re: 【エデン】2024/11〜12:お題「わたす/しろ」 - あさぎそーご
2024/12/20 (Fri) 13:22:14
長くなっちゃったけど( ˘ω˘ )
矛盾あったらすみません
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「あんたのとこの雑貨屋、また教会からでてきたぞ」
「なあティトン。お前のクランに雑貨屋がいるだろ?あいつにさぁ…」
「ちょうど良かった。これ、雑貨屋さんに渡しそびれたんだ。落とし物。今日はお店閉まってるみたいだから、渡しといてよ」
と、まあ。
頻繁に蘇生している【秩序】の鎧の人ですら、彼のことを雑貨屋と呼ぶ。どうやらエデンの中にコトワリの名を知る者が少ないらしいことに、はじめに気付いたのはティトンだった。
思い返せば、クラン員以外の口からコトワリの名を聞いた記憶があまりない。
「確かに、そうだな」
クランルームの庭先でのぼやきに、顔が広いイロハも同意する。たまたま居合わせた2人は、話題の人物が一軒家の玄関を開けた事で顔を見合わせた。
コトワリはいつものカバンに加え、大きな袋を2つ抱えている。ティトンとイロハは歩み寄り、荷物を支えながら話を切り出した。
「コトワリ。これ、秩序の人から…ほら、よく救助してくれる…」
ティトンの懐から出された手袋を受け取り、コトワリは眉を下げる。
「エリックさんですね。ありがとうございます」
「あれ?名前、知ってるんだ?」
「はい。はじめに自己紹介されましたから」
「じゃ、そのエリックさんとやらもコトワリの名前は知っているわけだ」
逆隣からイロハが問うと、コトワリはなんともいえぬ顔をした。
「………さあ、どうでしょうね」
「しなかったの?自己紹介」
「しましたよ」
「え?じゃあ…」
「しがない雑貨屋の店主です」
どこか芝居じみた台詞に、問い詰めていたティトンが固まる。
「もしかして、出会った人間全てにそう名乗ってるのか?」
「大抵の方はそれで納得してくれますから」
イロハの質問に肩を竦めるコトワリの腕を、逆からティトンが引っ張った。
「どうして?」
真剣に問われ、薄く笑ったコトワリは、抱えていた袋をベンチに下ろしながら回答する。
「………ではないので」
「え?」
聞き返した2人が答えを待つ小さな間。落ちたのは短く深いため息だ。一拍置いて、コトワリは笑顔を振り向かせる。
「ぼくはどうしようもないクズ人間だってことですよ。ああ、それと。ぼくの方からもきみたちに渡すものがあるんです」
言いながら袋の中身をテーブルに乗せていく彼に、それ以上話題を続けるつもりはなさそうだ。イロハも、ティトンも、あきらめて並べられた箱を見渡す。
大小様々の綺麗な箱は、どれもプレゼントボックスのように見えた。
「確かに渡しましたからね」
「それはいいけどさ、コトワリ。一体誰からの贈り物なの?」
「知りませんよ…中に記名されているのでは?」
「よく知りもしない人間から、こんなもん貰ってくるな」
ランニングを終えたらしいクエルクスが会話に割り込む。彼は箱の一つを手に顔を顰めていた。
「ぼくも貰いたくて貰っているわけではなくて、置いていかれるんです」
コトワリの嘆き通り。
こと、イベントの時期になると、コトワリの店は忙しくなる。イベントそのもののアレコレもあるが、売り上げに全く貢献することのない依頼が急激に増えるせいだ。
「これ、渡しといて下さい」
そんな文句とともに、綺麗にラッピングされた品物が店に持ち込まれることが、割とよくある。
宛名はリボンの間に挟まっているか、当人から口頭で告げられるか。
普段はまだいい。まとまって来るようなものでもないし、知り合いが買い物ついでに置いていくようなものが殆どだから。
しかし現在クリスマスシーズン。
見ず知らずの話したこともない、客でもない人が代わる代わるやって来て、クリスマスの贈り物を置いていくのだ。主に白羽《クラン》の仲間宛の。
主に、というのは本当に主にで。時には「時々店に来るあのお客さんに」とか。「後でうちのクランのあいつが来るから渡しといて」だとか。
一番殺意が湧くのが「あんた、「彼女」と知り合いだろ?渡しといてよ」と悪気があるのかないのか判断に苦しむ依頼だ。この類のものも、彼は笑顔で受け取ることにしている。
深く長いため息で回想を締めくくり、コトワリは小さく愚痴を零した。
「みなさん自分で渡したらいいのに…意味がわかりませんよ」
そうは言っても、白羽《クラン》の中で常に居場所が分かるのは自分くらいだと、彼も自負している。盟主の梟も常に部屋にいるわけでなく忙しそうにしているし、ティトンはダンジョンをはしごしまくるし、アロは自由奔放に散歩しているし、イロハは依頼でエデン中歩き回るし、クエルクスはそもそものスケジュールが謎である。狙って会うのは本当に難しい。
もう一つ、確定で会えそうなクランルームは基本的にクラン員しか開けない決まりになっており、なおかつ扉の前は人通りも多く、待ち伏せも置き配も迷惑になるだろう。
仕方がないのは分かる。しかしコトワリの店は狭い。日によっては入荷した品よりプレゼントの方が嵩張ることもあるから困りものだ。
かといって捨てるわけにもいかない。いちいち断っていては日が暮れてしまう。結局は受け取ったあとで処理するのが一番の解決策となるわけだ。
「コトワリさんも困ってるんだねー」
いつの間にやらベンチの端に座ったアロが、自分宛ての箱を開けながら笑った。
「分かってくれるのはアロさんだけですよ…」
「うん、よくわかんないけどー」
「あ、はい、すみません」
朗らかに言われ引き下がるコトワリをよそに、アロは箱から出てきたPIYOと戯れる。カードにはアロの名前とアヒルのマークが刻まれていた。その箱はコトワリもよく覚えている。箱を預けるついでに、大量の星の音符(音楽に合わせて光る魔法具)を買ってくれたから。ダンスインザダックの人だったのか、と思い返して納得した。
そうする間にも箱は開かれる。幸い、呪い系統のものはなさそうだ。もしかしたら謎のまじない系は混ざっているかもしれないが。
コトワリの心配も露知らず、目新しいジャガイモの袋に目を輝かせながらティトンが提案する。
「いっそポストでもつける?」
「どう考えても厄介ごとが増えるだけですよ??」
驚愕を交えた忠告はあっさり無視された。
「お芋もっと沢山入れてくれるかもー?」
「いいねー、お芋ボックス」
「芋につられないで下さい」
「珍しい缶詰なら歓迎だ」
「依頼が入ることもあるかも」
「きみたちまで…正気ですか??」
ツッコミが追いつくはずもなく、ポストの設置は前向きに検討されるかもしれない。盟主がなんと言うかは知らないが。
そんな賑やかな日の翌日。
クリスマス当日の夕刻のこと。
たまたま花屋で助っ人をしていたイロハの手を借り、白い花束を手にしたコトワリがハビラの通りを進む。
自分が花を贈るなんて。と、買ってしまってからも考えてはみるが、実のところある種の心配はしていない。
なぜなら、彼女には欲がないから。
家具の類はともかく、所持品に関して言えば高価なものなんて一切持っていないくらいには。
装備品は全てクランのものを使うし、そもそも彼女に武器や防具は必要がない。探索中、彼女の前後には腕利きの盾と矛が勢揃いしているから。そして彼女には、それを死なせないだけの力がある。
物欲がない彼女は、なにを渡しても喜んでくれた。もしかしたらそう思い込みたいだけかもしれないけれど。
「今日はスキルを使いすぎていないといいんですけど…」
こんな日に血反吐を吐くのは、いくらなんでもかわいそうだ。これは誇張などではなく事実で、コトワリの彼女、《《ゆあ》》は特殊な体質を持っている。
彼女はハロが大きくスキルの用途も豊富だが、スキルを酷使することで身体に毒素を溜めてしまう。自分で《《治し》》ながら生活することもできるが、結局はいたちごっこ。
なおかつ、彼女の所属クラン【赤嘴《ベックルージュ》】は活動が活発で過酷、上級者ばかりの大手で、毎回最難関のダンジョンに挑む。そのため、1日で体調を崩して帰ることもあった。勿論、稀にだ。普段はひと月に一度、一晩解毒をすればある程度元気になり、二晩で全快といったところか。
その解毒条件も特殊で、他人のハグを必要とする。誰彼構わずハグなどすれば面倒なことになるのは必至。更にはもともと彼女をライバル視する者も多いとくれば、対処に困るのは目に見えている。
コトワリが彼女と出会ったのは偶然ではあったが、その日から今日に至るまで、彼は彼女の解毒係の座をなんとか守ってきた。お役御免になるその日まで、せめて側にいられたらと、至らぬ努力をする日々だ。
花屋で聞いたおすすめ製菓店の前に立つと、甘い香りに満たされる。幸い、まだ売り切れてはいないらしい。店の前に短い列ができていたので、最後尾に並ぶ。隣のオープンカフェの軒先で、こちらを指差し笑う者に気付いたが、知らぬふりをした。
数10分後、無事ブラウニーとシュトレーンを買って外に出ると、また笑い声とひそひそ話す声がした。構わず背を向けて歩き出そうとしたところに、声がかかる。
「《《コトワリ》》くん」
それは噂話とは逆側から聞こえた。振り向くと、小柄で真っ白な女性が小走りに寄ってきた。
「天使だ」と、誰かが囁く。その風貌から、彼女は…ゆあは、大多数からそう呼称されていた。
ゆあはコトワリの隣まで来ると、嬉しそうに胸を張る。
「早く終わったの。ていうか、終わらせました」
「その…お疲れ様でした。大丈夫なんですか?」
「うん、クリスマスだもん。大丈夫。頑張ったから褒めて?コトワリくん」
言われるまま褒めようと口を開きかけたところに、別の声が飛び込んだ。
「は?コトワリ?ってなに?」
先程の笑い声。妙に大きく響いたのは気のせいではないだろう。その相方も、声を潜めることなく答えた。
「今はそう名乗っているらしいぞ」
ああ、そういうことか。
悟ったコトワリの身が固くなる。
関わりたくない。だけど、彼女はなんと言うだろう。戻れと、背中を押されるのではないか。そうなったら拒否などできるだろうか。その資格が、ぼくにはあるだろうか。
一瞬のうちに巡る考えは、腕を掴まれる感触に遮られた。
「行こう?コトワリくん」
「え?あ……」
でも、と言いかけて、しかし声は出ない。
誘導されるまま駆け抜けて、アパルトマンの入口をくぐる。そのまま内階段を昇って、二階の角部屋にたどり着いた。ゆあは鍵を開け、コトワリの背を押し中に入り、急いで鍵をかける。
息が上がっていた。暗い部屋は寒く、互いの呼吸音しか聞こえない。
「あの……」
「きみは」
コトワリの言葉を遮り、俯いたまま。ゆあは彼を壁に押し付けた。そして不安気に顔を覗き込む。
「きみは《《コトワリ》》くんでしょう?」
悲痛な叫びだった。その声に、酷く安堵する自分を嘲笑しながら、コトワリは答える。
「はい」
息を整えるためか、再び俯いたゆあが、間を開けて細く問いかけた。
「思い出したかった?」
そう。
ぼくは知らない。
いや。
死にすぎて。
忘れてしまったのだ。
「本当の名前」
ぼくが、誰なのかを。
記憶を神様に持っていかれてしまったから。
蘇生の対価として差し出してしまったから。
「いいえ」
今のぼくは《《コトワリ》》だ。この名前にした理由も、彼女には話してある。
だけど、過去にもう未練がないことは、まだ言っていない。腹部にしがみついてくるゆあの震えに気付いたコトワリは、申し訳なさで一杯になった。
「どこにもいかないで…」
泣き出しそうな声で懇願される。それはそうだ。彼女にはまだ、解毒係が必要だから。
「はい」
どんな理由だって構わない。ここにいられるのなら。必要としてくれるのなら。
「大丈夫ですよ。ゆあさん。ほら、ブラウニー…食べませんか?」
「……食べる」
鼻を啜りながら肯定した彼女に安心して、コトワリは両腕を持ち上げる。持っている荷物に気付いたゆあが靴を脱ぎ、ケーキの箱を取ってリビングに歩みを進めた。
コトワリは戸締まりを確認してから、手に残された花束に苦笑を注ぐ。
「良い時間を過ごせますように」
折角そう言ってくれた、一緒に選んでくれた彼等に、このままでは申し訳が立たない。
だからまずは、先に終わらせよう。
彼女が食事の準備をして、彼が暖炉に火を灯す。
朝に作ったホワイトシチューを温め直すゆあの背中に、暖炉の火が安定したのを認めたコトワリが声をかけた。
「いくつか、きみ宛に預かったものがあるんです」
吐く息はまだ白い。手袋を外してキッチンの水桶で手を洗い、カバンから品物を取り出していく。
「1つは大通りの宝石商の息子さんから、こちらは…黒牙所属の剣士でしたか。それから…」
リビングテーブルに並んでいく品を呆然と眺めていたゆあが、声もなく左右に首を振った。
それでも、コトワリは笑みを絶やさず作業を続ける。
「随分高価なもののようですから、持っていてください」
「でも…」
「ぼくにはとても買えないようなものばかりです。これなら、蘇生の対価として十分でしょうから」
彼女には欲がない。だからこそ。
「だから…」
持っていて貰わなければ困る。
それが例え、他人からの贈り物だとしても。
利用してやる。
だって。
横目に白い薔薇の花束を見据える。ゆあはその存在に気付いて、ゆっくりと歩み寄った。
《《あなたに出逢えて本当によかった》》
その意味を、彼女が知っているかは分からない。ゆあは花束を手に取り顔に寄せた。
「分かったよ。鞄にしまっとく」
数秒後に呟かれた言葉で、コトワリは心の底から安心した。肩の力が抜ける。
「………はい」
持っていてもらわなければ困る。だって。
ぼくのことを、忘れてほしくないから。
本当なら、自分の力で守るべきだと分かっていても。
窓の外で動くものを目の端に捉えたゆあが、その正体に気付いてカーテンを開ける。
「すごい、みてみて。外、真っ白だよ」
「本当だ…綺麗ですね」
いつの間に積もったのか、低速で落ちてくる雪が地面を淡い白に染めていた。
世界はこんなにも純白で綺麗なのに
ぼくは、本当に馬鹿で
どうしようもないクズだ
自嘲気味に窓際のソファの背にもたれて暫く外を眺めていると、唐突に両頬が挟まれ強制的に振り向かされた。驚いて瞬くコトワリの目に、膨れたゆあの顔が映る。
「雪ばっか見ないでこっち向いてよ」
「外見てって言ったのはきみですよ?」
「折角のクリスマスだよ?見惚れるなら私にしてほしいんですけど」
なに言ってるんですか、と呆れて膨れた頬をつつくと、シチューの入った鍋が揺れて存在を主張した。ハッとした2人は慌てて食事の準備を再開する。
他愛のない話と食事を消費して、最後にガトーショコラを食べる。偽物だよ、とアルコールの入っていないシャンパンを開けたゆあが、グラスと花束を手にブランケットと共にソファに落ち着いた。
コトワリは満足そうな彼女のグラスをシャンメリーで満たし、ガトーショコラの皿を持って隣に座る。
「ごめんね」
グラスを揺らしながら、ゆあが呟いた。驚いたコトワリが振り向くと、彼女はその腕を取って続けた。
「取り乱して。きみが過去のこと思い出したら、遠くに行っちゃう気がして」
「もう未練はありませんよ。それよりも…」
「忘れちゃう方が怖い?」
寄り添ってコトワリの腕を抱え、膝に乗っていた花束を顔に寄せる。その仕草で、質問で。ゆあが薔薇の花束の意味を知っているのだと悟って、コトワリは頷いた。
忘れられるのも怖い。
忘れるのも、同じくらい怖い。
だけど死なずにダンジョンに挑むのは難しい。
かといってダンジョンから離れて生きられるほど、好奇心がないわけじゃない。
幸い、今のぼくは雑貨屋の店主だ。金はなくとも、品物はある。神に差し出せそうな品を、いつも鞄に潜ませるようになったのは彼女と白羽《クラン》に会ってからだ。
おかげでまだ忘れずに済んでいる。目標もできた。欲しいものも、ある。目新しい素材を見るのも、新しいポーションを作るのも楽しい。不運が重なり嫌になることはあれど、充実していることに変わりはないから。
「白羽のみなさんにも、いつか話さないといけませんね」
ため息交じりに零してブラウニーを頬張る。丁度よい甘さがしっとりと口に広がった。ナッツが香ばしく食感も楽しい。
「きみのこと?まだ話してないんだ。じゃあ、2人だけの秘密だね」
「残念ながら、盟主はご存知ですよ」
「あ、そっか…クラン紹介した時に一緒に話したんだっけ」
残念そうに肩を竦め、コトワリがフォークに掬ったブラウニーを横から食べたゆあが、途端に幸せそうな顔をした。コトワリは苦笑して、もう一欠片フォークで取り、ゆあの口に運びながら独り言を口にする。
「しかし、なかなかそういった機会がないんですよね。改まって話すのもなんだか気恥ずかしいですし」
ふむふむ、と咀嚼したゆあは、口端のチョコレートを舐めて花束を揺らした。
「そんなの簡単だよ。明日、一緒に薔薇を買いに行こう?」
「……それと同じのを、ですか?野郎ばかりですよ…?」
渡すのも嫌だしイロハくらいしか意味を理解してくれないような気がして、コトワリは渋る。ゆあはそれを無視して口を尖らせ苦言を呈した。
「同じのは駄目」
「……え…なんでです?」
「なんでって…きみ、意味分かって買ってきたんでしょう?」
目の前に白い薔薇の花束を示される。コトワリはしっかり脳内回想を終えて言われたままを答えた。
「心からの尊敬…だと聞いてますが」
「そっちかぁ…へーふーん…」
「え?待ってください。他にどんな意味が……」
ジト目でシャンメリーを呷ったゆあに、前のめりで問いかける。彼女はコトワリを数秒見つめてから首を傾けた。
「うーん…ナイショ」
「っ……」
図ったな…と、コトワリは思う。とはいえ勝てる気もしないので仕返しは秒で諦めた。代わりに目の前の問題に着手する。
「……あの、なんかすみません」
「んー?なんで?」
「いえ、変な意味だったらと思うと」
「そんなことないよ」
ふわっと笑い、グラスを置いたゆあが肩に頭を預けるのを受け止めた。
「その人、きみのことよくわかってくれてるんだね」
優しい声が花束に落ちる。嬉しそうな顔で見上げてくる彼女に、コトワリはそうかもしれないですね、と小さく同意した。
それは大変恵まれたことだと思う。
名前を…過去を忘れてしまった自分だからこそ、しみじみ思うのかもしれない。
だからぼくは、ぼくを…コトワリのことを、覚えていてほしい人にだけ、この名前を《《渡す》》ようにしている。
持っていてくれたらきっと、次にぼくがぼくでなくなったとしても連れ戻してくれる。そんな人に。
これはぼくの勝手な希望。
だからせめて。ぼくはコトワリでいられるように、クズなりにもう少しだけ、頑張って生きたいと思う。
Re: 【エデン】2024/11〜12:お題「わたす/しろ」 - 淡島かりす
2024/12/21 (Sat) 19:06:07
GiveMe GiveYou
積み上げられた雑多なものの山を前にして、イロハは帳面に記録をつけていた。空き瓶二十二本、六星サイの牙が五本、コーラン鳥の羽が木箱いっぱい。といった具合である。イロハの能力を使えば、山の中から逐一引っ張り出さなくとも、何がどこにいくつあるか程度はわかる。ただイロハが今の作業をしているのは能力ゆえというよりは性格故と言ったところだった。
「クエル。そっちにあるコの字型のものって退かせる?」
「どれだ? あー、これか」
イロハが帳面に記録をつけたものから順に荷車に詰め込む役目を担ったクエルエスは、その指示に素直に従ってコの字型の何に使っていたのかすら判然としない木の枠組みを取り除いた。
「ありがとう。えーっと、用途不明品は最後に集計すればいいから……」
ブツブツ呟きながら帳面にペンを走らせていると、何かが足元に触れた。下を見るとPIYOたちが群がっている。広場に突然現れたガラクタの山が気になったのかもしれない。最近のティトンの研究によれば、PIYOは「昨日と状態が異なる場所」に出てくる確率が高い。
「不要品を集めてるんだよ」
イロハは笑ってそう言った。ここに集められているのは白羽に属する五人のメンバと盟主がそれぞれが提供した「不要品」である。例えばダンジョンで集めすぎてしまったものや、使わなくなってしまったもの、部屋に置いておいても持て余してしまうものなどが該当する。
コトワリやティトンは元々持ち物が多いので、未だに不要品とそうでないものの選別に勤しんでいるが、イロハやクエルエスは早々に終わってしまったので、こうして不要品の整理をしているところだった。最初はアロもいたのだが、不要品の一つ一つに興味を惹かれてしまって全く作業が捗らないため、今はオフィルの掃除をしている。
「クランごとに不要品を持ち寄って、バザーをしようって話になったんだ。こうして集めると結構出てくるもんだよな」
盟主たちが一堂に会して目下の問題点などを話し合う総会において、あるクランが持て余した素材のことを相談した。他のクランが丁度その素材が足らなかったので引き受けることになったが、それを皮切りに各盟主が自分のところで余っているものや足らないものを口にし始めた。どうせなら各クランで要らないものを持ち寄って「交換会」のようなものをしようという話になり、更には素材だけでなく食材も持ち寄って出店でも出そうというところまで話が広がった。
「白羽は焼きそばを作るんだ。PIYOを具材に入れてもいいかもな」
PIYOたちはその冗談を真っ正面から受け取ったのか、情けない声を上げながらどこかに逃げていった。
「そいつら虐めると、アロが煩いんじゃないか」
「そうか? アロは冗談が好きだから大丈夫だと思うぜ」
その言葉を裏付けるかのように、アロの笑い声が聞こえてきた。
それから数日後、どこかのクランの盟主によって「大交流会」という平々凡々を通り越してどこか気恥ずかしくすらなる名前をつけられた祭りが始まった。開催場所は危険度が低く平地が広がるダンジョン。基本的には攻略対象ではなく、農作物などを育てるための場所である。平和すぎて退屈だとすら言われるダンジョンは、今日は多種多様な出店で埋め尽くされて賑やかになっていた。
「イロハさん、イロハさん。シト水の結晶ってまだ残ってますかー?」
アロがテントの中に顔を出してイロハに訊ねる。イロハは箱の中に整然と並べた物品管理の表を一瞥した。
「二十くらいかな。全部貰ってくれるなら端数も出すけど、向こうは何と交換だって?」
「ホトホト魚の燻製、一箱ー」
「お得だな。いいぜ、交渉してこいよ」
イロハは空色の紙にシト水の結晶の個数を記載し、白羽のクランの印を刻んだ。それをアロへと手渡す。大交流会では直接の物品の交換も行えるが、量が多いと運搬の手間がかかるので、こうして「手形」を使う。どの物品をいくつ渡すかを保障するもので、これにより簡便に取引が行えるようになっていた。
「そういえばクエルはどうしてる?」
「焼きそば沢山作ってるー」
クランでは素材などの他に食材なども余る。だがそういったものは保存性が効く物以外は取引するにも難しいため、料理をして売った方が良いという盟主たちの判断によって各クランが出店を出していた。クランのメンバが多いところは複数の店を出しているが、白羽は人数が少ないので一つだけである。
「他のクランではどんなものを出してる?」
「甘いのとか酸っぱいのとか辛いのー。何か買ってくる?」
「冷めてもおいしいの買ってきてくれ。俺は暫くここを離れられないから」
イロハがそう言うと、アロは首を少し傾げた。
「代わるー?」
「……気持ちだけ受け取っておく」
丁重に断ると、アロは別に気にした様子もなく再びテントの外に出て行った。外は賑やかで楽しそうだが、イロハは別にこうして裏方をするのは嫌いではない。寧ろ楽しいとすら思っている節がある。テントの薄い布一枚で隔てられた向こうの賑やかさと自分の周りの静けさの差が、自分が特別なことを任されているという一種の面白みがあった。
「イロハさん」
続けて入ってきたのはコトワリだった。両手に大小の箱をかかえてよろよろとしている。死ぬのかな、と思いながら眺めているとテントに入って数歩目で力尽きた。
「どうしたんだ?」
「色々なクランで交換をしていたんですが、その度に「おまけ」を頂いてしまって……」
「相変わらず変なところでもてるな」
「不要品を押しつけられているだけですよ……」
床に散らばった箱にはそれぞれ、余った素材で出来た細工が入っているようだった。確かに単品で捌くには価値が低いし、かといってクランに置いておいてもゴミにしかならないだろう。コトワリが雑貨屋であることを知っている人々が押しつけたのは想像に難くない。
「美味しそうな珈琲を出している出店がありましたよ。そろそろお昼ですから買ってきましょうか」
「いいな。どこかにティトンがいるはずだから連れ戻してくれると助かる」
「わかりました」
コトワリがいなくなると、イロハはテントを出てすぐの場所に設置された出店に向かった。白い煙に香ばしい香り。その中央でクエルがヘラを振るって麺を鉄板の上で踊らせている。
「繁盛してるな」
「あぁ!? 拷問なんだが!」
ずっと鉄板の前にいるからだろう。クエルの額には玉のような汗が浮かんでいる。
「さっきから全然客が途切れない。焼きそばなんてそんなに珍しいもんじゃないだろ」
「ソースの焦げる匂いが食欲をそそるんじゃ無いか? まぁクエルに任せて正解だな。その調子でよろしく」
「誰か代われ」
「俺ぐらいしかいないと思うぜ? コトワリにはこの環境は過酷だし、アロはすぐに気が散る。ティトンは勝手にジャガイモ炒めにするだろうから。俺に代わって欲しいなら、クエルの次の仕事は在庫管理だ」
「だったら焼きそばのほうがマシだ……」
「腹減ったんじゃないか? 何か買ってくるよ」
「あー……、じゃあ甘いもんがいい」
「珍しいな」
「こっちはずっとソースの匂い嗅いでるんだが? 甘いもんが恋しくなるだろ」
「そういうもんか? まぁ俺もずっとテントに籠もっていて、刺激のあるもん欲しくなったからな。一緒に買ってきてやるよ」
「あー、あとついでなんだが」
クエルがあることをイロハに耳打ちした。イロハは不思議そうに相手を見たものの、特に追及することなく頷いた。
暫くして、会場中に昼休憩を知らせる鐘が鳴り響いた。どうやら盟主たちは昼食のことをすっかり忘れていたらしい。というより、ここまで盛況になることを想定していなかったのかもしれなかった。
テントの中には素材の在庫が積み上げられているため、食事は床に座って取ることに決めた。こういう点も小規模クランの辛いところではある。しかし全員、そういったことは気にしないタイプなので、寧ろ嬉々として昼食の準備をしていた。
「盟主様はー?」
「他のクランの盟主と食事だそうですよ」
アロとコトワリがそう話しながら床に板を並べる。イロハは人数分より少し多く持ってきたクッションを板の周りに置く。ティトンとクエルは板の上に布を敷いて、これで即席の食卓が完成した。イロハはそれを確認して小さく頷く。
「じゃあ皆、買ってきたものを並べてくれ」
「はーい」
早速、アロが板の上に何かを置く。一口大の肉を串に通して焼いたもので、香辛料が上にたっぷりと掛かっていた。どうやら余っていた香辛料を混ぜ合わせたものらしく、独特ながらも食欲を誘う匂いがする。
「これなら一本ずつ食べられるかなと思ってー」
「美味しそうですね、アロさん。珈琲ではなくお茶のほうが良かったでしょうか」
コトワリが人数分の珈琲を置く。確かに肉の串には合わないかもしれないが、これはこれで味わいがあった。いかにも「お祭り」の食事という感じがする。
「僕はこれー!」
ティトンが板の中央に置いたのはマッシュポテトだった。案の定と言うべきか、ティトンらしいメニューに全員頬を緩ませる。
「ポテトは万病の薬だからね」
「初耳なんだが?」
クエルの指摘に構わず、ティトンは続けて小さな硝子瓶に入ったドレッシングをいくつも並べる。
「ティトンさん、それは?」
「ソースを作っているクランがあったから、水晶枝と交換してきたんだ。きっと美味しいよ!」
「味変というやつか」
イロハは笑いながら、自分が買ってきたものを空いているスペースに置いた。
「あ、チョコレートクッキー!」
アロが嬉しそうに声を上げる。大きく砕いたチョコレートがいくつも入った大きなクッキーが、紙で編まれた籠の中に入っていた。
「マシュマロも入ってる。かなり甘いみたいだぜ?」
「良いですね。でもこうなると、ちょっと主食になるものがないような……」
何か買い足しましょうか、とコトワリがいいかけた時だった。クエルが何かを板の上に置いた。それが何かわかったティトンが明るい声を出す。
「焼きそばだ! しかも目玉焼きが乗ってる!」
銀色の皿の上に盛られた焼きそば。それを覆うように置かれた目玉焼きが全員の胃袋を一斉に刺激した。
「美味しそー。出店では目玉焼き乗せてないよね?」
「毎回目玉焼きなんか乗せてたら俺の腕がもげるが?」
クエルはフォークを皿の上に添える。先ほどクエルがイロハに頼んだのは人数分の卵だった。イロハはすぐにそれを探しに行き、ハロス鳥の大きな卵を手に入れた。
「やっぱり大きい卵だと目玉焼きにしても迫力があって良いな」
「割るのが大変だったから二度とやりたくないけどな」
「それはすまない」
イロハは軽く謝罪をして、適当な場所に腰を下ろした。
「冷める前に食べようぜ。特に珈琲なんかは早く飲まないと勿体ない」
「そうですね。そうしましょう」
皆が着席してすぐに、ティトンがマッシュポテトに手を伸ばした。紙皿の上に適当な量を盛り付けて、全員へ順に渡していく。その隣でコトワリは珈琲のカップを配った。
「イロハさんとクエルさんはブラックで大丈夫ですよね。ティトンさんはミルク入り。アロさんは砂糖とミルク、と」
「この肉ね、串の飾りが違うんだよー。イロハさんにはこれあげる」
イロハの前に、兎を模した串に刺した肉が置かれた。そして続けてクエルの前には犬の串が置かれる。
「じゃあ焼きそばは……あー、これ目玉焼きが崩れてるから俺のだな」
「え、僕それがいい!」
「何でだよ」
「ちょっとジャガイモの形に見える」
「そうか……?」
そんなやりとりを見ていたイロハは思わずクスリと笑った。丁度全員の会話の切れ目だったので、思いの外大きく声がテントの中に響き、全員がきょとんとした顔をする。
「なんだ、どうした?」
「いや、大したことじゃない。今日は交換会だろ。誰かが必要としているものを渡す会」
「そうだな」
「で、今皆もそれぞれが買ってきたものを渡し合ってる。俺もそういうものを買ってくればよかったなと思っただけだ」
籠に入ったクッキーは、わざわざ分けるものではない。気が向いたら手に取るような類いである。別に悲しいわけではないが、折角なら皆に混じって渡したかった。
「えー、じゃあ配ればいいんじゃないのー?」
アロが間延びした声を出して、自らの手を差し出す。
「イロハさん、ちょーだい」
「僕も僕も!」
「ではこちらにも」
「俺にもよこせ」
四つの手がイロハに向かって差し出される。イロハは少しだけきょとんとしたが、すぐに全員の意図に気がついて微笑んだ。
「順番にな」
籠の中からクッキーを取り出す。渡し合ったのはきっと食べ物だけではない。きっとそれはその場にいる全員が思っていることだった。
End
Re: 【エデン】2024/11〜12:お題「わたす/しろ」 - 秋待諷月
2024/12/28 (Sat) 20:35:36
白地図を征く
クラン「エル・ブロンシュ」の拠点である家屋の屋根裏部屋は、急傾斜の切妻屋根に挟まれた天井の低さ故に、小柄なこの部屋の主と盟主以外のクランメンバーは、真っ直ぐに立つこともままならない。
ただでさえ狭く窮屈だというのに、その限られた空間という空間に、分厚い本や紙束や丸めた大きな地図、発掘道具や雑貨や用途も分からないアイテムがこれでもかとばかりに置かれ積まれ押し込まれているため、足の踏み場もないほどだ。
階下で活動するメンバー……主にコトワリは、いつか天井が抜けるのではと憂慮し、時折部屋の整理を自主的に手伝っているのだが、どれだけ奮闘したところで数日も経てば元どおりという有様のため、もはや諦めの境地に至り始めていた。
「ティトンさん、もうすぐ夕食だそうですよ」
そのコトワリが、二階と屋根裏を繋ぐ階段を上りきる数段手前、床下にぽっかりと空いた入り口から頭頂部だけを覗かせて、手すりを軽くノックしながら声を掛けた。
が、室内からの返事は無い。
怪訝に思い、もう一段上に上ったコトワリは、ぴょこりと顔を床上に出して中を覗き込む。
うず高く積まれた本の山と、その山間部に敷かれた万年床はいつもどおりだ。屋根と壁に一箇所ずつ空けられた明かり取りの窓に、群青の夜空が切り取られている。明かりも点けていない屋根裏部屋の中に、星か月かの薄明かりが白く差し込んでいた。
その明かりの下。毛布を隅に追いやったマットの上に、部屋の主――ティトンはいた。
階段に背を向けてあぐらを掻き、窓の無い側の壁の上方を、身じろぎひとつせず見つめている。首の回りに浮かぶ二重円形のハロが青く光を放ち、彼の周辺を淡く照らし出す。その空気があまりに静謐で、コトワリは重ねて声を掛けることを躊躇った。
先の呼びかけは聞えていたのか、いないのか。振り返るどころか、ぴくりともしない背中を見つめてコトワリは考える。恐らくは後者だろう。ティトンが深い思考に沈む際、しばしば今のような状態に陥ることはよく知っていた。
とは言え、ここはダンジョンではなく、ティトンの自室である。彼が一体何にそこまで集中しているのかと気になって目を凝らしたコトワリは、だが、眉根を寄せて首を傾げた。
ティトンが正対する壁の一面には、彼自身が描いたエデンのダンジョンマップが隙間なく貼られている。それは他の壁や天井すらも同様であり、その正確さと精密さにはメンバーの誰もが舌を巻いていた。
しかし、今ティトンの視線が注がれているのは、それらのマップとは明らかに違うもの。
白紙だった。
やや手垢じみた長方形のもので、縦横に八折りの跡が残っている。四隅を鋲で留められたそれは、周囲に無造作に貼られた他のダンジョンマップとは重ならないよう配慮されていると見えた。
地図はおろか、絵も記号も、文字のひとつすら書かれていない、ただの白い紙。暗号解読に知恵を絞っているわけではなさそうだ。
コトワリの位置から、ティトンの表情は窺えない。ただ、その背中から伝わる空気が張り詰めて感じられ、邪魔をするのは憚られた。
どうしたものかとコトワリが声を掛けあぐねていると。
「ティトン、そろそろ降りて手伝えよ。盟主のご指名だぞ。ジャガイモを潰すのはお前の役目だとさ」
盟主とともに夕食の支度をしていたのだろう、襷掛け姿のイロハが、大量の茹でジャガイモが入ったボウルと摺子木を持って階段を上ってきた。
上体を退かせて通路を譲ったコトワリの困ったような面持ちに気付き、イロハはきょとんとする。声には出さず、目だけで「どうした?」とイロハが問うと同時。
「ねえ、イロハ。あの紙に、何か『視える』?」
イロハの声は届いたのか、それとも「ジャガイモ」に反応したのか、あるいは、ほくほくと湯気を上げるイモの匂いで熟考から呼び戻されたのか。
先と同じ位置と姿勢で、階段側に背を向けたままで、ティトンが唐突にそう尋ねた。
イロハとコトワリは顔を見合わせ、揃って床上から顔を出す。ティトンが「あの紙」と指差したのは、例の白い紙である。
追及はせず、黙ったまま床上に片肘をついて上体を押し上げたイロハの背中で、山吹色の大きなハロが瞬間的に光を放ち、紅の瞳が白い紙を視線で射貫く。
数秒とかけず、やや困惑した様子でイロハは答えた。
「いや。特に、何も」
少しだけ、間があった。
おどけるように肩をすくめ、壁を見上げたまま、「そっかぁ」とティトンが言う。
そうしてようやく振り返った彼は、楽しげに口角を上げ、青い瞳をきらりと輝かせていた。
「やっぱりね」
あれは、そう。一人で各地の遺跡を巡って旅をしていたティトンが、偶然、この「エデン」に辿り着いた日のこと。
知らない土地を歩くとき、ティトンは必ず、自分なりの地図を描きながら進む。それは彼の生業にして趣味にして習慣であり、生き抜くための武器でもある。
故にあの日も、ティトンは地図を描いたのだ。
彼が生まれ育った「外」から「エデン」に入る、その道を示す正確な地図を。
だが数日後、一度エデンから外に出ようと試みて、しかし、出るための道を見失ったティトンは、同時に気付いた。確かに地図を描き、折り畳んで大事にしまっておいたはずの紙が、いつの間にかただの白紙になってしまっていることに。
そして、ティトンの頭の中に描いた地図の記憶すらも、真っ白に消え失せてしまっていることに。
あれからどれだけの年月が経っただろう。
現在のクランに入り、仲間を得、エデンの生活にすっかり慣れた今でも、ティトンは時折こうして壁に貼った白い紙――白くなってしまった、あのときの地図を眺める。
イロハの千里眼でも「何も視えない」ということは、これは「その類」の現象だ。
つまりこの白い地図は、ティトンにとって重要な鍵のひとつとなり得る。
「エデン」の謎を解き明かすための。
跳ねるように立ち上がったティトンは、当惑気味のコトワリとイロハに満面の笑顔を向けた。一足飛びで階段に寄るや、「さ、行こ!」と促し、イモを受け取りながら二人とともに階下へ降りていく。
主のハロの明かりが消えた屋根裏部屋の壁には、何も書かれていない紙が薄らと白く目立っていた。
あの日のティトンが、彼自身に渡すことができた唯一のもの。
この白い紙と白い記憶のそのものが、ティトンにとっての大きな手がかり。
これは、未来への白地図だ。
Fin.
【エデン】或る騎士の話 - 淡島かりす
2024/12/22 (Sun) 09:44:34
「そういえば物騒な話聞いたぜ」
食後にそう言ったのはイロハだった。今日の夕食はパンにチーズにスープ。山盛りのキノコサラダ。添えられたスムージーが、その食卓が質素なのか豪華なのかわからなくしている。
「どんな話ー?」
スムージーを飲んでいたアロが聞き返す。今日の調理担当はアロだった。アロは料理は出来るのだが、慣れ親しんだ料理の大半がクランではあまり受け入れられないので、どうしても簡単な料理になりやすい。魚の目玉を沢山煮込んだものを出した時は、イロハとコトワリが思い切り後ずさったし、魚とクリームのパイを作った翌日はクエルが目を合わせてくれなかったし、お気に入りの魚醤をティトンに薦めたら、珍しく歯切れ悪く断られた。島では普通だったのだが、それを押し付けるほどアロも傲慢では無い。だがスムージーは皆褒めてくれるので、毎回張り切ってお呪いをかけている。
「少し前の話だけど、あるクランが一夜にして壊滅したらしい」
「壊滅ってのは穏やかじゃないな」
パンを食べながらクエルが言う。
「あまり聞かない言葉だろ」
「だから物騒なんだよ」
イロハは話を続ける。
「『騎士の歌』っていうクランなんだけど知ってるか?」
「あ、知ってる。かなり実力が高いクランで、殆どがランクSって聞いたよ」
ティトンが食べかけのサラダをテーブルに置いて言った。
「遠目に見たことあったけど、皆鎧付けてたし、話し方も如何にも騎士って感じだったから覚えてる」
「私も見たことがありますよ。店にも何度か来ていたかと。でも確かに最近見ませんね」
チーズの残りを持て余すように食べていたコトワリも話に乗ってきた。少人数クランの良いところは、皆でこうして会話を楽しめるところにある。
「でもなぜ? ダンジョンで全滅したとしても、復活は出来ますよね?」
「あぁ、普通なら」
意味ありげにイロハは言葉を区切る。
「でも死んだ奴を教会に運ばず、金も払わないなら復活は出来ない」
「誰も運んであげなかったのー?」
「運ぶ人がいなかった」
まるで謎かけをされたかのようにイロハ以外は頭の上に疑問符を浮かべる。
「全滅したから誰も運べなかったってことか?」
「そうじゃない。そもそも壊滅……まぁ全滅と言えば全滅か」
「さっぱり意味がわからんが?」
「そもそも死んだのがダンジョンじゃなくて、クランルームなんだよ」
「クランルームで皆死んじゃったってこと?」
ティトンの確認にイロハは頷いた。
「盟主がある日突然、クランのメンバーを殺し始めたんだよ」
「えっ」
「実は唯一の生き残りがいるんだが、その生き残りが言うには、突然盟主の様子がおかしくなり、次々とメンバーを殺し始めた。生き残りは命からがら逃げて他のクランに助けを求めた」
「……それで?」
コトワリが心持ち椅子の上で後ずさりつつも先を促す。
「クランルームに入ると、そこにあったのは血溜まりと空っぽの鎧が人数分。中にあったはずの身体は何処にもなかった。脱ぎ捨てた訳ではなく、留め金はそのまま。まるで身体だけ蒸発してしまったようだった」
「なるほど、だから「運ぶ人がいなかった」んですね」
感心するコトワリとは逆に、ますます納得していない顔をしたのはクエルだった。
「その盟主はどうしたんだ?」
「消えたらしいよ」
「らしい?」
「見つからなかったってことだよ」
狂った盟主は愛用の黒い鎧と長剣だけを持って姿を消した。クランルームの食堂には、その日皆で食べるはずだった朝食が手付かずで残されていた。盟主の部屋もその朝起きた状態のままで、何もおかしな所はなかった。
「噂ではその盟主は、生き残りのことを探しているらしい」
剣を片手に、狂気を胸に。
「それは……不気味な話ですね」
コトワリが震えを押さえ込んだ声で言った。他の面々もどこか顔色が悪い。
「消えた人達の身体はどこに行っちゃったのー?」
アロが怖々と口を開いた。イロハは眉を寄せて肩をすくめる。
「さぁ。盟主が鎧にかけていた加護のせいじゃないかとか、クランで所有していた魔法具の影響じゃないかとか色々な説はあったけど、結局わからず終いだった」
「生き残りの人はどうなったの?」
「それもわからない。どうやらかなり恐い思いをしたらしくて、助け出された時には元は赤色だった髪が真っ白になっていたらしい。まぁ『騎士の歌』は事実上解散したから、何処かのクランにいるんじゃないか」
「でもそこに、消えた盟主さんが来たら大変だよねー」
純粋なアロの純粋な疑問は、考えただけでゾッとするものだった。何となく静まり返った食卓で、クエルが啜ったスムージーの音が大きく響いた。
筋骨隆々とした男は、日課の朝のダンスを終えると、額に浮かんだ汗を拭った。クランルームの中にあるトレーニングルームは奥の壁が鏡張りになっているため、自分の動きを細かく観察することが出来る。
「うーん、もう少し膝の動きを柔らかくしないとな。蹴りもダンスのステップには欠かせないのだから」
右膝を持ち上げて、上に向けて鋭く蹴りあげる。フォームをチェックしようと目の前の鏡を見た時に、背後に何か黒い影が過ぎった。
「………ッ!」
振り返る。しかしそこには誰もいない。少しの間周りを見回していると、誰かが中に入ってきた。
「隊長ー、トレーニング終わりました?」
「あぁ」
「外から手を振っても気付かないんですもん。ここの窓って防音性高いのはいいけど、こういう時困りますよね」
「あぁ、さっきの影はそれか。気付かなくて済まない。次は呼ばれる前に気付くことにしよう」
「それは難しくないですか……? 朝ごはんが出来たそうですよ」
「すぐに行く。汗を拭いてから向かうから、先に食べていてくれ」
相手がトレーニングルームを出ていくと、男はため息をついた。
「この時間は心臓に悪いな……。心筋を鍛えるべきだろうか」
床に脱ぎ捨てていた、アヒルのロゴの入ったパーカーを持ち上げると、白い髪の先端だけを黄色く染めた男はトレーニングルームを後にした。
END