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【エデン】世界の仕組みと神様について① - 透峰 零
2024/12/15 (Sun) 22:21:26
視界を占めるのは、どこまでも澄んだ青。
そして、自らの口から昇っていく小さな気泡と無数の赤い筋だった。水面がひどく遠い。
――あ、これは死ぬな
とイロハはどこか冷静に思った。
故郷では、死ぬ前には走馬灯という生まれてから今までの情景が見えるというが、イロハが思い出したのは《《こう》》なるまでの経緯である。
聖廟ダンジョン《アルバスデウス》。別名を「旧《ふる》き神々の住まう白き場所」。そう呼ばれる氷雪ダンジョンに一人で入ったのは今朝のことだ。
一人で来たことに、深い意味はない。
理由らしい理由を挙げるならば、最近の自分はクランのメンバーに頼ることが多く、ふと不安になったからだ。
彼らと共にいることは心地よいが、だからこそ恐ろしくもあった。
――自分はよくても、彼らにとってはどうだろう。
負担になってはいないか。疎まれてはいないか。
――今の距離は適切か。
一度生じた不安が消えることはなく、ゆえに少し距離を取ろうと思ったのだ。今日は珍しく朝から予定がなく、一人になるのにちょうど良かったというのも理由の一つではある。
行き先にこのダンジョンを選んだのはランクがB+と手頃なことと、ずっと気になっていたものがあるからだ。
ここ、《アルバスデウス》が聖なる場所と言われる由縁の一つ。
最深部に存在する、神が生まれたという伝承を持つ泉。その水は、人の罪を量ると言われている。善い人間には甘く、罪人は大層苦く感じるというのだ。
馬鹿げた話だと思う。
だが、頭から否定もできないのはその泉がダンジョン内にあるからという、その一点に尽きる。
ダンジョンの中では、何が起こっても不思議ではない。何しろ、死人ですら生き返るのだから。
ダンジョン内で死んだ者は《《神》》の力で、一番近い教会に転送される。そして教会で蘇生措置を施されると、死んだ者は再び目を覚ますのである。
嘘のような話だが、これはエデンの中では常識と言って良かった。
もっとも、何の犠牲もないわけではない。
対価として求められるのは一定額の金銭だ。もしも金銭が足りなければ、差額はそれに類するもの――記憶や身体の一部を求められるという噂である。
幸い、イロハ自身はまだ死んだことはないが、同じクランに所属するコトワリなどは心配になるくらいよく死んでいる。
だから。ダンジョンの中にある泉ならば、本当に罪科を量れるのかもしれない。
そんな馬鹿げた考えのもと、イロハはこのダンジョンの最深部まで来てしまったのだ。
件の泉は、最深部のど真ん中にある洞の中にあった。その入口で、イロハは足を止める。
罠もないのにイロハが入るのを躊躇ったのは、中に先客がいたからだ。
数は三人。千里眼で見た姿は覚えのあるクランのものだった。
一人はうなじ、一人は左手の甲、一人は右頬。それぞれに彫られているのは、血のように真っ赤な涙滴型の刺青だ。
こんな消せない印を嬉々としてつけるクランは一つしかない。
【アーシャーム】。【生贄】の通称で呼ばれるこのクランは、エデンではあまり好かれていなかった。
まずシンプルに、素行が悪い。
町の方の被害で言えば、飲食店やアイテムショップで難癖をつけて商品を安く買おうとするのはまだ可愛い方で、暴力を振るうことは日常茶飯事。気に入らない店員への人格否定などの暴言や性的な嫌がらせ、ありもしない誹謗中傷を行って営業を傾かせたこともある。
元々用心棒で生計を立てていたこともあるイロハは、その延長でエデンでもクランを通さずに様々な依頼を受けているが、困りごとの中で高確率で挙がるのが彼らの名前だ。それ故、あまり愉快でない対峙をしたことは一度や二度ではなかった。
クラン間での【生贄】の評価も同様で、褒められるものはない。常習的に低ランククランから略奪まがいのことをしているのだから、当然と言えよう。
つまり、【生贄】というクランは顔を合わせる相手としては、考えうる限り最悪な相手なのである。
しかもその内の一人――頬にクラン印を入れている男は、つい数日前にイロハがとある飲食店で摘み出した相手だった。
「さて、どうしたものか」と、しばし考えた末にイロハは踵を返す。
今日にこだわることはない、というのがその理由だ。このダンジョンは、氷が溶けて魔獣が活性化する真夏こそランクがS級にまで跳ね上がるが、それ以外の季節は概ねBランクで安定している。
だから、別に今日でなくてもいい。
残念に思うよりも、むしろ安堵する気持ちを自覚しながら、イロハは胸の内で言い聞かす。
急げば半日ほどでダンジョンからは出られる。クランに帰る頃には真夜中になっているだろうが、盟主には「遅くなるかもしれない」と伝えているので問題ないはずだった。
そんなことを考えながら十歩ほど歩いたところで、イロハは足を止める。
決断は、少し遅かったようだ。
「よお、千里眼」
振り返った先、洞の入口にいたのは【生贄】の三人だった。声をかけたのは、頬に刺青のある男である。なお、名前は知らない。
「スキル名で人を呼ぶな。不愉快だ」
「不愉快? コソコソと覗き見しといて、よくそんなこと言えるな」
嘲るような男の声に、イロハは唇を歪める。
「気遣い、と言ってもらいたいね。あんただって、自分がボロ負けした相手のツラなんて見たくはないだろう。氷使い」
返された皮肉に、男がぐっと詰まった。
その隙に、イロハは両脇に控える二人に素早く視線を走らせる。先の氷使いの男は野営用の装備を背負っていたが、こちらは代わりに山ほどの大瓶を背負っていた。中に入っているのは泉の水で間違いないだろう。かの水を使ったポーション類は極めて高い効能を持つため、道具屋に卸せばそれなりの高値で取引してもらえる。
(しまった。俺もコトワリに持って帰ってやれば良かったな)
イロハが思い出したのは、クランメンバーの一人、ポーション精製能力を有する雑貨店店主だ。思いつきに近い形で出発したため用意はしていなかったが、持ち帰れば喜んでくれただろう。
「そういえばお前、ずいぶんと軽装だな」
考えを読んだわけではないだろうが、氷使いが怪訝な顔をした。
それもそのはずで、彼らが持っている野営装備などをイロハは一切持っていない。
《アルバスデウス》は十の階層から成るダンジョンであり、大小多くの洞を有する複雑な構造を持つ。夏季以外は氷や雪で多くの道が閉ざされるため多少はマシだが、その分行き止まりや魔獣の住処にぶつかる可能性が高い。
そのため、冬季の最深部到達時間の平均はパーティー三人で一日半。野営装備は必須と言えるだろう。
だが、それはあくまで平均。
イロハの千里眼然り、遠見や透視のスキルを持つ者にとって、迷路は迷路にあらず。単なる雪の積もったダンジョンと同じである。
もっとも、そんな事情を彼らに説明する義理はイロハにはない。不毛な会話を打ち止めにするためにも、黙って肩をすくめるにとどめた。
これで放っておいてくれれば互いに平和だと思うのだが、相手は終わりにする気はないらしい。
深入りされたくない、というイロハの様子を敏感に嗅ぎ取ったのか、ねちっこい笑みを浮かべて言葉を続ける。
「こんなとこまで来て、散歩ってわけでもないだろ。その様子じゃ素材集めってわけでもねえし」
「俺がどこで何してようが勝手だろ」
感情的にならぬよう気をつけながら、イロハは答える。
別に悪いことをしているわけではないが、彼らに目的を知られるのは嫌だった。しかし、良くも悪くも勘の働く者というのはいる。
イロハから見て、氷使いの右隣にいる小柄な男が「ははーん、わかった」とわざとらしく言った。これまた、覚えのある顔である。数ヶ月前、支援要請を受けてイロハが同行した別クランから、素材を奪おうとした中の一人だ。確かスキルは脚部強化《レッグバフ》だったか。
「お前、あの噂試しに来たのか」
恐らくは単なるカマかけだったのだろう。それでも、男の言葉はイロハの顔をこわばらせるには十分だった。
「なんだそれ?」
怪訝な顔をしたのは、最後の一人だ。イロハは知らない顔だが、丸々とした体つきからして戦闘職ではなさそうである。おおかた、罠の解除や水が本物か見るために連れてこられた鑑定眼持ちといったところか。
「この水は人の善悪を量れるって話さ」
小柄な男の言葉に、他の二人はわずかに目を見開く。
「昔はこの水を罪人に飲ませて、その味で罪の重さを決めたらしいぜ。ま、清廉潔白な生き方してたら気にもならねえだろうが」
小柄な男の言葉に、ようやく合点がいったらしい氷使いの男が「なるほどなぁ」と唇の端を吊り上げた。
「そういうことなら、せっかく来たんだ。分けてやるよ」
手を伸ばした彼が、小柄な男の背に負った瓶を一本手に取り、イロハに向けて差し出す。無言のまま目を細めたイロハの反応は、おおいに彼らを満足させたらしい。
「ほら、遠慮するなよ。知りたいんだろ」
ますます笑みを深めた相手に、イロハは乱暴に舌を打った。男達の笑みが凍りつく。
「いらねえよ」
底冷えのする低い声に、男達の顔から笑みが消える。
「あ? なんだ、その態度。喧嘩売ってんのか?」
「馬鹿かお前。確実に勝てる勝負を喧嘩とは言わねえよ」
蔑みも憐憫も、この手の相手にはいらない。「ごく当然のことを、当然のごとく言った」そういう態度が、一番効くのだ。
イロハの予想通り、彼らは完全に戦闘へのスイッチが入ったようだった。言葉や態度で示しても分からない相手には、|暴力《これ》が一番手っ取り早い。
薄っすらとイロハは笑った。結局、自分も同じ穴の狢なのだ。
間合いは十分にある。
相手で一番早いのは、脚力強化の男だろう。だが、彼の間合いは超近距離。イロハに近づくまでに数秒の間を要するため、その間に射止めることは簡単だ。
では氷使いはどうか。
彼の場合は空気中の水分を使って氷を顕現させる必要があるが、自分の手元にしか作れない。もちろん、その後に投擲したりは可能だが、イロハはその隙を与えるつもりはなかった。放たれた矢をピンポイントで凍らせる技術を持っていないのは、先日の一件で確認済みだ。そして、周囲の氷を――自分よりはるかに大きい物量を自在に操るには、あの男の習熟度は未熟に過ぎた。
脚力強化やもう一人との連携もあるかもしれないが、三人程度なら戦術も限られる。何とかなるだろう。
そもそも、スキルを使うまでもないかもしれない。彼ら程度の練度では、連携するために目配せなどの合図《スキ》が必要だ。
それさえ逃さなければ、動きを読むのは容易い。
結論。
殺しはしないが、服に二、三箇所穴が開くくらいは我慢してもらおう。
「舐めやがって」
小柄な男が低く腰を落とす。いつでも矢を抜けるよう、イロハも軽く右手を曲げた。
と、そこで。
空気を震わせる咆哮が轟いた。
目の前の三人が肩をびくりと跳ね上げる。
「なんだ……?」
イロハも素早く辺りを見回した。反響していて距離は判別しにくいが、音源自体はそう遠くはない。
「チッ、もう来やがったか」
氷使いが乱暴に言い捨てたのを皮切りに、三人が一斉に走り出す。その進路上にいるイロハのことなど、すっかり眼中にないようだった。
むしろ邪魔だとばかりに押し除けて奥の出口に向かう逃げっぷりは、いっそ見事と言ってよいだろう。
ただならぬ様子に、とりあえず踵を返したイロハも走りながら千里眼を発動させる。
仮想視点を後方に定め、細かい位置を調整。
現実に流れる視界とは別の景色が、次々と脳内で切り替わっていく。三人が出てきた洞の中、異常なし。洞内左から伸びる通路の奥、行き止まり。正面通路、異常なし。その隣の通路。覗いた途端、スキル阻害の罠《トラップ》でもあったのか暗転。強制的にスキルを停止させられ、一瞬だけ意識が飛ぶ。
崩れた姿勢を転ぶ前になんとか立て直し、再びスキルを発動。
そこで再度、咆哮が響く。さっきより近い。おかげで大まかな方向が把握できた。
イロハが走る道の後方。洞から出てすぐに左右に伸びる横穴のうち、向かって右側の穴奥。
そこに、一匹のドラゴンがいた。
白銀の鱗に金色の角と爪。スキル越しでもわかる堂々とした体躯は、神の獣と言っても過言ではない美しさだったろう。
――白目を剥き、とめどなく唾液を溢れさせてさえいなければ。
白竜《ホワイト・ドラゴン》。
《アルバスデウス》が一時期だけでもS級に跳ね上がる要因たる魔獣の姿が、そこにはあった。
「おい、どういうことだ!」
即座にスキルを停止し、イロハは前を走る男達に怒鳴った。
彼らの態度からして、このドラゴンのことを知っていたのは明らかだ。案の定、チラリとイロハを一瞥した氷使いが忌々しげに吐き捨てる。
「ああ?! てめえに話す義理はねえよ」
「ふざけんな! 何もしてねえのに、真冬に白竜が凶暴化するはずあるか!」
普段の白竜は、その巨体に反して温厚かつ思慮深い魔獣である。鱗の硬さもさることながら、回復力の高さから並の攻撃ではまず傷をつけることは不可能。人ごときが多少攻撃したところで、よほど腹が減っていない限りは相手にもしてもらえないだろう。
そんな白竜が正気を失い暴れ狂う唯一の季節こそが夏季であった。その原因は、このダンジョンの一部に生える植物である。
紅焔花《ピクラリダ》。
ドラゴン潰しの異称で呼ばれるタンポポに似たこの多年草は、竜種が食せば興奮状態に陥り、強い攻撃性を発揮させる。
主な群生地は雪と氷で閉ざされているが、氷が溶ける夏季だけは生育期と重なることもあり、多くのドラゴンが口にしてしまうのだ。あるいは、人間で言うところのアルコールのように、彼らにとっては一種の嗜好品扱いなのかもしれない。
さらに厄介なことに、白竜は紅焔花を体内で分解・貯蔵することで可燃性の強いガスを生成して攻撃に転用できる。
イロハが千里眼で視た白竜は、どう見ても正気ではない。
このダンジョンで白竜をあそこまで狂わせるものといえば、紅焔花をおいて他にはないだろう。問題は、どうしてこの季節に白竜が紅焔花を食せたのかである。
何かの要因で、群生地に繋がる道が開けてしまったのか。
考えながらも、イロハは身を捻って後方を確認する。
三度の咆哮と、氷壁が崩れる音。穴の奥から、先ほど確認した威容がゆっくりと現れるところだった。距離は数十メートルしか離れていない。イロハ達にとっては遠いが、相手はちょっとした豪邸ほどの体躯である。すぐに追いつかれるだろう。
「くそ」
小さく毒づき、イロハは再び前方へと顔を向ける。
前を行く三人も、ちょうどイロハの肩越しに敵の姿を確認したところらしい。目に見えてその顔が引き攣っていた。
ゆっくりと白竜が足を踏み出す。それだけで地面が揺れ、周囲の氷が砕けて舞った。
「う、おおおおお!」
足を止めた氷使いが意を決したように叫び、右腕を高く掲げる。広げられた手のひらに冷気が渦を巻き、見る間に一メートルほどの紡錘形の氷が成形された。
「くらいやがれ!」
大きく振り下された腕の動きに合わせ、巨大な氷のナイフがイロハの頭上を飛び越えて白竜へと向かう。
もしも当たっていれば、いくら白竜といえど多少のダメージにはなっただろう。
――当たっていれば、だが。
白竜が大きく口を開く。
不自然に膨らんだ喉が上下し、ただでさえ赤い口腔内がさらに明るくなった。
一瞬後、熱い風が四人の全身を撫でていく。
白竜が吐き出した熱波の余波だ。当然ながら、それは飛んでいった氷塊を一瞬で蒸発させていた。
「……だろうな」
ぼそりと呟き、イロハは氷使いへと視線を戻す。
恐らくは、あれが彼の持てる全力だったのだろう。目を大きく見開いた男の顔に浮かぶのは死への恐怖と、プライドが粉々に砕かれた者特有の絶望だ。
足を止めた彼に釣られて、他の二人も呆然と立ち尽くす。
打ちひしがれたその姿に、イロハは大きく顔を顰めた。
あの様子では、彼らはもう戦力にはならないだろう。放っておいたら、踏み潰されるか焼き殺されるか、あるいは丸呑みにされるか――。
「ああ……ったく!」
そこまで考え、イロハは完全に足を止めた。
彼らを助ける義理はないし、そこまで自分はお人好しではない。
だが、ここで彼らを置いて自分だけ身を隠すのも寝覚めが悪すぎた。
では、彼らを叱咤激励して共闘でもするか。
浮かんだ考えを「無理だ」と即座にイロハは切り捨てる。
脚力強化は強力だが、間合いが悪い。あの竜相手だと、近づく前に火炎の餌食だろう。では氷使いは? 先ほどの攻撃を見る限り、あれが全力。加えて、それを防がれたことで完全に腰が引けている。もう一人は非戦闘員。すでに失神寸前で震えている。
――だから、イロハは彼らに期待することを諦めた。
「右手三つ目に出てくる横穴に入れ。そのまま真っ直ぐ行けば、出口までの最短経路だ」
身体ごと白竜に向きなおるイロハの言葉に、背中から息をのむ気配が伝わってくる。ついで、「ハッ」と嘲るような声。
「俺たち助けて、お仲間みたいな良い子ちゃんになろうってか?」
そこに宿る揶揄の響きに、イロハは矢筒に伸ばした手を止めた。
「――ごちゃごちゃうるせえな」
口をついて出たのは、ひどく冷たい声だった。
「弱い上に足止める覚悟もねえなら、さっさと行けよ。邪魔なだけだ」
普段のイロハなら、もう少し彼らのプライドに斟酌して言葉を選んだかもしれない。だが、彼とて聖人君子ではないのだ。感謝されたいと思って足を止めたわけではないが、さりとて無礼な言葉を投げられて良い気分はしない。むしろ腹を立てるなと言う方が無理であろう。
くわえて、男たちの自尊心を慮ってやるほどの余裕もなかった。
(まずいな)
矢をつがえながら、イロハは胸中で一人ごちる。
狙いが定められない。
遠くはあるが、相手が巨体なので当てるのは難しくない。問題はどこに当てるか、だ。
さすがに関節は真正面からは無理だろう。何より、竜種は関節であろうと鱗に覆われている。隙間に捩じ込んだとて、肉までは届かないだろう。この距離なら威力も落ちるから尚更だ。
眼。狙えないことはないが、スキルの補助なしではさすがに難しい。それに、高い回復力を持つ白竜相手では、ダメージとなる前に回復されてしまう。
そもそも、矢を放ったとて焼き尽くされるかもしれない。
千里眼を使うまでもなく、攻撃が成功する可能性がまったく見当たらなかった。勝利の糸口すら定められないまま未来を読んでも、無駄に疲労するだけだ。
例えるなら、大河に落ちた一本の糸をなんの手がかりもなく手繰り寄せるに等しい。スキルで河の情報を全て知ることはできても、イロハにはそれを正確により分けることは不可能だった。
迷いが圧力となり、額に冷や汗を滲ませる。この時、すでに彼の頭から背後の三人のことは抜け落ちていた。
まさか、この状況でこれ以上絡んでくるとは考えてもみなかったのである。
「……偉そうに」
低い声。背筋に悪寒が走る。
覚えのある感覚だった。
――誰かに背中を狙われる感覚。
咄嗟に横に跳んだイロハの左脛を抉って、氷でできたナイフが雪に突き立った。白に赤が散る。棒立ちなら、確実に足が貫かれていただろう。
「……っ」
避けたはいいが、片足では勢いのついた体を支えきれず、イロハは肩から地面に倒れ込む。
「てめえ、何を……」
「お前が悪いんだ」
見上げた先では、顔をこわばらせた氷使いが笑みらしきものを浮かべていた。
「偉そうに命令するんなら、お手なみ拝見させてくれよ。あんたがそこで足止めしててくれるなら、俺たちも安心して逃げれる」
たたみ掛けるように言ったのは、脚力強化の男だ。
「……つくづく、見下げ果てた奴らだな」
「先に僕らを馬鹿にしたのはお前だろう!」
詰るように小太りの男が叫んだ。
呼応するように、背後で白竜が吠える。あるいは、イロハの足から流れ出る血の匂いを嗅ぎつけたのかもしれない。身を捩ると、金色の瞳と目が合った。白竜の大きな眼球が、しっかりとイロハの方を見据えている。
視界の外で、三人分の足音が遠ざかっていく。わずかにイロハは身じろぎした。足の傷は刺さらなかった分出血が激しく、すでに感覚はないに等しい。
(ちくしょう)
弓を構える。踏ん張りがきかないので、当然ながら飛ぶ気がしない。
それでも、何もせずにここで死ぬのだけは我慢がならなかった。絶望や悲嘆よりも、彼らの思惑通りに死んでたまるかという思いがくる自分に、イロハは内心で苦笑する。
見つめ合ったのは一秒か二秒か。
もしかしたら、もう少し長かったかもしれないし、短かったかもしれない。
だらしなく隙間を見せていた白竜の口が、さらに大きく開かれていく。同時に腹が大きく膨れ、喉にぼこりと瘤が浮かび上がった。
竜息《ドラゴンブレス》。
考えるよりも前に、咄嗟に身体が動いていた。避けれないなら、せめて急所は守ろうと両腕を上げて顔の前で交差させる。
轟音。
閉じた瞼越しでもわかる暴力的な光の渦と熱が全身を包んでいく。何かが焦げる匂いと、バキバキという乾いた音。一際大きなその音が、周囲の雪氷が溶けて崩れたものだと気がついたのは、濁流に飲み込まれてからだった。
そして、話は冒頭に至る。
今のイロハは正真正銘の丸腰だった。
炎の中でもかろうじて持っていた弓も、氷水に流された際の衝撃で弾かれていった。
どこまでも青い世界。不規則に揺れる波の模様がやけに眩しい。熱いのか冷たいのか分からない感覚の中で、手を伸ばす。
唐突に周囲が暗くなり、遠くの水面にゆらりと大きな影が映った。水が重く揺れ、上方で大きな泡が幾つも発生する。何か大きなものが水中を潜ったのだろう。恐らくは、白竜の――
考える前に、腹に衝撃。
痛いというより、重いと称する方が的確な一撃が背中に抜けていく。
ついで、猛烈な違和感。その正体を考えるより先に、答えが目の前を通り過ぎる。赤黒い糸を引きながら凶悪に光る大きな爪が、視界を分断するようにゆっくりと引き上げられていく。
自身の身体からソレが抜けていく様を見て、思い出したように苦痛がやってきた。
ごぼ、と一際大きな気泡が弾け、冷たい水が喉に押し寄せてくる。それとは真逆に、熱いものが喉を駆け上がっていく感覚。
苦しい。痛い。熱い。
鼻の奥がツンとし、涙が勝手に溢れてはすぐに水に混ざっていく。
霞がかったように白く染まっていく視界と、遠くなっていく意識。
何も見えない中で、水中のそれとは異なる浮遊感が不意に全身を包んだ。
白の中で何かが瞬いている。
それは、無数の0と1の羅列だった。赤、青、緑、ピンク、燈色と、様々な色を持った二つの数字が白い世界を埋め尽くす勢いで蠢いている。
数字は、イロハの指先からも出ていた。というより、指先が0と1に分解されていると言った方が正しい。
奇妙な感覚だった。
己の体は確かに冷たい水中に没し、今も刻一刻と死に近づいているはずなのに、もう一つの意識の中では真っ白な空間で大量の数字に囲まれている。
指先は冷たく、腹の傷は塞がらない。
だというのに、その指は今も形を崩して数字へと変わっているのだ。
空中に放り出された数字はしばらく空中を漂い、やがて引き寄せられるように渦を巻きながら彼方の一点へと収束していく。
きっと、あそこに神とやらはいるのだろう。そうしてイロハが死ぬと、金品を回収するというわけだ。
いよいよ視界が狭まっていく。朦朧とした意識の中、ふとイロハの中に皮肉な想いが浮かぶ。
――いったい、ソイツはどんな面をして見物しているのだろう
何故そんなことを考えてしまったのかは分からない。
どうせ死ぬのなら、という自暴自棄な思いも手伝って、イロハはスキルを発動させる。
死にかけの体でハロを行使したからだろう。自分の中で、何か大事なものがごっそりと欠けていく感覚が広がっていく。
かまわず、白の彼方に焦点を合わせる。
弾かれない。かちり、と頭の中で何かが噛み合う感覚。
視えた。
瞬間、流れ込んできたのは『けたたましい』としか表現できないような情報の奔流だった。
ERROR_NOTIMPL
ERROR_FAIL
ERROR_ACCESS_DENIED
ERROR_UNKNOWN
ERROR_Re■usci■at■■■ REQUEST_PAUSED
PROCESS_TP.Re■usci■at■■■ REQUEST
PROCESS01_IN_PROGRESS
clear
PROCESS02_IN_PROGRESS
clear
PROCESS03_IN_PROGRESS
error
REQUEST_ABORTED
PROCESS04_IN_PROGRESS
clear
PROCESS05_IN_PROGRESS
clear
PROCESS06_IN_PROGRESS
error
REQUEST_ABORTED
PROCESS07_IN_PROGRESS
error
REQUEST_ABORTED
PROCESS08_IN_PROGRESS
error
REQUEST_ABORTED
PROCESS09_IN_PROGRESS
error
・
・
・
ERROR_STOPPED_ON_Re■usci■at■■■ REQUEST
ぶつん、とどこかで何かが切れる音。
「ぁ……」
ごぶ、と一際大きな血塊が水に溶け、消えた。
◆◇◆◇
背後からの慌ただしい足音に、何事かとティトンは振り返った。すぐ傍でスクワットを行っていたクエルクスも同様だ。
クラン【エル・ブロンシュ】。通称を【白羽】。
そのアジトでもある、草原の真ん中に立つ二階建ての家へと続く一本道を、一人の男が駆けてくる。鎧を着た金髪の男は、ティトンもよく見知った顔だった。【秩序】――正式名称【パレス・オーダー】という、治安維持に力を入れているクランのメンバーである。
道の脇に作られたベンチに座ったティトンや、草原で鍛錬に励んでいるクエルクスには目もくれず、男はノックもそこそこに扉を開けて中へと入っていく。どう見ても、ただ事ではない。
「何かあったのかな?」
ティトンは首を傾げた。
またコトワリがダンジョンの浅瀬で死んだのだろうか。しかし、それなら当人がいないのは不自然だった。それに、朝会った時に「今日は一日店にいるつもりだ」と彼は言っていたはずだ。
アロはさっきまでティトン達の傍でPIYOと戯れていたが、「コトワリさんのお店行ってくるー」と言って出ていったところである。いつも通りの自由っぷりと言えよう。イロハは朝から姿を見ていない。昨日も朝早く出ていったそうだが、その際に盟主に「遅くなるかも」と告げていたそうだ。
今日も早朝に出ていったのか、あるいはまだ帰ってきていないのか。
「またコトワリが死んだんじゃねえのか?」
鍛錬を中断したクエルクスが、汗を拭きながら答える。考えることは同じらしい。
「うん、僕もそれは考えたんだけど……」
「けど?」
「だったら、どうしてコトワリがいないのかなって」
「確かにな」
二人が話していると、家の扉が開いた。【秩序】の彼と共に、白い髪の少年――【白羽】の盟主である梟も出てくる。
「何かあったんですか?」
ティトンの問いに答えたのは、【秩序】の男だった。
「昨日の夜遅くに、このクランのメンバーが教会に転送されてきたんだがな。神父の話だと、復活の儀式をしてもまだ目を覚さないらしい」
彼の言葉に目を丸くしたティトンは、クエルクスと顔を見合わせた。
to be continued……
【エデン】世界の仕組みと神様について② - 透峰 零
2024/12/21 (Sat) 17:03:13
男に案内されたのは、クランから少し離れた西の方にある教会だった。そう大きいわけではなく、神父が一人で切り盛りしている。
「どうぞ」
古いがよく磨き込まれた扉が、【秩序】の男によって開かれる。彼に促され、最初に盟主が、その後に一緒についてきたティトンとクエルクスが並んで入った。
入ってすぐ目に入るのは、ずらりと並んだ礼拝用の会衆席だ。その両側には、上部が優美なアーチを描く大きなステンドグラスの窓が設置され、午後の柔らかな光を室内に差し入れている。
男はそちらには見向きもせずに横切ると、講壇の脇にある扉を開けてさらに三人を促す。白く短い回廊を抜けると、こじんまりとした両開きの扉が現れる。どうやらここが目的の場所らしい。扉の上部には『復活儀式の間』と書かれた木製のプレートがかかっていた。
男の規則正しいノックに、室内から「どうぞ」とくぐもった声が答える。
「失礼します」
男がドアを開ける。
礼拝堂ほどの広さはないが、同等の明るさがあるこざっぱりとした部屋だった。だが、部屋の広さに反して人の気配がないせいか妙に寒々しい。
中には寝台に似た石の台が五つ。そのいずれもが、ほのかに白い輝きを宿している。
「どうも、わざわざ済まないね」
そう言ったのは、部屋奥に佇んだ中年の神父だった。
だが、彼の傍にある寝台に見知った顔を見つけ、ティトンは挨拶することも忘れて思わず息を呑む。
「イロハ……」
代わりに名を呼んだのはクエルクスだ。
二人の前に立っていた盟主が、ゆっくりと神父に向けて頷く。
「うん、確かに。うちのメンバーで間違いないかな。近くに寄っても?」
「どうぞ」
「ありがとう――二人も、良ければ一緒に確認してもらえるかな」
盟主に言われ、ティトンとクエルクスも固い顔のまま寝台に近寄る。
見慣れた白い顔。閉じられた瞼。胸の上で組まれた両手。いつも首の後で束ねている黒髪は、死ぬ過程でほどけたのか寝台の上に広がっている。
静かに上下する胸や穏やかな表情もそうだが、こんな場所でなければ昼寝しているだけに見えただろう。
「今までこんなことは?」
「ありませんよ。だから問題なんです」
盟主に問われた神父が、小さく肩をすくめた。
「それに、他にも奇妙な点はありましてね。ログがないんですよ」
神父が指差す先は寝台の下部だ。通常ならばそこには、彼ら聖職者が「ログ」と呼ぶ死亡時刻と場所の情報が、転送と同時に浮かび上がってくるという。
ところが、イロハの寝台にはそれがない。
より正確に言えば、情報はあるのだがそれが読み取れないのだ。
「ほら、ここ。何か書いてあるのは分かるんですけど、意味を成さないようなめちゃくちゃな並びなんですよ。文字の色もそう。普通なら青色なんですけど、彼の場合は赤色だから気味が悪くて」
「確かに。これじゃあどこかわからないね」
赤い文字の群れをしげしげと眺めていたティトンも、神父の言葉に同意する。
「ったく。他人《ヒト》の失せ物探すのは得意なくせに、てめえが行き先不明になってどうすんだよ」
呆れたように言ったクエルクスがイロハの頬を引っ張る。が、すぐに眉を寄せて手を離した。
「おい。こんな場所で寝こけてるわりには、こいつやけに血色いいな? 体温も普通みたいだし」
「ああ、それですか。どうも、その辺りも転送した状態で固定されてるみたいなんですよね。昨日からずっと同じなので」
「どうりで。割と本気で引っ張ったのに、跡すらついてねえ」
ふん、とクエルクスは不愉快そうに鼻を鳴らす。先ほど彼につねられたイロハの頬は、赤くもなっていない。
そういえば、とティトンは神父に問うた。
「装備とかは一緒に転送されてきてないんですか? もしかしたら、どこに行ったかの手掛かりになるかも」
「それならあちらに」
神父が指差したのは、部屋の隅の暗がりだ。そこには、ティトンにも覚えがある肩掛け鞄と矢筒が置かれている。クエルクスが小さく舌をうった。
「なんかあれば良いけどな」
「というと?」
「あいつ、一人の時は強行突破でさっさと帰ること前提だからな。最低限の装備しか持って行ってねえんだよ」
「何ていうか……イロハらしいねえ」
苦笑し、ティトンは鞄の中をあらためる。中身は、以前見た時と大きく変わっていない。
火付道具と水筒、小ぶりのナイフ等々。金貨が数枚。ということは、彼は少なくとも蘇生代は身につけていたのだろう。
「あれ?」
と、そこで違和感を覚える。何かが足りない。けれど、それが何か分からない。
「ねえ、クエル」
「こいつ、弓はどうした?」
指摘され、その足りないものの正体に思い至ったティトンは思わず「それだ」と口に出した。
「ダンジョンに行ったなら、持っていたはずだよね?」
「だな。んでもって、それを易々と手放すとは思えねえ」
「いっつも言ってるもんねぇ」
二人の会話に気がついた盟主が、「言ってるって、何を?」と尋ねてきた。
クランメンバーの間では当たり前になっているが、共にダンジョンに潜らない盟主は知らないのかもしれない。
「半分冗談なんですけど、『俺が死んだら弓だけは持って帰ってね』って、よく言ってたんです」
「蘇生代の足しにされるなら、まだ他のものの方がマシだからってよ」
口々に言いながらも、二人の頭に浮かぶ疑問は同じことだ。
通常、武器などの装備は少し離れたところにあったとて、直前まで持っていた者の所有物と認識される。イロハの手荷物に金貨が余っていたということは、蘇生代の足しに神が持っていったことはないだろう。
つまり、考えられる可能性は二つ。
死ぬ前に彼自身が誰かに譲渡したか、あるいは――死んで生き返るまでの僅かな間に、何者かが新たな所有者となったか。
◆◇◆◇
時間は少し遡る。
ちょうどティトンとクエルクスが教会に向かっている頃、コトワリは店のカウンターに積み上がる謎の生き物を半眼で眺めているところだった。
「アロさん、何をされてるんです?」
「PIYO積みだよー。コトワリもやる?」
「いえ、結構」
青や黄、桃色に緑。どこから手に入れてくるのか不明だが、アロは色も形も異なるPIYOを器用に積み上げていく。
「お客さんが来たらどかして下さいよ」
「はーい」
そんなことを二人が話していると、折よく店の扉が開けられた。
「おや、いらっしゃい」
入ってきた人物を見て、コトワリはちょっと眉を上げた。知った人物だったのである。
「ギャザーさん、今日はどうされました?」
「いやぁ、その……店に用があるわけじゃないんだけど」
歯切れ悪く言ったのは、素材収集クラン【ポケット・ポケット】、通称【PP】のメンバーであるギャザー・レウニールである。
「けどー?」
「何か用があって来たのには変わりないんでしょう。ああ、クラン員への贈答なら、名前を書いてそこの籠に入れといて下さい。後で渡しておきますから」
慣れた様子で部屋の隅に置かれた三脚の上の籐籠を示すコトワリに、ギャザーは慌てて両手を振った。
「いやいや、違うんだって。そのさ……イロハ、どうしてるかなーと思って」
「イロハさんですか? 盟主の話だと、昨日の朝から出かけてるみたいですけど」
コトワリはアロの方に顔を向けるが、彼も同じらしく「知らないよー」と首を横に振っている。
「何か困り事ですか? それとも支援要請?」
言いながらも、晴れないギャザーの顔に「どうやら違うらしい」とコトワリは予想をつける。
では、一体何だというのか。胸に嫌な予感が湧き上がってくる。
「見間違いならいいんだけどさ……。さっき【生贄】の奴らとすれ違った時に、イロハのと似た弓を持ってたから気になって。ほら、あいつの弓って地味すぎて逆に目立つから」
所在なさげに指を上下に揺らし、ギャザーは扉の方を指差した。
to be continued……
Re: 【エデン】世界の仕組みと神様について③ - 透峰 零
2025/01/04 (Sat) 00:15:54
「確かに、そうですね」
コトワリが知る限り、イロハの持つ弓はそう凝ったものではなく――だからこそ、目を引くものではあった。
機械仕掛けのボウガンや、ロングボウではなく、女子供でも扱えそうな短弓だ。
幾つかの材質を組み合わせた複合弓だが、目を引くのはそこに魔獣の素材がまったく使われていないことだった。恐らく彼がエデンに辿り着く前から使っていたものなのだろう。
もう少しいいものを持たないのか、とコトワリもそれとなく聞いてみたのだが、彼は笑って「これが一番いい」と言っていた。
現に、彼の弓はよく飛ぶ。初級の冒険者が持つような木を組み合わせたようなもののくせに、だ。
彼自身の腕やスキルとの相性もあるのだろう。慣れだってある。
それでも、彼が他の弓で引く時は確かにあの弓に劣っていた。
「コトワリ?」
ギャザーに呼ばれ、我に返った。戸惑い顔のまま彼は続ける。
「そいつら、ダンジョンで拾ったから売りにいくって話しててさ。たまたま聞こえたんだけど、気になって」
その言葉に、コトワリは自分の口元が引き締まるのが分かった。
「彼ら、売りに行くと言っていたんですね?」
「お、おう」
答えを聞いた時には席を立っていた。アロの方も、すでに入口に移動している。
「ちょっと店番お願いします。行きましょう、アロさん」
「はーい」
ドアを開けて待ち構えていたアロと共に外に出れば、昼下がりの陽光が二人を出迎えた。
「でもコトワリさん、場所は分かるのー?」
「分かりませんよ。けれど、ギャザーさんは「さっき見た」と言ってました。ということは、この近くには間違いない。職人通りにでも行ってみましょう」
その言葉でアロにも分かったのだろう。重ねて尋ねてはこなかった。
エデンにある店の数は、武器屋だけでも十は下らない。防具屋などが兼用しているものも含めれば、もっとその数は増えるだろう。店舗位置も、なんとなく固まってはいるが個人経営で細々とやっているところもあるため、きちんと統計を取れば果たしてどれだけの数があるのか。
そんなわけで、コトワリが最初に向かったのはエデンで武器防具を扱う店が集まる一画だった。幸いというべきか、場所はここからそう遠くない。体力のないコトワリの足でも、十五分もあれば事足りる。
「当たったー」
「そうですね」
珍しくよそ見をしないアロが前方を指差した。赤煉瓦が敷き詰められた鍛冶屋町の大通りの入口で、息を整えがてらコトワリも立ち止まる。
二人の視線の先。ちょうど近くの店舗から、見覚えのある刺青を施した一団が退出してきたところだった。数は三人。距離にして五メートルもないだろう。
「ケッ、しけてやがるぜ」
その内の一人、頬に刺青のある男が店に向かって唾を吐きかけた。その隣で「デカいからって調子のってんだよ」と小柄な男が同意を示す。
二人から少し遅れて出てきた小太りの男は「本当、ひどいよね」と、小刻みに首を上下に振っている。彼の手にある弓は、確かにコトワリにも覚えのあるものだった。背を向けて去りかける三人に、コトワリは咄嗟に声をかける。
「待って下さい」
「あ?」
振り返った小柄な男が、低音で唸った。普段ならば「何でもないです、失礼しました」と回れ右をしたくなる種類の声音である。というか、目すら合わせたくはない。隣にいたアロも意外だったのか、ぱちぱちと目を瞬かせてコトワリを見つめている。
臆病に波打つ心臓を深呼吸で黙らせ、コトワリは彼らを刺激しないように慎重に言葉を紡ぐ。
「その弓をどこで?」
「はぁ?」
小柄な男が、片目を眇《すが》めて威嚇するように首を傾けた。
「なんだぁ、お前? 関係あんのかよ」
「うちのクラン員の持っている武器と似ているもので……。失礼ですが、確認させて下さい」
真っ直ぐに差し出したコトワリの右手。そこに輝くハロを一瞥した男の唇が「ああ」と、嘲弄の形に歪む。
「誰かと思えば、白羽の雑魚店主とPIYO野郎か」
男自身のハロは、言うだけあってそれなりに大きい。左足首に輝く丸と四角がズレて重なりあった図形は、人の顔面くらいの大きさはある。
ぐっと唇を引き結んだコトワリの顔を下から覗き込み、ことさら煽るように男は言葉を重ねる。
「これはな、俺たちがダンジョンで拾ったんだよ。お前みたいな雑魚一人じゃ到底行けないダンジョンの底でな」
「そ、そうだよ。証拠もないのに、妙な因縁つけないでほしいな」
小太りの男も甲高い声で主張する。媚を含んだ、嫌な声だった。その援護に力を得たのか、小柄な男は腕を組んでニヤニヤとコトワリを見つめていたが、ふと片眉を上げて傍の男をふり仰いだ。
「なぁ、ガルヴァ。お前も何とか言ってやれよ」
促されたのは、今まで黙っていた頬に刺青を持つ男だ。
「何とかって。そもそもお前ら、そんな奴ら相手にするなよ。時間の無駄だろ」
彼はコトワリの方を見もしなかった。馬鹿にする価値もない、と言わんばかりの態度である。
「そもそも、武器がわかるくらい戦闘に連れて行ってもらってんのかも怪しいし?」
「確かにな。足手纏いだし、置いていかれてるだろ」
「!」
痛いところを突かれ、コトワリは息を呑んだ。確かに、コトワリはティトンやクエルクスに比べて彼と共に戦闘に参加する機会は少ない。
その数少ない戦闘の最中では武器に注目する余裕などないし、彼らの動きは早すぎた。
同じ後衛職だから並んで歩く時はどうかと思考を巡らせれば、そもそも並んで歩いた記憶がほとんどない。
なぜか。非戦闘職であるコトワリを守るためだ。前衛にはティトンとクエルクスがおり、アロは武器と本人の自由度の高さからポジションの固定はされていない。そうなると、戦闘力のないコトワリを真ん中にして安全性を高めるためには、必然的にイロハが殿が務めることになる。
だから、コトワリはダンジョン内で彼と並ぶことはほとんどなかった。
けれど、とコトワリは挫けそうになる己に言い返す。
戦闘中でなくても、自分は彼の弓を覚えているはずだ。
クランの庭で、ベンチに座って手入れする姿を知っている。その指の形すら、克明に思い出せた。
「……それでも」
「そこまで気になるなら本人に聞いてみたらどうだ? まぁ、《《聞ければ》》だがな」
言い募るコトワリに被せるように、ガルヴァが歯を剥いた。他の二人も「ああ、そりゃ良いな」「どうなったんだろうね」と言って、ゲラゲラと笑いを重ねる。
奇妙な言い回しに、コトワリは己の眉が寄っていくのが分かった。
「どういうことですか?」
「どうもこうも、そのまんまの意味だ」
追及する前に、コトワリは今までの流れを整理する。
考えてみると、確かにおかしい。そもそも、イロハがおいそれと大事な武器を落としたりするだろうか。答えは否だ。
では彼らが奪った? それも考えにくい。売るにしても旨みが少ないし、イロハが許さないだろう。しばしば誤解されるが、別に彼は非戦主義者ではない。沸点は高いし普段は温厚であるが、暴力にはしっかり暴力で返す。
右の頬を張られたら次の瞬間には相手の両頬を拳骨で殴るくらいには切り替えが早い。もっとも、そうでないと用心棒などつとまらないのだろう。
考え込んでいると、話は終わったとばかりに、三人が再び踵を返す。
その前に立ち塞がる人物がいた。
「なんだ。今度はお前か、PIYO野郎」
「返してよ」
三人――特に、後方で弓を持つ小太りの男をまっすぐに見つめたアロが平坦な声で言った。普段のころころとよく変わる豊かな表情はなりを潜め、感情の読めない琥珀色の瞳が三人を睥睨する。
その変わりようにはコトワリも少なからず驚いたが、相対した三人の衝撃はそれ以上だったらしい。
返す言葉を咄嗟に出せない彼らに向けて、アロが無言で一歩を踏み出す。
「……っ」
びくり、と小柄な男が肩を跳ねさせた。だが、すぐにそんな自分を恥じるようにアロを睨みつける。
「……だから、嫌だっつってんだろが!」
裏返った声と同時に、足首にある男のハロが淡く輝きを帯びた。瞬間的に跳ね上がった右足が、迷いなくアロの顔面に向かっていく。
思わず目を瞑ったコトワリの耳に、甲高く乾いた音が届いた。
to be continued……
Re: 【エデン】世界の仕組みと神様について④ - 透峰 零
2025/01/26 (Sun) 17:14:54
しかし、予想に反してアロの悲鳴はいつまで経っても聞こえてこない。代わりに聞こえたのは、聞き覚えのある爽やかな声。
「良くない。街中での無用なスキル行使は良くないよ」
目を開いたコトワリの前でひるがえったのは、端を黄色く染められた白の長髪。
「げっ」と【生贄】の三人が呻き声を上げた。
「ダック隊長〜?」
いつもの間伸びした口調に戻ったアロの呼び声に、目の前の人物が振り返る。
「昨日ぶりだね、アロ君」
きらりと白い歯を輝かせたのは、クラン【ダンスインザダック】のリーダー格である男である。通称はダック隊長。彼の本名を、少なくともコトワリは知らない。
「それで、これは一体どういうことかな?」
再び体を反転させた彼が、今度は【生贄】の三人に向き直る。その手にあるのは、恐らく蹴撃を受け止めたであろう小型のナイフだ。護身用にしか使い道のなさそうな頼りない造りのそれで、スキルののった攻撃を受け止めたのだとすると相当な腕前だ。ナイフは鞘から抜かれていないが、彼がその気になれば目の前の三人を制圧することは容易いだろう。
戦闘技能においては素人同然のコトワリでも、それくらいは理解できた。
「別に」
先ほどアロに蹴りかかった男が、しゃがみ込んだままで吐き捨てる。攻撃を受け止められた際に、衝撃を逃がすのに失敗したのかもしれない。
「因縁つけてきたのは、そいつらが先だよ」
「ほう」
ダックが目を瞬かせる。
「しかし、何か理由があるのだろう。そうでなければ、君が蹴りかかるほどに拗《こじ》れることもあるまい」
「さあね。それはそいつらに聞いてくれよ」
コトワリとアロを睨みつけながら、男が立ち上がった。いつの間にか、他の二人は既に距離を取っている。ダックの仲裁を幸いに、逃げるつもりだ。
「待て……!」
コトワリの制止が意味を成すはずもなく。
反転した男は、待っていた仲間二人を伴ってあっという間に雑踏へと紛れていった。
「大丈夫だったかい?」
再び振り返ったダックに尋ねられ、伸ばしていた手を下ろしたコトワリは、力ない笑みを浮かべた。
「はい、すみません」
「余計なお世話かと思ったが、その様子だと私の判断は間違っていなかったようだ」
ハッハ、と笑う彼にコトワリは「ありがとうございます」と頭を下げた。
「隊長さん、ありがとねー」
「なに、アロー君達が無事で何よりだ。しかし、一体どうして彼らと関わることになったんだい?」
軽快だったダックの表情が、わずかに曇る。彼も【生贄】については良い印象を持っていないのだろう。
「実は……」と、コトワリはざっとことの経緯を説明する。聞き終えたダックは「ふむ」と顎に手を当てた。
「確かにアサケノ君の弓は、《《原価なら》》大した価値はないだろうね。もっとも、あれに値段はつけれないだろうが。――そうですよね?」
コトワリの背後に目をやり、ダックが言う。振り返ったコトワリは、そこで初めて己の背後に男が立っているのに気がついた。
猪首のがっしりとした短躯と四角い面は、いかにも職人という外見をしている。恐らくは、先ほど【生贄】の三人が悪態をついて出てきたこの店の主人なのだろう。静かな迫力に押され、コトワリは一歩後ずさる。
「いつからそこに……?」
店主の大きな目がギョロリと動いた。
「お前がそこの隊長に事情を話してる辺りから、かな。騒ぎが聞こえたから、気になって様子を窺ってたんだよ」
「そうですか。それは気づかずに失礼しました」
一礼し、コトワリは男に問いかける。
「それで、先ほどの。値段をつけれないというのは?」
「つけようとしたら、高すぎるんだよねー」
店主より先に答えたのはアロだ。
少し目を丸くした店主は、ついで目元を和ませてアロを見上げた。
「よく分かったな、坊主」
「えへへー。何となくー」
褒められたアロは、くすぐったそうに頭をかいた。
再び難しい顔になった店主は腕を組み、慎重に口を開く。
「あれは、原価だけで言えば本当に大したことはない。何しろ、貴重な素材は一切使ってないからな」
「材料だけなら誰でも揃えられる、と」
店主は真顔で頷いた。
「そうだ。ただな、同じものを作ることは不可能だよ。少なくとも、俺の知る限りエデンで作れる人間はいない。あれはな、恐ろしく手間が掛かってる上に、誰も真似できないような職人技の末に作られたもんだ。俺は弓は専門外だが、木材の一つとっても年単位の時間をかけてるはずだぞ。……一度だけちらっと見せてもらったが、貼り合わせてる木の硬さや種類も全部微妙に異なる上に、動物の骨や腱も複数使ってる。合わせてる膠《にかわ》にしたって、全部調合が違う。はっきり言って変態の所業だぞ、あれは」
なるほど、聞いているだけで頭が痛くなってくる代物である。
「確かに値段はつけれそうにないですね」
それに、簡単に手放すはずもない、とコトワリは胸のうちだけで付け足す。
「まぁな。この界隈だとあいつの弓はおっかなくて触れねえって有名だし、【生贄】の奴らに高額の金を渡す奴はいないよ。みんな大なり小なりアサには世話にはなってるからな」
アサ、と口の中で繰り返したコトワリはそれがイロハのことだと少しして気がついた。
「そもそも、あいつらが持ってくる武器や素材は正規のルートかも怪しいんだよな。混ぜ物が多かったり、呪われてたりするし。ああ、さっき持ってきた爆薬用の紅焔花《ピクラリダ》は珍しくマトモだったか。でもこの間だって」
「あ、あの。次はどこに行くとか言ってませんでしたか?」
放っておけば際限なく愚痴を続けそうな店主の言葉を、コトワリは遮った。
「うん? いや、すまん。特には何も聞いてない」
「多分、そこまで考えてないんじゃないー?」
いつになく辛辣だが、アロの見解にはコトワリも頷くしかなかった。
店主に礼を言い、店内へと戻るのを見送ったコトワリは「さて」と呟いて顎に指を当てる。
「当てずっぽうで追うのも無駄が多いですし……どうしたものか」
ちょうどその時、通りの入り口から新たな一団が職人通りに足を踏み入れた。
彼らが身に付けているのは揃いの赤い石だ。クラン、【赤嘴《ベックルージュ》】。入隊条件にハロの大きさを組み込むなど、実力主義の大手クランである。
その内の一人、白緑色の衣に包んだ少女がコトワリの姿に目を止めて足を止めた。
近くのメンバーに二言、三言断りを入れて輪を抜けてきた彼女が、コトワリの方に早足で向かってくる。
「コトワリくん、偶然だね」
「ゆあさん……」
仲間から離れた途端に弾んだ声をあげる彼女こそ、コトワリの恋人にして【赤嘴】きっての回復のエキスパートである、ゆあだ。
「こんなところで会うなんて珍しいね。あ、もしかして武器屋さんに用があったのはそっちの彼の方?」
ゆあに視線を向けられ、アロがにっこりと笑う。
「アロ・アローだよー」
「ありがとう。私はゆあ、よろしくね」
笑みを返したゆあは、ダックにも小さく頭を下げた。
「お久しぶりです」
「ああ。君の方は相変わらず忙しいようだな」
どうやら、二人は知らない仲ではないらしい。軽い挨拶だけで済ませると、ゆあは改めて首を傾げた。
「隊長さんも一緒って、ますますどういう状況?」
「僕らのクランのメンバーが持ってた武器を、別クランの人が持ってたんですよ。ここで売ろうとしてたみたいなんで理由を聞いたら、逆上されまして……。隊長さんには、そこを助けていただきました。ただ、その間に逃げられてしまったから、どうしたものかと」
ため息をついたコトワリに、ゆあは「大変だったね」と顔を曇らせた。
「売ろうとして失敗したなら……。素材にバラして売ったりするかもしれないし、鍛治クランの方に行ってみたらどうかな?」
ゆあの言葉に、アロが「そっかー」と手を打った。一方、「バラす」という言葉に顔を引き攣らせたのはコトワリである。
先ほどの店主の言葉が本当なら、いよいよ取り返しがつかない。
「ありがとうございます、ゆあさん。行ってみます」
「手伝おうか?」
控え目な提案に、コトワリは小さくかぶりを振った。視界の端では、ゆあを待っている【赤嘴】の面子がコトワリ達に好奇の視線を注いでいるのが見える。あまり彼女に負担をかけさせるわけにもいかない。
「大丈夫ですよ、お気持ちだけもらっておきます」
それでもまだ心配そうな彼女に微笑すれば、隣から「むぅ」というダックの唸りが聞こえた。
「私も一緒に行ければいいのだが……。あいにく、この後はコダック達とダンジョンに行く依頼があってな」
「大丈夫ー」
心の底から無念そうなダックに、にぱっとアロが笑いかける。
「なんとかなるよー。ね、コトワリ」
「……そうですね」
正確には「なんとかしないといけない」ではあるのだが。
しかし、アロの笑顔を見ていると不思議と先ほどまでの焦燥はなりをひそめていた。
案外、「なんとかならない」ことなんて世界には少ないのかもしれない。そんな気持ちのまま、コトワリは足を踏み出した。
to be continued……
【エデン】世界の仕組みと神様について⑤ - 透峰 零
2025/03/15 (Sat) 18:24:30
「とりあえずどうする?」
教会から出たクエルクスは開口一番、ティトンに問うた。盟主はもうしばらく教会に留まるという。
「……職人通りに行ってみよう。武器に関することなら、何か情報があるかもしれない」
顎先を指で摘んで考えながら、さらにティトンは続ける。
「それから、通り道には鍛治クランもあるよね。そっちもついでに当たってみよう。ないとは思うけど、拾ったなら素材として売る連中が現れるかもしれない」
「そうだな。片っ端から聞いて回るか。あんな骨董品、持ってる奴がいたら相当目立つはずだしな」
頷きあった二人は、鍛治クランの方へと歩を進める。
鍛治クランとは、その名の通り武具や防具の製作に特化したクランである。彼らが作ったものの一部は鍛冶屋で売られたりもするため、クランルームは職人通りの近くに構えられていた。
赤煉瓦が特徴的な職人通りをしばらく進んだところで裏道へ入り、東へと進む。冬であるにも関わらず、この辺りは気温が高い。商品を扱う店舗ではなく、作業場が多くなるからだろう。現に今も、あちらこちらから鉄を打つ音と火の気配が漂っている。
「……いつもながら、ここらの熱気はすごいな」
コートのボタンを外しながらぼやいたクエルクスに、ティトンも頷く。
「凄いよね。火は屋内で使ってるはずなのに、ここまで熱が届いてくる」
「中はもっと暑いんだろうな。鍛治クランの奴らが年中半袖なのも納得行くってもんだ」
話しながらも、二人の目は油断なく周囲を探っている。だが、情報が入ってきたのは耳からだった。
「ほらよ。持っていきな」
低い女の声と、ジャラリという重々しい音。
二人が同時に首を回した先の路地では、一人の女が三人組に小袋を渡しているところだった。頭上高くで一つにまとめられた真紅の髪と難燃性の作業着。腰に吊られた何本もの鎚からして、鍛治クランの人間なのだろう。女性ではあるが身長は高く、コトワリと同じくらいに見えた。
彼女が手渡した小袋はいかにも中身が詰まっていそうであり、先ほどの音はここから発されたと見て間違いないだろう。
「【生贄】の奴らじゃねえか……。なんでこんなところにいるんだ?」
声を潜めてクエルクスが囁く。
「確かに、妙だね」
ティトンも三人組の持つ刺青には覚えがあった。【生贄】は、他のクランと折り合いが悪い。ダンジョンの内外を問わず、彼らの素行の悪さは有名である。
そんな【生贄】のメンバーがわざわざ鍛治クランと取引などするだろうか。鍛治クランの人間にしても、応じるとは思えなかった。
「おい、あれ」
クエルクスが驚いたような声を上げる。その視線の先を辿り、ティトンもすぐに彼の動揺の理由を悟った。
小袋の代わりに女が受け取ったのは、見覚えのある小弓である。
「イロハの、だね」
【生贄】の三人はティトン達とは逆方向へと素早く踵を返すと、足早に離れていった。その背中を見送っていた女が振り返る。
振り返り、ぎょっと目を見開いた。恐らくは、路地の入り口に立つティトンとクエルクスに今になって気がついたのだろう。
だが、ティトンの首から下がる白い羽のついた首飾りを見た途端にその表情が安堵に変わる。
「なんだ、良かった。あんたら白羽の人か」
言いながら、彼女は腰に差した鎚の一つを手に取り打撃面を二人に見せた。
丸い小口の周囲を縁取るように彫られた茨冠の紋章。鍛治クラン【隠者の茨冠】――通称、【隠者】に所属するクラン員の証である。
「あたしは【隠者】のリーリェ。リーリェ・リフラン。ちょうど良かった。これ、ケノに返しといて」
笑いながら、彼女は手にした小弓を差し出した。手を出しながら、ティトンは首を傾げる。
「ケノ……って、イロハのこと?」
「そういやそんな名前だっけ。そう、そいつ」
女性の答えに、ティトンは「はぁ」と曖昧な声を出した。もしここにコトワリがいたら、「あの人、呼び名に頓着しなさすぎでしょ」と呆れたかもしれない。
「貸しひとつだよ、って。あいつら、価値のわからない馬鹿だから分解《バラ》しかねないからさ」
「それには同意するがな、あんたの目的はなんだ。結構な大金だったようだが?」
横から口を挟んだクエルクスに、女は軽く肩をすくめた。
「ああ、良いよ。あれ、一部は石だからね」
「なに?」
「硬貨は表面だけだよ。底の方には石を詰めてある。あいつら、よっぽど焦ってたんだね。碌に確認もしなかったよ」
「……それって、詐欺になるんじゃないの?」
ティトンの指摘に、女はけろりとして言った。
「あたしは具体的な値段の提示はしてないよ。「その弓ならこれくらい出してやる」って、袋を見せただけだもん。中を確認しないあいつらが悪い」
さすがは鍛治クランのメンバーである。呆れ半分、感心半分でティトンは目の前の女性を見上げた。これくらい抜け目がないと、武器屋や防具屋とも直接値段交渉はできないのかもしれない。
軽く頭を左右に振ったクエルクスが口を挟む。
「言い分はわかるが、あいつら相手に通じるのか?」
「さぁ? 文句言ってくるようなら相手してやるけどね。というか、何であいつらが持ってたのさ」
「それは俺らの方が聞きたいな。あんた、その辺は何も聞いてないのか?」
リーリェは返事の代わりに肩を大仰にすくめた。
「聞いたよ。でも、あいつら「拾った」の一点ばりでね。埒が明かなかったんだよ」
「拾った……ねぇ」
低い声でクエルクスは唸った。彼が何を考えているかは、ティトンにも分かる。あの弓が手放された時――すなわち、イロハが死んだ時に彼らは近くいた可能性が高い。だとすれば、彼の死と何らかの因果関係があると考えるのが自然だろう。
黙り込んだ二人の微妙な空気に、リーリェは眉を寄せた。
「なに。ケノのやつ、何かドジ踏んだの?」
「いや、何というか……」
言葉を濁したクエルクスが目を逸らした。ちょうどその時。
「ティトンとクエルさんだー」
折よくと言うべきか、アロの声が背後から聞こえた。
二人が振り返ると、疲労困憊しているコトワリと、いつもと変わらない様子のアロが路地を覗き込んでいる。
「あれー。それ、なんでティトンが持ってるの?」
軽く目を瞠ったアロが、ティトンの手元を指差して小走りで傍に寄ってくる。
「それ、【生贄】の人たちが持っていっちゃってたんだよー。大変だったんだから」
あまり大変そうでない口調で続けられたアロの言葉に、ティトンとクエルクスは無言のまま視線を交わした。
どうやらあちらの二人も、別ルートからこの弓の行方を追っていたらしい。
「この人が取り返してくれたんだよ」
ティトンの言葉に、リーリェが軽く会釈をする。
「ありがとうございますー」
「お手数おかけしました」
「良いって、良いって。困った時はお互い様だよ。あいつにもよろしく言っといて」
ニッと笑った彼女は片手を振って「じゃあね」と近くの建物へと姿を消した。
あとに取り残された四人は誰にともなく顔を見合わす。
「さて、と」
最初に口を開いたのはティトンだった。
「ちょっと、情報整理の必要がありそうだね」
【エデン】世界の仕組みと神様について⑥ - 透峰 零
2025/04/29 (Tue) 23:34:24
ティトンの提案に、他三人はその場に留まって続く言葉を待つ。
「僕とクエルは教会に行ってたんだ。【秩序】の人が盟主さんを教会に呼んだから、それについて行ったんだけどね。呼ばれた理由ってのは、昨夜から生き返らない【白羽】のメンバーがいるから確認して欲しいってものだった」
そこでティトンは一度言葉を切る。誰とはなしに、ティトンの持つ短弓に視線が集まってしまうのは仕方のないことだろう。弓を顎でしゃくり、クエルクスが後を引き継ぐ。
「まーそこで、アレがないのに気がついてな。職人通りに行く道すがら、鍛治クランの方も覗いてみようって話になったんだよ。あの武器オタクどもなら、なんか情報拾ってるかもしれんからな。そしたら、【隠者】の女が【生贄】の連中からその弓を買い取ってたんだ」
「実際には買い叩いたって感じだけどね。で、その【隠者】の人が「持ち主に返しといて」って僕らに弓を渡してくれたんだ」
なるほど、とコトワリは顎に手をあてる。彼らの話はこれで全部なのだろう。次はこちらの番、とでもいうようにティトンが右手をコトワリに向けてくる。
「……というか、生き返らない?」
今さらながらの重大情報に、コトワリは愕然と呟く。
「イロハさん、死んじゃってたのー?」
「うん」
アロの確認に、ティトンが頷く。
「外傷は?」
「今のところないよ。でもそもそも、生き返らないってのがイレギュラーだから、傷だけ治ったってことも考えられるよね」
言って、ティトンはクエルクスを見上げる。彼の意を汲んだクエルクスも「そうだな」と答えた。
「俺も一緒に確認したが、でかい傷は見当たらなかった。髪がほどけてたから、戦闘の類はあったのかもしれんがな。呑気に寝てるだけに見えたぜ。だから、死因は分からん」
「イロハのことだから、毒ってことも考えられるけど……」
ティトンが顔を曇らせる。彼がその推論に辿り着いた理由は、コトワリにも理解できた。
イロハは戦闘手段の幅広さ・ハロの大きさ共に手堅い実力を持つが、短所がないわけではない。
毒に弱いのだ。
これは毒が効きやすいというより、より正確に言うと「状態異常からの回復がしにくい」というものだった。
それは本人にも自覚があるのだろう。
回復薬を多めに消費する負い目もあってか、中途半端な解毒状態で自室で伸びているところを発見されたこともある。
解毒ポーションの精製に伴う毒舌状態のコトワリが怒って以降、そういうところは見ていないが、だからといって彼の体質までが変わるわけではない。
外傷がないというなら、確かに中毒死と考えるのが自然ではあるだろう。
だが、今回は――
「違うと思うよー」
異を唱えたのはアロだった。
「だって、それなら【生贄】の人達が弓を持ってるのおかしくない?」
「それだ。連中、「拾った」って言ってたらしいが本当なのか?」
クエルクスに問われ、コトワリは素直に「そうですね」と頷いた。
「何でも、《《僕のような雑魚一人では行けないダンジョンの底》》で拾ったらしいですよ」
「コトワリさん、もしかして根に持ってるー?」
「ははは、まさか」
コトワリは乾いた笑いを響かせた。二人の話を聞いたティトンが眉を寄せる。
「コトワリ一人では行けない……。それに《《底》》ってことは、ある程度の深度と難度のある地下型ダンジョンってことか」
「だが、あいつが一人で短期突破できると考えたってことは……ランクはB+。いってたとしてもA+ってところか」
「うん、Sランクではないだろうね」
ティトンとクエルクスのやり取りに、コトワリは眉を寄せる。
「あの、彼は教会にいたんですよね。でしたら、ログが残っているはずでは?」
「ログ自体はあるんだけどね。読めないような変な文字の並びになってるし、色も青じゃなくて赤色になっててさ。それもあって、神父様も怖かったみたい。だから、イロハがいつ・どこで死んだか分からないんだよ」
「なるほど、そういうことだったんですね」
「だが、今のでだいぶと絞り込めたんじゃねえか? でかしたぞ、ガキ共」
クエルクスがニヤリと笑う。そこでアロが「あ」と小さく声を上げた。
「そういえばー。【生贄】の人達がおかしなこと言ってたよ」
「おかしなこと?」
おうむ返したティトンに、アロは「うん」と頷いた。
「「そこまで気になるなら本人に聞いてみたらどうだ? 聞ければな」って。他の二人も、それ聞いて笑ってたんだ。気持ち悪かったー。あれ、イロハさんが死んでたの知ってたのかな」
ティトンとクエルクスの顔色がさっと変わった。
「あいつら……!」
呻き、クエルクスが歯を軋らせた。その前で、コトワリは慌てて両手を振る。
あの三人が何かをしたのは間違いないだろうが、彼らが殺したと考えるのは短慮に過ぎないだろうか。
「いや、待ってください。彼らの実力でイロハさんが殺せるとは思えません」
「阿呆、俺だってそこまで単純じゃねーよ。おいアロ、他にはあいつら何か言ってなかったか? 何でもいい」
「んっとー」と顎に指を当てて中空を睨んだアロに、ティトンが助け舟を出す。
「さっき、アロは「他の二人も笑ってた」って言ってたね。その時、どんなことを話してたか覚えてる?」
「確か「それは良いな」って。あと、「どうなったんだろうな」って言ってたと思うよ」
「へぇ」と、ティトンの声の温度が下がった。思わずコトワリは一歩後ずさる。
「……僕の推論を話すよ」
「ど、どうぞ」
「たぶん、あの三人はイロハを直接殺してはいない。けれど、いずれ死ぬことを理解して放置した。あるいは、殺されるように仕向けた。そんなところじゃないかな」
「俺も同感だ。じゃねぇと、「どうなったのか」なんて感想は出てこない。まぁ、それは――」
と、クエルクスはそこで言葉を切って半身だけで振り向いた。
「本人共に直接聞きゃ済む話だわな」
彼の視線の先。路地の入り口では、軽くなった袋を片手に憤りの表情を浮かべた【生贄】の三人がやって来るところだった。
「飛んで火にいる何とやら、だ」
獰猛に笑ったクエルクスが、腰に下げた短剣の柄を軽く叩いた。
【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/02/10 (Mon) 11:49:44
「見えてきたよ、コトワリさん!」
前方を軽やかに歩くアロが嬉しそうに報告をした。武器である杖を歩行補助道具にしたコトワリは、「そうですか」と力ない返事をした。隆起した岩山、所謂カルスト地形が広がるダンジョンは、凶暴な魔獣が少ない代わりにまともに歩ける場所も少ない。しかし岩山の一つ一つはそれぞれ洞窟となっていて、その中に希少な動物や鉱物が入っているため最近では様々なクランが出入りをしていた。
「大丈夫ー?」
「大丈夫ではないですね……」
アロはいつも元気いっぱいである。年齢が若いというのも重要な要因の一つではあるだろうが、育ってきた環境や生まれ持った素質のほうが大きいのだろう。虚弱なコトワリには非常に羨ましい。
「しかし、本当にこんな場所が願掛けに使われているのですか?」
「今ねー、人気のパワースロットなんだよ」
「パワースポットですね」
今日の朝のことだった。皆でパンの周りをマヨネーズで囲み、その中に卵を落としたトーストを食べ、食後の紅茶を楽しんでいる時にアロが突然言った。願掛けに行こうと。
ここ最近、コトワリは冒険者としてのランクを上げるために様々な特訓をしていた。といっても半分ほどは皆にスパルタを受けているようなものだが。何にせよ虚弱なこととハロの小ささもあって色々と苦労している。そんな中でのアロの提案は、要するに「ランク試験を合格出来るように願掛けに行こう」ということだった。
「イロハさんはそこまで険しい場所ではないと言っていたと思いますが……」
「そうだね。難しい山とかじゃなくてよかったねー」
最近流行りの願掛けスポット。それは最初はただの噂だったのが、いつの間にやら全てのクランに伝わり、まるで何十年も前からの常識のように扱われるに至っている。
最初の発見者は二人いて、そのうち一人はイロハだった。だが当たり前だがパワースポットを探しに来て見つけたわけではない。
「このあたりに綺麗な光るチョウチョさんいるから探しに来たって言ってたねー」
「他のクランの方に協力していたとか……。僕が言えたことではないですが、イロハさんはお人好しが過ぎます」
「イロハさんらしいよねー」
アロは身軽に進んでいく。その首の後ろの、蝶のようなハロを追いかけるようにコトワリも足元を踏みしめた。アロは何を考えているのかわからないこともよくあるが、基本的には善良である。今日のこととて、コトワリを険しい山に連れてきて疲弊させようとしているのではなく、一種の気晴らしで連れてきてくれたことはわかっている。油断するとすぐにマイナス思考になるコトワリにとって、裏表のないプラス思考のアロはある意味とても良いコンビだった。
暫くすると拓けた場所に出た。そこは人の手によって平らに均されており、入口と思しき場所も木材で補強されていた。中の説明が書かれた看板も立っているので、人気のパワースポットという表現にも説得力がある。しかし入口には扉が設置されており、今は鍵が掛かっているようだった。何人かの先客が、その扉がいつ開くのかとそわそわした様子で伺っている。
「中にはまだ入れないのですか?」
「うん。何日かに一回だけ開くんだってー」
「それはどうして?」
「開けておくと危険だからー」
「えっ」
「アローさん!」
不意に誰かが声をかけた。振り返ると灰色のフード付きパーカーを来た背の高い男が笑みを浮かべていた。
「あ、パルスさんだー。こんにちは」
灰色のパーカーにはアヒルを模した白いハートに「DANCE」の文字が入ったロゴが大きく描かれている。ダンス・イン・ザ・ダックのメンバだとわかった途端、コトワリは辺りを警戒したが、他にメンバはいないようだった。
「あのね、俺は別にアローって名字じゃないよ。アロ・アローで一つの名前なの」
「いや、すみません。隊長がそう呼んでいるので」
金髪をハーフモヒカンにした男は明るく笑う。
「今日は一人なのー?」
「実はAランク試験を受けることになりまして。隊長が是非とも此処に行ってこいと。アローさんは?」
「オレはAランクはもう持ってるよー。今日はコトワリさんの引率」
「引率!?」
コトワリは思わず突っ込んでしまった。アロの言葉選びは少々独特だが、かといって引率はないだろう、と内心少し落ち込む。だがアロはそんな様子は目に入らないようで、寧ろ嬉しそうな顔をしていた。
「コトワリさんも今度Aランク受けるんだー」
「そうなんですね! お互い頑張りましょう!」
明るい声と共に差し出された手をコトワリは軽く握って済ませようとしたが、肩関節を持って行かれる勢いで強く上下された。
丁度その時、甲高い鐘の音が響いた。入口のほうから聞こえたため、そちらへと視線を向ける。背が高くてやや猫背気味の男が、白く塗られた手鐘を掲げていた。細い銀縁の片眼鏡に高級なチェーンを通している。長く伸ばした橙色の髪を項辺りで適当に括っている。年の頃は四十半ばといったところか。学者然とした見た目を裏付けるかのように小脇に分厚い魔法書を抱えている。
「あー、あの人だよ。イロハさんが手伝ったの」
アロがコトワリに耳打ちした。ということはあれが『星期三的猫《シンシーサンダマオ》』のロン・ホアジャか、とコトワリは記憶の中からその人物の情報を取り出す。ダンジョンごとに現れる動物の違いについて研究しており、分厚い魔法書には大量の情報が記録されていると言う。手の甲に浮かんだ赤色のハロは三角形の中に四角を入れた形で、コトワリと殆ど大きさは変わらない。彼のハロは特殊なもので、その抱えている魔法書にしか適用されない。制限が大きい代わりに恩恵も大きい、所謂「制約型」と呼ばれるものである。魔法書に無限の情報を入れられ、無限に引き出すことが出来る。
「非戦闘員だからイロハさんに動向を願ったのでしょうか」
「ううん、あの人本で魔物ぶっ叩くらしいよ」
「……まぁ痛そうではありますが」
ロンが咳払いをしたので二人は口を閉ざした。
「お集まりの皆様。これより開門を行います」
片眼鏡の奥で薄茶色の瞳が動く。此処に居る人数を数えているのだと悟ったコトワリは、なんとなく自分でも同じように周囲を見回した。自分を入れて八人いるが、全員が中に入るかはわからない。
「一人ずつ中に入り、参拝をしていただきます。説明をいたしますので、皆様お近くまで来て頂きますよう……」
ロンは入口の看板を示しながら言った。八人が看板の前へと集まると、ロンは再び口を開く。
「始めに、この洞窟の中には殆ど光源がありません。皆様には暗闇の中、最奥を目指して頂きます」
コトワリは驚いて口を半開きにしたが、他のアロを含めた七人は既に知っていたのか黙って頷いている。
「中はいくつもの道に分岐しています。間違った道へ進みますと非常に危険ですので、必ず道順を守ってください」
「危険というのは?」
一番前にいた若い女が訊ねる。
「私も全ての道を確認したわけではありませんが、最悪の場合は死に至ります」
一瞬、場がざわめいた。しかしロンはその様子を見て口元に笑みを浮かべる。
「大丈夫ですよ。道を護って頂ければ問題ありません。寧ろ道を護れば命の保証はされるのですから、下手なダンジョンよりは安全でしょう」
確かに、とコトワリは呟いた。冒険者である以上、常に身の危険というものは意識しなければならない。パワースポットだからといって完全に安全とは言えないだろう。そもそもここは元はただの洞窟である。
「道順を説明いたします。まず中に入って頂いたあとに私が扉を閉めます。そうしましたら、左側の壁を触れながら真っ直ぐお進みください。途中で大きく左に曲がるところがあります。そこは道が二叉になっていますが、その先で合流するのでどちらに進んで頂いても結構です。基本的にはそのまま左側の壁に沿って進んで頂くのが良いのですが、偶に天井から水が垂れていることがありますので、それが苦手な方は右へ」
皆黙って聞いている。中に光源がない以上、メモの類いをしても無駄だとわかっているためだろう。
「その先でまた道が二つに分かれますが、ここでは必ず左側へ進んでください」
看板に書かれた簡略地図を示しながらロンは淡々と説明する。間に余計な情報が挟まれないのはコトワリにとっては有り難かった。
「ここから先は壁に手を添えて進んでください。分岐が五回ありますが、安全のために目印を用意しています」
「目印ってのはなんだ?」
粗野な風貌の、金棒を背負った男がぶっきらぼうに訊ねる。
「この参拝では暗闇の中で如何に意識を鋭敏に出来るかという課題があります。A級試験でも周囲への意識は特に求められる事項です。そのため事前にお伝えすることは出来ません」
「その目印を見失って怪我でもしたらどうしてくれるんだ? 今度の大事なA級試験に差し障ったらどうしてくれる」
脅すように男が言うが、ロンは涼しい表情で首を左右に振った。
「もしそれで怪我をするようであれば、A級は見送ったほうが良いでしょうね」
男が喉に何か詰まったような表情をして黙り込んだ。
「目印はわかりやすいものなので問題ありません。最奥まで行きましたら、そこに祠があります。祠の中にはお守りとでもいいましょうか、願掛けのための符がありますので持ち帰ってきてください。何かご質問はありますか?」
「はいはーい」
アロが右手を挙げる。
「帰るときって逆のやりかたで戻ればいいんですかー?」
「えぇ、そうですよ。中で怪我をしたり、どうしても進めなくなってしまった場合には叫んで頂ければ助けに行きますので」
「だって、コトワリさん」
「叫ぶようなことがないように気をつけますよ……」
「あの、すみません」
今度はパルスが手を上げた。
「中は暗闇ということはわかりました。ですがハロの放つ光については問題ないのでしょうか」
言うまでも無くハロは光を放っている。それに人によって大きさも形も違うから、場合によっては自分の周囲を照らせてしまう者もいるだろう。コトワリのハロは大きくないのでその心配はないが、前方にいる人の良さそうな剣士などは腰のあたりに大きなハロがある。ティトンより少し小さいくらいだろう、とコトワリはなんとなく知っている人間のハロの大きさと比べた。
「それについては問題ありません」
質問に対してロンはあっさりと返した。
「この洞窟は特定の物質しか光らないのです。ですからハロは光りませんし、基本的に流通している光源、またはそれに準ずる効果のあるものについても持ち込んだところで何の意味も成しません」
「そんな特殊な場所なんですか」
「偶然の産物、とでも言うべきでしょうか。人体に何か影響があるものではないのです。岩の性質や洞窟の形状によるものでしょう。なのでご心配には及びません」
はぁ、と何人かが感心したような声を出した。
「他にご質問がなければ、説明は以上となります。今回の参加者は八名でよろしいでしょうか」
「あ、オレは違いますー。コトワリさんの付き添いです」
付き添いもちょっとな、とコトワリは思ったが口には出さなかった。
「では七名ですね。入る順番はくじで決めて頂きます」
そう言ってロンは細長い箱の中に木の札を七つ入れて全員に一つずつ引かせていった。コトワリは、案の定とでも言うべきか一番最後に決まった。
(続く)
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/02/21 (Fri) 14:25:52
七人というと随分と多いようにも思えたが、順番が回ってくるまでにさほど時間は掛からなかった。否、一人あたり十分から二十分くらいはかかっているので、それなりの時間にはなっていた筈なのだが、コトワリは瞑想と言う名の昼寝に身を任せていたので体感的にはその半分以下だった。昨夜遅くまで薬の調合に夢中になっていたのが原因だろう。もし今日ここにくるのだと予めわかっていれば、そんな無茶はしなかった。
「コトワリさん、コトワリさん」
肩を軽く揺すられて目を開ける。アロが笑顔で覗き込んでいた。
「次、コトワリさんの番ですよー」
「ありがとうございます、アロさん」
しかしコトワリとしてはアロを責めたりする気にはならなかった。アロが自分のためを思って此処に連れてきてくれたことを理解しているためである。多分、最初に誘われた時に寝不足を理由に断っても、軽く「そっかー」と済ませてくれたに違いない。つまり誘いに乗った時点でコトワリの寝不足はただの過去と化した。それを誰かに責任転嫁するほど、コトワリは身勝手ではない。
「他の方々は?」
周囲を見回すと半数ほど減っているようだった。
「終わったから帰っちゃった。洞窟の他にあまり見るものないしねー」
近くで休憩しているのが二人。少し離れたところで、パルスがアヒルのロゴが入ったパーカーを翻して踊っているのが見えた。
「コトワリさんが戻ってきたら、パルスさんと別の洞窟入ろうね」
「何故ですか?」
「パルスさんのハロね、防御力と回避の底上げしてくれるんだって。折角だから体験したいと思ってー」
「……返事は保留でいいでしょうか」
洞窟を出たときに自分のやる気や体力がどれほど残っているかわからなかったので、コトワリはそう言った。アロはやはりあっさりと「わかったー」と受け入れる。
「いってらっしゃーい」
見送りの言葉を受けて、コトワリは扉の前へと進んだ。ロンが扉に手をかけたが、少し考えてからコトワリを見る。
「説明をもう一度聞きますか?」
「どうしてですか?」
「いや、あのピンクの髪の青年に三回くらい説明を強請られたもので」
洞窟に入らないのに説明を聞いてどうするのか、とその顔には書かれている。コトワリは苦笑しつつ首を左右に振った。
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「わかりました。それではどうぞ」
扉が開かれた瞬間、冷たい風がコトワリを撫でつけた。中に入り、数歩進んだところで背後の扉がゆっくりと閉じていく。外からの光が段々と細くなっていき、最後には完全に閉ざされた。それと同時に周囲が全くの暗闇に満たされる。
「これは……思ったよりも暗い」
コトワリはそう呟きながら、左側の壁に手を添える。元々の岩の性質なのだろうか、表面は滑らかで触り心地は悪くなかった。少なくとも普通の岩場のように手をついた拍子にかすり傷が出来てしまうようなことはなさそうだった。
完全なる闇の中を壁だけを頼りに進んでいく。目を開いていても意味がないような闇だが、かといって閉じるのは余計に恐ろしかった。目を閉じた瞬間に足元にぽっかりと穴が空いて落ちてしまうのではないか。そんな想像がかき立てられる。
一度思いついてしまったものは中々頭の中から消えてくれなかった。コトワリは気を紛らわせるためにいくつかの他愛も無い知識を思い浮かべる。例えば「星期三的猫」のこと。クラン間での交流はさほど多くはないが、「隙あらば猫」を信条とする白羽にとっては親近感が湧くクランである。交流があまりないのは別に仲が悪いわけではなく、そのクランが団体行動を好まずに一人一人が自由に動き回っているのと、その殆どが学者気質によるものだからである。彼らはエデンやダンジョンを研究対象として、昼夜問わずに実地研究に明け暮れている。そしてある程度研究成果が集まると冊子にして希望者に配る。確かティトンもいくつかその冊子を持っていたはずだが、コトワリは目を通したことがない。
要するに星期三的猫は、冒険者というよりは研究者なのだろう。研究するのに都合が良いのでクランとして集まっているだけで、皆で力を合わせてダンジョンに行こうだとか、そういうことには縁薄い。だからロンもこの洞窟に最初に訪れた際に、自分のクランの人間ではなくイロハを同行させていたのかもしれない。
「っと」
分かれ道に出た。勿論視認はできないが、風の流れが先ほどと変わったのがわかる。左手で触れた壁は指先あたりで大きく左に曲がっていた。
どちらに行っても良いなら、このまま左に進んだ方が楽だろう。コトワリは壁に手を添えたまま左へ進む。
暗い。どこまでも。最初に感じた恐怖は次第に麻痺してきていた。代わりに今度は、自分が闇の一部に溶け込んでいくような、自己の曖昧さを感じ取る。いつも当たり前に見ている自分の手や足が見えない。闇の中でそれらを動かしていてもわからない。目を開いていても意味をなしていない。闇の中を意識だけが進んでいるような感覚。自分は闇なのか、コトワリなのか、それともあるいは別の。
「よくない、よくない」
そう呟いて意識を戻す。あまり良好とはいえない足場をゆっくりと進みつつ、また別の思考を巡らせた。
そもそもなぜこの洞窟がパワースポット扱いを受けるようになったかと言うと、洞窟が見つかった後にロンがAランク試験を突破したからである。学者肌揃いの星期三的猫からAランクが出るのは珍しいことで、周囲は冗談交じりにどんな特訓をしたのかとロンに訊ねた。ロンがその問いに洞窟に行っただけだと答えたことから噂が広まってしまった。同行したのが実力者のイロハだったことも大きいのだろう。
「でもどうしてこのような管理に……」
ただの洞窟がまるでアトラクションのようになってしまっている現状を考えてコトワリを首を傾げる。もしかすると、噂を鵜呑みにして洞窟に入り込み、怪我をした人間が多くいたのかもしれない。しかし危険な場所だからと完全に封鎖しようとすれば、殊更無断で入り込む人間は増えるだろう。人間の心理とはそういうものである。だから今のように整備したうえで数日おきに開放する手段を取った。そう考えると色々合点がいく。
「おっと」
次の分岐ポイントに差し掛かった。ここでは必ず左に行けと言われたことを思い出しながら、コトワリは左の方向へと進んでいく。
暫くそのまま歩みを進めると、ふと左手に何かが触れた。岩肌とは違う、冷たくて滑らかな触感。金属かあるいは加工した石か。指でその輪郭を確かめると矢印の形をしているのがわかった。その先端は右側を示している。
「なるほど。これが目印……」
暗闇の中では目は頼りにならない。音が反響しやすい場所では聴覚も役には立たないだろう。指先に神経を集中させて情報を手に入れるというのは、なるほど確かにAランク試験を受ける人間にとっては重要なことなのかもしれない。試験では周囲に意識を配り、その場の状況を正確に把握する必要がある。これをロンが考えたとしたら、随分と粋な計らいだと思い、コトワリは誰にも見えない笑みを零した。
その先も同じように分岐に差し掛かる毎に矢印を頼りに進み、ついに最奥に辿り着いた時にはコトワリの指先はかなり疲弊していた。
「や、やっと着いた……」
最奥は少し広い空間になっていた。人が十人入れる程度の広さはある。その中央に設置された「祠」はかなり凝った造りとなっていた。淡雪石と呼ばれる半透明の石を直方体に切り出したものを組み合わせ、その結合部に烏羽木と見られる黒い木材を使っている。そしてその中に符が何枚か置かれていた。
しかしコトワリは符よりも何よりも、あることがまず気になっていた。祠や符が見えるということは、当たり前だが光があることになる。実際祠の周りだけは非常に明るくなっていて、今まで暗闇を進んできた分余計に眩しく見えた。
よく見ると祠全体が光っており、それが周囲を照らしている事に気がつく。注意深く観察すると、符が置かれたその更に奥に紫色の小石が詰まっていた。その石が発光し、淡雪石が光を増幅しているらしい。ロンが言っていた「特定のものしか光らない」というのはこのことか、とコトワリは納得した。後でアロに話してあげよう。そう思いつつ符を手に取る。
「……帰り道もあるんだった」
嫌な事実を思い出してうんざりしつつも、コトワリは諦めて来た道を戻り始めた。
やっとの思いで元来た場所まで戻り、閉ざされた扉を何度か叩く。数秒おいて、扉がゆっくりと開かれて外の世界の光が戻ってきた。
「お疲れ様でした」
ロンが優しく出迎える。眼鏡の奥の瞳がコトワリが持っている符を見た。
「奥まで到達出来たようですね。おめでとうございます」
「良い経験になりました」
コトワリはそう言って完全に洞窟から抜け出した。それを待っていたようにアロが近付いてきた。どこで捕まえたのかPIYOを肩や頭に乗せている。
「コトワリさん、お疲れ様ー。どうでしたー?」
「なかなか面白かったですよ」
「祠まで行けたなら、今度の試験もきっと合格だねー」
アロは我が事のように嬉しそうに飛び跳ねる。さきほどまでいた暗闇でも、きっとアロはこのままなのだろうなと思い、コトワリは笑みを零した。
「そうですね。今なら何でも出来そうですよ」
ついついそんなリップサービスをしてしまう程度にはコトワリ自身も達成感を抱いていた。
「じゃあ願掛けも終わったからー」
「えぇ、帰……」
「次の洞窟にれっつごー」
「えっ」
一瞬固まってしまったコトワリだったが、アロの向こうにパルスがいるのを見て約束を思い出す。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「パルスさーん。コトワリさん、今なら何でも出来るんだってー」
「それは凄いですね! では一番難しそうな洞窟に行きましょう!」
勝手に話が進んでいく。コトワリは止めようとしたものの、無邪気で奔放なアロは聞いていなかったし、パルスはコトワリの脆弱さなど知らないので言葉通りに受け止めてしまっている。
あんなこと言わなければ良かった。コトワリは本日最大の後悔を抱えつつも二人に引きずられるようにして山を下りていく。最後に残されたロンはコトワリの心中を知ってか知らずか、「ご武運を」と言いながら頭を下げて見送った。
(続く)
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/03/11 (Tue) 16:17:13
それから数日経った日の朝。朝食を終えてからコトワリが店で在庫のチェックをしていると、どこからかアヒルの鳴き声が聞こえてきた。それはだんだん近付いてきて、やがて店の扉が開いたと思うとアヒルを抱えたアロが入ってきた。
「コトワリさん、頼まれてたものー」
「頼んでませんが……」
「羽毛欲しいって言ったよー?」
「生えている羽毛は駄目ですね。毟ったら可哀想ですし」
アロは「そっかぁ」と言ってアヒルをなぜかカウンターに乗せた。動物に嫌われやすいコトワリは思わず狭いカウンターの中で数歩後ずさったが、アヒルは気にも留めずに仮眠モードに突入する。パールダックと呼ばれる種類で、羽毛を保護する脂が真珠のように光るのが由来となっている。
「このアヒルはどこから?」
「ダック隊長のところでわけてもらったー。畑に沢山いるからって」
「そんなキュウリやナスじゃないんですから……というかそんなに沢山いるなら羽毛も沢山落ちているのでは?」
「あ、そうかも。もう一回行ってくる」
「いえ、急いでないので後で良いですよ。お茶でも飲みましょうか。良い茶葉が手に入ったんです」
アロは素直に頷いて、カウンターのそばに置いてあった椅子に腰を下ろした。アロは基本的に誰かの手伝いというものはしない。自分があまりそういうことに向いていないことを自覚しているためである。
「そういえばねー、隊長から聞いたんだけど」
「何ですか?」
「この前、暗い洞窟に行ったでしょ? その時に参加した人が行方不明になってるんだって」
「行方不明?」
その単語にコトワリは紅茶の缶を開けた格好のまま聞き返した。
「どういうことですか?」
「えーっと、なんかね、一人ずつ消えちゃってるみたい。もう三人目になるって言ってたー」
「三人目?」
えっと、とアロは考えをまとめるためなのか頭をゆるゆると左右に揺らす。
「洞窟に行った翌日に、『小夜啼鳥』のメンバがいなくなっちゃったんだって。朝、同じクランの人が部屋を見に行ったら誰もいなかったみたい。その二日後に、今度は『青の地平線』のメンバが、晩ご飯食べたあとに散歩に行くって言って帰ってこなくて、昨日は『ベアリング・ベア』のメンバが気がついたらいなくなってたらしいよー」
「まだ三人とも見つかっていないのですか?」
「そうみたい。だからコトワリさんもいなくなってたら困るーって思って急いでここに来たんだよねー」
無邪気に言うアロだったが、コトワリは今の話にどこか引っかかりと、多少の不気味さを覚えていた。ダンジョンに行って迷子になって行方不明になる冒険者自体は珍しくない。しかしその場合はその人間の予定を誰かしらが把握しているので、早期に発見が出来る。今回のように三人が三人とも、誰にも行き先を告げずに行方をくらませるというのは非常に珍しいうえに起こりがたい。
「その三人は……あの時のどなたなんでしょうか」
「うーん、全員はわからないけど、『小夜啼鳥』の人は剣背負ってた人だと思う。剣の柄のところに鳥さんのマークあったし」
そういえば剣士が一人いた気がするが、あまり細かいことは思い出せなかった。特に会話をしたわけではないので、当然と言えば当然かもしれない。
「パルスさんは無事なんでしょうか」
ダンスインザダックのメンバのことを思い出してコトワリが訊ねると、アロは大きく頷いた。
「ちょっと怯えてたけど、元気そうだったよー。なんだっけ、えっと……金隠しじゃなくて、所得隠しじゃなくて……」
「神隠し、だろ」
指摘したのはコトワリではなく、アロが開けたままだった扉から入ってきたイロハだった。
「三人とも神隠しに遭ったんじゃないかって、暇な連中が噂してたぜ」
「イロハさんも紅茶を飲みますか?」
「あぁ」
イロハは片手に大きな麻袋を抱えていた。中には林檎が沢山入っている。
「それどうしたのー?」
「通りすがりの女性に頂いた。昨日作り過ぎちゃったのでどうぞ、って」
「お夕飯のおかずみたいに作り過ぎちゃうものなの、林檎って」
アロが林檎に手を伸ばす。イロハは止めもせずに、寧ろ美味しそうなものを選んで渡してやった。
「イロハさんは行方不明の方々については?」
「知らないな。でもどこのクランも必死に探してるみたいだぜ」
「捜索の依頼を受けたりは?」
千里眼の能力は捜索や探索において効力を発揮する。イロハは冒険者のランクも上位であり他のクランにも顔が利くため、そのような頼まれごとをすることも多い。
「相談はされたけど、断った」
「断ったんですか」
「どこのダンジョンにいる、ってわかれば手伝えるけどな。どこにいるかわからない奴を探すわけにはいかないだろ」
「まぁそれはそうですね。せめて目星だけでもつけば良いのですが……」
コトワリは紅茶の入ったカップを二客、それぞれの前へと置いた。ブレンドした茶葉の良い香りが店の中へと広がっていく。
「新しいブレンドです。どうでしょうか」
味の感想を求めると、すぐに口をつけていたアロはその格好のまましばし固まって、やがて笑顔を浮かべた。
「美味しいよー。ミント?」
「えぇ、ミントとジャスミンを入れています」
「爽やかでいい香りだな。味もくどくない」
イロハが一口ゆっくり味わってから感想を述べる。
「ブレンドの名前は?」
「夜の雨です」
「洞窟でインスピレーションを受けたってとこか」
「恥ずかしながら」
「いや、いいと思うぜ?」
イロハはその味が気に入ったのか、早々に二口目を運ぶ。
「あぁ、此処に立ち寄った理由忘れてた。浄化用のポーションを一つ欲しいんだが」
「いいですよ。用意しておきます。どこかに行かれるんですか?」
「クエルと昨日ダンジョンに潜ったんだけどな、うっかり毒持ちの魔獣を泉の近くで倒しちまったんだ。そのへんの薬草で応急浄化はしたんだけど、ちゃんと浄化しないと泉に来た動物が可哀想だから」
「わかりました。となると水質浄化のものがいいですね。丁度ストックがありますから持って行ってください」
普通の客なら金を取るところだが、そこは同じクランの誼である。
「代わりに何か良いものがあれば持ってきてください」
「わかってるよ」
コトワリは二人に背を向けて、背後にある棚の中からポーションを漁る。
「そのダンジョンに行方不明の人いるといいねぇ」
アロがのんびりとした口調で言うのが聞こえた。考えたことがそのまま口に出るのはアロの長所でもあり短所でもある。要するにそれはイロハにただ働きをしろということだろう、とコトワリは内心苦笑した。
「いいや、そいつらはどこにもいないと思うぜ」
そんな思考の途中で聞こえてきたイロハの声は随分と冷たい響きを持ちつつ、それでいてなぜか面白がっているような調子も含んでいるように聞こえた。平素のイロハらしくない声にコトワリは思わず振り返る。目が合ったイロハはいつもと変わらず穏やかだった。
「あのダンジョン、A級じゃないと行けないからな」
「そっかー、じゃあいないね」
今のは気のせいだったのだろうか。コトワリは確認したかったが、一体誰にどうやって確認すればいいのかわからなかったため、仕方なくもう一度棚のほうへ向き直った。
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/03/23 (Sun) 14:37:05
昼を少し過ぎた頃に、コトワリは店じまいをした。今日は客も少ないし、先約もない。店を閉めればそれだけ売り上げは落ちるが、開けていたところで確実に売り上げが上がるわけでもない。そもそも今日のコトワリは、あまり商売に身が入っていなかった。理由は言うまでも無く「神隠し」である。同じ日に同じ場所にいた七人のうち三人が消えたと聞かされて平然としていられるほどコトワリは神経が太くなかった。
ではこういう場合どうするか。自室に戻って引きこもってもいいが、そんなことをして何か解決するわけでもない。コトワリは自分が比較的臆病な部類であると自覚はしているが、同時にその事実をそのまま受け入れない程度の自尊心があった。要するに、怯えて引きこもるよりは怯えて挑みたい。その結果がどうであれ、後々まで引き摺らないことが大事だった。
店を出て戸締まりをし、通りを歩き出してから数十秒後、コトワリは何かが後ろをついてくるのに気がついて振り返った。自分の視線の高さには誰もいなかったが、気配はそもそも地面に近い位置にあった。視線をそのまま落とすと、そこにアヒルが一羽立っていた。
「そういえばアロさんが忘れていったんでしたっけ……」
ダンスインザダックのところに戻してあげたほうが良いだろう。コトワリはそう考えて手を伸ばしかけたが、アヒルが抗議するように鳴きながら首を上下に動かした。コトワリは思わず短い悲鳴を上げて後ずさる。コトワリは動物が嫌いではないが、なぜか動物はコトワリのことを嫌う。どうやらこのアヒルもそうらしい。
しかしこれでは連れていくことが出来ない。どうしたものかとコトワリは悩んだが、アヒルは気にも留めずに歩き出した。
「あ、ちょ……っ」
傍らをすり抜けていったアヒルを追いかけようとして踵を返した途端、バランスを崩してその場に倒れ込んだ。周囲に通行人がいなくて助かった。もし大勢に見られていたら涙も出ない。
アヒルは数歩歩いて行った先で立ち止まり、コトワリの方を振り返る。その視線は「何してんの?」と言わんばかりの冷ややかなものだった。コトワリが立ち上がって服についた泥を払うのを見届けてから再び歩き出す。その態度はまるでついてこいと言っているかのようだった。もしかすると自分の元の居場所に戻ろうとしているのかもしれない。コトワリはそのアヒルを放っておくことも出来ず、仕方なくついていくことにした。幸いにしてアヒルの足取りは速く、コトワリが普通に歩いていても追い抜かさずに済む程度のものだった。
暫く歩いて行くと通行人が増えてきて賑やかになってきた。そろそろ昼時だからだろう。ダンジョンの中に食事を持ち込んで食べる者もいれば、現地調達でどうにかする者もいるし、食材を購入して調理、あるいは調理されたものを購入する者もいる。要するに昼時に人が多いのは珍しいことではなかった。
不意にアヒルが鳴いて前方に走って行った。コトワリがそれを追いかけると、どこかで見覚えのある大男がそこにいた。コトワリと目が合うと少し考え込んだあとに表情を明るくする。
「あぁ、あんたか。この前ぶりだな」
「えーっと……」
「この前、願掛けの洞窟で会っただろ?」
コトワリはその言葉で相手が誰か思い出した。怪我をしたらどうするのかとロンに食ってかかり、即座に返り討ちにされた男だった。背負った金棒にも見覚えがある。
「この前は名乗っていなかったな。『三日月』のシュテム・ドートだ」
三日月というクランは規模が大きいことで有名であるが、それ以外にあまり特徴はない。人数が必要なダンジョン攻略の際に協力を求められることが多いクランだった。そういうクランだと一人でも多くAランクに入ったほうが良いのだろう。
「このアヒルはあんたのペットか?」
アヒルはシュテムの足元で鳴いている。
「いえ、これは違うクランの……畑にいたものを持ってきてしまったもので」
「人の畑のものを持ってきたら駄目だろ」
「あぁいや、多分向こうも了承済みと言いますか……大丈夫です」
それ以外に説明のしようがないので曖昧に返す。シュテムは不思議そうな顔をしたものの追及することはなかった。
「あんたは無事なんだな」
「神隠しの噂ですか。僕も先ほど聞いたばかりです」
「俺は昨日、同じクランの仲間に聞かされたよ。ったく、ランク試験も近付いてるってのに迷惑な話だ」
「本当ですね。シュテムさんの身の回りでは何か変わったことなどは?」
「あぁ? いや、別にこれといって変わったことはないな」
「そうですか……」
コトワリは少し考え込む。相手は不思議そうにしながらも立ち去らずにコトワリの言葉を待っていた。
「では願掛けの際に何か気になったことは?」
「そんなの聞いてどうするんだ?」
「気になることをそのままに出来ない性分でして。僕と一緒にいたピンク髪の仲間も心配してくれていますから」
「あぁ、あのデカいチャクラムの」
シュテムはアロのことを思い出したようだった。
「変な奴だったな。待ってる間ずーっと一人遊びしてて。いつもそうなのか?」
「えぇ、アロさんはあまり周りを気にしませんから」
「ふぅん。まぁ冒険者なんて多かれ少なかれ皆変わってるもんだよな。『青の地平線』のコルトってわかるか? あの時一緒にいた奴で行方不明になってる」
「どういう方ですか?」
「背が低くてがっちりとした体付きの茶髪の男だよ。俺もあまり親しくはないんだが、色んなダンジョンに潜り込んでるから結構な頻度で会うんだ。あいつ、最初は悠々と洞窟に入っていったのに出てくる時は息切らせてたからな。あんな図体で暗いところが怖かったのかもしれないな」
「暗いダンジョンは別に珍しくはないですよね」
「明かりを持たずに入るってのは珍しいだろ。そのせいじゃないか?」
「……いなくなった三人と、僕と貴方、ダックインザダックの方一名。残りの一人は誰かわかりますか?」
「んー……? 多分あの仕掛け銃の女かな。名前は知らないけど、このあたりでよく見かけるぜ」
そう言ってシュテムは周りを見回すと「ほら」と遠くを指さした。コトワリはそちらに視線を向けるが人や物に遮られてよく見えない。
「あの染め物屋に入っていったのがそうだよ。長い銀髪の」
「ありがとうございます。ちょっと彼女にも話を聞いてきます」
「おぉ、何かわかったら教えてくれ」
シュテムは人の良い笑みで手を振る。あの日は洞窟に入る前で気が立っていただけで根が善良な人間のようだった。第一印象で決めつけるのはよくないな、とコトワリは内心で考える。
コトワリが染め物屋に向かおうとする足元で、再びアヒルが鳴き声を上げて羽を広げた。まるで「さぁ行こう」と促しているようにも見える。
「君は変わったアヒルですね。まぁどうせ君を送り届けないといけませんから、暫くは同行願いますよ」
アヒルに話しかけるなんて馬鹿げていると思いつつ、コトワリが丁寧な口調で言うと、アヒルはその意を得たりとばかりに長い首を何度か縦に振った。
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/04/19 (Sat) 11:49:42
装備や衣服をクランの色に合わせて染める者は多い。それ以外にも手に入れた魔獣の毛皮に少々のムラがある場合、敢えて染め直すことによって価値をつけたりすることもある。つまり冒険者にとっては必要ではあるが、そこまで必要とする頻度は高くない。それが染め物屋だった。入口に掲げられた看板には「どんなものでもあなたの色に」というキャッチコピーが添えられている。文字一つ一つの色が違うのがこだわりを感じさせた。
中に入ると染め物独特の揮発臭と薬品臭が漂っていた。壁には色のサンプルとして等幅の色とりどりの布が大量に下がっている。その上には染め物の種類と大きさによって変わる料金と時間の説明。さほど広くない店内には人が何人かいたが、コトワリはその中に馴染みの顔を見つけて声を掛けた。
「ティトンさん」
熱心に布を見ていた青髪の青年が顔を上げる。コトワリを見ると真剣な表情を一変させて破顔した。いつも被っている飛行帽は小脇に挟んでいた。
「珍しいところで会うね。何か染めに来たの?」
「いえ、人を探していまして。ティトンさんは?」
「帽子の裏地が結構痛んできたから、ついでに染め直そうかと思って。いつも草木染めだけど鉱石染めなんかもいいかなーって。知ってる? ここってダンジョンで見つけた植物や鉱物を買い取ってもらって、それで染めてもらうことも可能なんだよ」
「買い取りですか」
「うん、ほら今やってる」
ティトンが奥を示す。腰の高さほどのカウンターの前に長い銀髪の女が立っていた。傍らには仕掛け銃が立てかけられている。仕掛け銃というのは長い銃身に弾をいれてバネの力で発射する武器である。クロスボウよりも射撃精度が高いが、扱いが難しいため好んで使う者は少ない。
「ティトンさん、彼女をご存じですか?」
「ミトラさん? うん、知ってる。珍しい鉱物取ってくるのが上手くて、たまに研究用の資料として分けてもらうから」
「どこのクランですか?」
「前に会ったときはヴァージネスデルソルにいたけど、今はわからないな。彼女って「野良」だから」
ヴァージネスデルソルというのは「太陽の乙女たち」という意味の通り女性のみで構成されたクランである。恋愛禁止という妙な決まりがあることで有名であるが、それ以外は至って友好的なクランだった。
野良とはクランを転々とする冒険者のことである。冒険者はクランに所属していないと色々な不利益を被るが、一つのところに長く所属するのを好まない者も多々存在する。
「ティトンさんは鉱物お好きですよね」
「じゃがいものほうが好きだよ」
「それは知っています」
思わず真面目に返してしまったコトワリに、ティトンは「冗談冗談」と笑う。
「鉱物は確かに好きだよ。形も色々あって面白いし、薬になるものも多いからね。それに植物と違って腐ったり枯れたりしないからじっくり研究できる」
「確かにそうですね」
「それにさっきも言ったけど、こういうところで高値で取引される鉱物も多いからね。クランが資金難になった時のために鉱物の知識があれば役に立つ……と思う」
そう言いながらティトンの目が泳ぐ。研究材料を売り払わなければいけない場面を想像したのだろう。恐らく最後まで手放しはしないのだろうな、とコトワリは密かに笑った。幸いにして白羽は金持ちとは言えないが不自由なく全員過ごすことが出来ているため、当面そのような事態にはならない。
「ミトラさんに何か用なの?」
「えぇ、少し聞きたいことがありまして。あ、丁度取引が終わったようですね」
コトワリはカウンターの方へ向かった。ティトンはティトンで染めたい色が見つかったらしく、サンプルの布を片手についてくる。
「あの」
コトワリが声を掛けた時、カウンターの中にいた男の方が口を開いた。
「あら、いらっしゃい。何か染める? それとも売る?」
男は薄化粧を施した顔に大きなサングラスをかけていた。薄茶色のレンズの奥で切れ長の一重が微笑んでいる。肩ぐらいまでの群青色の髪の一部を三つ編みにして顔の横に垂らし、派手な細布を一緒に編み込んでいた。細身の体にスタンドカラーの黒い服を着て、極彩色の刺繍で飾った上衣を羽織っている。布も服も商品サンプルの一部に違いない。
「あ、いえ。ぼくは……」
「おや」
ミトラがコトワリを見て首を傾げた。極彩色の男を見てからだと、ミトラの銀髪やモノトーンで揃えた服はどこか安心する。
「先日お会いしたような。違ったかな?」
「願掛けの洞窟で」
「あぁ、なるほど」
ミトラは納得したように呟いた。
「少しお話を聞きたいのですが、よろしいですか?」
「話?」
ほぼ初対面の男に言われたためだろうか、ミトラはあからさまに面倒そうな顔をした。
「お時間は取らせません。少し店の外……痛い痛い痛い」
急に脛をつつかれたコトワリは顔をしかめた。足元でアヒルが首を前後に動かしてコトワリの脛にくちばしをめり込ませていた。慌ててコトワリがアヒルを持ち上げると、ミトラはそれを見て少し笑った。
「あなたのペットか?」
「そういうわけではないのですが」
「ここにはペットを染めに来る人も多いらしい。私はもっぱら持ち込み専門なのだが」
アヒルのおかげで警戒心が薄れたのか、ミトラは少し饒舌になった。
「鉱物を採取するのが得意と」
「あぁ、でもAランクを持っていないといけない場所ってのが多くてね。それで試験を受けようと思ったんだ」
「あの洞窟に行った人が次々に行方不明になっているという噂は聞きましたか?」
「いや、初耳だ」
ミトラはそう言って少し考え込む。
「こういう場合に情報をすぐに手に入れられないのが野良の辛いところだな。一応今はディープダンジョンダイバーズに籍を置いているが、必要最低限の情報共有しかされないし」
「身の回りで何か変わったことなどありませんでしたか?」
「いや、特にはない。そもそもここ数日は鉱物集めのためにダンジョンにいたから」
「あの日のことで覚えていることはありませんか?」
「覚えていること……。といっても洞窟の中では何も見なかったし、私はすぐに帰ってしまったからな。あぁ、でも待っている時にダンスインザダックのメンバーとは話をした。それぐらいだな」
アヒルを見て思い出したらしい女はそう言った。
「お知り合いだったんですか?」
「そういうわけじゃない。ただの暇つぶしさ。この辺りで鉱物が取れそうな場所がないかとね。そして情報交換としてこちらも知っている洞窟の話をした」
もしかしてあの日、アロに連れて行かれた場所だろうか。コトワリはその時のことをうっかり思い出しそうになって慌てて記憶に蓋をした。あのグルグル白蛇タックルとナスのことは早急に忘れたい。
「他は特に話せることはないな」
「そうですか。すみませんでした、引き留めて」
「いや、構わない。お陰で有益な情報を手に入れられた。せいぜい気をつけることにするよ」
ミトラはそう言い残して店から出て行った。コトワリはそれを見送ったあとに、ティトンの方に顔を向ける。飛行帽をカウンターに置いて染めの相談をしていたティトンは、その視線に気付いて顔を上げた。
「話終わったの?」
「えぇ、ぼくの用事も終わりましたので失礼し……」
「あらぁ、素敵なアヒルちゃん」
ティトンの相手をしていた派手な男が口を開いた。
「何色に染めるの?」
「え、いや」
違う、と言いかけたコトワリだったが、腕の中にいたアヒルが勝手にカウンターの上に移動してしまった。しかもいつのまにやらクチバシに細長い布を咥えている。
「まぁー、賢いのね。どこを染めましょうか。今アヒル界隈で流行なのは尻尾よぉ」
男はアヒルの尻尾を指で触れる。それから思い出したように「あらやだ」とその手を口の前に置いた。
「ごめんなさいね、アタシったら。店長のハオシン・フェンと申します。気軽にハオハオと呼んで頂戴ね」
「は、はぁ」
店の名前が入ったカードを渡されたコトワリは、ハオシンの名前に添えられたクラン名を見て驚いた顔をした。
「星期三的猫の方なんですか?」
「そおよぉ。ご存じなの?」
「えぇ、ロンさんが管理されている洞窟に先日お邪魔したんです」
「あらそぉ」
サングラスの奥でハオシンの目が細められた。
「あの場所の人気も長いわよね。ロンロンもよく飽きないものだわ」
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/04/24 (Thu) 16:58:27
「貴方はあの洞窟には?」
「行かないわよぉ。暗いの嫌いだもの。最初はアタシを連れていこうとしたのよ、ロンロンたら。良い迷惑よねぇ。だからサーモンちゃんに頼んだの」
「サーモンちゃん?」
「白羽の弓遣いよ」
まさかアサケノの中心二文字を取ったのだろうか。だとするとあまりに突拍子もなさ過ぎる。コトワリは呆れるのを通り越して一種の恐怖を覚えつつも言葉を続けた。
「お知り合いなんですか?」
「染め物をよくしに来るのよぉ。この前なんて羊の毛を持ってきたわ。同じクランの子に綿花頼んだら羊毛持ってきちゃったんですって。アタシだったら怒るけど、気にしないところがサーモンちゃんの偉いところよねぇ」
繰り返される「サーモン」のせいで頭の中で魚が群れを成す。コトワリは何らかの助けを求めてティトンの方を見たが、ティトンはカウンターの隅に置かれた鉱物のサンプルに夢中になってしまっていた。揚げたてのポテトを見たときと同じ目の輝き。こうなるとあまり期待出来そうにない。
「じゃあ染めちゃうわね」
「え、いや。そのアヒルは……」
止めようとして手を出したコトワリだったが、アヒルのクチバシによってはたき落とされた。先ほど足をつつかれた時と同じくらい痛い。
「この色選ぶなんていい目をしてるわねぇ。うちでも一番高値で取引されてるのよぉ」
「た、高値?」
「ほら、美しいでしょう。この鮮やかな紅色。しかもこれ暗いところで光るのよ。前なんて全身この色にしたワンちゃんがいて、しばらくの間「光る犬」って話題になってたんだから。アヒルちゃんも光るアヒルになりましょうね」
「すみません、ぼくそんなに持ち合わせがないんですよ」
しかもそのアヒルは自分のではない。ダンスインザダックだって、急に尾羽だけ赤く染まったアヒルを返されても困るだろう。否、あのクランの場合は喜びそうでもあるが。
「ハオシン、ちょっと良いですか」
店の奥から一人の男が現れた。先ほど話に上がったばかりのロン・ホアジャだった。
「今接客中よぉ、急に来てどうしたの?」
アヒルの尾羽を櫛で整えながらハオシンが問い返す。口ぶりからしてずっと店にいたわけではなく、何かの用事で立ち寄ったらしい。
「前に来た時に、忘れ物をしてしまって」
「あぁ、ペン軸でしょ? なんであんなに書き物しておきながら、書く物を忘れて帰るのか理解に苦しむわ」
「気付いていたなら持って帰ってきてくれてもいいのでは……。どうせ帰る場所は同じでしょう」
「嫌よ、面倒くさいもの。戻るならついでに今日の取引記録も持って行きなさいよ」
「それは前に来たときにもしましたが……」
「いいでしょ、別に。あぁ、でもこのお二人のお相手が済むまで待っていてちょうだい」
喧嘩なのかじゃれ合いなのか。微妙にわかりづらいやりとりをしている二人を眺めていると。ロンがコトワリに気がついた。
「またお会いしましたね。先日はあのあと大丈夫でしたか?」
「えぇ、なんとか」
失踪者の件を訊ねるべきだろうか。しかし直接言うのは憚られた。あまり考えたくはないことだが、ロン自身が失踪に関わっている可能性も捨てきれない。
「ハオシン、彼は白羽の方ですよ」
「あら」
ハオシンは目を丸くする。
「白羽なら安心ね」
「安心?」
「こういう商売してると、色々ケチをつけられることが多いのよぉ。だからどうしても警戒しちゃうのよね。でも白羽は評判の良いクランだから」
それは主にイロハの功績ではないだろうか。コトワリはそう思ったが、わざわざ否定するのも相手の話をぞんざいにしているかのようで気が咎めたため愛想笑いに徹する。
「因みに、ティトンさんも同じクランです」
「え、何なに? 何か話してたの?」
サンプルに目がくっつくほどに見入っていたティトンが顔を上げる。すると丁度アヒルと目が合い、なぜか双方深々とお辞儀をした。よくわからないが何か二人で分かち合ったのかも知れない。
「コトワリ、このアヒルどうしたの?」
「アロさんが間違えてダンスインザダックから持ってきてしまって。これから返しにいくところなんですよ」
「今日、あのクラン誰もいないと思うよ」
さらりと告げられた言葉にコトワリは「え」と固まる。
「なんかね、ものすごく音が反響するダンジョン見つけたんだって。だから皆で踊り込みに行くんだ、ってダック隊長が。ないとふぃーばーでポンポンとか言ってたよ」
「そうですか……」
「アヒルだけならそのまま置いてくればいいんじゃないの?」
「いえ、流石に何も言わずと言うのは……」
「あ、そっか。じゃあうちで預かるしかないね」
当然のようにティトンが言ったため、コトワリはもう一度「え」と呻いた。
「うちのクランに?」
「明日返せば大丈夫だよ。盟主さんも駄目とは言わないだろうし」
言葉が理解出来るはずもないのにアヒルは両羽を広げて何度か鳴いた。まるでその意見に合意しているかのように。いつの間にか尻尾は綺麗な紅色に染まっている。
「素敵でしょう、この色」
「そ、そうですね……」
誇らしげなハオシンとは真逆の表情でコトワリは同意する。財布の中にある金だけで足りるのか、という切実な悩みのために。しかしその表情に気がついたハオシンは「あらぁ」と口角を上げた。
「大丈夫よ、サービスしてあげる」
「本当ですか?」
「サーモンちゃんにはロンロンがお世話になってるもの~。それにちょっとお願いしたいことがあるのよね」
意味ありげな言葉に、ハオシンの後ろでロンが溜息をついた。
「またですか。ほどほどにしないとお客さんを無くしますよ」
「いいじゃないの、もう。ロンロンはさっさと帰りなさいよ」
「はいはい……」
ロンはカウンターの下から取引記録らしい紙をまとめて取り出し、それを持って店の奥へを消えた。ハオシンはそれを見送ることすらせずに、逆にカウンターに身を乗り出す。何を頼まれるのか。タダより高いものはないということか。身構えたコトワリにハオシンは笑みを深くした。
「アヒルちゃんの服作らせて頂戴」
「……はい?」
コトワリの疑問符に合わせて、ティトンとアヒルが首を傾げた。
Re: 【エデン】名探偵コトワリ - 淡島かりす
2025/04/29 (Tue) 07:48:37
目が覚めるとそこは暖かくて白い場所だった。コトワリはなぜこんな状況なのかと寝ぼけた頭で考える。
昨日はとても賑やかだった。染め物屋で仕立ててもらった服を着たアヒルをティトンが抱っこしてクランルームに持ち帰った瞬間から。ハオシンが作ったのは小さな帽子とケープだった。チューリップをひっくり返したような形をした紺色の帽子に、同じ色で作った裾の広がったケープという組み合わせは少し独特ではあったが、アヒルは非常にお気に召したようだった。皆でアヒルを取り囲んで、口々にその縫製の細やかさについて語り合ったこと、そしてその内容を思い出す。
「小さい帽子可愛いー。すごく細かく縫ってあるね」
アロが帽子の表面の縫い目を見ながら感嘆符を上げると、ティトンがその語尾に被せるように何度か頷いた。食事用のテーブルの上でアヒルは誇らしげに首を真っ直ぐ持ち上げている。
「凄かったよ。目の前であっという間に縫っちゃうんだもん」
「普通の針で縫うのか?」
ケープの裾を持ち上げながら訊ねたのはクエルクスだった。眉間に軽く皺を寄せているが不機嫌なわけではなく、ケープの作りをよく見ようとしてのことだった。
「いえ、釣り針のような形のものでした。それを木で出来たピンセットを使って」
「それにしたって細かすぎるんだが? 性能のいい拡大鏡がないと無理だろ、これは」
「ハオシンには必要ないな」
イロハが笑いながらそう言った。
「あいつのスキルだよ。胡麻くらいの大きさのものをまるで卵のような大きさで見ることが出来る。クランの中じゃ、他の奴らが集めてきたものを検分したりするのに重宝されてるらしい。まぁつまり天然の拡大鏡を持っているようなもんだ」
「あぁ、なるほど。だからロンさんはハオシンさんに最初同行を依頼したんですね」
「まぁ俺の千里眼と少し似てるからな。拡大して見た物はその大きさのものとして扱うことが出来るから、米粒に文字を書いたりするのも朝飯前だって言ってたぜ。だから細かい作業をするのが好きで、店に来た動物の服を作るのを趣味にしてる」
「無料で作って頂きましたが、良かったのでしょうか」
「気にするなよ。一種のストレス解消らしくてな。金を貰っちゃうと好きなものが作れなくなるって言ってたから。ところでこのアヒル、アロが持ってきたんだろ?」
「うん。畑で取れた新鮮なアヒルさん」
「ナスみたいに言うな」
呆れた口調でクエルクスが言う。
「お前が連れてきたならお前が返しに行けばいいと思うんだが? なんで人に押しつける」
「押しつけてないもん。コトワリさんのお店に忘れちゃっただけ」
「同じことだが?」
そのままお説教が始まってしまいそうだったので、コトワリは「まぁまぁ」と穏やかに割って入った。
「別にぼくは構いませんよ。明日、ダックインザダックの人にお会いする予定でしたし」
「ダンスでも習いに行くのか?」
そんなわけはないとわかっているだろうに、どこか悪戯っぽくイロハが言う。コトワリは首を勢いよく左右に振った。
「ぼくも命は惜しいんです」
「大袈裟だな。ところでアヒルの寝床はどうする?」
「使っていない籠があったので、その中に寝て頂こうかなと」
「コトワリの部屋に置くんだろ? だったら下に敷く毛布もあったほうがいいな」
「いや、別に此処に置いておい……痛い痛い痛い」
脇腹をくちばしで抉られて、コトワリは体を少し反らしたままテーブルから数歩離れた。アヒルはつぶらな瞳でコトワリを見つめている。それに気付いた他の四人もコトワリのほうに視線を向けたため、構図的に四人と一羽から見つめられる格好となった。
「コトワリの部屋がいいんじゃないか?」
「置いておくだけなら問題ないと思うが」
「このアヒル、コトワリのこと大好きみたいだね」
「アヒルさん、尻尾ピンク色で可愛いからね」
そこまで思い出したところで、コトワリは漸く自分の身に何が起こっているのか理解した。先ほどから視界を覆っている純白はアヒルの羽の色。暖かさはアヒルの体温。ほんの少しの息苦しさはアヒルの重みが唇と鼻を塞いでいるから。
「あの、どいていただけますか」
コトワリの顔の上にアヒルが鎮座していた。寝るときは確かに籠の中に入れたのに、いつの間にやら移動したらしい。
「……失礼します」
両手でアヒルを掴んで顔から引き剥がす。そのまま体を起こすと、アヒルがやや不満そうな鳴き声を上げた。
「すみませんね。流石に死因がアヒルは嫌ですので」
床に下ろされたアヒルは小さく鳴きながら部屋の中の散歩を始める。コトワリはそれを踏みつけないように気をつけながら着替えを済ませると、籠の中に置いてあった帽子とケープを取り出してアヒルに着せた。
「では行きましょうか」
部屋から出ると朝食の匂いがしたものの人の気配は少なかった。どうやら随分と寝過ごしてしまったらしい。コトワリはそう思いながらアヒルと共に階下に下りる。六人掛けのテーブルの上にはコトワリの分の朝食が置いてあった。白いご飯に焼き鮭。豆腐とピーマンの味噌汁にメロンの浅漬け。鮭を見て思わず昨日のことを思い出してしまったコトワリは口元に笑みを浮かべた。
「何笑ってやがる」
テーブルの向こう側に置かれたソファーからクエルクスが不審そうに呼びかけてきた。コトワリは慌てて笑みを消す。
「おはようございます」
「随分よく寝てたが、朝飯は食うだろ。食わないと身が持たん」
「えぇ、いただきます。他の方々は?」
「全員とっくに出かけた。盟主のやつはお前が飯食い終わらないと出かけられないとさ」
その言葉と食卓に並ぶものから考えるに、今日の食事当番は盟主の梟ということだろう。平素あまり当番表を記憶していないコトワリは、少し申し訳ない気持ちになりながら席に着く。
「クエルさんは今日は用事はないんですか」
「あ? 別に暇人じゃないが?」
「そこまで言ってないです」
「一度缶詰の朝市に行って戻ってきたところだ」
クエルクスは髪を後ろに撫でつけるように掻き上げて、それから声のトーンを少し下げた。
「そこで聞いたんだが、ディープダンジョンダイバーズのミトラって女が消えたらしい」
「え?」
コトワリは口に運びかけていた箸を止めた。
「ミトラさんが?」
「お前と同じ日に願掛けに行った連中が次々に消えてるらしいな。アロから聞いた」
クエルクスはコトワリの隣の椅子に腰を下ろした。表情は不機嫌と心配が等分に混じっている。
「ミトラさんはどうして」
「昨日戻ってこなかったらしい。染物屋に行った後に仲間に会って、もう一度ダンジョンに潜ると言っていたようだが、そこから先のことがわからないと」
「そんな……。昨日お会いした時には特に変わったことはないと言っていたのに」
「染物屋で会ったのか」
「はい、その」
失踪事件を調べていたと言うべきか。コトワリは少し悩んで口ごもる。しかしクエルクスはその様子を見て何かを察したようだった。
「必要なら手を貸すが?」
こういう少しぶっきらぼうな優しさがクエルクスがクエルクスたるところだった。押しつけがましくもなければ遠慮しているわけでもない。仲間が困っているのを察して先回りしてくれるのがイロハだとすれば、困っていることを確認したうえで選択肢の一つになってくれるのがクエルクスだろう。
「ありがとうございます。でも一人で問題ないです。手を貸して欲しい時はお願いしますから」
「わかった。でも行き先はちゃんと教えろ。どこかにふらふら行って古い井戸にでも落ちたら探せなくなる」
「そんなことは無い、と言い切れないのが辛いですね。今日はアヒルを返しにダンスインザダックのところにお邪魔して、パルスさんと話してきます。彼も願掛けの場にいましたから」
「あのクランは何かあっても踊って回避するだろ」
「それも否定出来ないですね。そのあとで可能ならミトラさんのことをクランの方に聞いてきます」
コトワリは笑いながら食事を再開した。少し冷めてしまった鮭と白米が混じり合って食欲を刺激する。ふと気がついてアヒルを見ると、既に盟主が用意していたらしいアヒル用の皿にクチバシを何度も叩きつけるようにして食事を取っていた。
「ところで」
クエルクスがふと思い出したように口を開いた。
「アロの奴から話を聞いて気になったんだが、小夜啼鳥のところのメンバーが願掛けにいたんだよな?」
「えぇ、そうですが」
「お前、何の願掛けに行ったんだ?」
「Aランク試験の合格です。あの日の朝、アロさんがそう言ったのを聞いていたはずでは」
「確認だ、確認。だとすると少し妙なことがある」
「妙、とは」
「小夜啼鳥の連中は、全員Aランク以上だ。願掛けに行く必要なんかない」
その時飲み込んだ鮭の皮は、美味しいはずなのに全く味がしなかった。
【エデン】「天使な悪魔」 - あさぎそーご
2025/02/23 (Sun) 20:54:22
「ちょっとコトワリ、どうしたのその顔…っ!」
クランルームに入ってきた彼にティトンが叫ぶ。オフィルに繋がる木製の扉を閉め、コトワリは皮肉に笑った。
「あなたがこんな時間まで庭にいるなんて珍しいですね。雨でも降るのではないですか?」
「さっき行き詰って一旦戻ったんだ。誤魔化さないで説明しろ、コトワリ」
目を見開き歯を食い縛るティトンを通り越すと、今度はイロハが圧をかけてくる。コトワリは一つのため息で緊張を緩和しにかかった。
「ちょっとモメただけです心配ありません。ポーションを切らしていたので取りに来たんですよ。店よりここのが近かったもので」
頬から目尻にかけてコブのように腫れた顔を見て、心配するなと言われても納得できるわけがない。しかしとりあえずポーションを取りに行くのが第一かと、イロハは一旦コトワリを見送る。
彼が庭の片隅にある一軒家に入ったところで、後ろからティトンが泣きそうな声を出した。
「ちょっとモメただけであんな風になるの?敵は何?どんなモンスターだったのかな…」
「いや、どんな能天気だこのガキは」
ミーティングをしていたテーブルセットからクエルクスがため息を浴びせる。騒ぎに気づいたのか、アロも奥の泉から「どうしたのー?」と歩いてきていた。肩には2匹のPIYOが乗っている。
「相手は多分、他のクランの奴だな」
「あー…ごめん、そういうことか。そうだよね」
「ダンジョン攻略中だったからスイッチがそっちにあったんだもんねー?」
「うん、そんな感じ…」
ふー、と息を整えて。ティトンは家の扉から仲間に向き直った。
「モメたってことは、うちと仲が悪いどっかだよね?また黒牙かな?」
「いや、あのクランにあんなパワーがあるやつはいなかった筈だぞ?」
探索に力を入れている白羽と比べ、【ノアル•クロ】通称「黒牙」はどちらかというと財宝目的のクランだ。しかしどうにも無茶をして破産しがちで、上手く回っていないらしい。
だからこそ、順調に攻略を進めている白羽を目の敵にし、絡んでくることも少なくない。なお、ティトンを「芋野郎」と呼び始めたのも彼等である。
「じゃあ生贄?」
「あいつらなら、有り得なくはないだろうが…」
「コトワリさん、あの人達避けるの上手だけどねー?」
アロの言う通り、【アーシャーム】通称「生贄」はいろんな意味でコトワリと相性が悪く、顔を合わせる事すら嫌がるレベルだ。金に汚く喧嘩早い。非戦闘員にしてみれば災害のようなものである。
「そもそも絡まれたんだろ?アレだけですんでりゃ生贄の線は薄くないか?」
「言われてみれば」
「じゃあ、どこ?」
揃って首を傾げていると、ポーションで傷を治したコトワリが家から出てきた。よそよそしく外に向かう彼の肩をクエルクスが掴む。
「コラ、逃げる気か」
「大丈夫です。白羽には迷惑かけませんから」
「んーでもさ、どのみち事情を聞いとかないと僕達も困るかもだし」
「それは…そうですけど」
治った頬を掻きながら、それでも渋るコトワリの周りにゆっくりと4人が集まった。顔を見合わせるクエルクスとティトンの代わりに、イロハが口を開く。
「やり返しにいくわけじゃないんだろ?」
「ぼくに仕返しができるとでも?」
「代わりに行ってやろうか?」
「無茶です」
「つまり、格上ってことか」
「……はぁ…きみたちの好奇心にはほとほと呆れますよ」
「それがウチの方針だからな」
「違いねえ」
あっという間に終わりそうな聴取に、諦めたコトワリが答えを言った。
「「赤嘴」ですよ」
その名を聞いて全員の顔色が変わる。心配と焦燥、不安が絶妙に交じった感じに。
「【ベックルージュ】?あの大手の?」
「なんだって絡まれたんだ…ポーション値切られでもしたか?」
「まさか。彼等にはそんなもの必要ありませんよ」
「じゃあ、どうしてー?」
「……知り合いがそこに所属しているんです。まだ、本調子ではないので休ませてあげてほしいと…つまり、出しゃばった結果ですね。まあ、無駄でしたが」
諸々省いた説明が終わると、いち早くアロが首を傾けた。
「んーー?コトワリさん、それって彼女さんのことでしょー?」
「……あ、はい…」
早速バレては伏せた意味がない。気不味そうに目を逸らすコトワリをよそに、それぞれが見解を呟く。
「ほー。赤嘴か…随分無茶してるって噂は前々から聞いてるが」
「いくらハロが多くても、身体がもたないことってあるもんね」
「まあ、辛いな。見ているだけで、なにもできないのも辛いだろうし」
流石彼女と同じくらいのハロを持つ仲間。理解が早くて助かる、とコトワリは胸を撫でおろす。最も、赤嘴のメンバーも彼等に負けず劣らずのハロの持ち主の筈なのだが…なぜ理解してくれないのだろうか。
「赤嘴の彼等は明るくパリピな脳筋でノンデリだからねえ」
コトワリの心の中での呟きを拾ったのは盟主の梟だった。家から出てきた彼は、ふわふわと歩み寄りコトワリの袖を掴む。
「話を聞く限り、まだダンジョンの入り口辺りだろうからね。早いうちに謝りに行ってくるよ」
「そういうことなので……失礼します」
頭を下げられた4人は、顔を見合わせて後に続いた。
「赤嘴って強いんですよね?2人だけで大丈夫ですか?」
「必要ならついて行きますけど」
「うーん、まあ、大丈夫だと思うよ」
梟は赤嘴の盟主とも盟主会で顔を合わせているから、なんとなく知っているのだろう。心配するティトンとイロハに笑顔を向け、オフィルに続く扉を開ける。と、部屋の前に天使のような容貌の女が立っていた。
彼女は姿を認めるなりコトワリに飛びついて、泣きそうな声を出す。
「ごめんね、痛かったでしょ?大丈夫?ごめんね!ごめんね…」
謝罪の間も淡く輝くのは、彼女を天使たらしめている、頭上に浮かぶ巨大なハロだ。淡い黄緑色の光が辺りに広がって、瞬間的に、広範囲に効果をもたらしていく。
「うわ!昨日包丁で切ったとこ治った」「足が…骨折が…なお…え?」「あれ?毒消しで微妙に抜けきらなかった毒が…消えてる…」「見てみてティトンー!ささくれが治った!」
騒然とする通りすがりの人々…及びアロの報告の中、我に返ったコトワリが慌てて彼女を止めにかかる。
「ゆあさん…!もう大丈夫ですから、スキル止めて…」
腹部に巻き付き一心不乱にスキルを発動していた彼女…ゆあは、顔を上げてコトワリの両頬を撫で回した。
「ほんと?もう痛くない?跡残ってない?」
「はい、あお、はいひょうふへぶ」
もちもちされながら答えるコトワリの後ろ、見物ついでに顔を出した白羽メンバーがクランルームの扉を閉める。
「今の、彼女さんのスキルー?」
「そう。大抵のものは回復できちゃうし、範囲も広い。SS級のヒーラーだよ」
盟主の解説に「まじか」と感嘆が連なった。
その間に訪れた「天使様」と拝む者、ありがとうございます!と明るく礼を述べる者等、通行人達が去ったところで、コトワリが話を軌道に戻す。
「あの、クランの…赤嘴のみなさんは…」
「知らないよ、あんなやつら」
ぷーんとそっぽを向いて膨れた彼女に、コトワリの後ろからティトンがたずねた。
「えとー、あのさ、コトワリが殴られたとこ見てたわけじゃないんだよね?」
予想外のところから飛んできた質問に、ゆあは不思議そうな顔で答える。
「もし見てたら、そのまま帰したりしないよ?」
「だよね。じゃあどうして知ってるの?」
「ん?コトワリくんが殴られたこと?」
「そう」
ティトンだけでなくみんなが頷いたのを、未だ彼女と仲間を遮ろうとするコトワリ越しに感じたゆあは、ふわっと笑って一息に言った。
「あー、そっか。そうだよねー?普通、いちいち報告してこないよね?分かる、分かるよ?でもね。うちのクランの奴等、みーーんな馬鹿だからさ。言ってくるんだよねー。アイツのこと殴ったったでーって。ほんと、意味わかんないよね?」
「誰が馬鹿だ!あ?」
唐突に割り込んだのは、遠くから駆けてくる二人組の女性。どちらも赤嘴のクラン印を首から下げている。あの距離から聞こえたのか…?と震えるクエルクスをよそに話は進む。
「てか、あんた…盟主になんてことすんのよ!」
彼女達の怒りと焦りの形相からただ事ではないと察しながら、白羽の5人は大人しく成り行きを見守る体勢を取った。対して当事者のゆあは即座に臨戦態勢になる。
「は?こっちの台詞なんだけど」
先程までのふわふわから一変、ゆあが発した氷のような声色に、オフィルの一角が凍りついた。
イロハがチラリとコトワリを見るが、動じた様子はない。少なくともコトワリは、彼女のこの一面を知っているようだ。
ゆあの前までやって来た二人組が、掴みかからん勢いで背後を示す。
「ふざけんなし!早く戻って治せアホ女!」
「そっちで勝手に治したらいいじゃん」
シラケた調子であしらう彼女を、再び遠くから別の声が呼んだ。
「おい、ゆあ」
全員が振り向くと、脇腹を押さえた血まみれの大男がこちらに歩いてくるのが見える。ギョッとするティトンの真横を、赤嘴の女性二人が横切り男に駆け寄った。
「ちょっ…盟主!大丈夫?」
「無理しちゃ駄目じゃん!」
あっというまに両側から支えられた赤嘴の盟主は、赤い短髪に黒い鎧。厳つい体格だが整った顔をしている。背中に背負った大斧は鑑定するまでもなく一級品に見えた。後頭部で後光のように輝く大きなハロも、見事な赤だ。
そんな人間があれだけの怪我を、ダンジョンの外で負っている。話からしてその犯人は…
白羽の面々がゆあを振り向くと、彼女は忌々しげに顔を歪めて冷めた台詞を吐いた。
「なにしに来たの?折角綺麗な床が血で汚れるじゃん…あ、この前両足ブチ切れてたよね?そっちにしといたらよかったかー」
内容は元より穏やかな笑顔が怖い。意味も分からず身震いしたクエルクスがコトワリに耳打ちする。
「どういうことだ?」
状況と言葉に対する質問に、コトワリは困ったように答えた。
「彼女は…なんといいますか。その個体が一度経験した怪我も復元……つまり、「回復」できるんですよ…」
成る程、と隣で聞いていたティトンが納得し、恐怖する。ダンジョンでは生かすも殺すもヒーラーの機嫌次第……とは上級者ならよく聞く言葉だ。ゆあのスキルは顕著にその最上位に君臨しているのかもしれない。
ひっそりと身を縮めるギャラリーを無視して、赤嘴の揉め事は続く。
「盟主のお気にだからって調子に乗りやがって…」
「調子にのったのはそっちでしょう?私の大事な人を傷つけて…絶対に許さない」
「それを言うならあんただって!私らの大事な盟主をこんなにしたじゃん」
「あのさ、報復って言葉知らないの?馬鹿なの?死ぬの?」
「まあまあ、落ち着きなさい」
2対1の罵り合いに割って入ったのは梟だった。子供の姿ながらに圧のある彼を前に女性陣が黙ると、梟は赤嘴の盟主を見上げて不敵に笑う。
「うちの子がなにやら世話になったみたいだね」
「梟…テメエ」
温度差のある睨み合いは数秒続いたが、渦中にいる筈のコトワリは綺麗に無視されていた。眼中にないのだろう。察した梟が早々に話を切り上げる。
「喧嘩を買うつもりはないよ。君が彼女に謝れば済む話だ」
梟は言いながら、赤嘴の盟主とゆあの間から一歩引いた。相手が変わっただけで、険悪さは継続する。
赤嘴の盟主から謝るつもりはなさそうだ。そして引くつもりも。ゆあははなから理解しているのか、呆れたように条件を出す。
「梟さんにも、白羽のみなさんにも、今後一切出だしはしないって誓うなら戻ってもいいよ?」
「はぁ?」
すかさず左側の女性が食って掛かるのを、赤嘴盟主が遮って答えた。
「分かった」
「盟主!なんでこんなやつ…」
右側の女性が悔しげに食い下がる。鼻で笑うゆあを手のひらで示し、梟が口添えした。
「彼女がいなければ君たちの探索は厳しいものになる。それは間違いないだろう?もう少し大事に扱ってあげてほしいものだね」
その言葉を聞いて、ゆあが密かに恐縮するのに白羽の5人が気付く。しかし赤嘴の3人は構う様子もない。梟にあからさまに嫌な顔を向けた。
「大事にしているさ。貴様等には到底できないようなもてなしをしている」
血まみれの手を布で拭い、なにかを取り出した赤嘴の盟主は、ゆあの目の前に拳を突き出す。促されて手を出したゆあの手に降り注いだのは、大量の金貨だ。
「報酬が不服なら上乗せしてやる。早く治せ。時間が惜しい」
高圧的な態度と、上からの物言いと。
手から溢れそうな金貨を見据えたまま、肩を震わせていたゆあの顔が上がる。
「タヒね!」
汚い言葉と共に景気よく投げつけられた金貨が、赤嘴盟主の顔に直撃し、いくつか張り付いた。それでも動じず顔を歪めただけの彼に、ゆあは人差し指を突きつける。
「そんなものいらないから約束しろ!誓え!」
低い声で命令され、不機嫌ながらも赤嘴の盟主はため息を吐いた。
「チッ…気難しい女だ。分かった、手を出さなきゃいいんだろ?」
「手だけじゃない。どんな危害でも、加えたら赤嘴は抜けるから」
「……は?」
一瞬にして空気が変わった。重苦しく、上からのしかかるような。確かな圧力を感じて、殆どの人間が身を縮めざるを得ない中、ゆあは堂々と相手を睨みつけている。そして一番小柄な梟も、いつもと変わらぬ表情で息をついた。
「全く、メンツが大事なのは分かるけどね。少しは大人になりなさい」
「ガキに言われたくない」
「そうかい?ならなおさら、ゆあちゃんとの約束は守らないとねえ?それさえできれば彼女という最上級のブランドは、君達に手を貸してくれるんだから」
「貴様等が出し抜かなければな」
「そんな心配をしていたのかい?呆れたねえ」
圧を軽くいなした梟は、続けて穏やかに説明する。
「私達はたった6人の小規模クランだよ。彼女のような高級品を受け入れるには勿体ない。それに例え彼女がいようとも、君達赤嘴が挑むようなダンジョンを攻略できるほどの力はないさ。残念ながらね」
確かに。悔しいが、実力も手数も足りない。特に最難関ダンジョンにいるレイドのような強敵とは縁が無いくらいだ。
白羽メンバーが揃って頷くのを横目に、それでも赤嘴盟主は忌々しげに梟を見下ろす。
「疑わしいな。貴様が動けば容易いだろう」
「いやー、君達みたいなのが暴れるから。盟主会が忙しくてね」
成る程、いつもおどけて躱しているのか。梟の様子から、白羽の全員が2人の盟主の関係性を察した。
赤嘴盟主は舌を打ち、ゆあに疑問を投げる。
「こんな富も力も無い奴らに構ってなにが楽しいんだ」
「はーー」
ため息が深すぎて言葉になるほどに。吐ききったゆあは、心底呆れた声で返答した。
「説明したところであんたらには一生わからないよ」
その後何度か念を押し、赤嘴の盟主を回復したゆあは、3人を先に返して頭を下げた。
「ご迷惑おかけしました」
謝罪を受けた白羽メンバーは、盟主を筆頭に「いやいや、とんでもない」と両手を振る。その様子を朗らかに眺め、ゆあは最後にコトワリに向き直った。
「本当にごめんね?帰ったらもう一回治癒するから、いい子で待っててね?」
頬を優しく撫でられたコトワリが「もう治ってますよ…」と小さく呟くのに構わず、ゆあは大きく手を振って去っていった。
残された6人は見送るコトワリを待って部屋に戻る。
「しかし…あんだけ仲悪そうなのによく居着いてるな…」
「彼女も目的があってあのクランにいますから」
クエルクスのぼやきに、なんとも言えない表情のコトワリが答えた。その下から梟が不穏を注ぐ。
「それにね、赤嘴に彼女が居てくれるうちは大人しくしているだろうけど」
背中に怖気が走ったのか、ティトンは腕を擦りながら空を見上げた。
「抜ける…って言った時、空気変わったもんね…」
「コトワリ…もしかしなくとも責任重大だな?」
「えっと…ぼく、なにもできませんけど…」
茶化すでもなくイロハに背中を叩かれ、ぽかんとするコトワリを置いて4人は会議に戻る。
コトワリは謝礼ついでに盟主の手伝いをするようだ。今日のノルマは2階の廊下の雑巾がけだとかなんとか。
「しかし…あのスキルは凄い上に…………恐ろしいな…」
飲みかけだったマスカットソーダを飲み干して、クエルクスが目を細めた。その淡い緑から情景を思い出してティトンも頷く。
「コトワリのこと、あんまり死なせないように気をつけようね…」
「痛いのやだもんねー」
アロは朗らかに笑うが、内容を考えるととても笑えたものではない。
「そう怖がらずとも。コトワリが白羽《うち》にいる限りは心配無用じゃないか?」
イロハが軽く肩を竦めれば、複数の同意が返ってくる。今日の抗争がどこまでバーサク状態だったのかは、後ほどコトワリに聞いておいたほうがいいかもしれないね…とだけ結論づけて。
翌日ダンジョンから戻った4人が、コトワリの「赤嘴とゆあさんはあれが通常営業ですよ」という言葉に絶句したのは、また別の話。
【エデン】「恋の話はコタツの中で」 - あさぎそーご
2025/02/03 (Mon) 17:26:50
華やかなマス目が天国と地獄を突きつける。
1人《《ふりだし》》に戻された自分のコマを見下ろしながら、コトワリは白羽《クラン》の仲間、イロハに言い渡される。
「じゃあ、恋バナなんてどうだ?」
あからさまに顔を引き攣らせた彼は、おお!という歓声と好奇の目に囲まれた。
「なんの罰ゲームですか」と言いかけて、コトワリは固まる。何故ならこれは正真正銘、今しがた負けた勝負の罰ゲームなのだから。
1年のはじまりはクランルームでまったり…という名の怠惰に身を任せたのが午後1時頃。折角だから親睦を深めてやろうと、はじまったのは《《すごろく》》だった。
1時間を経て。
一着であがったアロがマス目を読んで謎にPIYOを配る。彼は持ち前の運で開始早々好調な滑り出し。あれよあれよと億万長者に上り詰めた。これが無欲の勝利か…と羨望の眼差しで見つめるばかりである。次点のティトンが的確におもちゃの札を数えて配ったり巻き上げたりする係り。彼は運もあるが堅実な運営で着実に稼いだ。途中、芋に飛びつきさえしなければ逆転もあったかもしれない。
3位にクエルクス、4位にイロハ。どちらも順当に、それなりの山あり谷ありを経て、それなりの札束を持って終着点に辿り着いている。
一方コトワリは中盤で見事に最悪のマスを踏み、一億の借金を抱えたままスタート地点に戻ったところだ。なにを隠そう、今回の盤は一番稼いだ人が勝てるすごろく。唯一店を経営しているアドバンテージを活かすこともなく、惨敗も惨敗。呆然とする他にできることも見当たらない。
そもそもつい先ほど、おみくじいりのお菓子から《《凶》》を出してアロとティトンに「珍しい!凄い!」と賞賛されたばかりだというのに。
思わずため息を吐いたコトワリの目の前でいそいそと片付けがされていく。小ざっぱりしたコタツの上に置かれたのはミカンと湯飲みだ。朝からちまちま食べ続けているのに、まだ食べるのだろうか。ついでに蒸かし芋まで乗った辺りで催促の視線が飛んでくる。
誰が罰ゲームなどと言いだしたかは最早分からないが、同意の上での勝負であったことは確かだ。
イロハの提案は、クリスマスイブに花選びを手伝って貰ったことからくるものだろうと納得もできる。
恋の話で、コトワリが覚えている範囲でとなると、《《彼女》》の話の他に選択肢はない。
しかしなんともバツが悪く、コトワリは湯のみを盾に舌を出した。
「そもそもきみたち、色恋沙汰など興味がないでしょうに…」
「そんなことないよ?だってコトワリ聞いても教えてくれないし」
「相手の名前すら知らんな」
どことなくニヤニヤと答えるティトンとクエルを見て、コトワリは苦々しい顔になる。
「つまり、からかいたいだけじゃないですか」
「はは、まあ、罰ゲームだからな」
イロハが朗らかに指摘すると、更に顔が渋くなった。ハロが潤沢な今、自分の毒舌には期待できない。そもそも毒期でも言い負かされることがある彼等に、反論するだけ無駄だ。
悟ったコトワリはコタツに潜ってやり過ごそうとしたが、橙に輝く視界に仲間たちの顔が次々と割り込んでくる。
「逃さんぞー」
「コートーワーリーさーんー」
「観念しろ?はよ吐け?」
「大丈夫、盟主さんにカツ丼作ってもらお」
大の大人が5人揃ってコタツに頭を突っ込んでいる奇妙な状況。ハタから見ればどんなに滑稽だろうか。台所で盟主会に差し入れするおせちを詰めている盟主に見つかって、温く笑われでもしたら目も当てられない気がする。というか。
「新年早々こんなホラーなこたつは御免被ります」
じわじわと根負けしたコトワリが顔を出すと、コタツから沢山の足が生えている明らかにおかしな光景を目にしてしまい頭を抱えた。
その間にもいそいそと元の体勢に戻りゆく仲間たちを待たず、ため息と共に吐き出す。
「そもそも彼女とは、便宜上恋人という体になっているだけで、本当に付き合っているわけではないんですよ…」
独り言のような自白が短い沈黙を呼んだ。
意味がわからない。全員が同じ意図の表情でコトワリを見据える。
「それ、本気で言ってるの……?」
「節穴かよ……」
「ねー?妖怪フシアーナだねー」
「は……どういう意味ですか…」
「そのままの意味だ」
最後にイロハが答えると、コトワリの首が小さく傾いた。
「というかみなさん、彼女のこと知らないのではなかったんですか??」
「知らないよ?でも分かるよ。ねえ?」
ティトンが隣のクエルクスに振る。他3人からも視線を受けて、彼もまた頷いて答えた。
「この前偶然会った時だって、オマエが背中に隠したせいで顔すら見てないが?それでも分かったぞ?嫌でも」
「分かったって…なにがですか?」
人差し指を向けられたコトワリの首が更に傾くのを見て、全員が呆れた顔になる。そして全員気づいた。
こいつ、アホほど鈍感だと。
それほどに、コトワリの彼女の態度はあからさまだった。顔が見えなくとも声色や仕草だけで分かるくらいには。
「ちゃんと紹介してよ」
「駄目です」
身を乗り出すティトンから顔をそらすと、今度はアロと目が合った。
「なんでー?紹介したくない理由くらい教えてよー」
「そうだぞ、恋バナだからな」
更に首を回すとイロハに言われ、最後に向いた先ではクエルクスに睨まれる。視線すら逃げ場がなくなったコトワリは、コタツに伏す勢い任せに答えた。
「一目惚れでもされたら目も当てられないじゃないですか!」
当人の必死さは、残念ながら伝わらなかったらしい。ティトンがぽそっと感想を零す。
「惚気だ……」
「あーー…ね」
同意したアロ共々温い笑みを注がれて、しかし否定できなかったコトワリは、引き続きコタツの天板に向けて言葉を発した。
「彼女がきみたちに一目惚れする可能性だってあるんですよ?新年早々振られでもしたら……死んでしまいますから」
本当に死ななくとも死にたくなる。それは本心なのだから、分かってくれるはずだと期待するも返ってくるのは呆れた呟きばかり。
「ありえん…」
「節穴だぁ」
「フシアーナー」
「うん、全く心配ないと思う」
仲間たちの反応に一人困惑する彼の後頭部に蜜柑を積みながら、最後にティトンが核心を突く。
「っていうか、そこまで好きならちゃんと付き合ったらいいのに」
4つ、蜜柑を乗せたまま動かなくなったコトワリの耳がじわじわと赤くなった。どの単語に反応したのかは分からないが、こちらもこちらで分かりやすいことこの上ない。
揃ってにまにまと蜜柑を剥いていると、コトワリは長いため息の後小声でこぼした。
「きみたちは身内だからです」
「は?」
「ぼくのこと贔屓目に見てくださってるからそう言えるのでしょう。実際並んで歩いていても、そんな風に見る人はいやしませんよ」
事実、彼女の方がそこそこ有名なこともあって「従者さん」とか「お手伝いくん」とか、ひそひそされることしかない。
「まあ、確かに。ハロ格差で見る輩は多いか」
「えー?じゃあ諦めちゃうのー?」
「諦めたくはないです」
「なら、さっさと打ち明けちまえよ面倒くさい」
アロに揺すられ、クエルクスに深ーーいため息をつかれ、コトワリは渋々本心を口にする。
「もう少し、自信がついたら、そうするつもりです」
おお!と短い歓声が上がった。しかしすぐにティトンが気付く。
「そのもう少しって、ものすごーく長かったりしない?」
「そうかもしれませんね」
「具体的に目標でもあるのか?」
「まさかS級ー?わーおー」
「ちが…作りたいポーションがあるんです」
「お?」
「それができたら、ってこと?」
未だコタツに伏したままのコトワリを覗き込むティトンとアロ。観念して肯定した彼の頭上に、次々と明るい声が落ちた。
「へー。いいじゃん?」
「オレ、手伝うよー?」
「ダンジョン探索しながら素材集め!一石二鳥…いや、もっとかな?」
「まったく、世話の焼ける…だがまあ、それなら去年とやる事は同じか」
ぐるっと一周した感想に、コトワリが顔を上げたところに幼い声が割り込む。
「おやおや、なにやら話がまとまったようだ」
風呂敷に包まれた重ねに重ねた重箱。包まれていない5段をコタツに置き、広げるのは我らが盟主だ。
色とりどりのおせち料理が詰まった箱は視覚的にもおいしい。全員が感嘆と感謝を述べると、幼子姿の盟主、梟は立ち上がって言った。
「改めまして。今年もよろしく、諸君」
沢山お食べ、と去ってゆく背中を見送って、一同は仕切り直す。
「これ食べたら早速行く?」
「いえ、さすがに今日はもう…」
「折角だ。他にもいくつか抱負を出してだな…」
「オレ、新種のPIYO見付けたい!」
「忘れないようどこかに書いとくか」
だらだらと時は流れる。これぞ正月というものだ。
罰ゲームが無事終了したことに安堵するそばから、無茶な抱負による新たな苦難が訪れることを、彼はまだ知らない。
【エデン】「強化ポーションとA級試験」① - あさぎそーご
2024/11/04 (Mon) 19:53:03
シノノメ石
カロル鳥の卵の殻
テルローの精製水
透明の果実
淡色のカスミ
それぞれ適量を液体にして小一時間精製
完成した薄緑色の液体は……
…………
馴染の鑑定士の言葉が頭の中で反芻する。
軽くなった財布に反して鑑定屋のドアは確かに重かったが、いつもと違って苦もなく外に出られた。
無意識に早足になってしまうのも仕方がない。
しかし決して走ることはしなかった。
割ってしまったら台無しになる。
帰ったらすぐに試したい。
いや、駄目だ。今、この高揚感で「駄目だ」と分かってしまっては、もう立ち直れないかもしれない。
それならば。
「少し、試して頂きたいポーションがあるんですが…」
昼食後にはダンジョンだ!と準備に追われるクランのリビング。入口で控えめに片手を上げるコトワリを、下からアロが覗き込む。
「コトワリさん、笑顔がこわーい」
「また怪しいもん持ってきやがったのか?」
「いや、ちょ…信用なさすぎやしませんか…」
続くクエルクスの軽口に、更に口を歪めるコトワリをイロハが宥めた。
「まあまあ、ただの冗談だろ?で、どんな効果なんだ」
「……その、そんなに期待はしないで頂きたいんですが」
「うん?」
準備の手を止めずに頷き首を傾げるティトンと、同じように自分に注目する仲間達を見渡して、コトワリは背中に冷や汗を伝わせる。
「………とりあえず、鍛錬の間に向かいませんか?」
「えー?でもこれからダンジョンに潜ろうとしてるし、そこで試したらよくない?」
「それはまあ、そうしたいのもやまやまなんですが…」
不満気なティトンをなあなあにかわそうとすると、横からクエルクスが訝しげに言った。
「やっぱり怪しいもんなんだろ?」
「違います。どちらにせよ効果を確認してからでないと危険な気がして…」
「危険な」
イロハが不安な顔をする。コトワリは目を背けて抗議した。
「……そんな目を向けないで頂きたいですし、PIYOを積むのもやめて頂きたいですし…」
頭の上から聞こえる鳴き声と、アロの落とす影とを交互に認識し終え、顔の前で手を合わせる。
「その、お時間は取らせませんから」
物理的に頭を下げられないせめてものポーズとして。
「で?なんの効果があるのさ」
到着した鍛錬の間。円陣を組んだ中でティトンがジャガイモをかじりながら問う。
「………、………か」
「あ?」
「ですから。仮に上手く出来ていれば、の話ですけれども……」
「うんー?」
クエルクスとアロが耳に手を添えて近づいてくる。コトワリは深呼吸の後、やっとのことで一息にハッキリと告げた。
「……スキル強化です」
盛大な間。
目を泳がせるコトワリに、いち早く詰め寄ったのはティトンだった。
「えー??それって凄くない?確かお店でめちゃめちゃ高く買い取って貰えた記憶があるよ??」
「希少性も高いな?」
「高レベルクランが買い占めてじゃぶじゃぶしてるやつー?」
元々前のめりだったクエルクスとアロも距離を詰めてくる。コトワリは一歩下がって両手を前に出した。
「ですから、あくまでも上手く出来ていればの…」
「つまりコトワリ製なのか」
イロハが呟き、コトワリが否定しないことで場のテンションがぶち上がる。
「おおーー!すごーーーい!」
「試そう試そうー、オレ、地面バーンって割りたい」
「ちょ」
「どうしよう、僕のスタンプから超強力魔法が??」
「あの」
きゃっきゃとはしゃぐ2人は、コトワリが握っていた薄緑色のポーションを持って天に掲げた。あまりの素直さに、口をぱくぱくさせる彼の肩をイロハが叩く。
「コトワリ、自分でも使ってみたんだろう?」
「いえ、まだです」
「……は?なんで」
「…………色々あるんですよ…すみませんね、脆弱なもので」
絶句したクエルクスにいつもの言い訳をすると、短いため息が連なった。
「……まあ、ならアイツらに…」
クエルクスの言葉はパキッという重く高い音に遮られる。振り向いた3人は、洞窟の奥に続く水路が見渡す限り凍っているのを視認した。
「アロ、凄い…」
「ビックリしたー!スケートできるねー」
「おい、はしゃぐなガキ共……あー、なんだ。成功だろ?あれ」
「おめでとう、コトワリ」
水路の上をつるつるするティトンとアロ。見張りながら、振り向き気味にクエルクスが問い、答える間もなくイロハが祝う。
しかしなんとも言えぬ表情を浮かべるだけのコトワリの空気に、全員が首を傾げた。
「?どうしたの?コトワリ、嬉しくないの?」
「いえ、嬉しいですよ」
遠巻きに顔を覗き込んでくるティトンに近寄り、コトワリは氷に触れる。2人が乗っても割れる気配もない、しっかりした凝固。本来アロは、自分の掌が触れている範囲にスキルを発動するが、一度の発動で水路は奥まで氷結した。
そこまでハロの大きくないアロが、これだけの水を凍らせてもぴょんぴょんしていられるということは、コトワリの作ったポーションが「少しのハロでスキルを強化できる」証だ。
ハロはよく水の流れに例えられる。
ハロが大きければ沢山水が入り、小さければ貯めておける量も少ない。
コトワリは常日頃ハロが切れぬよう、細く長く使っているが、蛇口を最大まで捻ってしまえば消費は一瞬。しかも効果も小さく、一瞬とはいえフラスコ2つ分精製するのが精一杯だろう。
スキル強化ポーションの不安点がなくなったことを説明すると、4人の声がまた明るくなる。
「これで戦術の幅も広がるな」
「潜れるダンジョンも増える!すごーーい!楽しーーい!」
はしゃぐイロハとティトンを前にしても、手放しで喜ぶ気配がないコトワリを横からアロがつついた。
「量産できないとかー?」
「いえ、まあ…でも、きみたちの協力があればある程度は作れますよ」
「ほー?ハロが足りないか」
「少しずつ精製すればいいので…心配するほどではないです」
「なら…」
クエルクスの茶々の後、ティトンが口を尖らせると、コトワリは真面目な顔を無理矢理笑わせる。
「ぼくにできるかどうか…という話です」
実は冒険者には【ランク】が存在する。
試験に挑んでランクを上げなければ、立ち入れないダンジョンもあるほどには重要なものだ。
現在のコトワリはB−ランク。【仲間にAランク以上が数人いること】を条件とするダンジョンに、付き添いで参加させて貰っている状態にある。
端的に言うと後ろめたいし、彼が【Aランク】になれば更に潜れるダンジョンが増えるというわけだ。
そもそもコトワリのスキルでAランク以上のダンジョンに挑むのは無理な話で、付き添い以上のものにはなれない時点で申し訳無さの限度は超えているのだ。
つまりスキル強化ポーション精製は、コトワリの念願と言っても過言ではない。勿論他にも念願の精製品はあるのだが、それに必要な高ランク素材を集めるためにも一番に成功させたかったのがこれである。
何故なら味方の強化、貢献は勿論のこと。
コトワリ自身のスキルも強化が見込めるのだから。
<<つづく>>
Re: 【エデン】「強化ポーションとA級試験」② - あさぎそーご
2024/12/07 (Sat) 13:24:09
その日はそのままダンジョン探索に挑んだ。
スキル強化ポーションの予備はなかったので、本来の予定通り順調に進み、目的を達成するなり帰路につく。
クランルームに戻ると、風呂やらなにやらを済ませ、盟主特製の夕飯にありつき、疲れからそのまま解散となった。これ幸いと、残りのハロを全投入してスキル強化ポーションを2つ精製したコトワリは、力尽きてベッドで気絶する。
ティトンによって話題が掘り返されたのが翌日の昼時。
「コトワリってヒーラー枠は駄目なの?」
コトワリが昇級試験を受けるつもりだと話すなり仲間たちは背中を押してくれたが、Aランクともなると職業毎に試験も分かれていて、クリアできそうな職種を選ぶところから難題だ。コトワリはサンドイッチを飲み込んで伏せ目がちに答える。
「ヒーラーの合格条件は【10人以上のパーティーを死なせることなく1時間耐久する】でして…持っていけるポーションだけではもたないんですよ」
「ああ、確か条件に「1日以上背負っていられる量のアイテムのみ持ち込み可」ってのがあったな」
「すみませんね、脆弱なもので」
責められたわけでもないのにクエルクスの眼光から逃げたコトワリの視線を、イロハがゆるく追いかけた。
「濃縮ポーション薄めて使うとかも無理なのか?」
「①「戦闘中に一滴ずつ使ってください」という指示は基本無視されます。それどころではないですからね。②予め水に混ぜて薄めておく…という手段は、環境下によっては使えません。ティトンさんのような便利な方が必ずしもいるわけではないので」
「そっか。僕達とならできても、他のパーティーでもできなきゃ駄目ってことか」
難しいね、とティトンが呟くのにコトワリも頷いて答える。それぞれが唸る中、イロハが話を繋いだ。
「そうなると…やっぱりサポーターか。どんな試験だっけ?」
「自分をターゲットとする敵複数体を、味方をサポートしながら倒す」
手元の説明書を読み上げたコトワリは、それぞれが内容を飲み込む間にアールグレイティーを一口。ほっと息を吐いた後にティトンが口を開く。
「うん…うん…なるほど。味方はコトワリのことサポートしてくれるんだよね?」
「いいえ。分かりません」
「えっ」
「パーティーはその日集まったB級以下のアルバイトらしいな」
クエルクスが答えると、ティトンがジャガイモ片手に額に手を当てた。
「即席かぁー」
「まあ、条件は他の役職も同じだがな」
「アタッカーは魔獣の単独撃破だから知らなかったよ」
「つまり、コトワリさんは自分で自分を守らなきゃなのかー」
アロが朗らかにドーナツを齧るのを横目に、イロハが小さく肩を竦めて問う。
「とはいえ、事前に打ち合わせくらいは出来るだろ?」
「5分だけな」
「5分かぁ…」
「ポーションの説明だけでいっぱいいっぱいですよ」
「誰か一人盾になってもらうとかー?」
「味方殺しちゃ失格だろう…」
「厳しいなぁ」
「あ゛?試験で死人出す方が問題だろ?」
会話が一周すると、そこにはため息だけが残された。それぞれが咀嚼しながら横目にコトワリを見据え、一番先に口を空にしたクエルクスが問う。
「で?勝算は?」
もう一口食べようと開けていた口を一度閉じて、コトワリは思案してから答えた。
「午前中…思いつく限り全て試しましたが」
会話の間も彼の左手はポーションを精製しているらしい。残りのサンドイッチを口に押し込む右手頸で、ピンク色のハロが淡く輝いている。
「3割…ってところですかね」
短い間。なんとも言えない空気を吹き飛ばしたのは、皿に山盛りだったジャガイモをいち早く平らげたティトンだ。
「じゃあ、特訓だね!」
立ち上がり、にこやかに手を差し出されたコトワリは、口の中の物を処理しきれぬままおかしな声をだす。
「は?」
それは抗議にも近かったが、他4人の意見が一致してしまっていたため、あえなく無視された。
片付けを終えるなり庭に引きずり出されたコトワリは、仲間に囲まれて居心地悪そうにする。
「さあ、さっさと見せろ。やれ見せろほれ見せろ」
クエルクスが急かすと、諦めたのか覚悟を決めたのか、舌を出してから片手を広げた。
「ではまず、ポーションを飲まずに説明しますと…」
「御託はいい。やってみろ」
遮ったクエルクスが示したのは練習用のマトだ。コトワリはとぼとぼと背を向けて指定位置に付く。
カバンからフラスコを出し、指先で中身を宙空に浮かべてマトを狙う動きをした。4人がおお!と見守る中、コトワリが放った(??)水はへろへろと移動して地に落ちた。その間、実に10秒。
「………」
「………コトワリ?」
「笑ってくださいよ。これが僕の全力です」
「なにがしたいのか分からんが?」
「だからご説明しますといったじゃないですか最初に…はぁ…」
盛大なため息と共に仲間の輪に加わったコトワリは、先程のフラスコを持ったまま話を始める。
「ぼくのスキルは精製。そのおまけとして多少水属性があるらしく、水を操ることはできます」
「知ってる」
「お茶、おいしーよ?」
「はい。普段紅茶を淹れるのに大変役立ちますね」
「戦闘にはつかえそうにないが?」
「ですから…」
情けなさに膝をつきそうになるのを堪え、コトワリは自作のスキル強化ポーションを飲んで言った。
「せめて速度を上げられないか、試してみました」
もう一度同じ位置に立ち、同じ動作で指先に浮かせた水を誘導する。先程とは明らかに、水の流れが違う。コトワリの指に吸い寄せられるように、後ろに流れ、勢いを付けて前方に放たれた。
「おー」
「イロハの矢ほど速くはないけど」
見事水が命中したマトを見物しに走る3人。最後に到達したクエルクスがくるくる見回して苦言を呈す。
「威力も足りんが?穴どころか凹みもしてないぞ」
「そこはその、練習中ということで…」
ギクリと目を反らしたコトワリは、背後で顎を擦るイロハに気付いて舌を出した。
「でもその水がポーションだったら」
「あ」
イロハがコトワリのビーカーを示して呟くのに、ティトンがハッとして手を叩く。
「毒、やだー」
「せせこましいな」
「ええ、ほんとうに。嫌になるくらいではありますがね」
逃げるように駆け回るアロと、頭を掻いて苦笑するクエルクスと。2人の反応にため息を吐くコトワリを見て、ティトンが両手を拳に変えた。
「よし、木や岩、貫ける威力にできるようがんばろ?コトワリ」
「いえ、流石にそれは」
「スピード重視ならいけるんじゃないー?」
「誤射したらどうするんですか」
「練習ならいくらでも付き合うぜ」
「いくらでもは困りますから」
「ハロが持つ限り働け?」
満面の笑みで向かってくる4人から逃げられるはずもなく。
コトワリはその日、3回ほど気絶した。
<つづく>
Re: 【エデン】「強化ポーションとA級試験」① - あさぎそーご
2025/01/02 (Thu) 12:08:44
3週間後
コトワリは毎日2度の気絶を経てどうにかスキル強化ポーションを使いこなせるようになった。全て逃げ出そうとする彼を代わる代わる捕まえて、特訓場まで引きずり戻してくれたクラン員達のおかげである。
「じゃ、最終調整しよっか」
明るく言うティトンを筆頭に、4人の仲間と盟主までもがコトワリを囲んだ。
特訓に加えて毎日ポーションを作り続けていたせいで、体力もハロもカツカツ、どことなくぐったりげんなりした様子の彼が定位置に付く。
「まずは威力と速度。最大に調節しろ?」
クエルクスの指示。コトワリは頷くでもなくポーションを飲むと、カバンから試験管を出して指先で水を操る。試行錯誤の結果、ビー玉大の水滴を、サイドスローで投擲する形に落ち着いた。
左手で作業を行うコトワリの右手で、ハロが淡く輝く。音もなく飛び立った水滴は、小さな音と共にマトに命中。
「まずまずだな」
頷きながら、クエルクスが確認する。木材を貫通とまではいかないが、柔らかいものにならそれなりのダメージは与えられそうだ。速度もそこそこ。ただし、スピード重視の相手には通用しない可能性が高い。
「手に馴染めばもう少し出そうだね」
「今回は試験対策ってことで、コントロールに振ったからな」
ティトンとイロハも笑顔で頷く中、静かに見守っていた人物がすっと立ち上がる。
「では、魔獣役は私が引き受けよう」
盟主直々となれば全員が緊張するしかない。
小柄な盟主がてとてととマトをどかし、庭の中心に付く。彼はいつもの柔らかさを纏ったまま不敵に微笑むと、その姿を変貌させた。
真っ白で巨大な虎に。
ただ佇んでいるだけなのに、威圧に満ちた様相に一同が竦み上がる。傍らでPIYOを追いかけていたアロも、感嘆ながらに寄ってきて同じように固まった。
「みなさんは手を抜いてくださいよね。馬鹿みたいに強くちゃリハーサルにもなりませんから」
ここまで付き合わせてしまっているのに、毒が回って口調が強くなるのが多少心苦しいらしい。口数が少ないコトワリが言葉を発すると、軽い返事が木霊する。
ルールは簡単。
コトワリは練習用のインクを使い分ける。赤が攻撃、青が回復、黄色が支援だ。心配することなかれ。水溶性の顔料を使っているので、洗濯と風呂で簡単に洗い流せる。
盟主の額に赤インクを当てたら勝ち。因みにコトワリの全力水鉄砲を喰らった盟主の感想は「くすぐったいねえ」だったので、こちらもご安心頂きたい。
特訓しながら各々が考察した結果、一番大事なのは誤射をしないことだと結論づけた。今回の試験で共に戦うのは即席メンバーなので、特別神経をつかうことになる。
練習途中、勿論回復枠も考えた。指先から直接かけられるなら、前もって味方に瓶を渡さずとも、コトワリ自身が凝縮ポーションを薄めて使うこともできるからだ。しかしそれでも、味方の被弾次第で耐久時間も大きく左右される。それならまだ、サポーター枠に分があるだろう。
「コトワリさーん、準備おっけー?」
屈伸がてらアロが尋ねた。コトワリが頷くと、先頭のティトンがハンマーを構える。
「それじゃ、盟主さん。お願いします!」
全員が配置につく。盟主はその様子を満足気に眺めた後、咆哮で答えた。
それだけで身体が痺れる。冷や汗が伝う。こんな簡単な試験の練習には勿体ない相手だと、コトワリは改めて思った。しかし戯言を言っている場合ではない。
早速駆け出したティトンが白虎の足元に印を打つ。その頭上に迫る肉球をクエルクスの盾が防ぎ、2人は弾かれるように後退した。
全員、いつもの数倍動きが鈍い。あからさまなような気もしたが、恐らく本気を出されたら部屋がもたない。盟主は1割も出していないだろう。
「コトワリ、指示出し」
「そうでしたね…」
このクランにいる限り、余計な指示を飛ばす必要などない為慣れやしない。ため息で愚痴を払い、コトワリは顔を上げた。
「ティトンさんは横から攻撃、クエルさんは正面を。アロさんは後ろに回って下さい。イロハさんは全体のカバーを」
因みに練習中、イロハの千里眼《スキル》の使用は一切禁止だ。サポーターになるなら戦術も学ぶべきなのだろうが、今回は仕方がない。そもそもやることが多すぎる。キャパオーバーもいいとこだ。
コトワリが疲労で回らない頭を持ち上げると、盟主の身体が左右に揺さぶられる。よく見るとその背中にはアロがはりついていて、更には幸せそうに叫んだ。
「もふもふだー!」
「アロ、ずるーい!」
「おーい、みんな、真面目にな」
気持ちは分かるが…とイロハが呟くと、クエルクスもやんわり注意する。かくいうコトワリも責める気にはなれなかったし、もふられている盟主も楽しそうだ。
肩の力が抜ける。これは白羽のいいところでもあり。悪いところでもあるが、今回は前者だろう。
仕切り直し。
緊張で硬かった腕を広げて黄色のインクを飛ばすと、ティトンのギアが少し上がった。
走りざま、先程打った印に魔力を注いで発動させる。見事な火柱が空に上った。クエルクスが慌てて叫ぶ。
「こらティトン!火は禁止!雷もだ!」
「やばば」
髭を焦がしかけた白虎がアロを伴い後退する間にも、草原への引火をティトンが水で鎮火した。
今回、ダンジョンまでの移動時間を惜しんで庭を使っているため、初めての事態に加減が分からないのだ。
それすら愉しむように再び立て直し、構える。
背中から離れて背後に立つアロと、正面のティトン、左横のクエルクス。最後に右側のイロハとコトワリを、盟主の瞳が見渡した。
360度警戒を怠らない様子に、場が暫く硬直する。
じりじりと、それぞれが横に数歩移動した辺りでイロハが矢をつがえた。それを合図に3人が距離を詰める。
白虎は向かい来る全てを身体の回転で薙ぎ払い、追加で放たれた矢を器用にも手足で地に叩き落とした。その間数秒。狙いなど定まるわけもなく、コトワリは構えを緩める。
一番最初に着地したクエルクスが右前脚の標的になった。盾を発動しながらも弾かれた彼に青インクを飛ばす。
その間、着地からカウンターを狙うティトンにアロが便乗した。頭上からティトン、尻尾側にアロ。左正面では立て直したクエルクスが地面を蹴る。
3人の動きを認めた盟主は頷くように鳴いた後、全員の視界から消え失せた。
「な……??」
影が落ちる。見上げると白いもふもふが空の光の中に浮いていた。
跳躍。高い。
3人が攻撃から退避へ体勢を直した数秒後、白虎の着地と同時に地面が鳴き、震えた。サイズが違えば毛玉で遊ぶ猫のようだが、笑えないほど恐ろしい。
クエルクスなら、盾のスキルを駆使して間合いをつめる筈だ。ティトンならその背中に印を描くかもしれない。アロなら地面を砂にして時間を稼ぐだろうか。イロハなら時間をかけてでも千里眼で弱点を見つけられる。しかし今回はそうはいかない。コトワリ自身が隙を見出し、やり遂げなければならないから。
「同時攻撃は無駄です。一人ずつ、順番に!」
地面に転がりながらコトワリが告げる。反論がないことを不思議に思い、立ち上がった頃には指示通りに盤面が動いていた。
まずはクエル、弾かれたところに後ろからアロ。盟主が気を取られた隙に横からティトンが水を、次に上からイロハの矢が降る。
コトワリは自分が白虎の死角に入ったのを確認し、気づかれないよう構えた。上を向き、矢を弾く。次に正面のクエルを沈めて。
振り向いたところに…
狙いを定めた赤インクが盟主の額に当たった瞬間、ベンチで時間切れのタイマーが鳴り響いた。
Re: 【エデン】「強化ポーションとA級試験」① - あさぎそーご
2025/01/24 (Fri) 09:35:07
「杖のハロ、満タンにしてあるんだろうな?」
「言われた通り、ちまちま貯めましたよ。せせこましくね」
クエルクスにマフラーを締められながら答える。
背中と右腰のカバンは重いし、左手に持った杖もアホほど重い。コトワリは庭先のベンチからふらふらとクランルームの入り口に向かった。
付け焼き刃とはいえ形にはなった。コトワリの見栄の結晶とも言える巨大な杖の蓄積ハロさえあれば、試験を乗り切ることはできるだろう。これが仲間達による満場一致の見解だ。
「全く…ぶっつけ本番だなんて。本当に無茶をさせてくれやがりますね…きみたちは」
「仕方ないだろ?日程的に」
肩を竦めて笑うイロハに、目を細めて悪態をつく。
「急ぐ必要がありますかね?試験は半年後にもあるというのに」
「半年もあったら、その辺のダンジョン回り尽くしちゃうよ。コトワリが入れるダンジョンが増えるに越したことはないでしょ?」
早口にまくし立てるティトンに呆れてため息を付く間に、扉のノブに手が届いた。
「僕なんかいなくとも…」
「いなきゃこまるよー?」
扉に向けて呟いた言葉を拾ったアロが、背後の3人に並ぶ。コトワリは振り返り、やはり呆れて息をついた。
「本当に、変わった人達ですね…」
空が眩しい。
時刻はまだ昼前だ。
いってきますと小さく呟くと、4人それぞれの見送りの言葉が返ってきた。
コトワリはその全てを聞き終えてから、そっと扉を閉める。
A級昇格試験の受付はオフィルの中心にあるクラン会館だ。クランや冒険者のあれこれを取りまとめる場所で、ダンジョンに入る全員が個人情報を登録している。クランルームからはゆっくり歩いて5分程。
なお、試験会場は受付後に知らされる。大抵は手近で比較的安全なダンジョンの中だ。
ほどなくして会館に到着したコトワリは、少し並んだものの締め切りより大分早めに受付を済ませる。緊張を落ち着かせようと、広いロビーの片隅でベンチに座り、辺りを見渡した。
オフィルの白いイメージを崩さない内装は、眩しくも温かみがある。木製のものが多いからだろうか?ところどころ緑が侵食して太陽光が透けているからかもしれない。
受付カウンターの周辺は未だ人が多く、係員が忙しなく対応していた。書類と説明の飛び交う様を見ているだけでも目が回りそうになる。
いつしか視界がくるくる回り、睡魔に負けそうになった頃。呼ばれるままによたよたと指示に従う。
集まったのはサポーターA級受験者10名と、B級以下のアルバイト50名。フロアの各所には、別の役職志望者がそれぞれ集合していた。
コトワリは言われた通りにクジを引き、同じ数字を引いた4人とパーティーを組む。
タンカー、ヒーラー各1人とアタッカーが2人。助っ人はB級以下で、受験者全員同じ編成だが、勿論個々のスキルは違う。メンバーから自己紹介カードを受け取り、試験会場に移動しながら確認する。試験開始まで隔離されるため会話はできない。情報はカードと第一印象だけだ。
タンカーのスキルは《《バリア》》空気中に透明な壁を作れる、使い勝手のいい定番型。ヒーラーは触れた個所を癒やせるが、離れた場所にまでスキルが届かない。アタッカー2人はどちらも近接。交代で回復してもらうよう立ち回るなど、連携さえ取れればなんとかなりそうだ。
カードを見たコトワリはひとまず胸をなで下ろすが。
当然のように。即席パーティーのメンバーが、指示通りに動くわけなんてなかった。白羽《クラン》メンバーがどれだけ凄いかを、改めて思い知らされる結果となる。
開始前の5分しかない説明タイム中、アタッカー2人の衝突を皮切りに、問題は波のように押し寄せた。
討伐対象が今朝方盟主が変身したのと同じサイズ感の魔獣だったことはよしとしよう。
前線に立ったタンカーのバリアは薄く、しかも足が遅い。みるみるうちに後退してくるので、その背後にヒーラーを配置した。どのみち罵り合いながら走り回るアタッカーに触れるのは困難だろうとの判断だ。
あとは惨状になる前に、とにかく必死でポーションを投げた。コントロール練習は無駄にはならなかったわけだ。
スキル強化のポーションを説明する前に、アタッカーが張り合いはじめたのも幸いだったかもしれない。頭に血がのぼった状態で過剰な力を得たら…いや、どうなるかなんて考えたくもない。というかそれどころではない。
自分でスキル強化ポーションを飲んで、杖のハロを消費しながらポーションをばら撒く。回復と、補助と。隙を見て攻撃も。イロハの苦労を小規模ながら体感した気分だ。
いち早くハロ切れを起こしたタンカーにハロ回復のポーションを投げ、泣きながら回復するヒーラーにこっそりスキル強化を施し、喚きながら獲物を取り合う二人を窘めながら回復し。
これは、とても瓶ポーションでは処理しきれない。瓶ごとぶん投げるとなると、コントロールが百倍難しいから。自分は的当ての名手にはなれない。ゆるいキャッチボールがせいぜいだ。コトワリは諸々痛感しながら頭と指を動かし続ける。
最終的にまとめて狩られそうになったアタッカー陣が死ぬ前に、魔獣に浴びせた毒が回ってくれて事なきを得た。
倒れた魔獣を前にしても、アタッカー2人はまだ喧嘩していたし、タンカーとヒーラーは号泣するばかり。口を開けば悪態をつきそうなコトワリは、文句を言うわけにもいかず、精神的疲労により膝から崩れ落ちた。
夕刻。
晴れてA級試験に合格したというのに、疲れ切った表情のコトワリをクラン員が温かく出迎える。
今すぐ寝てしまいたい気分だったが、ティトンとアロの眩い眼差しに勝てるわけもなく夕餉の席に付いて、試験内容を一通り話し終えた。
試験…というよりはほとんど愚痴に近い語りを聞いたティトンが、肉じゃが片手に明るく頷く。
「うんうん、シミュレーション通りだったみたいだね!」
「コトワリはやればできるんだって」
「あの…話、聞いてました?」
ティトンと、隣で焼き魚を解体しながら笑うイロハに皮肉を飛ばすも軽く受け流され、逆方向からは皿を差し出された。
「受かっちゃえばおーるーおっけー!」
「そうは言いましてもね…」
アロから有無を言わせず押し付けられた山盛りのヒジキの煮物を崩しながら、コトワリは思う。
課題は山積みだ。
情報処理力、戦略、経験不足、ハロとの相談、仲間との連携…その他諸々。
使いこなすにはまだまだ練習が必要になる。暫くはケチらず、強化ポーションを多用したほうがいいだろうか。いや、強化する前にできることも沢山あるかもしれない。そもそも常に強化状態でいるわけではない。強化前の状態でも、まだ試行錯誤の余地はある。
「くそ…やることが…やることが多い…」
指折り数えて項垂れるコトワリの正面で、クエルクスが意地悪く笑う。
「訓練ならいくらでも付き合ってやるが」
「まあ、ゆっくりやったらいいさ」
「できたら褒めてあげるから安心してー?」
「そうそう!で、いっぱいダンジョン潜ろうね!」
底抜けに前向きな答えしか返ってこない食卓を前に、泣いていいのか笑っていいのか。しかしどう考えても、自分には勿体ない環境だ。
考え過ぎて複雑に笑うことしかできなくなったコトワリの前に、盟主が沢山の小鉢を並べていく。
「なにはともあれ合格おめでとう。沢山食べて大きくなりなさい」
「ありがとうございます…」
でもこんなには食べられません。
並ぶ料理と課題がダブって見えて目を回しかけながら、限界まで飲み込んだコトワリは、その日もやはり気絶したらしい。
おしまい
クエル的日常 - 此木晶
2025/01/09 (Thu) 19:49:47
その1
空腹を誘う香りが辺りに広がっている。
ハビラ-商業地域の一角でも特に飲食店の集まった一角だ。昼時にはまだ少し早い時間の為人通りは少ないが、其々の店が書き入れ時に備えて料理の下ごしらえに勤しんでいる。
香辛料や肉の脂、さまざまなハーブの香りが混じり合う。たとえそのつもりがなくとも足を止めてしまうことだろう。
そんな店先に目もくれず早足で進む男がいる。まとまりの悪い金髪を無造作に後ろに撫で付けた、かなり目つきの悪い男だ。焦げ茶色のコートから伸びる手足は身長に対してやけに細く見え、人によっては針金細工の人形を連想するかもしれない。
クラン白羽の前衛盾役を担うクエルクス・アイレクスと言う。兎に角缶詰が好きな男だ。どの程度かといえば、今もつい先程購入した缶詰の事が思考の大半を占めており、自身の空腹具合等には一切タスクが割り振られていない。
クエルがよく缶詰を購入する店からクランルームへ向かうルートとしてここが最短ルートである為、通り慣れているのも多少は関係あるのかもしれない。が、だとしても、大概としか言いようがない。
現在クエルの思考の大半を支配する缶詰だが、今回購入したのは金魚飴の缶詰だ。本来は、水飴の中を泳ぐ姿を見る為にも瓶詰めされるモノなので、缶詰になる事はまずない。その意味で役には立たないが希少価値はある。加えて、開封後中の水飴が水泡となって宙を漂い、紅魂金魚と暗闇金魚が泳ぐ様を鑑賞できるとの触れ込みだ。
保管用とは別に試食用の缶詰も確保できた為、真偽確認の為にも自室へと急いでいる訳だった。
「おーい、クエルクス」
期待で早足が既に、小走り位にはなっている。
「ちぃーと変わった缶詰が手に入ったんだが、食っちまっていいんだな?」
ピタと足を止めて、引き返す。
知り合いの中でクエルクスの名を略すことなく呼ぶものは少ない。クランのメンバーなら、アロハとたまにコトワリ位であとはクエル呼びであるし、知り合いにまで広げてもクエルもしくはルクスだ。ごく稀にエルと呼ばれることもあるが、クエルの精神衛生上の理由でやめてくれるようお願いしている。
「あ゛? 怨み倒すぞ」
「そこまでかよ」
威嚇するようなクエルに対し両手をあげて降参とポーズをとったのは、青いバンダナを頭に巻いた男だった。クエルと比べると頭一つ分程低い。
ここしばらくハビラで屋台を出している料理人だ。店先で缶を火で炙っている姿にクエルが興味をもって、話しかけたのが諸々のきっかけだ。
炙っていたのは、蓋を開け火を通すことで完成するキドニーパイの缶詰だった。
本人曰く、缶詰好きというよりは変わった食材を探している一環で缶詰を扱うことが多いのだそうだ。その辺や年が近いこともあり、クエルとはそれなりに話す関係が続いている。
屋台であっても一国一城の主であるのは変わらないので店主と呼ぶべきなのだろうが、本人が呼ばれるのを心底嫌がるのでクエルはオマエで通していた。
「で、わざわざ呼び止めたんだ。それなりのモノなんだろうな?」
「あんたの買った金魚飴、開けるのが少々遅くなってもいいと思う位の価値はあると思うぜ」
なんで知ってる? とクエルが視線を投げると、料理人は答える。
「ここにいたら何が何処の店に入ったかなんて、大体は聞こえてくんだよ」
「そういうものか。で、ブツは?」
「いやあんた、言い方。いーけどな。ほれ」
ことんと置かれた缶詰のラベルを見てクエルは固まる。
「お、おい、これ……」
「おー、知ってたか。流石だな。月光華の塩漬けだとさ。見つけた時はまだあるんだなって笑った、笑った」
あっはっはと料理人は笑う真似をするが、クエルからしてみればそんな場合でも余裕もない。月光華と言えば、月の光だけを浴びて数十年に一度しか花開かない希少性に加えて、その花弁が万能調味料とも言える旨味の塊故にとんでもない金額で取引される事で有名な、最高級品の一つだ。
クエルも実物は目にした事はないが、花弁一つで半年は遊んで暮らせるだけの額で取引されると聞いたことがある。
そんなものが缶詰だからとこうも無造作に置かれると、若干引く。が、同時に。
「おい、こら、止めろ! 気持ちは分からんくもないが、おかしな目で見られんだろーが!」
思わず両手を合わせて握り額に持っていき祈りを捧げそうになるクエルを料理人が止めた。
「勘弁してくれ。1人ならどんだけ奇行に走ろうが構わねぇけどよ。俺まで巻き込むな」
「すまん。思わずな……」
やり取りする2人を近所の店の従業員が見て、一様にまたかといった表情を作る時点で手遅れの感はあるのだが。
「そこまで大したもんじゃねぇぞ、これ」
料理人は一度置いた缶詰をつまみ上げクエルへ向けて弾いた。
人差し指と親指で作る輪程の大きさの缶がくるくる宙で回る。硬直したクエルが慌てて広げた掌に落ちる。
「そん中のほとんどが塩だし、漬けてある月光華の花弁だって、一回出汁とった出涸らしのほんの一欠片だ」
だから大した金額はしないと続けた料理人は、それでも塩の味すら格段に段違いだけどな、と締めくくった。
「確かに希少で物珍しいもんではあるけどよ、無闇矢鱈とありがたがるもんでもないさ。食い物なんてのは食ってこそだし、料理してこそだからな」
だからさ、と料理人は笑う。
「どっかでパーっと使ってやってくれ」
「わかった。幾らだ?」
料理人が告げた金額は驚く程安かった。
驚きの声の代わりに腹の虫がなったくらいだ。
「言っただろ。大してしないって。まぁもし申し訳ないとか思うんだったら、尚更そいつを使って何か作って食ってくれ。なんならプッタネスカの作り方なら今からでも教えてやるぜ」
「いやそれはいい。缶詰にある」
真顔で答えたクエルの顔を『コイツ本気か』と半眼で見たあとため息をついた。プッタネスカ、娼婦風の意味を持つパスタで、諸説あるが忙しい娼婦が仕事の合間にあり合わせの材料で手早く作ったからと言われる程手軽なメニューなのだが……。
「あんたはそういう奴だったな……」
よくよく考えれば、似たようなやり取りを今までに何度かしているのだから、最早何を言った所で大して違いはないと悟ったらしい料理人は代金を受け取ると屋台の裏に引っ込み、短めのバゲットを持っていた。
「試作品だ、齧ってけ。バゲットってよりバタールかもしれんが、味は保証する」
腹の虫がなったのを気にしたのかもしれない。何にせよ断る理由もないので受け取り礼を告げ、屋台をあとにする。
自覚した空腹を誤魔化すのに言われたとおりに齧りついた。
クラフトが小気味よく音を立てて割れ、クラムの柔らかくもちっとした食感を強く感じる。
確かにこれはバタールと呼ぶべきなのかもしれないが、そんな事関係なく美味いとクエルは思う。
歩みを刻む歩幅が広くそして速くなる。
パテの缶詰を開けてバタールと一緒につまみにしよう。月光華の塩漬けは、今度クランメンバー全員でダンジョン攻略成功した時に披露しようか。
そんなふうに考えると、自然笑みが漏れた。
【エデン】2024/11〜12:お題「わたす/しろ」 - あさぎそーご
2024/11/16 (Sat) 21:30:05
★今回はクリスマス、年末などこの時期に関するお話でお願いします(強制ではありません)
★2種類用意したのでお好きな方を。もちろん2つ使っていただいても構いません(1作にまとめても、2作出しても大丈夫です)
★漢字は好きなものを当てはめてください
★例のごとく締め切りなし、自由参加です
お忙しいと思いますので、無理のないようよろしくお願い致します!
Re: 【エデン】2024/11〜12:お題「わたす/しろ」 - 透峰 零
2024/12/15 (Sun) 22:30:25
貴女へ薔薇の花束を
コトワリは迷っていた。
何かというと、彼女に渡す花をどうするかである。
別に普段から花を贈っているわけではないが、今日ばかりは特別だ。いや、特別にしても良いだろう。と、自分に言い聞かせる。
クリスマス・イブ。
誰が言い出したか、そもそも起源すら定かではないが、この日はエデンで特別な意味を持つ祭りだった。神の誕生日を祝う為だとか、一番夜が長くなる冬の日を少しでも明るく過ごす為だとか。色々ともっともらしい理由をつけられているが、要は皆騒ぎたいだけなのだろうとコトワリは思っている。
祭りといっても、街が一つになって作り上げるものではない。家族や友人――あるいは恋人。そういった、小規模なコミュニティでそれぞれが騒ぎ、浮かれ、大切な人と特別な一夜を共有する。そういった種類のものだ。
通りの木々は数週間も前からガラス玉や金銀のモール飾りで華やかに飾り立てられ、ハビラに軒を連ねる店にはどこも立派なモミの木が鎮座している。
ケーキをはじめとした特別な菓子類を準備する製菓店。恋人の予約でいっぱいの小洒落たレストラン。この日のために各クランに採取を依頼され、街中に設置されまくっている星燈華の明るい光。そして、どこかソワソワとして落ち着かない空気。
そういったもの全てが、このクリスマスという日を構成しているのだ。
だから、とコトワリは己に言い聞かせる。
今日も今日とてクランの依頼に引っ張っていかれた彼女の元に、花束とケーキを持って訪ねていっても許されるのではないか、と。
夜には帰るから、と彼女も言っていたことだし。
そこまで考え、改めてコトワリは目の前に並ぶ色とりどりの花に目をやる。
今まで花なんて贈ったことがない為、どういったものが喜ばれるのかがわからない。
やはり薔薇だろうか。しかし、確か色によっても意味があると聞く。彼女を悲しくさせるようなものは避けたい。
それに予算の関係もある。悲しいかな、コトワリの財布はそこまで潤沢ではない。家賃が払える程度の金を残しつつ、貧相でない花束にしたいというのは贅沢だろうか。
「はーい、お客さん。彼女へのプレゼントですか」
バケツに刺さった花と睨めっこをしていたコトワリは、聞き覚えのある軽い声に顔を上げた。予想通りの顔に、思わず眉根が寄る。
「何やってんですか、君は」
「期間限定の店員さんだよ」
答えて手を振ったのは、同じクランに所属するイロハだ。
違うのは、いつも着ている燈色の上衣の上から黒いエプロンをつけていること。いつもは適当に束ねている黒髪を、丁寧に一本の三つ編みにしていることだろうか。
にこにこと笑う彼に、コトワリはじとっとした目を向けた。
「……ここって、そんな治安悪いエリアでしたっけ?」
「いや? 菓子と花と雑貨で溢れた、超平和なエリアだな」
「皮肉に真面目に返すのやめてくれません?」
はぁ、とコトワリは小さくため息をついた。
イロハは普段、ダンジョンに潜る以外にもエデンで便利屋まがいのことをしている。優男然とした風貌だが、多少の荒事なら顔色一つ変えずに引き受けるくらいには仕事選びに節操がない。単なるお人好しとも言えるかもしれないが。
「別に皮肉とは思ってないよ。似合わない自覚はあるからね」
「いや、逆に馴染みすぎて怖いってだけですよ。どうしたんです、その髪?」
「花屋で働くって言ったら、ティトンがやってくれた」
同じく【白羽】に所属する発掘調査士の顔を思い浮かべ、コトワリは「なるほどね」と頷いた。
そういえば、彼は以前にもイロハの髪で遊んでいた気がする。
「花屋って結構な肉体労働だからね。たまにバケツ洗いとか肥料運ぶの手伝ってんの。今日はそれに加えて、人が多そうだから店先もしてるだけ」
ほら、とイロハが指差した先にいるのは、薄茶の髪を頭の上でお団子にした女性だ。今は別の客の相手をしてブーケを作っているところらしい。
確かに、彼女一人でこの店を回すのは大変だろうな、と思うような華奢な姿である。
コトワリがそれ以上話題に突っ込まないのを見計らって、イロハは「それで」と続けた。
「あんたは何をお求めで?」
戻された話に、コトワリはわずかに視線を逸らして舌を出した。知り合いに改めて問われると、気恥ずかしさも倍増だ。
とはいえ、今さら別の店に行くのはもっと気まずい。それに、結局は同じように悩むことに変わりはないのだろう。
「………………彼女のプレゼントですよ」
「いいね。予算は?」
「……これくらいでお願いします」
観念してコトワリは指を四本伸ばして見せた。
「薔薇が定番かなとは思うんですけど、何を選んだら良いのかわからなくて。色の意味とか、あまり知らないので」
ボソボソと続けたコトワリに、イロハは「なるほど」と頷いた。
「まぁ、確かに黒薔薇とかは避けるべきかな。うちには置いてないけど。意味を持たせるなら、俺のおすすめはこかな」
イロハの指が伸ばされた先にあったのは、真っ白な薔薇だ。
「白、ですか。どういう意味が?」
「心からの尊敬」
言われ、コトワリは目を見開く。
「赤の「愛情」ってのもシンプルで良いとは思うんだけどね。あんたはこっちの方が好きかなって思って」
「…………そうですね」
「それに、白薔薇は他にも色々と意味があるんだ。枯れても意味があるなんて、珍しいよな」
「はぁ、そうなんですか。ちなみに、どういう意味なんでしょう」
「生涯を誓う。ま、これは今回関係ないかもだけど」
顔を赤くして俯くコトワリに笑って、イロハはさらに問う。
「本数はどうする?」
「そちらにも意味が?」
「代表的なところだと、一本で「一目ぼれ」。二本で「世界にあなたと二人だけ」三本で「愛してます」。五本で「あなたに出逢えて本当に良かった」九本で「いつもあなたを想っています」。十一本で「最愛」。十二本で」
「五本でお願いします。あとは、予算内で合う花を一緒に選んで下さい」
指折り数えるイロハの言葉を遮り、コトワリは答えた。数が増えるごとに小っ恥ずかしくなってくる意味に、自分が耐えられるとは思えない。
「まいどー」と言うと、イロハは奥に引っ込んでいった。すぐに戻ってきた彼が持っていたのは、色とりどりのリボンと包装紙だ。
「俺は花束作れないからね。先にこっちの色選んどいてもらおうかな」
しばらく迷った末、コトワリが選んだのは彼女の髪と同じ淡い金の包装紙に、瞳と同じ黄緑色のリボンだった。
その後、イロハが呼んできた店主を含めて三人で相談した結果できたのは、白薔薇を中心に松ぼっくり、コニファー、コットンフラワーなど白と緑を中心にすっきりとまとめられた花束だ。
「良い時間を過ごせますように」
「ありがとうございます」
店主から笑顔で渡された白い花束を受け取り、コトワリは小さく頭を下げた。
「ついでと言ってはなんですが、この辺りでおすすめのお菓子屋さんはありますか? 生菓子ばかりより、日持ちする焼き菓子も売ってるところがありがたいんですが」
「だったら、そこの角の――水色の看板出してる雑貨屋あるでしょ。そこを右に曲がって、三軒目にある『ゴールド・ブラウニー』ってお店とかおすすめよ。生菓子もあるけど、焼き菓子はどれも逸品なの。店の名前にもなってるブラウニーは特に美味しくてねぇ……。日持ちってことなら、シュトーレンも毎年いっぱい売ってるし」
菓子の味を思い出しているのか、言いながらも彼女は両手を胸の前で組んでうっとりと宙を眺めている。
だが、現実的な助言も忘れない。
「もう遅いから、行くなら急いだ方がいいかしら。かき入れ時だから沢山作ってはいるだろうけど、売り切れってこともよくあるのよ」
言われ、コトワリは空を降り仰いだ。
そろそろ冬の早い日は暮れようとしており、西の空には早くも一番星が輝き出している。
「確かにそうですね。では、ありがとうございました」
一礼し、言われた方に去っていくコトワリの背中はすぐに煌びやかな雑踏に紛れて見えなくなった。
その背中を見送って、くるりと女店主は店内を振り返る。
「あなた。白薔薇の花言葉、わざともう一つの方教えなかったでしょう?」
問われたイロハは、悪びれずに答える。
「あ、バレた?」
「そりゃあね。わざとマイナーな方言ってたら嫌でもわかるわよ」
「嘘は言ってないよ。それに、コトワリはちょっとくらい自信持った方がいい」
あなたは私にふさわしい。
特別な日に、彼女にそんな花を贈っても許されるくらいには彼は魅力的な男のはずだ。
呆れたように息をついて、彼女は首を左右に振った。
「ま、売上に貢献したのは褒めてあげましょ」
「お褒めに預かり光栄ですよ、雇用主様」
「はいはい。私たちもそろそろ閉店準備しましょう。――ところで、今日はこの後って暇?」
「暇といえば暇かな。あとはクランに帰るだけだし」
「そ、じゃあ」
イロハの前に差し出されたのは赤い薔薇の束だ。リボンも包装紙もない、バケツから直接掴んで束ねられただけの、冗談の小道具と言わんばかりの雑な花束。
花の数は十二。
「この後、夕飯でも一緒にどう? 素敵なお店見つけてね。本当は友達と行こうって話してたんだけど、風邪引いちゃったからさ」
目の前の花束を、イロハは目を丸くして見下ろした。ややあって、柔らかな笑みを浮かべて口を開く。
「それは魅力的なお誘いだな」
パッと、花を差し出す彼女の顔が輝いた。
「でも」
イロハは傍にあったバケツから、彼女が持つ薔薇とは別種のものを一本引き抜く。
色は鮮やかな黄色。
「今日は俺が夕飯当番なんだよね。だから、ごめん」
赤い薔薇の真ん中に、黄色い薔薇が差し込まれる。十三本になった花束を、イロハはそっと彼女の方に押し戻した。
「他にもっと良い人いると思うよ」
今度は彼女がまじまじと花束を見下ろす番だった。
「そっかぁ、残念」
花束を抱えて俯く彼女に、イロハは苦笑した。
「ま、飯は無理だけど手伝いならいつでも声かけてよ」
ふう、と彼女は大きくため息を一つ吐き、パッと顔を上げる。
「そーね。じゃあ、早速だけど店の外に並んでるバケツ運んで店内に入れてちょうだい」
「はいよ。って、切り替え早いな」
「いーでしょ。そこが私の取り柄なんだから」
わざとらしくそっぽを向く彼女に、イロハは笑った。
「そこも取り柄だよ」
「あなたのそーいうところ、どうかと思う」
ますますヘソを曲げた彼女が文句を言ったところで、ふと動きを止めた。
その視界を、白いものがよぎる。
「雪だ」
同じものを見たらしいイロハが、白い息を吐きながら告げる。
「今年はホワイト・クリスマスだな」
fin.
Re: 【エデン】2024/11〜12:お題「わたす/しろ」 - あさぎそーご
2024/12/20 (Fri) 13:22:14
長くなっちゃったけど( ˘ω˘ )
矛盾あったらすみません
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「あんたのとこの雑貨屋、また教会からでてきたぞ」
「なあティトン。お前のクランに雑貨屋がいるだろ?あいつにさぁ…」
「ちょうど良かった。これ、雑貨屋さんに渡しそびれたんだ。落とし物。今日はお店閉まってるみたいだから、渡しといてよ」
と、まあ。
頻繁に蘇生している【秩序】の鎧の人ですら、彼のことを雑貨屋と呼ぶ。どうやらエデンの中にコトワリの名を知る者が少ないらしいことに、はじめに気付いたのはティトンだった。
思い返せば、クラン員以外の口からコトワリの名を聞いた記憶があまりない。
「確かに、そうだな」
クランルームの庭先でのぼやきに、顔が広いイロハも同意する。たまたま居合わせた2人は、話題の人物が一軒家の玄関を開けた事で顔を見合わせた。
コトワリはいつものカバンに加え、大きな袋を2つ抱えている。ティトンとイロハは歩み寄り、荷物を支えながら話を切り出した。
「コトワリ。これ、秩序の人から…ほら、よく救助してくれる…」
ティトンの懐から出された手袋を受け取り、コトワリは眉を下げる。
「エリックさんですね。ありがとうございます」
「あれ?名前、知ってるんだ?」
「はい。はじめに自己紹介されましたから」
「じゃ、そのエリックさんとやらもコトワリの名前は知っているわけだ」
逆隣からイロハが問うと、コトワリはなんともいえぬ顔をした。
「………さあ、どうでしょうね」
「しなかったの?自己紹介」
「しましたよ」
「え?じゃあ…」
「しがない雑貨屋の店主です」
どこか芝居じみた台詞に、問い詰めていたティトンが固まる。
「もしかして、出会った人間全てにそう名乗ってるのか?」
「大抵の方はそれで納得してくれますから」
イロハの質問に肩を竦めるコトワリの腕を、逆からティトンが引っ張った。
「どうして?」
真剣に問われ、薄く笑ったコトワリは、抱えていた袋をベンチに下ろしながら回答する。
「………ではないので」
「え?」
聞き返した2人が答えを待つ小さな間。落ちたのは短く深いため息だ。一拍置いて、コトワリは笑顔を振り向かせる。
「ぼくはどうしようもないクズ人間だってことですよ。ああ、それと。ぼくの方からもきみたちに渡すものがあるんです」
言いながら袋の中身をテーブルに乗せていく彼に、それ以上話題を続けるつもりはなさそうだ。イロハも、ティトンも、あきらめて並べられた箱を見渡す。
大小様々の綺麗な箱は、どれもプレゼントボックスのように見えた。
「確かに渡しましたからね」
「それはいいけどさ、コトワリ。一体誰からの贈り物なの?」
「知りませんよ…中に記名されているのでは?」
「よく知りもしない人間から、こんなもん貰ってくるな」
ランニングを終えたらしいクエルクスが会話に割り込む。彼は箱の一つを手に顔を顰めていた。
「ぼくも貰いたくて貰っているわけではなくて、置いていかれるんです」
コトワリの嘆き通り。
こと、イベントの時期になると、コトワリの店は忙しくなる。イベントそのもののアレコレもあるが、売り上げに全く貢献することのない依頼が急激に増えるせいだ。
「これ、渡しといて下さい」
そんな文句とともに、綺麗にラッピングされた品物が店に持ち込まれることが、割とよくある。
宛名はリボンの間に挟まっているか、当人から口頭で告げられるか。
普段はまだいい。まとまって来るようなものでもないし、知り合いが買い物ついでに置いていくようなものが殆どだから。
しかし現在クリスマスシーズン。
見ず知らずの話したこともない、客でもない人が代わる代わるやって来て、クリスマスの贈り物を置いていくのだ。主に白羽《クラン》の仲間宛の。
主に、というのは本当に主にで。時には「時々店に来るあのお客さんに」とか。「後でうちのクランのあいつが来るから渡しといて」だとか。
一番殺意が湧くのが「あんた、「彼女」と知り合いだろ?渡しといてよ」と悪気があるのかないのか判断に苦しむ依頼だ。この類のものも、彼は笑顔で受け取ることにしている。
深く長いため息で回想を締めくくり、コトワリは小さく愚痴を零した。
「みなさん自分で渡したらいいのに…意味がわかりませんよ」
そうは言っても、白羽《クラン》の中で常に居場所が分かるのは自分くらいだと、彼も自負している。盟主の梟も常に部屋にいるわけでなく忙しそうにしているし、ティトンはダンジョンをはしごしまくるし、アロは自由奔放に散歩しているし、イロハは依頼でエデン中歩き回るし、クエルクスはそもそものスケジュールが謎である。狙って会うのは本当に難しい。
もう一つ、確定で会えそうなクランルームは基本的にクラン員しか開けない決まりになっており、なおかつ扉の前は人通りも多く、待ち伏せも置き配も迷惑になるだろう。
仕方がないのは分かる。しかしコトワリの店は狭い。日によっては入荷した品よりプレゼントの方が嵩張ることもあるから困りものだ。
かといって捨てるわけにもいかない。いちいち断っていては日が暮れてしまう。結局は受け取ったあとで処理するのが一番の解決策となるわけだ。
「コトワリさんも困ってるんだねー」
いつの間にやらベンチの端に座ったアロが、自分宛ての箱を開けながら笑った。
「分かってくれるのはアロさんだけですよ…」
「うん、よくわかんないけどー」
「あ、はい、すみません」
朗らかに言われ引き下がるコトワリをよそに、アロは箱から出てきたPIYOと戯れる。カードにはアロの名前とアヒルのマークが刻まれていた。その箱はコトワリもよく覚えている。箱を預けるついでに、大量の星の音符(音楽に合わせて光る魔法具)を買ってくれたから。ダンスインザダックの人だったのか、と思い返して納得した。
そうする間にも箱は開かれる。幸い、呪い系統のものはなさそうだ。もしかしたら謎のまじない系は混ざっているかもしれないが。
コトワリの心配も露知らず、目新しいジャガイモの袋に目を輝かせながらティトンが提案する。
「いっそポストでもつける?」
「どう考えても厄介ごとが増えるだけですよ??」
驚愕を交えた忠告はあっさり無視された。
「お芋もっと沢山入れてくれるかもー?」
「いいねー、お芋ボックス」
「芋につられないで下さい」
「珍しい缶詰なら歓迎だ」
「依頼が入ることもあるかも」
「きみたちまで…正気ですか??」
ツッコミが追いつくはずもなく、ポストの設置は前向きに検討されるかもしれない。盟主がなんと言うかは知らないが。
そんな賑やかな日の翌日。
クリスマス当日の夕刻のこと。
たまたま花屋で助っ人をしていたイロハの手を借り、白い花束を手にしたコトワリがハビラの通りを進む。
自分が花を贈るなんて。と、買ってしまってからも考えてはみるが、実のところある種の心配はしていない。
なぜなら、彼女には欲がないから。
家具の類はともかく、所持品に関して言えば高価なものなんて一切持っていないくらいには。
装備品は全てクランのものを使うし、そもそも彼女に武器や防具は必要がない。探索中、彼女の前後には腕利きの盾と矛が勢揃いしているから。そして彼女には、それを死なせないだけの力がある。
物欲がない彼女は、なにを渡しても喜んでくれた。もしかしたらそう思い込みたいだけかもしれないけれど。
「今日はスキルを使いすぎていないといいんですけど…」
こんな日に血反吐を吐くのは、いくらなんでもかわいそうだ。これは誇張などではなく事実で、コトワリの彼女、《《ゆあ》》は特殊な体質を持っている。
彼女はハロが大きくスキルの用途も豊富だが、スキルを酷使することで身体に毒素を溜めてしまう。自分で《《治し》》ながら生活することもできるが、結局はいたちごっこ。
なおかつ、彼女の所属クラン【赤嘴《ベックルージュ》】は活動が活発で過酷、上級者ばかりの大手で、毎回最難関のダンジョンに挑む。そのため、1日で体調を崩して帰ることもあった。勿論、稀にだ。普段はひと月に一度、一晩解毒をすればある程度元気になり、二晩で全快といったところか。
その解毒条件も特殊で、他人のハグを必要とする。誰彼構わずハグなどすれば面倒なことになるのは必至。更にはもともと彼女をライバル視する者も多いとくれば、対処に困るのは目に見えている。
コトワリが彼女と出会ったのは偶然ではあったが、その日から今日に至るまで、彼は彼女の解毒係の座をなんとか守ってきた。お役御免になるその日まで、せめて側にいられたらと、至らぬ努力をする日々だ。
花屋で聞いたおすすめ製菓店の前に立つと、甘い香りに満たされる。幸い、まだ売り切れてはいないらしい。店の前に短い列ができていたので、最後尾に並ぶ。隣のオープンカフェの軒先で、こちらを指差し笑う者に気付いたが、知らぬふりをした。
数10分後、無事ブラウニーとシュトレーンを買って外に出ると、また笑い声とひそひそ話す声がした。構わず背を向けて歩き出そうとしたところに、声がかかる。
「《《コトワリ》》くん」
それは噂話とは逆側から聞こえた。振り向くと、小柄で真っ白な女性が小走りに寄ってきた。
「天使だ」と、誰かが囁く。その風貌から、彼女は…ゆあは、大多数からそう呼称されていた。
ゆあはコトワリの隣まで来ると、嬉しそうに胸を張る。
「早く終わったの。ていうか、終わらせました」
「その…お疲れ様でした。大丈夫なんですか?」
「うん、クリスマスだもん。大丈夫。頑張ったから褒めて?コトワリくん」
言われるまま褒めようと口を開きかけたところに、別の声が飛び込んだ。
「は?コトワリ?ってなに?」
先程の笑い声。妙に大きく響いたのは気のせいではないだろう。その相方も、声を潜めることなく答えた。
「今はそう名乗っているらしいぞ」
ああ、そういうことか。
悟ったコトワリの身が固くなる。
関わりたくない。だけど、彼女はなんと言うだろう。戻れと、背中を押されるのではないか。そうなったら拒否などできるだろうか。その資格が、ぼくにはあるだろうか。
一瞬のうちに巡る考えは、腕を掴まれる感触に遮られた。
「行こう?コトワリくん」
「え?あ……」
でも、と言いかけて、しかし声は出ない。
誘導されるまま駆け抜けて、アパルトマンの入口をくぐる。そのまま内階段を昇って、二階の角部屋にたどり着いた。ゆあは鍵を開け、コトワリの背を押し中に入り、急いで鍵をかける。
息が上がっていた。暗い部屋は寒く、互いの呼吸音しか聞こえない。
「あの……」
「きみは」
コトワリの言葉を遮り、俯いたまま。ゆあは彼を壁に押し付けた。そして不安気に顔を覗き込む。
「きみは《《コトワリ》》くんでしょう?」
悲痛な叫びだった。その声に、酷く安堵する自分を嘲笑しながら、コトワリは答える。
「はい」
息を整えるためか、再び俯いたゆあが、間を開けて細く問いかけた。
「思い出したかった?」
そう。
ぼくは知らない。
いや。
死にすぎて。
忘れてしまったのだ。
「本当の名前」
ぼくが、誰なのかを。
記憶を神様に持っていかれてしまったから。
蘇生の対価として差し出してしまったから。
「いいえ」
今のぼくは《《コトワリ》》だ。この名前にした理由も、彼女には話してある。
だけど、過去にもう未練がないことは、まだ言っていない。腹部にしがみついてくるゆあの震えに気付いたコトワリは、申し訳なさで一杯になった。
「どこにもいかないで…」
泣き出しそうな声で懇願される。それはそうだ。彼女にはまだ、解毒係が必要だから。
「はい」
どんな理由だって構わない。ここにいられるのなら。必要としてくれるのなら。
「大丈夫ですよ。ゆあさん。ほら、ブラウニー…食べませんか?」
「……食べる」
鼻を啜りながら肯定した彼女に安心して、コトワリは両腕を持ち上げる。持っている荷物に気付いたゆあが靴を脱ぎ、ケーキの箱を取ってリビングに歩みを進めた。
コトワリは戸締まりを確認してから、手に残された花束に苦笑を注ぐ。
「良い時間を過ごせますように」
折角そう言ってくれた、一緒に選んでくれた彼等に、このままでは申し訳が立たない。
だからまずは、先に終わらせよう。
彼女が食事の準備をして、彼が暖炉に火を灯す。
朝に作ったホワイトシチューを温め直すゆあの背中に、暖炉の火が安定したのを認めたコトワリが声をかけた。
「いくつか、きみ宛に預かったものがあるんです」
吐く息はまだ白い。手袋を外してキッチンの水桶で手を洗い、カバンから品物を取り出していく。
「1つは大通りの宝石商の息子さんから、こちらは…黒牙所属の剣士でしたか。それから…」
リビングテーブルに並んでいく品を呆然と眺めていたゆあが、声もなく左右に首を振った。
それでも、コトワリは笑みを絶やさず作業を続ける。
「随分高価なもののようですから、持っていてください」
「でも…」
「ぼくにはとても買えないようなものばかりです。これなら、蘇生の対価として十分でしょうから」
彼女には欲がない。だからこそ。
「だから…」
持っていて貰わなければ困る。
それが例え、他人からの贈り物だとしても。
利用してやる。
だって。
横目に白い薔薇の花束を見据える。ゆあはその存在に気付いて、ゆっくりと歩み寄った。
《《あなたに出逢えて本当によかった》》
その意味を、彼女が知っているかは分からない。ゆあは花束を手に取り顔に寄せた。
「分かったよ。鞄にしまっとく」
数秒後に呟かれた言葉で、コトワリは心の底から安心した。肩の力が抜ける。
「………はい」
持っていてもらわなければ困る。だって。
ぼくのことを、忘れてほしくないから。
本当なら、自分の力で守るべきだと分かっていても。
窓の外で動くものを目の端に捉えたゆあが、その正体に気付いてカーテンを開ける。
「すごい、みてみて。外、真っ白だよ」
「本当だ…綺麗ですね」
いつの間に積もったのか、低速で落ちてくる雪が地面を淡い白に染めていた。
世界はこんなにも純白で綺麗なのに
ぼくは、本当に馬鹿で
どうしようもないクズだ
自嘲気味に窓際のソファの背にもたれて暫く外を眺めていると、唐突に両頬が挟まれ強制的に振り向かされた。驚いて瞬くコトワリの目に、膨れたゆあの顔が映る。
「雪ばっか見ないでこっち向いてよ」
「外見てって言ったのはきみですよ?」
「折角のクリスマスだよ?見惚れるなら私にしてほしいんですけど」
なに言ってるんですか、と呆れて膨れた頬をつつくと、シチューの入った鍋が揺れて存在を主張した。ハッとした2人は慌てて食事の準備を再開する。
他愛のない話と食事を消費して、最後にガトーショコラを食べる。偽物だよ、とアルコールの入っていないシャンパンを開けたゆあが、グラスと花束を手にブランケットと共にソファに落ち着いた。
コトワリは満足そうな彼女のグラスをシャンメリーで満たし、ガトーショコラの皿を持って隣に座る。
「ごめんね」
グラスを揺らしながら、ゆあが呟いた。驚いたコトワリが振り向くと、彼女はその腕を取って続けた。
「取り乱して。きみが過去のこと思い出したら、遠くに行っちゃう気がして」
「もう未練はありませんよ。それよりも…」
「忘れちゃう方が怖い?」
寄り添ってコトワリの腕を抱え、膝に乗っていた花束を顔に寄せる。その仕草で、質問で。ゆあが薔薇の花束の意味を知っているのだと悟って、コトワリは頷いた。
忘れられるのも怖い。
忘れるのも、同じくらい怖い。
だけど死なずにダンジョンに挑むのは難しい。
かといってダンジョンから離れて生きられるほど、好奇心がないわけじゃない。
幸い、今のぼくは雑貨屋の店主だ。金はなくとも、品物はある。神に差し出せそうな品を、いつも鞄に潜ませるようになったのは彼女と白羽《クラン》に会ってからだ。
おかげでまだ忘れずに済んでいる。目標もできた。欲しいものも、ある。目新しい素材を見るのも、新しいポーションを作るのも楽しい。不運が重なり嫌になることはあれど、充実していることに変わりはないから。
「白羽のみなさんにも、いつか話さないといけませんね」
ため息交じりに零してブラウニーを頬張る。丁度よい甘さがしっとりと口に広がった。ナッツが香ばしく食感も楽しい。
「きみのこと?まだ話してないんだ。じゃあ、2人だけの秘密だね」
「残念ながら、盟主はご存知ですよ」
「あ、そっか…クラン紹介した時に一緒に話したんだっけ」
残念そうに肩を竦め、コトワリがフォークに掬ったブラウニーを横から食べたゆあが、途端に幸せそうな顔をした。コトワリは苦笑して、もう一欠片フォークで取り、ゆあの口に運びながら独り言を口にする。
「しかし、なかなかそういった機会がないんですよね。改まって話すのもなんだか気恥ずかしいですし」
ふむふむ、と咀嚼したゆあは、口端のチョコレートを舐めて花束を揺らした。
「そんなの簡単だよ。明日、一緒に薔薇を買いに行こう?」
「……それと同じのを、ですか?野郎ばかりですよ…?」
渡すのも嫌だしイロハくらいしか意味を理解してくれないような気がして、コトワリは渋る。ゆあはそれを無視して口を尖らせ苦言を呈した。
「同じのは駄目」
「……え…なんでです?」
「なんでって…きみ、意味分かって買ってきたんでしょう?」
目の前に白い薔薇の花束を示される。コトワリはしっかり脳内回想を終えて言われたままを答えた。
「心からの尊敬…だと聞いてますが」
「そっちかぁ…へーふーん…」
「え?待ってください。他にどんな意味が……」
ジト目でシャンメリーを呷ったゆあに、前のめりで問いかける。彼女はコトワリを数秒見つめてから首を傾けた。
「うーん…ナイショ」
「っ……」
図ったな…と、コトワリは思う。とはいえ勝てる気もしないので仕返しは秒で諦めた。代わりに目の前の問題に着手する。
「……あの、なんかすみません」
「んー?なんで?」
「いえ、変な意味だったらと思うと」
「そんなことないよ」
ふわっと笑い、グラスを置いたゆあが肩に頭を預けるのを受け止めた。
「その人、きみのことよくわかってくれてるんだね」
優しい声が花束に落ちる。嬉しそうな顔で見上げてくる彼女に、コトワリはそうかもしれないですね、と小さく同意した。
それは大変恵まれたことだと思う。
名前を…過去を忘れてしまった自分だからこそ、しみじみ思うのかもしれない。
だからぼくは、ぼくを…コトワリのことを、覚えていてほしい人にだけ、この名前を《《渡す》》ようにしている。
持っていてくれたらきっと、次にぼくがぼくでなくなったとしても連れ戻してくれる。そんな人に。
これはぼくの勝手な希望。
だからせめて。ぼくはコトワリでいられるように、クズなりにもう少しだけ、頑張って生きたいと思う。
Re: 【エデン】2024/11〜12:お題「わたす/しろ」 - 淡島かりす
2024/12/21 (Sat) 19:06:07
GiveMe GiveYou
積み上げられた雑多なものの山を前にして、イロハは帳面に記録をつけていた。空き瓶二十二本、六星サイの牙が五本、コーラン鳥の羽が木箱いっぱい。といった具合である。イロハの能力を使えば、山の中から逐一引っ張り出さなくとも、何がどこにいくつあるか程度はわかる。ただイロハが今の作業をしているのは能力ゆえというよりは性格故と言ったところだった。
「クエル。そっちにあるコの字型のものって退かせる?」
「どれだ? あー、これか」
イロハが帳面に記録をつけたものから順に荷車に詰め込む役目を担ったクエルエスは、その指示に素直に従ってコの字型の何に使っていたのかすら判然としない木の枠組みを取り除いた。
「ありがとう。えーっと、用途不明品は最後に集計すればいいから……」
ブツブツ呟きながら帳面にペンを走らせていると、何かが足元に触れた。下を見るとPIYOたちが群がっている。広場に突然現れたガラクタの山が気になったのかもしれない。最近のティトンの研究によれば、PIYOは「昨日と状態が異なる場所」に出てくる確率が高い。
「不要品を集めてるんだよ」
イロハは笑ってそう言った。ここに集められているのは白羽に属する五人のメンバと盟主がそれぞれが提供した「不要品」である。例えばダンジョンで集めすぎてしまったものや、使わなくなってしまったもの、部屋に置いておいても持て余してしまうものなどが該当する。
コトワリやティトンは元々持ち物が多いので、未だに不要品とそうでないものの選別に勤しんでいるが、イロハやクエルエスは早々に終わってしまったので、こうして不要品の整理をしているところだった。最初はアロもいたのだが、不要品の一つ一つに興味を惹かれてしまって全く作業が捗らないため、今はオフィルの掃除をしている。
「クランごとに不要品を持ち寄って、バザーをしようって話になったんだ。こうして集めると結構出てくるもんだよな」
盟主たちが一堂に会して目下の問題点などを話し合う総会において、あるクランが持て余した素材のことを相談した。他のクランが丁度その素材が足らなかったので引き受けることになったが、それを皮切りに各盟主が自分のところで余っているものや足らないものを口にし始めた。どうせなら各クランで要らないものを持ち寄って「交換会」のようなものをしようという話になり、更には素材だけでなく食材も持ち寄って出店でも出そうというところまで話が広がった。
「白羽は焼きそばを作るんだ。PIYOを具材に入れてもいいかもな」
PIYOたちはその冗談を真っ正面から受け取ったのか、情けない声を上げながらどこかに逃げていった。
「そいつら虐めると、アロが煩いんじゃないか」
「そうか? アロは冗談が好きだから大丈夫だと思うぜ」
その言葉を裏付けるかのように、アロの笑い声が聞こえてきた。
それから数日後、どこかのクランの盟主によって「大交流会」という平々凡々を通り越してどこか気恥ずかしくすらなる名前をつけられた祭りが始まった。開催場所は危険度が低く平地が広がるダンジョン。基本的には攻略対象ではなく、農作物などを育てるための場所である。平和すぎて退屈だとすら言われるダンジョンは、今日は多種多様な出店で埋め尽くされて賑やかになっていた。
「イロハさん、イロハさん。シト水の結晶ってまだ残ってますかー?」
アロがテントの中に顔を出してイロハに訊ねる。イロハは箱の中に整然と並べた物品管理の表を一瞥した。
「二十くらいかな。全部貰ってくれるなら端数も出すけど、向こうは何と交換だって?」
「ホトホト魚の燻製、一箱ー」
「お得だな。いいぜ、交渉してこいよ」
イロハは空色の紙にシト水の結晶の個数を記載し、白羽のクランの印を刻んだ。それをアロへと手渡す。大交流会では直接の物品の交換も行えるが、量が多いと運搬の手間がかかるので、こうして「手形」を使う。どの物品をいくつ渡すかを保障するもので、これにより簡便に取引が行えるようになっていた。
「そういえばクエルはどうしてる?」
「焼きそば沢山作ってるー」
クランでは素材などの他に食材なども余る。だがそういったものは保存性が効く物以外は取引するにも難しいため、料理をして売った方が良いという盟主たちの判断によって各クランが出店を出していた。クランのメンバが多いところは複数の店を出しているが、白羽は人数が少ないので一つだけである。
「他のクランではどんなものを出してる?」
「甘いのとか酸っぱいのとか辛いのー。何か買ってくる?」
「冷めてもおいしいの買ってきてくれ。俺は暫くここを離れられないから」
イロハがそう言うと、アロは首を少し傾げた。
「代わるー?」
「……気持ちだけ受け取っておく」
丁重に断ると、アロは別に気にした様子もなく再びテントの外に出て行った。外は賑やかで楽しそうだが、イロハは別にこうして裏方をするのは嫌いではない。寧ろ楽しいとすら思っている節がある。テントの薄い布一枚で隔てられた向こうの賑やかさと自分の周りの静けさの差が、自分が特別なことを任されているという一種の面白みがあった。
「イロハさん」
続けて入ってきたのはコトワリだった。両手に大小の箱をかかえてよろよろとしている。死ぬのかな、と思いながら眺めているとテントに入って数歩目で力尽きた。
「どうしたんだ?」
「色々なクランで交換をしていたんですが、その度に「おまけ」を頂いてしまって……」
「相変わらず変なところでもてるな」
「不要品を押しつけられているだけですよ……」
床に散らばった箱にはそれぞれ、余った素材で出来た細工が入っているようだった。確かに単品で捌くには価値が低いし、かといってクランに置いておいてもゴミにしかならないだろう。コトワリが雑貨屋であることを知っている人々が押しつけたのは想像に難くない。
「美味しそうな珈琲を出している出店がありましたよ。そろそろお昼ですから買ってきましょうか」
「いいな。どこかにティトンがいるはずだから連れ戻してくれると助かる」
「わかりました」
コトワリがいなくなると、イロハはテントを出てすぐの場所に設置された出店に向かった。白い煙に香ばしい香り。その中央でクエルがヘラを振るって麺を鉄板の上で踊らせている。
「繁盛してるな」
「あぁ!? 拷問なんだが!」
ずっと鉄板の前にいるからだろう。クエルの額には玉のような汗が浮かんでいる。
「さっきから全然客が途切れない。焼きそばなんてそんなに珍しいもんじゃないだろ」
「ソースの焦げる匂いが食欲をそそるんじゃ無いか? まぁクエルに任せて正解だな。その調子でよろしく」
「誰か代われ」
「俺ぐらいしかいないと思うぜ? コトワリにはこの環境は過酷だし、アロはすぐに気が散る。ティトンは勝手にジャガイモ炒めにするだろうから。俺に代わって欲しいなら、クエルの次の仕事は在庫管理だ」
「だったら焼きそばのほうがマシだ……」
「腹減ったんじゃないか? 何か買ってくるよ」
「あー……、じゃあ甘いもんがいい」
「珍しいな」
「こっちはずっとソースの匂い嗅いでるんだが? 甘いもんが恋しくなるだろ」
「そういうもんか? まぁ俺もずっとテントに籠もっていて、刺激のあるもん欲しくなったからな。一緒に買ってきてやるよ」
「あー、あとついでなんだが」
クエルがあることをイロハに耳打ちした。イロハは不思議そうに相手を見たものの、特に追及することなく頷いた。
暫くして、会場中に昼休憩を知らせる鐘が鳴り響いた。どうやら盟主たちは昼食のことをすっかり忘れていたらしい。というより、ここまで盛況になることを想定していなかったのかもしれなかった。
テントの中には素材の在庫が積み上げられているため、食事は床に座って取ることに決めた。こういう点も小規模クランの辛いところではある。しかし全員、そういったことは気にしないタイプなので、寧ろ嬉々として昼食の準備をしていた。
「盟主様はー?」
「他のクランの盟主と食事だそうですよ」
アロとコトワリがそう話しながら床に板を並べる。イロハは人数分より少し多く持ってきたクッションを板の周りに置く。ティトンとクエルは板の上に布を敷いて、これで即席の食卓が完成した。イロハはそれを確認して小さく頷く。
「じゃあ皆、買ってきたものを並べてくれ」
「はーい」
早速、アロが板の上に何かを置く。一口大の肉を串に通して焼いたもので、香辛料が上にたっぷりと掛かっていた。どうやら余っていた香辛料を混ぜ合わせたものらしく、独特ながらも食欲を誘う匂いがする。
「これなら一本ずつ食べられるかなと思ってー」
「美味しそうですね、アロさん。珈琲ではなくお茶のほうが良かったでしょうか」
コトワリが人数分の珈琲を置く。確かに肉の串には合わないかもしれないが、これはこれで味わいがあった。いかにも「お祭り」の食事という感じがする。
「僕はこれー!」
ティトンが板の中央に置いたのはマッシュポテトだった。案の定と言うべきか、ティトンらしいメニューに全員頬を緩ませる。
「ポテトは万病の薬だからね」
「初耳なんだが?」
クエルの指摘に構わず、ティトンは続けて小さな硝子瓶に入ったドレッシングをいくつも並べる。
「ティトンさん、それは?」
「ソースを作っているクランがあったから、水晶枝と交換してきたんだ。きっと美味しいよ!」
「味変というやつか」
イロハは笑いながら、自分が買ってきたものを空いているスペースに置いた。
「あ、チョコレートクッキー!」
アロが嬉しそうに声を上げる。大きく砕いたチョコレートがいくつも入った大きなクッキーが、紙で編まれた籠の中に入っていた。
「マシュマロも入ってる。かなり甘いみたいだぜ?」
「良いですね。でもこうなると、ちょっと主食になるものがないような……」
何か買い足しましょうか、とコトワリがいいかけた時だった。クエルが何かを板の上に置いた。それが何かわかったティトンが明るい声を出す。
「焼きそばだ! しかも目玉焼きが乗ってる!」
銀色の皿の上に盛られた焼きそば。それを覆うように置かれた目玉焼きが全員の胃袋を一斉に刺激した。
「美味しそー。出店では目玉焼き乗せてないよね?」
「毎回目玉焼きなんか乗せてたら俺の腕がもげるが?」
クエルはフォークを皿の上に添える。先ほどクエルがイロハに頼んだのは人数分の卵だった。イロハはすぐにそれを探しに行き、ハロス鳥の大きな卵を手に入れた。
「やっぱり大きい卵だと目玉焼きにしても迫力があって良いな」
「割るのが大変だったから二度とやりたくないけどな」
「それはすまない」
イロハは軽く謝罪をして、適当な場所に腰を下ろした。
「冷める前に食べようぜ。特に珈琲なんかは早く飲まないと勿体ない」
「そうですね。そうしましょう」
皆が着席してすぐに、ティトンがマッシュポテトに手を伸ばした。紙皿の上に適当な量を盛り付けて、全員へ順に渡していく。その隣でコトワリは珈琲のカップを配った。
「イロハさんとクエルさんはブラックで大丈夫ですよね。ティトンさんはミルク入り。アロさんは砂糖とミルク、と」
「この肉ね、串の飾りが違うんだよー。イロハさんにはこれあげる」
イロハの前に、兎を模した串に刺した肉が置かれた。そして続けてクエルの前には犬の串が置かれる。
「じゃあ焼きそばは……あー、これ目玉焼きが崩れてるから俺のだな」
「え、僕それがいい!」
「何でだよ」
「ちょっとジャガイモの形に見える」
「そうか……?」
そんなやりとりを見ていたイロハは思わずクスリと笑った。丁度全員の会話の切れ目だったので、思いの外大きく声がテントの中に響き、全員がきょとんとした顔をする。
「なんだ、どうした?」
「いや、大したことじゃない。今日は交換会だろ。誰かが必要としているものを渡す会」
「そうだな」
「で、今皆もそれぞれが買ってきたものを渡し合ってる。俺もそういうものを買ってくればよかったなと思っただけだ」
籠に入ったクッキーは、わざわざ分けるものではない。気が向いたら手に取るような類いである。別に悲しいわけではないが、折角なら皆に混じって渡したかった。
「えー、じゃあ配ればいいんじゃないのー?」
アロが間延びした声を出して、自らの手を差し出す。
「イロハさん、ちょーだい」
「僕も僕も!」
「ではこちらにも」
「俺にもよこせ」
四つの手がイロハに向かって差し出される。イロハは少しだけきょとんとしたが、すぐに全員の意図に気がついて微笑んだ。
「順番にな」
籠の中からクッキーを取り出す。渡し合ったのはきっと食べ物だけではない。きっとそれはその場にいる全員が思っていることだった。
End
Re: 【エデン】2024/11〜12:お題「わたす/しろ」 - 秋待諷月
2024/12/28 (Sat) 20:35:36
白地図を征く
クラン「エル・ブロンシュ」の拠点である家屋の屋根裏部屋は、急傾斜の切妻屋根に挟まれた天井の低さ故に、小柄なこの部屋の主と盟主以外のクランメンバーは、真っ直ぐに立つこともままならない。
ただでさえ狭く窮屈だというのに、その限られた空間という空間に、分厚い本や紙束や丸めた大きな地図、発掘道具や雑貨や用途も分からないアイテムがこれでもかとばかりに置かれ積まれ押し込まれているため、足の踏み場もないほどだ。
階下で活動するメンバー……主にコトワリは、いつか天井が抜けるのではと憂慮し、時折部屋の整理を自主的に手伝っているのだが、どれだけ奮闘したところで数日も経てば元どおりという有様のため、もはや諦めの境地に至り始めていた。
「ティトンさん、もうすぐ夕食だそうですよ」
そのコトワリが、二階と屋根裏を繋ぐ階段を上りきる数段手前、床下にぽっかりと空いた入り口から頭頂部だけを覗かせて、手すりを軽くノックしながら声を掛けた。
が、室内からの返事は無い。
怪訝に思い、もう一段上に上ったコトワリは、ぴょこりと顔を床上に出して中を覗き込む。
うず高く積まれた本の山と、その山間部に敷かれた万年床はいつもどおりだ。屋根と壁に一箇所ずつ空けられた明かり取りの窓に、群青の夜空が切り取られている。明かりも点けていない屋根裏部屋の中に、星か月かの薄明かりが白く差し込んでいた。
その明かりの下。毛布を隅に追いやったマットの上に、部屋の主――ティトンはいた。
階段に背を向けてあぐらを掻き、窓の無い側の壁の上方を、身じろぎひとつせず見つめている。首の回りに浮かぶ二重円形のハロが青く光を放ち、彼の周辺を淡く照らし出す。その空気があまりに静謐で、コトワリは重ねて声を掛けることを躊躇った。
先の呼びかけは聞えていたのか、いないのか。振り返るどころか、ぴくりともしない背中を見つめてコトワリは考える。恐らくは後者だろう。ティトンが深い思考に沈む際、しばしば今のような状態に陥ることはよく知っていた。
とは言え、ここはダンジョンではなく、ティトンの自室である。彼が一体何にそこまで集中しているのかと気になって目を凝らしたコトワリは、だが、眉根を寄せて首を傾げた。
ティトンが正対する壁の一面には、彼自身が描いたエデンのダンジョンマップが隙間なく貼られている。それは他の壁や天井すらも同様であり、その正確さと精密さにはメンバーの誰もが舌を巻いていた。
しかし、今ティトンの視線が注がれているのは、それらのマップとは明らかに違うもの。
白紙だった。
やや手垢じみた長方形のもので、縦横に八折りの跡が残っている。四隅を鋲で留められたそれは、周囲に無造作に貼られた他のダンジョンマップとは重ならないよう配慮されていると見えた。
地図はおろか、絵も記号も、文字のひとつすら書かれていない、ただの白い紙。暗号解読に知恵を絞っているわけではなさそうだ。
コトワリの位置から、ティトンの表情は窺えない。ただ、その背中から伝わる空気が張り詰めて感じられ、邪魔をするのは憚られた。
どうしたものかとコトワリが声を掛けあぐねていると。
「ティトン、そろそろ降りて手伝えよ。盟主のご指名だぞ。ジャガイモを潰すのはお前の役目だとさ」
盟主とともに夕食の支度をしていたのだろう、襷掛け姿のイロハが、大量の茹でジャガイモが入ったボウルと摺子木を持って階段を上ってきた。
上体を退かせて通路を譲ったコトワリの困ったような面持ちに気付き、イロハはきょとんとする。声には出さず、目だけで「どうした?」とイロハが問うと同時。
「ねえ、イロハ。あの紙に、何か『視える』?」
イロハの声は届いたのか、それとも「ジャガイモ」に反応したのか、あるいは、ほくほくと湯気を上げるイモの匂いで熟考から呼び戻されたのか。
先と同じ位置と姿勢で、階段側に背を向けたままで、ティトンが唐突にそう尋ねた。
イロハとコトワリは顔を見合わせ、揃って床上から顔を出す。ティトンが「あの紙」と指差したのは、例の白い紙である。
追及はせず、黙ったまま床上に片肘をついて上体を押し上げたイロハの背中で、山吹色の大きなハロが瞬間的に光を放ち、紅の瞳が白い紙を視線で射貫く。
数秒とかけず、やや困惑した様子でイロハは答えた。
「いや。特に、何も」
少しだけ、間があった。
おどけるように肩をすくめ、壁を見上げたまま、「そっかぁ」とティトンが言う。
そうしてようやく振り返った彼は、楽しげに口角を上げ、青い瞳をきらりと輝かせていた。
「やっぱりね」
あれは、そう。一人で各地の遺跡を巡って旅をしていたティトンが、偶然、この「エデン」に辿り着いた日のこと。
知らない土地を歩くとき、ティトンは必ず、自分なりの地図を描きながら進む。それは彼の生業にして趣味にして習慣であり、生き抜くための武器でもある。
故にあの日も、ティトンは地図を描いたのだ。
彼が生まれ育った「外」から「エデン」に入る、その道を示す正確な地図を。
だが数日後、一度エデンから外に出ようと試みて、しかし、出るための道を見失ったティトンは、同時に気付いた。確かに地図を描き、折り畳んで大事にしまっておいたはずの紙が、いつの間にかただの白紙になってしまっていることに。
そして、ティトンの頭の中に描いた地図の記憶すらも、真っ白に消え失せてしまっていることに。
あれからどれだけの年月が経っただろう。
現在のクランに入り、仲間を得、エデンの生活にすっかり慣れた今でも、ティトンは時折こうして壁に貼った白い紙――白くなってしまった、あのときの地図を眺める。
イロハの千里眼でも「何も視えない」ということは、これは「その類」の現象だ。
つまりこの白い地図は、ティトンにとって重要な鍵のひとつとなり得る。
「エデン」の謎を解き明かすための。
跳ねるように立ち上がったティトンは、当惑気味のコトワリとイロハに満面の笑顔を向けた。一足飛びで階段に寄るや、「さ、行こ!」と促し、イモを受け取りながら二人とともに階下へ降りていく。
主のハロの明かりが消えた屋根裏部屋の壁には、何も書かれていない紙が薄らと白く目立っていた。
あの日のティトンが、彼自身に渡すことができた唯一のもの。
この白い紙と白い記憶のそのものが、ティトンにとっての大きな手がかり。
これは、未来への白地図だ。
Fin.
【エデン】或る騎士の話 - 淡島かりす
2024/12/22 (Sun) 09:44:34
「そういえば物騒な話聞いたぜ」
食後にそう言ったのはイロハだった。今日の夕食はパンにチーズにスープ。山盛りのキノコサラダ。添えられたスムージーが、その食卓が質素なのか豪華なのかわからなくしている。
「どんな話ー?」
スムージーを飲んでいたアロが聞き返す。今日の調理担当はアロだった。アロは料理は出来るのだが、慣れ親しんだ料理の大半がクランではあまり受け入れられないので、どうしても簡単な料理になりやすい。魚の目玉を沢山煮込んだものを出した時は、イロハとコトワリが思い切り後ずさったし、魚とクリームのパイを作った翌日はクエルが目を合わせてくれなかったし、お気に入りの魚醤をティトンに薦めたら、珍しく歯切れ悪く断られた。島では普通だったのだが、それを押し付けるほどアロも傲慢では無い。だがスムージーは皆褒めてくれるので、毎回張り切ってお呪いをかけている。
「少し前の話だけど、あるクランが一夜にして壊滅したらしい」
「壊滅ってのは穏やかじゃないな」
パンを食べながらクエルが言う。
「あまり聞かない言葉だろ」
「だから物騒なんだよ」
イロハは話を続ける。
「『騎士の歌』っていうクランなんだけど知ってるか?」
「あ、知ってる。かなり実力が高いクランで、殆どがランクSって聞いたよ」
ティトンが食べかけのサラダをテーブルに置いて言った。
「遠目に見たことあったけど、皆鎧付けてたし、話し方も如何にも騎士って感じだったから覚えてる」
「私も見たことがありますよ。店にも何度か来ていたかと。でも確かに最近見ませんね」
チーズの残りを持て余すように食べていたコトワリも話に乗ってきた。少人数クランの良いところは、皆でこうして会話を楽しめるところにある。
「でもなぜ? ダンジョンで全滅したとしても、復活は出来ますよね?」
「あぁ、普通なら」
意味ありげにイロハは言葉を区切る。
「でも死んだ奴を教会に運ばず、金も払わないなら復活は出来ない」
「誰も運んであげなかったのー?」
「運ぶ人がいなかった」
まるで謎かけをされたかのようにイロハ以外は頭の上に疑問符を浮かべる。
「全滅したから誰も運べなかったってことか?」
「そうじゃない。そもそも壊滅……まぁ全滅と言えば全滅か」
「さっぱり意味がわからんが?」
「そもそも死んだのがダンジョンじゃなくて、クランルームなんだよ」
「クランルームで皆死んじゃったってこと?」
ティトンの確認にイロハは頷いた。
「盟主がある日突然、クランのメンバーを殺し始めたんだよ」
「えっ」
「実は唯一の生き残りがいるんだが、その生き残りが言うには、突然盟主の様子がおかしくなり、次々とメンバーを殺し始めた。生き残りは命からがら逃げて他のクランに助けを求めた」
「……それで?」
コトワリが心持ち椅子の上で後ずさりつつも先を促す。
「クランルームに入ると、そこにあったのは血溜まりと空っぽの鎧が人数分。中にあったはずの身体は何処にもなかった。脱ぎ捨てた訳ではなく、留め金はそのまま。まるで身体だけ蒸発してしまったようだった」
「なるほど、だから「運ぶ人がいなかった」んですね」
感心するコトワリとは逆に、ますます納得していない顔をしたのはクエルだった。
「その盟主はどうしたんだ?」
「消えたらしいよ」
「らしい?」
「見つからなかったってことだよ」
狂った盟主は愛用の黒い鎧と長剣だけを持って姿を消した。クランルームの食堂には、その日皆で食べるはずだった朝食が手付かずで残されていた。盟主の部屋もその朝起きた状態のままで、何もおかしな所はなかった。
「噂ではその盟主は、生き残りのことを探しているらしい」
剣を片手に、狂気を胸に。
「それは……不気味な話ですね」
コトワリが震えを押さえ込んだ声で言った。他の面々もどこか顔色が悪い。
「消えた人達の身体はどこに行っちゃったのー?」
アロが怖々と口を開いた。イロハは眉を寄せて肩をすくめる。
「さぁ。盟主が鎧にかけていた加護のせいじゃないかとか、クランで所有していた魔法具の影響じゃないかとか色々な説はあったけど、結局わからず終いだった」
「生き残りの人はどうなったの?」
「それもわからない。どうやらかなり恐い思いをしたらしくて、助け出された時には元は赤色だった髪が真っ白になっていたらしい。まぁ『騎士の歌』は事実上解散したから、何処かのクランにいるんじゃないか」
「でもそこに、消えた盟主さんが来たら大変だよねー」
純粋なアロの純粋な疑問は、考えただけでゾッとするものだった。何となく静まり返った食卓で、クエルが啜ったスムージーの音が大きく響いた。
筋骨隆々とした男は、日課の朝のダンスを終えると、額に浮かんだ汗を拭った。クランルームの中にあるトレーニングルームは奥の壁が鏡張りになっているため、自分の動きを細かく観察することが出来る。
「うーん、もう少し膝の動きを柔らかくしないとな。蹴りもダンスのステップには欠かせないのだから」
右膝を持ち上げて、上に向けて鋭く蹴りあげる。フォームをチェックしようと目の前の鏡を見た時に、背後に何か黒い影が過ぎった。
「………ッ!」
振り返る。しかしそこには誰もいない。少しの間周りを見回していると、誰かが中に入ってきた。
「隊長ー、トレーニング終わりました?」
「あぁ」
「外から手を振っても気付かないんですもん。ここの窓って防音性高いのはいいけど、こういう時困りますよね」
「あぁ、さっきの影はそれか。気付かなくて済まない。次は呼ばれる前に気付くことにしよう」
「それは難しくないですか……? 朝ごはんが出来たそうですよ」
「すぐに行く。汗を拭いてから向かうから、先に食べていてくれ」
相手がトレーニングルームを出ていくと、男はため息をついた。
「この時間は心臓に悪いな……。心筋を鍛えるべきだろうか」
床に脱ぎ捨てていた、アヒルのロゴの入ったパーカーを持ち上げると、白い髪の先端だけを黄色く染めた男はトレーニングルームを後にした。
END
【エデン】缶詰を買いに - 此木晶
2024/12/22 (Sun) 09:10:16
夜明け前の空は、太陽が地平線から顔を覗かせる直前に赤く染まり、橙を介して黄色となり、次第に青く変わっていく。虹色の順に変わっていく空は時に『マジックアワー』と呼ばれる事もある。
空の移り変わりを、アロが見届けていた。何故そんなことをしていたかと言えば、星が綺麗だったから夜通し眺め続けていたついでである。
さてそんなアロが「綺麗なもの見えたぁー」と伸びをした所で、クランルームの一軒家の玄関が勢いよく開かれた。
「あれ?」
出てきた人物を見てアロは予想通りで予想外だったから、首を傾げる。
予想通りだったのは人物でクラン白羽の前衛盾役のクエル。予想外だったのは、その格好。何時もなら大体夜明け前後にエデンの何処かへ走りに行っているので動きやすいトレーニングウェアなのだが、今日は完全フル装備だ。コートだけは手に持っているが玄関側に掛けてあるからだろう。
「クエル、今日はトレーニングしないのぉ?」
浮かんできたアクビを噛み殺したせいで変に間延びした呼び掛けになった。
「あ゛? アロか。今日はスークがたつからな」
商業区域であるハビルでは時折スークが開かれる。何処からともなく異邦の商人たちが仮設店舗を作り上げ、そうでなくとも絨毯一枚広げた上に雑多な品物を広げ客寄せに声を張り上げる。
普段エデンで目にする機会のないものが並ぶので、アロもスークが立つ日にはティトンと一緒に覗きに行くことも多い。人混みが凄いのと彼方此方に興味が移って大体お互いにはぐれてしまうのだが、帰る時には合流できているからなんの問題もない。時々コトワリにお互いにリードでも付けて握り合っていたらいいんじゃないですかね? と言われたりするけど問題がないと言ったらない。
それはともかく、確かに混みはするがスーク自体そんなに広い訳でもなく、見て回るだけならば半日も必要ない。こんなに朝早くに出掛ける必要はあるのだろうか?
実際アロが行く時もお昼前に出掛けて、スークで売られている変わった串焼きやスープを手にぐるっと一回りしても、おやつの時間にはクランへ戻れている。
疑問が表情に出ていたのか、それとも傾げた首がそのままだったからなのかクエルが教えてくれた。
「今回のスークは保存食が多く出るらしい」
「…………、あー缶詰!」
頻繁に目にしすぎて保存食と缶詰の関係が思い出せなかった訳ではなく、単純に保存食=干し肉だっただけの話だ。何故缶詰だと思い至ったかと言えば、目の前にいるクエルが缶詰以外を買っている姿が想像できなかったからでしかない。
「そう言うこった。他の缶詰好きには負けられん」
そろそろ時間が惜しいと言うようにクエルは
バサリと音をさせてコートを羽織る。ハビルでも評判の職人が縫ったコートはクエルの体に吸い付くように収まった。
「行ってくる」
朝日を背に受けて歩き出すクエルの背を見送るアロの頭の中では、無数のクエルが缶詰を買うために列をなしているのだった。
「クエルと同じ位缶詰が好きな人っていないと思うけどなぁ」
【エデン】2024/9:お題「【苦手なものと向き合え】」 - あさぎそーご
2024/09/15 (Sun) 12:01:29
ちょっと試験的に…
難しければ不参加でも別お題に変更でも大丈夫なので
気が向きましたらどうぞ( ˘ω˘ )
以下冒頭部分です。続きを自分のキャラ部分だけ書いて頂ければと…!
---------------------------------------------
現在、白羽の5人はエデンの中でも難易度の高い「名もなき部屋」と呼ばれるダンジョンにいた。
幾つもの小部屋がワープ式に連なり、入れば必ず迷路と謎解きを強要される。入口から5部屋は攻略方法が分かっているが、その先は手探りだ。
紆余曲折を経て10部屋目に飛ばされた一行は、ビロードの絨毯が敷かれた細長く短い廊下にいる。そこには5つの扉が不規則に並んでいた。
合間に掲げられた看板には、丁寧な言い回しで部屋のルールが記されている。
「つまり?」
読み終えたクエルクスが理解していながら説明を求めた。
「5人それぞれ別の部屋に入らなきゃいけないってことだね」
「中でミッションをクリアすれば、全員おなじ出口に出られると…」
ティトンとイロハが簡潔に答えた後、アロがうーんと頭を傾ける。
「一人でも失敗したらー?」
「誰も先には進めない…また出会うことになる…うん、全員ここに戻って来るみたい」
ティトンが早々に纏めると、クエルクスが頭を掻いた。
「【苦手なものと向き合え】か…骨が折れそうだな」
確かに。ここに来るまでの謎解きと違って嫌なお題だ。各々が看板を前に覚悟を決める中、後ろでスッと手が挙がる。
「これは、例えばここまでの道のりを4人で到達したとしたら」
コトワリが誰にともなく問うと、すかさずティトンが答えた。
「部屋は4つになると思うよ」
「それなら、出直しましょうか。ぼくにミッションクリアは不可能です」
次いで即答するコトワリが引き返そうとするのを、ティトンが必死に引き止める。
「どんなミッションかは、入ってみないとわからないよ?」
「PIYO早積み勝負がいいなぁー」
「苦手なのか?」
「難しいからねー動くし」
宙に架空のPIYOを積む仕草をするアロとイロハの談笑を横目に、コトワリは盛大にため息を付いた。何故ならティトンの力に負けて引き摺られかけたから。
「みなさんが先に進みたいのはよくわかりますけどね…」
「うん、コトワリと一緒にね?」
ティトンの迷いも疑いもない眼差しが仲間全員の顔を巡る。
「正直俺も自信はないが?」
「だいじょうぶ、なんとかなるさー」
「やるだけやってみて、それから考えようぜ」
全員どこか楽観的なのは、ここに来るまで命の危険があるような仕掛けはなく、失敗したら入口に戻されることが「確定している」からだ。これはまぎれもなく先駆者の功績で、周知の事実。
リタイアも簡単。「戻ればふりだし」つまり部屋を進まず戻るだけで入口なのだから。
「分かりました。その代わり、骨は拾ってくださいね」
コトワリは諦めの言葉を吐くと、全員にポーションを2つ握らせる。念の為ですと呟いて。
各々ポケットや懐に収めながら位置につく。どこを開けても、辿り着くのはそれぞれが苦手なものの前だ。
「それじゃ、みんな。次の階で会おうね!」
-------------------------------------------
※成功、失敗、リスタート、リタイアどれでも大丈夫です
※つづきの話は考えてないです
Re: 【エデン】2024/9:お題「【苦手なものと向き合え】」 - あさぎそーご
2024/10/05 (Sat) 23:13:24
「まあ…やっぱり、そうなりますよね…」
扉が閉じる音に愚痴を混ぜる。
室内に足を踏み入れた途端に消えていくドアと、巻き起こる風と。大量の墓石の中心で目を開く魔獣が空気を変えた。
コトワリはため息すら許されず、静かに死角に移動する。
(さて…どうしますか)
影のように周囲を警戒するのは真っ黒な狼だ。獣形は視覚も聴覚も、嗅覚も鋭い。しかも巨体とくれば、居場所がバレた瞬間に終わるだろう。
コトワリの苦手なことは極めて単純。
【戦闘】
他にも山程あるにはあるが、ダンジョン探索に置いてはこれに尽きる。
(いつまでも隠れていられませんよね…)
相手が相手だけに、見つかるのも時間の問題だ。コトワリはカバンの中身を思い出しながら短く思案する。
まずは透明化ポーションで姿を消したい。その前に。激辛とうがらしを凝縮し、小瓶に詰めた物を狼の鼻めがけて投擲する。嗅覚を鈍らせ、ついでに催涙効果で視界も奪えるかもしれないからだ。
3つ投げたうちの1つが命中したようで、悲痛な叫びが木霊する。続けてコトワリは鼻と口を覆ったまま、狼の背後に落ちるように煙幕を投げた。
ガラスが割れる音と同時に移動しながら、ポーションを飲む。これで多少は時間を稼げるはずだ。
珍しく上手く回る作戦に安堵する彼は、敵の悲鳴が収まる前に背後に周る。これも難なく成功したが、首を垂れて動かない狼が酷く不穏なものに見えた。
それでも迷ってなどいられない。煙幕が晴れる手前、顔面目掛けてとっておきの毒を投げつけようとしたコトワリを、狼は迷いなく振り向いた。
姿は消えている筈なのに、どうして。気配を消しきれていなかった?分からない。これだから戦闘は嫌いなんだと、悪態をつく間もなく鋭い爪に弾かれる。
投擲モーションの途中で回避行動を取ったせいで、見事に脇腹をやられた。墓石の裏に後退して、ポーションで回復するコトワリに影が落ちる。
「血の跡を…!」
ああ、もう最悪だ。それはそう、考えが及ばない方が悪い。
鈍い音と共に床に倒れる。肉球と爪に押しつぶされた腹部が苦しい。
まずい…
毒瓶は引っ掻かれた時に落として割れた。予備はない。顔に生暖かい息がかかる。唐辛子の酷い臭いだ。
透明化ポーションはまだ生きている。しかし背中に広がる血液と体温が自分の存在を証明していた。
手を伸ばす。
カバンは2つともぺちゃんこだし、武器もない。
あるのはこれ。
この頼りないハロだけだ。
近付いてくる狼の牙。それを避けて、頭に触れる。
腕が震えた。これ以上持ち上がりそうもない。
限界だ。口から血を吐きながら、コトワリは指先に全てを集中する。
(精製…)
もう声も出なかった。
代わりに全てのハロを放出する。
精製したのは狼の脳の血液だ。
悲鳴。苦痛が少しだけ和らぐ。
薄れ行く景色。
コトワリは結末を見届けないまま意識を失った。
Re: 【エデン】2024/9:お題「【苦手なものと向き合え】」 - 透峰 零
2024/10/14 (Mon) 00:26:56
「なるほど。苦手なもの、か」
室内に入ったイロハは独りごちて苦笑いした。
「よくお分かりで」
彼の視線の先にあるのは、中央から一本足を伸ばした真っ白なテーブルだ。足元は三又に分かれ、優美な曲線を描いている。テーブル同様に真っ白な部屋には今のところそのテーブルしか存在していない。
瀟洒な透かし彫りの入った天板の中心。普通ならばパラソルを差せるように穴が空いている箇所には、テーブル同様に凝ったデザインの細長い小瓶が一つ置かれている。
添えられている紙に記されているのは、ただ一文。
【毒薬】
とりあえず手に取り、軽く瓶を振って中身を確認する。色は鮮やかな赤色。やや粘性がある。――知っている中にはない種類のものだ。コトワリあたりなら正体が分かるかもしれないが、ここには自分一人しかいない。
千里眼を使ってみるが、何も視えなかった。阻害されているわのか、過去にこの毒を飲んだ者がいないのか。後者だとすれば、この毒は未知のものということになる。
では飲んだ先の未来はどうかといえば、それも不明だ。残念ながらこのスキルは使用者自身の未来は視えない。ため息をついて、イロハは瓶を目の高さまで持ち上げる。
「『向き合え』って言うからには、飲まないといけないんだろうなぁ」
必要だと理解はしているが、苦しむと分かっているものを口にするのはさすがに憂鬱である。
「即死ものだとダンジョンの意図に反するから、死なないだろうけど」
蓋を外し、中を覗き込む。匂いはなし。
「毒消し一つで誤魔化せるかな」
自分の能力に点数をつけろ、と言われればイロハは大抵の項目で平均前後をつけれる自信はあった。
ただ、二つだけ。自分でもはっきりと分かるほどに、平均を大きく下回っているものがある。
状態異常に対する耐性、そしてそこからの回復力の低さだ。
言うまでもなく毒との相性は最悪で、少量でも喰らえば効果は大きく、そのくせ毒消しは一つで足りないことも珍しくない。
幸い、白羽に入ってからはまだそういった状況には陥っていなかったが、今日がその日となりそうだ。
とはいえ、悩んでいても仕方ない。意を決して、イロハは瓶の中身を一気に口の中に流し込んだ。
最初に感じたのは、見た目通りのどろりとした粘っこさ。舌先を刺激する激烈な甘さ。
そして、飲み込んだ喉を焼くような熱さ。
「……う”っ?!」
手から瓶が滑り落ちる。床に当たって粉々に砕ける乾いた音が、耳の奥でくぐもって反響する。
瓶を持っていた右手は、イロハ自身も気づかない間に喉を押さえていた。
まるでマグマでも飲み込んだのかと錯覚する感覚は、喉を通って胃へと到達する。臓腑を握り潰されているような痛みを伴った圧迫感と気持ちの悪さに、イロハは腹を抱えるようにしてくずおれた。
獣じみた呻き声を絞り出しながら、どれほど蹲っていただろう。
「なるほど、「苦手なもの」ね」
皮肉っぽさを宿した声に、イロハは固く瞑っていた目を僅かに開く。声の方に顔を向けると、滑り落ちた汗が目に入って視界がぼやけた。真っ先に見えたのは、黒いブーツの足先だ。
眩暈をこらえ、さらに顔を上向けると声の主の姿が順に見えてくる。
黒いズボンに、黒いシャツ。前を大きくはだけた臙脂色の上着。顔は角度が足りなくて見えない。
だが、その声にイロハは聞き覚えがあった。
他でもない、自分の声だ。
「やっぱり……」
毒を飲んで終わり、というほど甘くはないようだ。
薄々、そんな予感はしていた。何しろ、イロハがもっとも向き合いたくない苦手なものは、自分自身なのだから。
相手の腕に光る赤黒い腕輪には見覚えがあった。過去に所属していたクランの一つで定められていたクラン印だ。長い間辞められなかった上に抜ける際にも色々と揉め、最後には半ば逃げるような形になったところである。詳しく思い出したくもない。だとすれば、これも苦手の部類に入るのだろうか。
「その分だと、あんたはあのふざけた毒薬飲んだみたいだな」
「……お前は、飲んでないのか?」
「飲むわけないだろ。俺の苦手なことなんて、他にも同レベルで腐るほどあるんだ。飲んだ後で絶対出てくるに決まってる。それに、俺が毒を飲んで苦しんでも毒消しの使用許可が下りるとは思えない」
答える声は冷ややかだった。
それでイロハは思い出す。そういえば、自分にはもう一つ、どうしても苦手にしていたことがあったのだ。
「そうか」
「案の定、瓶を叩き落としたら現れたのがあんただ。向き合いたくない嫌なものが「自分自身」とは、このダンジョンも趣味が悪い」
「そうかも。成長してないな、俺も」
イロハは自嘲気味に笑った。
目の前の相手が本当に並行世界から来た過去の自分なのか、それともこのダンジョンがイロハの記憶から作り出した偽者なのか。いずれにしても、よく出来ている。
もしも自分がここで彼に殺され、代わりにこの「自分」が出ていけば仲間は気づいてくれるのだろうか。
ふと、そんな思いが頭をよぎる。
だが、すぐに馬鹿げたことだと悟った。答えなど、考えるまでもない。
目の前の自分が言う。
「もう一人の俺、つまりあんたを殺せばこの部屋ともおさらばだ」
「……残念だけど、お前はまだ何一つ向き合えてない。俺を殺しても、この部屋からは出られないよ」
イロハの言葉に、相手は気を悪くしたようだ。分かりやすい。もっとも、あのクランにいた頃の歳を考えると、まだ十代の可能性もあるので仕方がないのかもしれなかった。考えながら、左手を袖口に滑らせる。
「負け惜しみだな」
吐き捨てる声と、聞き慣れた弓弦の響く音。直後、右腕が吹き飛んだかと錯覚するような衝撃を受けてイロハは地面を転がった。右腕を見ると、今しがた放たれたばかりの矢が上腕部に突き立っている。骨の中心から感じる確かな重みと、燃えるような痛みに再びイロハは呻き声を上げた。
自分が死んだら神に召し上げられる前に回収だけはしてくれ、と冗談抜きで仲間に頼んでいる弓は至近距離ならば重鎧でも易々と貫く威力だ。おそらく骨は砕けている。
すでに全身は毒による冷や汗で濡れていたが、さらにその量が増した。
「何も仕掛けはなさそうだな」
様子を伺っていた相手が、拍子抜けしたような声を上げた。ダンジョン側の仕掛けた罠を疑っていたようだ。続いて、矢筒からを矢を抜く微かな音。
「次は仕留める。苦しめる気はないから、安心しな」
「……くっ」
弓音を聞く前に、イロハは身を捩る。ほぼ同時に乾いた音が響き、ついで擦過音を伴った熱いものがこめかみを掠めた。
避けられるとは思っていなかったのだろう。相手が息を呑んだ隙を逃さず、イロハは左手を大きく振りかぶる。握っているのは、別れ際にコトワリから渡された水風船型のポーションだ。精製者の意図とは違う使用方法なため心の中で詫びをいれ、イロハはそれを思いきり相手の目にぶつけた。
「……ぅっ!」
簡易的な目潰しに、相手が身をのけぞらせる。初めて目にした顔は、やはり今の自分より若い。線の細さと髪の長さからして、十代後半といったところか。
死角に入るように転がりながら矢を取り、弓につがえる。骨と刺さった矢が肉の中で擦れる嫌な感覚。押し寄せる苦痛と悲鳴をねじ伏せ、弓を少しだけ引く。
小さな音だったが、相手は反応した。顔を上げ、イロハの方を向く。だが、目の焦点はあっていない。咄嗟に腕を上げて頭部を守ったことだけは褒めても良いが。
「ぬるい」
言って、イロハは弦を放す。理想通りのルートで宙をはしった矢は、ぷつり、という軽い音と共に相手の弓弦を断ち切った。
「は……」
呆気に取られたような声を上げる自身に、イロハは肩口から突っ込んだ。勢いのままに押し潰し、その喉元に矢を突きつける。
「無駄な牽制するなよ、若造。弓使いやるなら、さっさと弓を壊せ。腕をやるなら動かなくなるくらい徹底的に潰せ。それと、一発でやりたいなら頭じゃなく喉だろが間抜け」
ぐ、と相手が詰まる。図星なので当然かもしれない。
「……やれよ。俺の負けだ」
不貞腐れたように言われ、イロハは鼻白んだ。
「別に。お前を殺さなくても、俺は条件達成したから良いんだよ」
黙ってやられるのが腹立たしかっただけだ、と言うだけの体力は残っていない。
目を見開く相手の上から立ち上がり、イロハは正面に顎をしゃくった。だが、慌てて体勢を立て直した彼には残念ながら見えていないらしい。
白い壁の真ん中に、ぽっかりと出現した白い扉。ふらつきながらもそちらに歩を進め、イロハは微笑する。
「それに、俺を殺せてたとしても……お前は最初の時点で条件達成できてないから」
「どういうことだ」
「本当に苦手なことに、まだ向き合えてないってこと」
歩みを止めないまま、首だけで振り返ったイロハは答えた。
「――俺はね、ようやく他人を信じて向き合えるようになったよ」
言って、イロハはノブに手をかけてドアを開けた。
Re: 【エデン】2024/9:お題「【苦手なものと向き合え】」 - 秋待諷月
2024/10/28 (Mon) 19:42:57
踏み出した足の靴底があっさり地面を捉えたことを知り、ティトンは拍子抜けした。
たった今入ってきたばかりの扉が、右手に握っていたドアノブとともに溶けるように消える。あとに残されたティトンが現在いる場所は、鬱蒼とした森の中のようだった。
――水中じゃなかったかぁ。
じっくりと時間をかけて周囲を見渡し、差し迫る危険は無いと判断してから、顎に指を添えて考える。
示された【苦手なものと向き合え】というミッションから、ティトンが予想したのは不得手である水中戦。てっきり、入室と同時に足場の無い湖や海にでも放り出されるものと身構えていたのだが、杞憂だったようである。念のため戦槌で岩や木の幹を軽く叩き、手応えがあることに安堵する。スキル発動にも支障は無さそうだ。
時刻は夜ではないようだが、湿った大地を奪い合うように密集して生える樹木には枝葉が生い茂り、さらに、薄らとかかった靄のせいで視界は悪い。スキルで明かりを灯そうとしたが、寸の間考え、止めた。足の下には獣道に近い通用路らしきものがかろうじて見受けられ、この暗さでも辿れないことはなさそうだ。灯で無闇と己の居所を主張するべきではないだろう。手近な樹に折り畳みナイフで目印を刻むと、ティトンはひとまずの勘に任せて、蛇行する道を慎重に進み始めた。
至る所に樹の根が張り出し、苔生した地面は歩きにくいが、落とし穴のような単純物理トラップは恐らく無い。このミッションの趣旨にそぐわないためである。この部屋でティトンが向き合わなければならない対象は、少なくとも、ティトン自身が「苦手」を自覚しているものであるはずだ。その点、発掘調査士であるティトンにとって、トラップ発見・解除はむしろ得意分野だった。
では、ティトンが向き合うべき【苦手なもの】とはなんだろう? 草木を掻き分け前進しつつ、ティトンは首を傾げる。
エデンを訪れ、クラン「エル・ブロンシュ」に所属するまでの間、ティトンは基本的に単独行動を常としていた。故に、一通りのことは自力でなんとかできるだけの能力を自負している。得意分野が多いわけでもないが、取り立てて【苦手】な分野も、これと言って浮かばないのが正直なところだった。苦手な食材や動物、現象、特定人物といったものも然りである。
とは言えダンジョンには、挑戦者の無意識や深層心理を見透かして利用する魔獣やトラップも少なくはない。今回もその類であれば、本人でも思いがけないような壁が立ちはだかることもあるだろう……そう考えた矢先。
茂みが開けてやや広くなった道の前方、ひときわ大きな樹の根元に、ティトンは人が寄りかかっているのを見つけて身を固くした。
薄暗闇のために見えにくいが、大きな鞄、腰に吊った剣の鞘といった出で立ちからして、どうやらティトンたちと同じ冒険者のようである。左肩には掌ほどの大きさの四角いハロが浮かび上がっており、靄の中でも目を引く薄紫色の淡い光が、その人影が死体や人形ではないことを明らかにしていた。小さく弱々しく、「うぅ」と男の苦しげな声が漏れる。
「だ、大丈夫ですか? どこか具合でも――」
慌てて駆け寄り話しかけようとしたところで、ティトンはぎょっとし、声を詰まらせた。
ティトンと同年代、二十台半ばと思しき男には、両腕が無かった。
右は肘のやや下、左は二の腕の半ばから無残に千切れ、いずれも破けた袖の下から折れた骨の先端や肉の断面が覗いている。大量の血が溢れ出してボタボタと滴り、男の体の下には巨大な血溜まりが広がっていた。
苦悶に激しく歪む男の顔は蒼白だ。呼吸は不規則で弱く、口鼻以外から空気が漏れるような不自然な音がする。両腕以外にも全身に無数の噛み傷を負っており、あまりの痛々しさに目を逸らしたくなる有様である。
彼の足下には、狼に似た魔獣の頭部が転がっている。目から光は失われているが、その口には、剣を握った人間の腕ががっちり咥えられたままだ。やや離れた場所には、少し前までは頭と繋がっていたであろう、巨大な魔獣の胴体が血の海に沈んでいた。赤黒く染まる青銀の毛並みと鋭い爪。ギガントウルフだ。
「ひ、左腕と引き換えに、なんとか首を落とした、が……気を、抜いた瞬間に、頭だけで飛びかかってきて……右腕を……」
「喋らないで」
喘ぎ喘ぎ男が絞り出すのをティトンは制した。魔獣が完全に事切れているのを確認してから男の足下に膝をつき、バックパックを下ろして中を漁る。目的のものに手が触れ、引っ張り出そうとした瞬間。
「殺してくれ」
男にきっぱりと頼まれ、ティトンはぴたりと動きを止めた。
そして悟る。「そういうことか」、と。
「この失血じゃ、助からない……これ以上苦しむくらい、なら、いっそ一息でラクに……ダンジョンの中だから、どうせ、生き返るんだ、し……」
話す間にも、男の口からゴボリと血が溢れ落ちる。内臓にもダメージがあるかもしれない。これほどの深手を負いながら、痛みで気を失わないのが不思議なほどだ。
淡々とした男の訴えは、ティトンの耳から入ってこそくるものの、頭の中は虚しく素通りしていく。「ダンジョンの中だから生き返る」という、その言葉だけをティトンの思考に鮮烈に刻みながら。
馬鹿げた戯言に聞こえるが、これは正しく、真実だ。
エデンの各所に存在する「ダンジョン」と呼ばれる領域内においては、肉体的損傷であれ毒であれ、致死量以上のダメージを受けて行動不能に陥ってしまったとしても、相当額の財産と引き換えに安全圏で「生き返る」ことができる。これはエデンの住人にとっては常識であり、故に一般空間とダンジョンとは、ある種の異世界であると認識されていると言っていい。
そしてダンジョン探索中、即死に至らないまでも回復が難しいような重傷を負った場合……「意図的に肉体を死亡させて生き返る」という選択をすることも、冒険者たちにとってはまた、ダンジョン攻略における常識だった。
どうせ死ぬのなら苦しむ時間を少しでも短くしたいと思うのは当然であり、例え死ぬほどのダメージではないとしても、怪我人を伴ってダンジョン探索を続ければ集団にとって足手まといとなる。財産の召し上げという痛手に目を瞑りさえすれば、生き返ることは保証されているのだから、「自死」や「仲間へのトドメ」は自然な発想と言えた。
これはティトンが所属する「エル・ブロンシュ」においても例外ではない。無論、可能な限り回避は試みるが、「さっさと死んで復活したほうがメリットが大きい」と判断すれば、各々なりの考えや葛藤こそあれ、自ら死を選ぶことも、仲間を手にかけることも、最終的には厭わない。
クランでの死亡累積数・死亡率ともにダントツであるコトワリに至ってはことさら顕著で、「足手まといは早めに離脱しますよ」「さっさとトドメを刺していただけませんか」などと簡単に口に出す。クエルやイロハは、眉をひそめたり表情を曇らせたりはするものの、本人に頼まれ、かつ、必要と見なせば決断は早い。呪術師であるアロに至っては、抵抗もほとんど無いようだ。
しかし、ティトンは違う。トドメを刺さずにすむよう、最後まで他の道を模索する。
仲間たちを批難する気は毛頭無い。むしろ合理的であり、ことダンジョンにおいては適切だと理性では分かっている。だがティトンの本能が、気持ちが、仲間の命を奪うことをどうしても拒むのだ。
よって、この部屋でティトンが向き合うべき【苦手なもの】。
それはどうやら、【人の命を割り切ること】のようだった。
「頼む……両手がこのザマじゃ、自分で死ぬこともできない……」
男の声に、ティトンは思考から現実へと呼び戻される。
オオーン、と、靄の向こうから遠吠えらしき鳴き声が聞こえた。一頭ではなく、複数、多方面である。顔を険しくし、周囲に素早く視線を走らせるティトンを、男が息も絶え絶えに諭す。
「じきに仲間が、集まってくる……無抵抗のまま食い散らかされる前に、やってくれ。このままじゃ、あんたも、巻き込まれる、ぞ……」
ギガントウルフは群れを成す魔獣だ。仲間に対する情が厚いことでも知られている。怒れる複数の成獣を単独で相手取るとなれば、ティトンと言えど無事では済まないだろう。まして男を守りながらの防御戦では、まず勝ち目は無い。
ティトンはゴクリと喉を鳴らした。
目の前にいる瀕死の男は、まず間違いなく、実在しない人間だ。この室内で起こる全ての事象は、ティトンを試すための悪趣味な幻と考えていい。
そして今回与えられたミッションは、【苦手なものを克服しろ】でも、【苦手なものに挑め】でもなく、【苦手なものに向き合え】である。
よって、ティトンがどんな選択をしようとも、恐らくこのミッションはクリアできる。こうしてティトンが己の【苦手なもの】を自覚し葛藤すること、それ自体が、【向き合う】ということなのだから。
だからきっと、男の望むとおり、トドメを刺せば全ては終わる。
そして逆に、自ら手を下すことを拒み、男を置き去りにこの場から逃げ去っても、それも一つの選択肢として認められるのだろう。そしていずれにせよ、幻以外の犠牲者は出ない。もしも万一、男が本物だとしても、ダンジョンの仕組みに則って生き返る。男が望むとおりに。
だとしても。
ティトンは先ほど探り当てた物を鞄から取り出す。この部屋に入る直前、コトワリに託された二本の小瓶のコルク栓を引き抜くと、男の両腕の傷口に一本ずつ、その中身をぶちまけた。薄橙色の光が飛沫のように弾けて、滴り続けていた出血の勢いが弱まる。苦悶に歪んでいた男の表情が束の間だけ和らぎ、だが、すぐに驚愕に変わった。
「何、を」
「ごめん、そのお願いは聞けない。僕自身に向き合えてないことになるから」
「は……?」
困惑する男を無視し、ティトンは男の患部に布を巻いて念入りに止血を施すと、男の鞄や鞘を外してその場に捨て置いた。自分のバックパックを腹側に抱え、戦槌をベルトに挟み込むと、小さな背中に血塗れの男を無理矢理担いで立ち上がる。荷物と両腕が失くなっても、大柄な男の体がずしりと重い。生暖かい血がべとりとティトンの背を濡らし、血溜まりに足下が滑った。
それでも歯を食い縛り、男の両足を引きずって、ティトンは歩き始める。先ほど辿ってきた道の続き、薄暗い森の中へ向けて。
「おい、何をしてる、置いていけ……いや、それよりトドメを……!」
男がティトンの背中で身をよじって声を荒らげた。ティトンは負けじと言い返す。
「絶、対、嫌だ」
遠吠えが徐々に近くなる。一歩一歩、もどかしい足取りで、けれどティトンは進む。
今ごろそれぞれに【苦手なものと向き合っている】はずの仲間たちは、必ず次の階層へと辿り着くだろう。ティトンはそう確信していた。
コトワリと合流すれば、一命を取り留められる回復が望める。イロハやクエルやアロがいれば、魔獣を退け、安全圏への道を拓いてくれる。そう考えるからこそ、背負う男が幻かどうかに関わらず、ティトンは彼を背負って行くのだ。
殺さず救うために。
道の向こうに、徐々に眩い白い光が見えてきた。森の終わりは恐らく、道の終着点にして、この部屋の出口。
――例え、魔獣に追いつかれて殺されたとしても。結果、失敗したとみなされ振り出しに戻り、再び同じ状況に挑むことになったとしても。
ティトンは何度でも同じ行動を取る。絶対に、何が何でも、背負える命は割り切らない。
それが、ティトンが【苦手】に向き合い、導き出した唯一解なのだから。
Re: 【エデン】2024/9:お題「【苦手なものと向き合え】」 - 淡島かりす
2024/11/02 (Sat) 10:18:48
扉を開けた先に待っていたのは殺風景な空間と、その中央に置かれた椅子だけだった。アロが視線を前方に向けると、真っ白な壁に滲むように文字が浮かび上がる。
ーー挑戦してください
「いいよー」
アロは持ち前の気軽さで応じるが、それをすぐに後悔することになった。
文字は一度消えて、再び浮かび上がる。
ーー椅子に腰を下ろして暫くじっとしていてください
自由奔放で気が散りやすいアロにとっての一番の苦行。それは「大人しくしてること」であった。誤解の無いように言い添えるのであれば、アロは別に煩く騒ぐようなタイプではない。ここでの「大人しく」というのは、要するに体を動かさないということである。アロは幼少期から非常にそれが苦手だった。それでも生まれ故郷ではあまり困ることはなかった。故郷は全体的にのんびりとしており、余程のことがなければ規律正しく振る舞う必要がなかったためである。
「こういうの苦手ー」
そう言いながら椅子に座ると、急に大きな音が部屋に鳴った。驚いたアロが左右を見回すと、目を向けた右の壁に文字が浮かんでいる。
ーー勝手に喋らないでください
いよいよアロとしては最悪の気分だった。そもそも「暫く」というのがどれぐらいの時間なのかわからないことが問題である。時間さえ決まっていれば耐えることが出来るが、いつ終わるかわからないとなると余計にそわそわしてしまう。
それでも黙って耐えるのがこの部屋の試練だということはわかっているが、早くも心が挫けかけてきた。静謐。白い部屋。気を紛らわせるようなものもない。こういう時に他の面々ならどうするのだろうかと考える。多分一番得意なのはティトンだろう。その頭の中に詰まった豊富な知識をフル活用して、目に映るものを片っ端から分析するに違いない。次に得意としそうなのはイロハあたりか。あの能力を使えば、この試練がいつ終わるのかわかりそうな気がする。クエルは苦手そうではあるが、心の中でブツブツ文句を言いながらなんだかんだで耐えてしまいそうだった。コトワリも暇つぶしに精製のことなどを考えて過ごすのかもしれない。あるいは微動だにしないことが原因で死んでしまうか。
アロは能力の相性もあってコトワリと一緒に行動することが多いが、虚弱体質ゆえによく死んでいる。生命活動としての死ではなく、主に「力尽きた」という意味で。先日などは大きな滝を登ることが出来ずに下流まで流されていった。クエルがキレながら探しに行ったことは記憶に新しい。
そんなことを考えながらどうにかして気を紛らわせている時だった。急に聞き慣れた鳴き声が部屋に響いたと思うと、突然目の前にPIYOが沢山現れた。床の上で鳴きながら小さな羽を動かしている。
「あ、PIYOだー」
思わず口にした瞬間にまた大きな音が鳴って、アロは首を竦めた。こういう音は嫌いだった。なんというか生命的な感じが一切しない。自然の中で生まれ育ったアロには苦痛でしかないものだった。
PIYOたちはアロのことなど気にせず、いつものように群れている。黄色、ピンク、水色。あまり見かけない紫色のは毒沼によくいる毒PIYOだろう。アロは気になって仕方なかったが、恐らくこれは試練の一部だと悟っていた。自分が動き出してしまうような状況を敢えて作っている。
騙されないよー、と口には出さずに呟いて背筋を伸ばす。
アロの推測を裏付けるかのようにPIYOは暫くすると消えた。それと入れ違いになるかのように今度は前方の壁に扉が現れる。
試練が終わったのだろうかと思って腰を浮かせかけたが、扉が激しく叩かれたことで動きを止めた。扉の向こうから誰かの悲鳴が聞こえる。言葉ははっきり聞こえないが、助けを求めているようなものだった。その声はイロハのようにも聞こえるし、ティトンのようにも聞こえた。
扉の向こうで何かが起こっている。自分に助けを求めている。
そう思わせたいのだろう、とアロはさっきのPIYOの時よりもずっと冷静に分析した。もし本当に扉の向こうで大変なことが起きているのであれば、イロハやティトンが切羽詰まるほどの状況になっているのだとすれば、自分に部屋から出てくるようになんて言うはずがない。寧ろそこに留まって、機を狙うように指示する筈だった。
少々鼻白んだ気持ちでアロがその扉を見ていると、扉は諦めたのかすぐに消えた。
アロは楽天家で平和主義者であるが、生命に関することについては比較的冷めている。呪術師の家に生まれたがゆえに、生死というのは無理に引き留めるものでもなければ急くものでもないと思っていた。大切な人間が死んでしまうとしても、それが運命であるのなら受け入れるのが生きている人間の義務であり、自分が死んでしまうとするならば、それを受け入れるのが死にゆく者の権利だった。とはいえ、ダンジョンにおいては少々その価値観も揺らぐのだが。
これぐらいの罠なら耐えられるかも知れない。
アロがそう思った時だった。足元に何か柔らかいものが触れた。視線を下に落とすと、そこに毛玉があった。真っ白い毛玉と真っ黒な毛玉。少し長い耳。丸い尻尾。
兎だ、とアロは認識した瞬間に手に取りたい欲求に襲われた。ふわふわの兎。それが自分の足元にいる。抱っこして撫でたいと思うのは、アロの感覚としては当然のことだった。どうやら先ほどの二つの罠を「学習」した部屋は、動物の方面で責めることにしたらしい。アロは自分の読み違えに後悔した。さっきの扉の罠にあれほど冷静にならなければ、同じ罠を続けてもらえたかもしれないのに。動物の罠はアロにはとても辛い。
兎はアロの両足をこするようにして回り始める。抱っこしたい。撫でたい。耳をピロピロしたい。でも座っていなければいけない。欲望と理性がアロの中で激しくぶつかり合う。両手を膝の上で握りしめてなんとか耐える。すると黒い兎が不意に動きを止めたと思うと、後ろ足で立ち上がって前足でアロの膝下あたりに触れた。
アロは声にならない悲鳴を上げて、思わず息を止めた。その瞬間、部屋が漆黒に包まれた。
ーー試験者のストレス負荷の限界値を超過。救護として失格とします。
Re: 【エデン】2024/9:お題「【苦手なものと向き合え】」 - 此木
2024/11/17 (Sun) 21:26:49
「それじゃ、みんな。次の階で会おうね!」
ティトンの声を背中に受けながら扉を通る。
一瞬の酩酊にも似た目眩、それが収まった時、そいつが目の前にいた。
「あ゛? なんであんたがいるんだよ」
周囲をぐるりと覆う石壁の部屋、真ん中に立つ見知ったその背に思わず毒づいていた。
丸太のようなとしか形容のしようがない二の腕、続く前腕部は流石に丸太とまではいかないが成人男性の太もも程度は余裕である。
手のひらはまるでグローブで、それぞれが鉄塊と評したくなる幅広長剣を握っていた。
例えるならば筋肉ゴリラ。けれど憧れた背中だ。
「出てくるとしたら副団長の方だと思ってたんだがな」
だから、脈略もなくあの酷く捉えどころのない黒髪の女戦士を思い出す。スリング使いだと言うのに接近戦を好んだ変わり者。迷宮内を壁床天井関わりなく飛び回り至近距離から狙い撃つ。かと言って長距離狙撃ができない訳ではなく、後衛としての役目もそつなくこなしていた。その器用さに憧れを抱かなかったとは言わないが、その気ままさ、掴み所のなさには辟易とさせられた。
『−−−−−、至極しがない冒険者です。畿久しく末永く宜しくお願い申し上げます』
初対面で聞かされたのがコレで、以降も煙に巻くような言い回しで振り回された。未だに軽くトラウマで、おかげで今のクランの問題児の不規則言動をアレに比べればまだマシと受け入れることが出来ているように思う。あ゛? 自分はどうだって? そんなモノ棚上げに決まってるだろうが。
だからという訳でもないが、苦手なものが出てくると聞いた時、てっきりあの副団長が出てくると思った。出てきたら、どう頑張った所で手も足も出ないどころか、精も根も尽き果てるまで吐き出させられるのが目に見えているので諸手を挙げて逃走する気だった。ガキどもの手前もう少しマシな姿を見せたいところだが、トコトン相性が悪すぎて勝ち筋が見えたことがない……。ってかな、いくら苦手なものって言ってもトラウマレベルのものが出てくるとしたら、それはクリアさせるつもりが欠片もない駄目仕様だろう。かと言って、予想もしないものが出てくるのはそれはそれで駄目だろう。ガキどもは大丈夫かね。誰が一番不安といえば何しでかすか分からないアロが断トツだが、意外にシビアな判断をするのでそちら方面に関しては余り心配いらない。いや、するだけ無駄だな、あれは。
色々余計なことを考えていると、筋肉ゴリラが振り向いた。
あ゛?
顔がなかった。違う。真っ白い、視線を通すための穴すら開いていない仮面をつけている。まるでのっぺらぼう。誰だ、こいつ。
呆気にとられる間もなく横振りの右一閃。鉄塊が想像以上の大きさで迫ってくる。訓練でもまともに打ち合った覚えのない一撃。手にした短剣でそのまま受け流しかけて、無理だと悟る。逆手に持ち替え、短剣の腹を腕に沿わせ樋で受ける。スキルで不壊の盾と化した短剣は単純極まりない暴力を違わず受け止めた。欠片一つ零す事無く、寧ろ鉄塊に罅すら入れた。問題は、受けた俺の方が派手に吹っ飛ばされた事の方だろう。
着ていたコートにスキルを使いダメージは軽減したが、恐ろしいことに半分近く体が石壁に埋まっていた。鉄塊を受けた左手は痺れて殆ど感覚がない。短剣を落としていない事が奇跡だ。
入ってきた扉がいつの間にか消え、無味簡素な石壁に変化していたのはどう言うべきだろうか? 扉を破壊していた場合、クエスト失敗と見做されていたかもしれないと言う意味では幸運だろうし、逃げ道がないと言う意味ではふざけるなだろうか。
ゆっくりと筋肉ゴリラが近づいてくる。おかしな仮面を被っているのを除けば団長にしか思えないのだが、本当にあれは何だ?
大体あの団長はぐうたらでいい加減で人の話を聞きゃあしない癖に、ここ一番って時には体張ってクランメンバー全員守り切って……、改めて思い返すと大概だな。
それでも、問題まみれだとしても、その背中に憧れたのは確かだ。それは敵の攻撃を一切通さず受け止める守る者の背中だった。
今目の前にいるのはアレだ、殺戮兵器。目の前にいるものを根絶やしにするまで止まる事のない狂戦士。見る方向が違っただけと言い放ってしまえるかもしれないが、視界が確保出来ているように見えない仮面を被っているだけに本当に暴走しているだけなのではないか? と思ってしまう。
型も何もない無造作な縦振り。必死に体を壁から引き出して横へ飛ぶ。半壊しかけの石壁が全壊する。どういう作りかは不明だがその先も石壁が続いていて逃げ出すのは無理そうだった。ダンジョンなんてのは大抵理不尽きわまりないモノな上に、正体不明なモノだから、そういうモノと受け入れるしかないだろう。
礫になって飛んでくる元石壁を脅威になりそうなものだけに絞って叩き落としながら後退する。対して団長は自分で作りだした礫を避けようともしていない。分厚い筋肉の前には多少の些事など関係ないって所だろう。とんでもない極論と言うか暴論だが。ここまで行くと羨ましいを通り越して、正直引く。
ゴリラまでいかなくてもいいから多少はと思い筋トレは続けてはいるが一向に筋肉が付く気配がない。持久力は上がっているのでこればっかりは体質だか適正だの所為だ。どれだけ憧れた所でそっくりそのまま真似が出来る訳もなく、出来ることをやるしかない。
歩みはゆっくりで、下手に間合いに入ると一撃のもとに叩き潰されるだろうことが肌で感じられた。すでにたった一回の打ち合いで左手は短剣を握るので精一杯、もう一度受け止めるなんてどだい無理なお話で、右手で受けられるだろうって意見には向こうも二刀流だと返させてもらう。
たまたま一撃づつの斬撃が続いたが団長の真骨頂は二刀流による乱撃だ。
唯でさえ地力が違い過ぎて受け流しもできず一撃受けきる事すら怪しいのに、間髪入れずに追撃されたら為す術がない。
そう、為す術がないんだが………。
恐らく多分、他の部屋へ入ったティトン達4人はこのクエストをクリアする。普段バカやってるが、何かあった時の反応は俺なんぞよりよっぽど良い。
今の所どうにか経験量の差で面目は保てているようないないような状態だが、そのうち確実に追い抜かれる。
いずれきっと。とは言ってもだ。それまでは精々先輩面をさせてもらう為にも、失敗する訳にはいかない。ハッタリ上等、格好くらいつけさせろ。
耳を貫く破砕音が生じた。
まるでこちらが覚悟を決めるのを待っていたかのように、石壁を砕きながら向かってくる横払い。色々おかしくはないか? 力任せにも程があると思うんだが!
弾丸さながらに飛び散る瓦礫と共に迫ってくる大剣は記憶にあるより巨大に見えた。
が、腹はとうに括った。
団長の右の斬撃を左の短剣で受ける。当然受けきれる筈はない。何よりも次の一撃が来る。
体が浮いた。スローな景色の中で団長の左の大剣が動く。
投擲。がら空きになった体に向けて右の短剣を投げつける。本職には劣るがこの距離ならば外れない。狙ったのは、喉。どう頑張ったところで刃物には勝てない部位だ。
目論み通り、左の斬撃が軌道を変えて短剣を弾く。代償は右の一撃の弱体化。速さも威力も精密さも一気に落ちた。俺が床を踏み締め、短剣を跳ねあげ大剣の軌道を変えさせる程度には。握力も戻っていないのにそんなことをしたから短剣はすっぽ抜けて飛んでいったが。
予定通りとは言わないが、予想通りではある。俺が出来る事などこの程度だ。コトワリのポーションでもあればまた違っただろうが、ないものはいくら願っても仕方ない。
逃げるように一度後へ跳び距離を取り、息を整える。当然のように団長もまた、崩した体勢を元に戻す。足が上がり一歩を刻む。それを見て前へ出る。
ほぼ同時の左右からの挟撃。上に飛ぼうが下にしゃがもうが二対の剣は絶対にこちらを追撃してくる。懐に入ろうにも距離が遠い。
ティトン辺りならここから加速して更には団長を吹き飛ばすなど容易いだろう。
俺にはここに至っては出来る事など1つしかないのだが。
位置を気にしながら、停止。
左右からほぼ同時に斬撃が迫り、固い音を響かせて止まった。
コートの袖口が各々長剣を受け止めている。金属の軋む音はすれど、不壊を付与したコートだ。吹っ飛ばされる事はあるとしても、挟撃程度で圧潰などするものか。
不格好なTの字になったコートから飛び出す。盾となったコートから抜け出すのには慣れている。正確に言えば、抜け出しやすい姿勢で不壊にするのも含めて、散々経験している。
コートの不壊が解け、背後で鉄塊の噛み合う衝撃を感じつつ、懐へ飛び込む。流石にすぐには対応できないだろう?
速度と己の体重を乗せ、踏み込みに続けて拳を叩き込む。打撃の瞬間にグローブに不壊を。即席のブラスナックルだ。
めり込む。無貌の仮面にヒビが走り、素顔が覗く。
あ゛!?
記憶にあるのとは違うが、別の意味では良く見知った顔があった。
俺、だ。
確かに違和感を持たなかった訳じゃない。
団長も確かにゴリラだったが、ここまで脳筋でもなければ、少なくともダンジョン内の石壁を容易く破壊出来る程化け物じみてもいなかった。その辺は思い出補正と言うべきか、むしろ憧れ補正か?
細かい所の詰めが甘いのは、憧れてそれを真似しようとしている俺、だったからだとすればすんなりと説明がついてしまう。
そもそもクエスト内容が『苦手なものと向き合え』だと言うのに憧れの対象と対峙している時点でおかしいと思い至れと言う話だ。
さしずめ 己の資質と噛み合わない無謀な憧れを持ったままの己を自覚しろとって所だろう。
イロハなら困ったような笑みを浮かべはしても大して気にしはしないのだろうが……。
俺はといえば結構ダメージがある。
歪なのに自覚はあるが、改めて突き付けられると控えめに言ってシーツ被って叫びだしたい気分になる。
実際は?
自分自身をぶん殴りたい気分だな。今現在俺そっくりの顔を殴りつけてはいるんだが。
それも含めて、最悪な気分だ。
白い仮面が剥がれ落ちる。現れるのは間違えようなく俺の顔だ。
姿まで俺そのものになっている。なんの嫌がらせだ。
蹴りが飛んできたので、後に下がる。ボロボロになったコートが足に当たった。あの挟撃を食らったのだから、布切れででも残っているだけマシではあるんだが。
息を吐く。長く細く合わせるようにイメージする。スキルと結びついた憧れ。何ものも通さぬという誓い。そうでありたいという願い。それらの象徴たる不壊の盾。
クエストが終わる気配はない。
どうやら目の前の俺を打倒するしかないらしい。
拳を握る。
さっさと終わらせよう。早く帰ってコートを新調しなけりゃならん。
グローブに不壊を。
コート以外鏡写しな俺は不適な笑みを浮かべている。
なにもかもが同じなら、確かに千日手。自滅じみた相討ちが精々。
だけどな。
本当に同じか?
どのタイミングで複製されたかは知らんが、そっくりそのまま今の俺と全く同じって訳ではないだろう。同じだとしたら、今お前はそんな風に笑っていられる筈がない。
その違いだけで十分だ。
だから、言葉を交わす事なく俺自身と殴り合う。
Re: 【エデン】2024/9:お題「【苦手なものと向き合え】」 - あさぎそーご
2024/11/20 (Wed) 18:23:47
みなさま執筆お疲れ様でした!様々な奮闘が見れて大変楽しかったです、ありがとうございました!
物凄く簡素ですがエピローグっぽいもの置いていきます( ˘ω˘ )
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「はぁ……すみません…」
「ごめーん…」
正座で俯き謝罪する2人を前に、ティトンとイロハ、クエルクスが息をつく。落胆などではなく、目を回して気絶していたアロと、瀕死のコトワリを慌てて治療して一息ついたところだからだ。
どれほどの時間が経っていたのかは分からない。
しかし3人が同時に扉を開いて、元いたビロードの廊下に戻ってきた時には、アロとコトワリが床に倒れていた。
恐らくダンジョンが時間を歪めて、同時に排出したのだろう。
「失敗した」と懺悔した二人は元より、イロハも重症、クエルクスも怪我をしていたし、ティトンは血塗れだった。それぞれなにがあったは聞くこともないが、コトワリがイロハの診察する間も5つの扉は沈黙を保っている。
アロの手元に残っていたポーションで二人を回復させた辺りで、部屋を調べていたティトンが振り向いた。
「最初と変わったところはないね。やっぱり全員成功させるしかないみたいだけど…」
ぴくり、と全員の肩が揺れる。
「だよねぇ…」
かく言うティトンも、もう一度扉を開ける気力は残っていなかった。体力的な問題ではない。精神的な意味で。
「最難関の名は伊達じゃないね」
明るく笑って、ティトンは大きく伸びをする。その背中にイロハがふっと笑みを零した。
「成長したらまた来よう」
「きみたち、まだ強くなるつもりなんですか?馬鹿ですか?」
「あ゛?嫌味か?まだまだ成長期だが??」
「コトワリさんのお口、悪い子だー」
「あはは、みんな頑張ったんだよね。じゃ、帰ろっか」
荷物を背負って先導するティトンが帰りの扉を開くと、その先は眩い光に満ちていた。
「急ぐ旅でもない」
「またいつか、乗り越えみせるさ」
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本当に簡単ですみません
いつか攻略できることを祈って
※他サイトに投下する際、プロローグとエピローグは好きに使って頂いて大丈夫です(加筆修正歓迎