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【エデン】世界の仕組みと神様について① - 透峰 零
2024/12/15 (Sun) 22:21:26
視界を占めるのは、どこまでも澄んだ青。
そして、自らの口から昇っていく小さな気泡と無数の赤い筋だった。水面がひどく遠い。
――あ、これは死ぬな
とイロハはどこか冷静に思った。
故郷では、死ぬ前には走馬灯という生まれてから今までの情景が見えるというが、イロハが思い出したのは《《こう》》なるまでの経緯である。
聖廟ダンジョン《アルバスデウス》。別名を「旧《ふる》き神々の住まう白き場所」。そう呼ばれる氷雪ダンジョンに一人で入ったのは今朝のことだ。
一人で来たことに、深い意味はない。
理由らしい理由を挙げるならば、最近の自分はクランのメンバーに頼ることが多く、ふと不安になったからだ。
彼らと共にいることは心地よいが、だからこそ恐ろしくもあった。
――自分はよくても、彼らにとってはどうだろう。
負担になってはいないか。疎まれてはいないか。
――今の距離は適切か。
一度生じた不安が消えることはなく、ゆえに少し距離を取ろうと思ったのだ。今日は珍しく朝から予定がなく、一人になるのにちょうど良かったというのも理由の一つではある。
行き先にこのダンジョンを選んだのはランクがB+と手頃なことと、ずっと気になっていたものがあるからだ。
ここ、《アルバスデウス》が聖なる場所と言われる由縁の一つ。
最深部に存在する、神が生まれたという伝承を持つ泉。その水は、人の罪を量ると言われている。善い人間には甘く、罪人は大層苦く感じるというのだ。
馬鹿げた話だと思う。
だが、頭から否定もできないのはその泉がダンジョン内にあるからという、その一点に尽きる。
ダンジョンの中では、何が起こっても不思議ではない。何しろ、死人ですら生き返るのだから。
ダンジョン内で死んだ者は《《神》》の力で、一番近い教会に転送される。そして教会で蘇生措置を施されると、死んだ者は再び目を覚ますのである。
嘘のような話だが、これはエデンの中では常識と言って良かった。
もっとも、何の犠牲もないわけではない。
対価として求められるのは一定額の金銭だ。もしも金銭が足りなければ、差額はそれに類するもの――記憶や身体の一部を求められるという噂である。
幸い、イロハ自身はまだ死んだことはないが、同じクランに所属するコトワリなどは心配になるくらいよく死んでいる。
だから。ダンジョンの中にある泉ならば、本当に罪科を量れるのかもしれない。
そんな馬鹿げた考えのもと、イロハはこのダンジョンの最深部まで来てしまったのだ。
件の泉は、最深部のど真ん中にある洞の中にあった。その入口で、イロハは足を止める。
罠もないのにイロハが入るのを躊躇ったのは、中に先客がいたからだ。
数は三人。千里眼で見た姿は覚えのあるクランのものだった。
一人はうなじ、一人は左手の甲、一人は右頬。それぞれに彫られているのは、血のように真っ赤な涙滴型の刺青だ。
こんな消せない印を嬉々としてつけるクランは一つしかない。
【アーシャーム】。【生贄】の通称で呼ばれるこのクランは、エデンではあまり好かれていなかった。
まずシンプルに、素行が悪い。
町の方の被害で言えば、飲食店やアイテムショップで難癖をつけて商品を安く買おうとするのはまだ可愛い方で、暴力を振るうことは日常茶飯事。気に入らない店員への人格否定などの暴言や性的な嫌がらせ、ありもしない誹謗中傷を行って営業を傾かせたこともある。
元々用心棒で生計を立てていたこともあるイロハは、その延長でエデンでもクランを通さずに様々な依頼を受けているが、困りごとの中で高確率で挙がるのが彼らの名前だ。それ故、あまり愉快でない対峙をしたことは一度や二度ではなかった。
クラン間での【生贄】の評価も同様で、褒められるものはない。常習的に低ランククランから略奪まがいのことをしているのだから、当然と言えよう。
つまり、【生贄】というクランは顔を合わせる相手としては、考えうる限り最悪な相手なのである。
しかもその内の一人――頬にクラン印を入れている男は、つい数日前にイロハがとある飲食店で摘み出した相手だった。
「さて、どうしたものか」と、しばし考えた末にイロハは踵を返す。
今日にこだわることはない、というのがその理由だ。このダンジョンは、氷が溶けて魔獣が活性化する真夏こそランクがS級にまで跳ね上がるが、それ以外の季節は概ねBランクで安定している。
だから、別に今日でなくてもいい。
残念に思うよりも、むしろ安堵する気持ちを自覚しながら、イロハは胸の内で言い聞かす。
急げば半日ほどでダンジョンからは出られる。クランに帰る頃には真夜中になっているだろうが、盟主には「遅くなるかもしれない」と伝えているので問題ないはずだった。
そんなことを考えながら十歩ほど歩いたところで、イロハは足を止める。
決断は、少し遅かったようだ。
「よお、千里眼」
振り返った先、洞の入口にいたのは【生贄】の三人だった。声をかけたのは、頬に刺青のある男である。なお、名前は知らない。
「スキル名で人を呼ぶな。不愉快だ」
「不愉快? コソコソと覗き見しといて、よくそんなこと言えるな」
嘲るような男の声に、イロハは唇を歪める。
「気遣い、と言ってもらいたいね。あんただって、自分がボロ負けした相手のツラなんて見たくはないだろう。氷使い」
返された皮肉に、男がぐっと詰まった。
その隙に、イロハは両脇に控える二人に素早く視線を走らせる。先の氷使いの男は野営用の装備を背負っていたが、こちらは代わりに山ほどの大瓶を背負っていた。中に入っているのは泉の水で間違いないだろう。かの水を使ったポーション類は極めて高い効能を持つため、道具屋に卸せばそれなりの高値で取引してもらえる。
(しまった。俺もコトワリに持って帰ってやれば良かったな)
イロハが思い出したのは、クランメンバーの一人、ポーション精製能力を有する雑貨店店主だ。思いつきに近い形で出発したため用意はしていなかったが、持ち帰れば喜んでくれただろう。
「そういえばお前、ずいぶんと軽装だな」
考えを読んだわけではないだろうが、氷使いが怪訝な顔をした。
それもそのはずで、彼らが持っている野営装備などをイロハは一切持っていない。
《アルバスデウス》は十の階層から成るダンジョンであり、大小多くの洞を有する複雑な構造を持つ。夏季以外は氷や雪で多くの道が閉ざされるため多少はマシだが、その分行き止まりや魔獣の住処にぶつかる可能性が高い。
そのため、冬季の最深部到達時間の平均はパーティー三人で一日半。野営装備は必須と言えるだろう。
だが、それはあくまで平均。
イロハの千里眼然り、遠見や透視のスキルを持つ者にとって、迷路は迷路にあらず。単なる雪の積もったダンジョンと同じである。
もっとも、そんな事情を彼らに説明する義理はイロハにはない。不毛な会話を打ち止めにするためにも、黙って肩をすくめるにとどめた。
これで放っておいてくれれば互いに平和だと思うのだが、相手は終わりにする気はないらしい。
深入りされたくない、というイロハの様子を敏感に嗅ぎ取ったのか、ねちっこい笑みを浮かべて言葉を続ける。
「こんなとこまで来て、散歩ってわけでもないだろ。その様子じゃ素材集めってわけでもねえし」
「俺がどこで何してようが勝手だろ」
感情的にならぬよう気をつけながら、イロハは答える。
別に悪いことをしているわけではないが、彼らに目的を知られるのは嫌だった。しかし、良くも悪くも勘の働く者というのはいる。
イロハから見て、氷使いの右隣にいる小柄な男が「ははーん、わかった」とわざとらしく言った。これまた、覚えのある顔である。数ヶ月前、支援要請を受けてイロハが同行した別クランから、素材を奪おうとした中の一人だ。確かスキルは脚部強化《レッグバフ》だったか。
「お前、あの噂試しに来たのか」
恐らくは単なるカマかけだったのだろう。それでも、男の言葉はイロハの顔をこわばらせるには十分だった。
「なんだそれ?」
怪訝な顔をしたのは、最後の一人だ。イロハは知らない顔だが、丸々とした体つきからして戦闘職ではなさそうである。おおかた、罠の解除や水が本物か見るために連れてこられた鑑定眼持ちといったところか。
「この水は人の善悪を量れるって話さ」
小柄な男の言葉に、他の二人はわずかに目を見開く。
「昔はこの水を罪人に飲ませて、その味で罪の重さを決めたらしいぜ。ま、清廉潔白な生き方してたら気にもならねえだろうが」
小柄な男の言葉に、ようやく合点がいったらしい氷使いの男が「なるほどなぁ」と唇の端を吊り上げた。
「そういうことなら、せっかく来たんだ。分けてやるよ」
手を伸ばした彼が、小柄な男の背に負った瓶を一本手に取り、イロハに向けて差し出す。無言のまま目を細めたイロハの反応は、おおいに彼らを満足させたらしい。
「ほら、遠慮するなよ。知りたいんだろ」
ますます笑みを深めた相手に、イロハは乱暴に舌を打った。男達の笑みが凍りつく。
「いらねえよ」
底冷えのする低い声に、男達の顔から笑みが消える。
「あ? なんだ、その態度。喧嘩売ってんのか?」
「馬鹿かお前。確実に勝てる勝負を喧嘩とは言わねえよ」
蔑みも憐憫も、この手の相手にはいらない。「ごく当然のことを、当然のごとく言った」そういう態度が、一番効くのだ。
イロハの予想通り、彼らは完全に戦闘へのスイッチが入ったようだった。言葉や態度で示しても分からない相手には、|暴力《これ》が一番手っ取り早い。
薄っすらとイロハは笑った。結局、自分も同じ穴の狢なのだ。
間合いは十分にある。
相手で一番早いのは、脚力強化の男だろう。だが、彼の間合いは超近距離。イロハに近づくまでに数秒の間を要するため、その間に射止めることは簡単だ。
では氷使いはどうか。
彼の場合は空気中の水分を使って氷を顕現させる必要があるが、自分の手元にしか作れない。もちろん、その後に投擲したりは可能だが、イロハはその隙を与えるつもりはなかった。放たれた矢をピンポイントで凍らせる技術を持っていないのは、先日の一件で確認済みだ。そして、周囲の氷を――自分よりはるかに大きい物量を自在に操るには、あの男の習熟度は未熟に過ぎた。
脚力強化やもう一人との連携もあるかもしれないが、三人程度なら戦術も限られる。何とかなるだろう。
そもそも、スキルを使うまでもないかもしれない。彼ら程度の練度では、連携するために目配せなどの合図《スキ》が必要だ。
それさえ逃さなければ、動きを読むのは容易い。
結論。
殺しはしないが、服に二、三箇所穴が開くくらいは我慢してもらおう。
「舐めやがって」
小柄な男が低く腰を落とす。いつでも矢を抜けるよう、イロハも軽く右手を曲げた。
と、そこで。
空気を震わせる咆哮が轟いた。
目の前の三人が肩をびくりと跳ね上げる。
「なんだ……?」
イロハも素早く辺りを見回した。反響していて距離は判別しにくいが、音源自体はそう遠くはない。
「チッ、もう来やがったか」
氷使いが乱暴に言い捨てたのを皮切りに、三人が一斉に走り出す。その進路上にいるイロハのことなど、すっかり眼中にないようだった。
むしろ邪魔だとばかりに押し除けて奥の出口に向かう逃げっぷりは、いっそ見事と言ってよいだろう。
ただならぬ様子に、とりあえず踵を返したイロハも走りながら千里眼を発動させる。
仮想視点を後方に定め、細かい位置を調整。
現実に流れる視界とは別の景色が、次々と脳内で切り替わっていく。三人が出てきた洞の中、異常なし。洞内左から伸びる通路の奥、行き止まり。正面通路、異常なし。その隣の通路。覗いた途端、スキル阻害の罠《トラップ》でもあったのか暗転。強制的にスキルを停止させられ、一瞬だけ意識が飛ぶ。
崩れた姿勢を転ぶ前になんとか立て直し、再びスキルを発動。
そこで再度、咆哮が響く。さっきより近い。おかげで大まかな方向が把握できた。
イロハが走る道の後方。洞から出てすぐに左右に伸びる横穴のうち、向かって右側の穴奥。
そこに、一匹のドラゴンがいた。
白銀の鱗に金色の角と爪。スキル越しでもわかる堂々とした体躯は、神の獣と言っても過言ではない美しさだったろう。
――白目を剥き、とめどなく唾液を溢れさせてさえいなければ。
白竜《ホワイト・ドラゴン》。
《アルバスデウス》が一時期だけでもS級に跳ね上がる要因たる魔獣の姿が、そこにはあった。
「おい、どういうことだ!」
即座にスキルを停止し、イロハは前を走る男達に怒鳴った。
彼らの態度からして、このドラゴンのことを知っていたのは明らかだ。案の定、チラリとイロハを一瞥した氷使いが忌々しげに吐き捨てる。
「ああ?! てめえに話す義理はねえよ」
「ふざけんな! 何もしてねえのに、真冬に白竜が凶暴化するはずあるか!」
普段の白竜は、その巨体に反して温厚かつ思慮深い魔獣である。鱗の硬さもさることながら、回復力の高さから並の攻撃ではまず傷をつけることは不可能。人ごときが多少攻撃したところで、よほど腹が減っていない限りは相手にもしてもらえないだろう。
そんな白竜が正気を失い暴れ狂う唯一の季節こそが夏季であった。その原因は、このダンジョンの一部に生える植物である。
紅焔花《ピクラリダ》。
ドラゴン潰しの異称で呼ばれるタンポポに似たこの多年草は、竜種が食せば興奮状態に陥り、強い攻撃性を発揮させる。
主な群生地は雪と氷で閉ざされているが、氷が溶ける夏季だけは生育期と重なることもあり、多くのドラゴンが口にしてしまうのだ。あるいは、人間で言うところのアルコールのように、彼らにとっては一種の嗜好品扱いなのかもしれない。
さらに厄介なことに、白竜は紅焔花を体内で分解・貯蔵することで可燃性の強いガスを生成して攻撃に転用できる。
イロハが千里眼で視た白竜は、どう見ても正気ではない。
このダンジョンで白竜をあそこまで狂わせるものといえば、紅焔花をおいて他にはないだろう。問題は、どうしてこの季節に白竜が紅焔花を食せたのかである。
何かの要因で、群生地に繋がる道が開けてしまったのか。
考えながらも、イロハは身を捻って後方を確認する。
三度の咆哮と、氷壁が崩れる音。穴の奥から、先ほど確認した威容がゆっくりと現れるところだった。距離は数十メートルしか離れていない。イロハ達にとっては遠いが、相手はちょっとした豪邸ほどの体躯である。すぐに追いつかれるだろう。
「くそ」
小さく毒づき、イロハは再び前方へと顔を向ける。
前を行く三人も、ちょうどイロハの肩越しに敵の姿を確認したところらしい。目に見えてその顔が引き攣っていた。
ゆっくりと白竜が足を踏み出す。それだけで地面が揺れ、周囲の氷が砕けて舞った。
「う、おおおおお!」
足を止めた氷使いが意を決したように叫び、右腕を高く掲げる。広げられた手のひらに冷気が渦を巻き、見る間に一メートルほどの紡錘形の氷が成形された。
「くらいやがれ!」
大きく振り下された腕の動きに合わせ、巨大な氷のナイフがイロハの頭上を飛び越えて白竜へと向かう。
もしも当たっていれば、いくら白竜といえど多少のダメージにはなっただろう。
――当たっていれば、だが。
白竜が大きく口を開く。
不自然に膨らんだ喉が上下し、ただでさえ赤い口腔内がさらに明るくなった。
一瞬後、熱い風が四人の全身を撫でていく。
白竜が吐き出した熱波の余波だ。当然ながら、それは飛んでいった氷塊を一瞬で蒸発させていた。
「……だろうな」
ぼそりと呟き、イロハは氷使いへと視線を戻す。
恐らくは、あれが彼の持てる全力だったのだろう。目を大きく見開いた男の顔に浮かぶのは死への恐怖と、プライドが粉々に砕かれた者特有の絶望だ。
足を止めた彼に釣られて、他の二人も呆然と立ち尽くす。
打ちひしがれたその姿に、イロハは大きく顔を顰めた。
あの様子では、彼らはもう戦力にはならないだろう。放っておいたら、踏み潰されるか焼き殺されるか、あるいは丸呑みにされるか――。
「ああ……ったく!」
そこまで考え、イロハは完全に足を止めた。
彼らを助ける義理はないし、そこまで自分はお人好しではない。
だが、ここで彼らを置いて自分だけ身を隠すのも寝覚めが悪すぎた。
では、彼らを叱咤激励して共闘でもするか。
浮かんだ考えを「無理だ」と即座にイロハは切り捨てる。
脚力強化は強力だが、間合いが悪い。あの竜相手だと、近づく前に火炎の餌食だろう。では氷使いは? 先ほどの攻撃を見る限り、あれが全力。加えて、それを防がれたことで完全に腰が引けている。もう一人は非戦闘員。すでに失神寸前で震えている。
――だから、イロハは彼らに期待することを諦めた。
「右手三つ目に出てくる横穴に入れ。そのまま真っ直ぐ行けば、出口までの最短経路だ」
身体ごと白竜に向きなおるイロハの言葉に、背中から息をのむ気配が伝わってくる。ついで、「ハッ」と嘲るような声。
「俺たち助けて、お仲間みたいな良い子ちゃんになろうってか?」
そこに宿る揶揄の響きに、イロハは矢筒に伸ばした手を止めた。
「――ごちゃごちゃうるせえな」
口をついて出たのは、ひどく冷たい声だった。
「弱い上に足止める覚悟もねえなら、さっさと行けよ。邪魔なだけだ」
普段のイロハなら、もう少し彼らのプライドに斟酌して言葉を選んだかもしれない。だが、彼とて聖人君子ではないのだ。感謝されたいと思って足を止めたわけではないが、さりとて無礼な言葉を投げられて良い気分はしない。むしろ腹を立てるなと言う方が無理であろう。
くわえて、男たちの自尊心を慮ってやるほどの余裕もなかった。
(まずいな)
矢をつがえながら、イロハは胸中で一人ごちる。
狙いが定められない。
遠くはあるが、相手が巨体なので当てるのは難しくない。問題はどこに当てるか、だ。
さすがに関節は真正面からは無理だろう。何より、竜種は関節であろうと鱗に覆われている。隙間に捩じ込んだとて、肉までは届かないだろう。この距離なら威力も落ちるから尚更だ。
眼。狙えないことはないが、スキルの補助なしではさすがに難しい。それに、高い回復力を持つ白竜相手では、ダメージとなる前に回復されてしまう。
そもそも、矢を放ったとて焼き尽くされるかもしれない。
千里眼を使うまでもなく、攻撃が成功する可能性がまったく見当たらなかった。勝利の糸口すら定められないまま未来を読んでも、無駄に疲労するだけだ。
例えるなら、大河に落ちた一本の糸をなんの手がかりもなく手繰り寄せるに等しい。スキルで河の情報を全て知ることはできても、イロハにはそれを正確により分けることは不可能だった。
迷いが圧力となり、額に冷や汗を滲ませる。この時、すでに彼の頭から背後の三人のことは抜け落ちていた。
まさか、この状況でこれ以上絡んでくるとは考えてもみなかったのである。
「……偉そうに」
低い声。背筋に悪寒が走る。
覚えのある感覚だった。
――誰かに背中を狙われる感覚。
咄嗟に横に跳んだイロハの左脛を抉って、氷でできたナイフが雪に突き立った。白に赤が散る。棒立ちなら、確実に足が貫かれていただろう。
「……っ」
避けたはいいが、片足では勢いのついた体を支えきれず、イロハは肩から地面に倒れ込む。
「てめえ、何を……」
「お前が悪いんだ」
見上げた先では、顔をこわばらせた氷使いが笑みらしきものを浮かべていた。
「偉そうに命令するんなら、お手なみ拝見させてくれよ。あんたがそこで足止めしててくれるなら、俺たちも安心して逃げれる」
たたみ掛けるように言ったのは、脚力強化の男だ。
「……つくづく、見下げ果てた奴らだな」
「先に僕らを馬鹿にしたのはお前だろう!」
詰るように小太りの男が叫んだ。
呼応するように、背後で白竜が吠える。あるいは、イロハの足から流れ出る血の匂いを嗅ぎつけたのかもしれない。身を捩ると、金色の瞳と目が合った。白竜の大きな眼球が、しっかりとイロハの方を見据えている。
視界の外で、三人分の足音が遠ざかっていく。わずかにイロハは身じろぎした。足の傷は刺さらなかった分出血が激しく、すでに感覚はないに等しい。
(ちくしょう)
弓を構える。踏ん張りがきかないので、当然ながら飛ぶ気がしない。
それでも、何もせずにここで死ぬのだけは我慢がならなかった。絶望や悲嘆よりも、彼らの思惑通りに死んでたまるかという思いがくる自分に、イロハは内心で苦笑する。
見つめ合ったのは一秒か二秒か。
もしかしたら、もう少し長かったかもしれないし、短かったかもしれない。
だらしなく隙間を見せていた白竜の口が、さらに大きく開かれていく。同時に腹が大きく膨れ、喉にぼこりと瘤が浮かび上がった。
竜息《ドラゴンブレス》。
考えるよりも前に、咄嗟に身体が動いていた。避けれないなら、せめて急所は守ろうと両腕を上げて顔の前で交差させる。
轟音。
閉じた瞼越しでもわかる暴力的な光の渦と熱が全身を包んでいく。何かが焦げる匂いと、バキバキという乾いた音。一際大きなその音が、周囲の雪氷が溶けて崩れたものだと気がついたのは、濁流に飲み込まれてからだった。
そして、話は冒頭に至る。
今のイロハは正真正銘の丸腰だった。
炎の中でもかろうじて持っていた弓も、氷水に流された際の衝撃で弾かれていった。
どこまでも青い世界。不規則に揺れる波の模様がやけに眩しい。熱いのか冷たいのか分からない感覚の中で、手を伸ばす。
唐突に周囲が暗くなり、遠くの水面にゆらりと大きな影が映った。水が重く揺れ、上方で大きな泡が幾つも発生する。何か大きなものが水中を潜ったのだろう。恐らくは、白竜の――
考える前に、腹に衝撃。
痛いというより、重いと称する方が的確な一撃が背中に抜けていく。
ついで、猛烈な違和感。その正体を考えるより先に、答えが目の前を通り過ぎる。赤黒い糸を引きながら凶悪に光る大きな爪が、視界を分断するようにゆっくりと引き上げられていく。
自身の身体からソレが抜けていく様を見て、思い出したように苦痛がやってきた。
ごぼ、と一際大きな気泡が弾け、冷たい水が喉に押し寄せてくる。それとは真逆に、熱いものが喉を駆け上がっていく感覚。
苦しい。痛い。熱い。
鼻の奥がツンとし、涙が勝手に溢れてはすぐに水に混ざっていく。
霞がかったように白く染まっていく視界と、遠くなっていく意識。
何も見えない中で、水中のそれとは異なる浮遊感が不意に全身を包んだ。
白の中で何かが瞬いている。
それは、無数の0と1の羅列だった。赤、青、緑、ピンク、燈色と、様々な色を持った二つの数字が白い世界を埋め尽くす勢いで蠢いている。
数字は、イロハの指先からも出ていた。というより、指先が0と1に分解されていると言った方が正しい。
奇妙な感覚だった。
己の体は確かに冷たい水中に没し、今も刻一刻と死に近づいているはずなのに、もう一つの意識の中では真っ白な空間で大量の数字に囲まれている。
指先は冷たく、腹の傷は塞がらない。
だというのに、その指は今も形を崩して数字へと変わっているのだ。
空中に放り出された数字はしばらく空中を漂い、やがて引き寄せられるように渦を巻きながら彼方の一点へと収束していく。
きっと、あそこに神とやらはいるのだろう。そうしてイロハが死ぬと、金品を回収するというわけだ。
いよいよ視界が狭まっていく。朦朧とした意識の中、ふとイロハの中に皮肉な想いが浮かぶ。
――いったい、ソイツはどんな面をして見物しているのだろう
何故そんなことを考えてしまったのかは分からない。
どうせ死ぬのなら、という自暴自棄な思いも手伝って、イロハはスキルを発動させる。
死にかけの体でハロを行使したからだろう。自分の中で、何か大事なものがごっそりと欠けていく感覚が広がっていく。
かまわず、白の彼方に焦点を合わせる。
弾かれない。かちり、と頭の中で何かが噛み合う感覚。
視えた。
瞬間、流れ込んできたのは『けたたましい』としか表現できないような情報の奔流だった。
ERROR_NOTIMPL
ERROR_FAIL
ERROR_ACCESS_DENIED
ERROR_UNKNOWN
ERROR_Re■usci■at■■■ REQUEST_PAUSED
PROCESS_TP.Re■usci■at■■■ REQUEST
PROCESS01_IN_PROGRESS
clear
PROCESS02_IN_PROGRESS
clear
PROCESS03_IN_PROGRESS
error
REQUEST_ABORTED
PROCESS04_IN_PROGRESS
clear
PROCESS05_IN_PROGRESS
clear
PROCESS06_IN_PROGRESS
error
REQUEST_ABORTED
PROCESS07_IN_PROGRESS
error
REQUEST_ABORTED
PROCESS08_IN_PROGRESS
error
REQUEST_ABORTED
PROCESS09_IN_PROGRESS
error
・
・
・
ERROR_STOPPED_ON_Re■usci■at■■■ REQUEST
ぶつん、とどこかで何かが切れる音。
「ぁ……」
ごぶ、と一際大きな血塊が水に溶け、消えた。
◆◇◆◇
背後からの慌ただしい足音に、何事かとティトンは振り返った。すぐ傍でスクワットを行っていたクエルクスも同様だ。
クラン【エル・ブロンシュ】。通称を【白羽】。
そのアジトでもある、草原の真ん中に立つ二階建ての家へと続く一本道を、一人の男が駆けてくる。鎧を着た金髪の男は、ティトンもよく見知った顔だった。【秩序】――正式名称【パレス・オーダー】という、治安維持に力を入れているクランのメンバーである。
道の脇に作られたベンチに座ったティトンや、草原で鍛錬に励んでいるクエルクスには目もくれず、男はノックもそこそこに扉を開けて中へと入っていく。どう見ても、ただ事ではない。
「何かあったのかな?」
ティトンは首を傾げた。
またコトワリがダンジョンの浅瀬で死んだのだろうか。しかし、それなら当人がいないのは不自然だった。それに、朝会った時に「今日は一日店にいるつもりだ」と彼は言っていたはずだ。
アロはさっきまでティトン達の傍でPIYOと戯れていたが、「コトワリさんのお店行ってくるー」と言って出ていったところである。いつも通りの自由っぷりと言えよう。イロハは朝から姿を見ていない。昨日も朝早く出ていったそうだが、その際に盟主に「遅くなるかも」と告げていたそうだ。
今日も早朝に出ていったのか、あるいはまだ帰ってきていないのか。
「またコトワリが死んだんじゃねえのか?」
鍛錬を中断したクエルクスが、汗を拭きながら答える。考えることは同じらしい。
「うん、僕もそれは考えたんだけど……」
「けど?」
「だったら、どうしてコトワリがいないのかなって」
「確かにな」
二人が話していると、家の扉が開いた。【秩序】の彼と共に、白い髪の少年――【白羽】の盟主である梟も出てくる。
「何かあったんですか?」
ティトンの問いに答えたのは、【秩序】の男だった。
「昨日の夜遅くに、このクランのメンバーが教会に転送されてきたんだがな。神父の話だと、復活の儀式をしてもまだ目を覚さないらしい」
彼の言葉に目を丸くしたティトンは、クエルクスと顔を見合わせた。
to be continued……
【エデン】世界の仕組みと神様について② - 透峰 零
2024/12/21 (Sat) 17:03:13
男に案内されたのは、クランから少し離れた西の方にある教会だった。そう大きいわけではなく、神父が一人で切り盛りしている。
「どうぞ」
古いがよく磨き込まれた扉が、【秩序】の男によって開かれる。彼に促され、最初に盟主が、その後に一緒についてきたティトンとクエルクスが並んで入った。
入ってすぐ目に入るのは、ずらりと並んだ礼拝用の会衆席だ。その両側には、上部が優美なアーチを描く大きなステンドグラスの窓が設置され、午後の柔らかな光を室内に差し入れている。
男はそちらには見向きもせずに横切ると、講壇の脇にある扉を開けてさらに三人を促す。白く短い回廊を抜けると、こじんまりとした両開きの扉が現れる。どうやらここが目的の場所らしい。扉の上部には『復活儀式の間』と書かれた木製のプレートがかかっていた。
男の規則正しいノックに、室内から「どうぞ」とくぐもった声が答える。
「失礼します」
男がドアを開ける。
礼拝堂ほどの広さはないが、同等の明るさがあるこざっぱりとした部屋だった。だが、部屋の広さに反して人の気配がないせいか妙に寒々しい。
中には寝台に似た石の台が五つ。そのいずれもが、ほのかに白い輝きを宿している。
「どうも、わざわざ済まないね」
そう言ったのは、部屋奥に佇んだ中年の神父だった。
だが、彼の傍にある寝台に見知った顔を見つけ、ティトンは挨拶することも忘れて思わず息を呑む。
「イロハ……」
代わりに名を呼んだのはクエルクスだ。
二人の前に立っていた盟主が、ゆっくりと神父に向けて頷く。
「うん、確かに。うちのメンバーで間違いないかな。近くに寄っても?」
「どうぞ」
「ありがとう――二人も、良ければ一緒に確認してもらえるかな」
盟主に言われ、ティトンとクエルクスも固い顔のまま寝台に近寄る。
見慣れた白い顔。閉じられた瞼。胸の上で組まれた両手。いつも首の後で束ねている黒髪は、死ぬ過程でほどけたのか寝台の上に広がっている。
静かに上下する胸や穏やかな表情もそうだが、こんな場所でなければ昼寝しているだけに見えただろう。
「今までこんなことは?」
「ありませんよ。だから問題なんです」
盟主に問われた神父が、小さく肩をすくめた。
「それに、他にも奇妙な点はありましてね。ログがないんですよ」
神父が指差す先は寝台の下部だ。通常ならばそこには、彼ら聖職者が「ログ」と呼ぶ死亡時刻と場所の情報が、転送と同時に浮かび上がってくるという。
ところが、イロハの寝台にはそれがない。
より正確に言えば、情報はあるのだがそれが読み取れないのだ。
「ほら、ここ。何か書いてあるのは分かるんですけど、意味を成さないようなめちゃくちゃな並びなんですよ。文字の色もそう。普通なら青色なんですけど、彼の場合は赤色だから気味が悪くて」
「確かに。これじゃあどこかわからないね」
赤い文字の群れをしげしげと眺めていたティトンも、神父の言葉に同意する。
「ったく。他人《ヒト》の失せ物探すのは得意なくせに、てめえが行き先不明になってどうすんだよ」
呆れたように言ったクエルクスがイロハの頬を引っ張る。が、すぐに眉を寄せて手を離した。
「おい。こんな場所で寝こけてるわりには、こいつやけに血色いいな? 体温も普通みたいだし」
「ああ、それですか。どうも、その辺りも転送した状態で固定されてるみたいなんですよね。昨日からずっと同じなので」
「どうりで。割と本気で引っ張ったのに、跡すらついてねえ」
ふん、とクエルクスは不愉快そうに鼻を鳴らす。先ほど彼につねられたイロハの頬は、赤くもなっていない。
そういえば、とティトンは神父に問うた。
「装備とかは一緒に転送されてきてないんですか? もしかしたら、どこに行ったかの手掛かりになるかも」
「それならあちらに」
神父が指差したのは、部屋の隅の暗がりだ。そこには、ティトンにも覚えがある肩掛け鞄と矢筒が置かれている。クエルクスが小さく舌をうった。
「なんかあれば良いけどな」
「というと?」
「あいつ、一人の時は強行突破でさっさと帰ること前提だからな。最低限の装備しか持って行ってねえんだよ」
「何ていうか……イロハらしいねえ」
苦笑し、ティトンは鞄の中をあらためる。中身は、以前見た時と大きく変わっていない。
火付道具と水筒、小ぶりのナイフ等々。金貨が数枚。ということは、彼は少なくとも蘇生代は身につけていたのだろう。
「あれ?」
と、そこで違和感を覚える。何かが足りない。けれど、それが何か分からない。
「ねえ、クエル」
「こいつ、弓はどうした?」
指摘され、その足りないものの正体に思い至ったティトンは思わず「それだ」と口に出した。
「ダンジョンに行ったなら、持っていたはずだよね?」
「だな。んでもって、それを易々と手放すとは思えねえ」
「いっつも言ってるもんねぇ」
二人の会話に気がついた盟主が、「言ってるって、何を?」と尋ねてきた。
クランメンバーの間では当たり前になっているが、共にダンジョンに潜らない盟主は知らないのかもしれない。
「半分冗談なんですけど、『俺が死んだら弓だけは持って帰ってね』って、よく言ってたんです」
「蘇生代の足しにされるなら、まだ他のものの方がマシだからってよ」
口々に言いながらも、二人の頭に浮かぶ疑問は同じことだ。
通常、武器などの装備は少し離れたところにあったとて、直前まで持っていた者の所有物と認識される。イロハの手荷物に金貨が余っていたということは、蘇生代の足しに神が持っていったことはないだろう。
つまり、考えられる可能性は二つ。
死ぬ前に彼自身が誰かに譲渡したか、あるいは――死んで生き返るまでの僅かな間に、何者かが新たな所有者となったか。
◆◇◆◇
時間は少し遡る。
ちょうどティトンとクエルクスが教会に向かっている頃、コトワリは店のカウンターに積み上がる謎の生き物を半眼で眺めているところだった。
「アロさん、何をされてるんです?」
「PIYO積みだよー。コトワリもやる?」
「いえ、結構」
青や黄、桃色に緑。どこから手に入れてくるのか不明だが、アロは色も形も異なるPIYOを器用に積み上げていく。
「お客さんが来たらどかして下さいよ」
「はーい」
そんなことを二人が話していると、折よく店の扉が開けられた。
「おや、いらっしゃい」
入ってきた人物を見て、コトワリはちょっと眉を上げた。知った人物だったのである。
「ギャザーさん、今日はどうされました?」
「いやぁ、その……店に用があるわけじゃないんだけど」
歯切れ悪く言ったのは、素材収集クラン【ポケット・ポケット】、通称【PP】のメンバーであるギャザー・レウニールである。
「けどー?」
「何か用があって来たのには変わりないんでしょう。ああ、クラン員への贈答なら、名前を書いてそこの籠に入れといて下さい。後で渡しておきますから」
慣れた様子で部屋の隅に置かれた三脚の上の籐籠を示すコトワリに、ギャザーは慌てて両手を振った。
「いやいや、違うんだって。そのさ……イロハ、どうしてるかなーと思って」
「イロハさんですか? 盟主の話だと、昨日の朝から出かけてるみたいですけど」
コトワリはアロの方に顔を向けるが、彼も同じらしく「知らないよー」と首を横に振っている。
「何か困り事ですか? それとも支援要請?」
言いながらも、晴れないギャザーの顔に「どうやら違うらしい」とコトワリは予想をつける。
では、一体何だというのか。胸に嫌な予感が湧き上がってくる。
「見間違いならいいんだけどさ……。さっき【生贄】の奴らとすれ違った時に、イロハのと似た弓を持ってたから気になって。ほら、あいつの弓って地味すぎて逆に目立つから」
所在なさげに指を上下に揺らし、ギャザーは扉の方を指差した。
to be continued……
Re: 【エデン】世界の仕組みと神様について③ - 透峰 零
2025/01/04 (Sat) 00:15:54
「確かに、そうですね」
コトワリが知る限り、イロハの持つ弓はそう凝ったものではなく――だからこそ、目を引くものではあった。
機械仕掛けのボウガンや、ロングボウではなく、女子供でも扱えそうな短弓だ。
幾つかの材質を組み合わせた複合弓だが、目を引くのはそこに魔獣の素材がまったく使われていないことだった。恐らく彼がエデンに辿り着く前から使っていたものなのだろう。
もう少しいいものを持たないのか、とコトワリもそれとなく聞いてみたのだが、彼は笑って「これが一番いい」と言っていた。
現に、彼の弓はよく飛ぶ。初級の冒険者が持つような木を組み合わせたようなもののくせに、だ。
彼自身の腕やスキルとの相性もあるのだろう。慣れだってある。
それでも、彼が他の弓で引く時は確かにあの弓に劣っていた。
「コトワリ?」
ギャザーに呼ばれ、我に返った。戸惑い顔のまま彼は続ける。
「そいつら、ダンジョンで拾ったから売りにいくって話しててさ。たまたま聞こえたんだけど、気になって」
その言葉に、コトワリは自分の口元が引き締まるのが分かった。
「彼ら、売りに行くと言っていたんですね?」
「お、おう」
答えを聞いた時には席を立っていた。アロの方も、すでに入口に移動している。
「ちょっと店番お願いします。行きましょう、アロさん」
「はーい」
ドアを開けて待ち構えていたアロと共に外に出れば、昼下がりの陽光が二人を出迎えた。
「でもコトワリさん、場所は分かるのー?」
「分かりませんよ。けれど、ギャザーさんは「さっき見た」と言ってました。ということは、この近くには間違いない。職人通りにでも行ってみましょう」
その言葉でアロにも分かったのだろう。重ねて尋ねてはこなかった。
エデンにある店の数は、武器屋だけでも十は下らない。防具屋などが兼用しているものも含めれば、もっとその数は増えるだろう。店舗位置も、なんとなく固まってはいるが個人経営で細々とやっているところもあるため、きちんと統計を取れば果たしてどれだけの数があるのか。
そんなわけで、コトワリが最初に向かったのはエデンで武器防具を扱う店が集まる一画だった。幸いというべきか、場所はここからそう遠くない。体力のないコトワリの足でも、十五分もあれば事足りる。
「当たったー」
「そうですね」
珍しくよそ見をしないアロが前方を指差した。赤煉瓦が敷き詰められた鍛冶屋町の大通りの入口で、息を整えがてらコトワリも立ち止まる。
二人の視線の先。ちょうど近くの店舗から、見覚えのある刺青を施した一団が退出してきたところだった。数は三人。距離にして五メートルもないだろう。
「ケッ、しけてやがるぜ」
その内の一人、頬に刺青のある男が店に向かって唾を吐きかけた。その隣で「デカいからって調子のってんだよ」と小柄な男が同意を示す。
二人から少し遅れて出てきた小太りの男は「本当、ひどいよね」と、小刻みに首を上下に振っている。彼の手にある弓は、確かにコトワリにも覚えのあるものだった。背を向けて去りかける三人に、コトワリは咄嗟に声をかける。
「待って下さい」
「あ?」
振り返った小柄な男が、低音で唸った。普段ならば「何でもないです、失礼しました」と回れ右をしたくなる種類の声音である。というか、目すら合わせたくはない。隣にいたアロも意外だったのか、ぱちぱちと目を瞬かせてコトワリを見つめている。
臆病に波打つ心臓を深呼吸で黙らせ、コトワリは彼らを刺激しないように慎重に言葉を紡ぐ。
「その弓をどこで?」
「はぁ?」
小柄な男が、片目を眇《すが》めて威嚇するように首を傾けた。
「なんだぁ、お前? 関係あんのかよ」
「うちのクラン員の持っている武器と似ているもので……。失礼ですが、確認させて下さい」
真っ直ぐに差し出したコトワリの右手。そこに輝くハロを一瞥した男の唇が「ああ」と、嘲弄の形に歪む。
「誰かと思えば、白羽の雑魚店主とPIYO野郎か」
男自身のハロは、言うだけあってそれなりに大きい。左足首に輝く丸と四角がズレて重なりあった図形は、人の顔面くらいの大きさはある。
ぐっと唇を引き結んだコトワリの顔を下から覗き込み、ことさら煽るように男は言葉を重ねる。
「これはな、俺たちがダンジョンで拾ったんだよ。お前みたいな雑魚一人じゃ到底行けないダンジョンの底でな」
「そ、そうだよ。証拠もないのに、妙な因縁つけないでほしいな」
小太りの男も甲高い声で主張する。媚を含んだ、嫌な声だった。その援護に力を得たのか、小柄な男は腕を組んでニヤニヤとコトワリを見つめていたが、ふと片眉を上げて傍の男をふり仰いだ。
「なぁ、ガルヴァ。お前も何とか言ってやれよ」
促されたのは、今まで黙っていた頬に刺青を持つ男だ。
「何とかって。そもそもお前ら、そんな奴ら相手にするなよ。時間の無駄だろ」
彼はコトワリの方を見もしなかった。馬鹿にする価値もない、と言わんばかりの態度である。
「そもそも、武器がわかるくらい戦闘に連れて行ってもらってんのかも怪しいし?」
「確かにな。足手纏いだし、置いていかれてるだろ」
「!」
痛いところを突かれ、コトワリは息を呑んだ。確かに、コトワリはティトンやクエルクスに比べて彼と共に戦闘に参加する機会は少ない。
その数少ない戦闘の最中では武器に注目する余裕などないし、彼らの動きは早すぎた。
同じ後衛職だから並んで歩く時はどうかと思考を巡らせれば、そもそも並んで歩いた記憶がほとんどない。
なぜか。非戦闘職であるコトワリを守るためだ。前衛にはティトンとクエルクスがおり、アロは武器と本人の自由度の高さからポジションの固定はされていない。そうなると、戦闘力のないコトワリを真ん中にして安全性を高めるためには、必然的にイロハが殿が務めることになる。
だから、コトワリはダンジョン内で彼と並ぶことはほとんどなかった。
けれど、とコトワリは挫けそうになる己に言い返す。
戦闘中でなくても、自分は彼の弓を覚えているはずだ。
クランの庭で、ベンチに座って手入れする姿を知っている。その指の形すら、克明に思い出せた。
「……それでも」
「そこまで気になるなら本人に聞いてみたらどうだ? まぁ、《《聞ければ》》だがな」
言い募るコトワリに被せるように、ガルヴァが歯を剥いた。他の二人も「ああ、そりゃ良いな」「どうなったんだろうね」と言って、ゲラゲラと笑いを重ねる。
奇妙な言い回しに、コトワリは己の眉が寄っていくのが分かった。
「どういうことですか?」
「どうもこうも、そのまんまの意味だ」
追及する前に、コトワリは今までの流れを整理する。
考えてみると、確かにおかしい。そもそも、イロハがおいそれと大事な武器を落としたりするだろうか。答えは否だ。
では彼らが奪った? それも考えにくい。売るにしても旨みが少ないし、イロハが許さないだろう。しばしば誤解されるが、別に彼は非戦主義者ではない。沸点は高いし普段は温厚であるが、暴力にはしっかり暴力で返す。
右の頬を張られたら次の瞬間には相手の両頬を拳骨で殴るくらいには切り替えが早い。もっとも、そうでないと用心棒などつとまらないのだろう。
考え込んでいると、話は終わったとばかりに、三人が再び踵を返す。
その前に立ち塞がる人物がいた。
「なんだ。今度はお前か、PIYO野郎」
「返してよ」
三人――特に、後方で弓を持つ小太りの男をまっすぐに見つめたアロが平坦な声で言った。普段のころころとよく変わる豊かな表情はなりを潜め、感情の読めない琥珀色の瞳が三人を睥睨する。
その変わりようにはコトワリも少なからず驚いたが、相対した三人の衝撃はそれ以上だったらしい。
返す言葉を咄嗟に出せない彼らに向けて、アロが無言で一歩を踏み出す。
「……っ」
びくり、と小柄な男が肩を跳ねさせた。だが、すぐにそんな自分を恥じるようにアロを睨みつける。
「……だから、嫌だっつってんだろが!」
裏返った声と同時に、足首にある男のハロが淡く輝きを帯びた。瞬間的に跳ね上がった右足が、迷いなくアロの顔面に向かっていく。
思わず目を瞑ったコトワリの耳に、甲高く乾いた音が届いた。
to be continued……
Re: 【エデン】世界の仕組みと神様について④ - 透峰 零
2025/01/26 (Sun) 17:14:54
しかし、予想に反してアロの悲鳴はいつまで経っても聞こえてこない。代わりに聞こえたのは、聞き覚えのある爽やかな声。
「良くない。街中での無用なスキル行使は良くないよ」
目を開いたコトワリの前でひるがえったのは、端を黄色く染められた白の長髪。
「げっ」と【生贄】の三人が呻き声を上げた。
「ダック隊長〜?」
いつもの間伸びした口調に戻ったアロの呼び声に、目の前の人物が振り返る。
「昨日ぶりだね、アロ君」
きらりと白い歯を輝かせたのは、クラン【ダンスインザダック】のリーダー格である男である。通称はダック隊長。彼の本名を、少なくともコトワリは知らない。
「それで、これは一体どういうことかな?」
再び体を反転させた彼が、今度は【生贄】の三人に向き直る。その手にあるのは、恐らく蹴撃を受け止めたであろう小型のナイフだ。護身用にしか使い道のなさそうな頼りない造りのそれで、スキルののった攻撃を受け止めたのだとすると相当な腕前だ。ナイフは鞘から抜かれていないが、彼がその気になれば目の前の三人を制圧することは容易いだろう。
戦闘技能においては素人同然のコトワリでも、それくらいは理解できた。
「別に」
先ほどアロに蹴りかかった男が、しゃがみ込んだままで吐き捨てる。攻撃を受け止められた際に、衝撃を逃がすのに失敗したのかもしれない。
「因縁つけてきたのは、そいつらが先だよ」
「ほう」
ダックが目を瞬かせる。
「しかし、何か理由があるのだろう。そうでなければ、君が蹴りかかるほどに拗《こじ》れることもあるまい」
「さあね。それはそいつらに聞いてくれよ」
コトワリとアロを睨みつけながら、男が立ち上がった。いつの間にか、他の二人は既に距離を取っている。ダックの仲裁を幸いに、逃げるつもりだ。
「待て……!」
コトワリの制止が意味を成すはずもなく。
反転した男は、待っていた仲間二人を伴ってあっという間に雑踏へと紛れていった。
「大丈夫だったかい?」
再び振り返ったダックに尋ねられ、伸ばしていた手を下ろしたコトワリは、力ない笑みを浮かべた。
「はい、すみません」
「余計なお世話かと思ったが、その様子だと私の判断は間違っていなかったようだ」
ハッハ、と笑う彼にコトワリは「ありがとうございます」と頭を下げた。
「隊長さん、ありがとねー」
「なに、アロー君達が無事で何よりだ。しかし、一体どうして彼らと関わることになったんだい?」
軽快だったダックの表情が、わずかに曇る。彼も【生贄】については良い印象を持っていないのだろう。
「実は……」と、コトワリはざっとことの経緯を説明する。聞き終えたダックは「ふむ」と顎に手を当てた。
「確かにアサケノ君の弓は、《《原価なら》》大した価値はないだろうね。もっとも、あれに値段はつけれないだろうが。――そうですよね?」
コトワリの背後に目をやり、ダックが言う。振り返ったコトワリは、そこで初めて己の背後に男が立っているのに気がついた。
猪首のがっしりとした短躯と四角い面は、いかにも職人という外見をしている。恐らくは、先ほど【生贄】の三人が悪態をついて出てきたこの店の主人なのだろう。静かな迫力に押され、コトワリは一歩後ずさる。
「いつからそこに……?」
店主の大きな目がギョロリと動いた。
「お前がそこの隊長に事情を話してる辺りから、かな。騒ぎが聞こえたから、気になって様子を窺ってたんだよ」
「そうですか。それは気づかずに失礼しました」
一礼し、コトワリは男に問いかける。
「それで、先ほどの。値段をつけれないというのは?」
「つけようとしたら、高すぎるんだよねー」
店主より先に答えたのはアロだ。
少し目を丸くした店主は、ついで目元を和ませてアロを見上げた。
「よく分かったな、坊主」
「えへへー。何となくー」
褒められたアロは、くすぐったそうに頭をかいた。
再び難しい顔になった店主は腕を組み、慎重に口を開く。
「あれは、原価だけで言えば本当に大したことはない。何しろ、貴重な素材は一切使ってないからな」
「材料だけなら誰でも揃えられる、と」
店主は真顔で頷いた。
「そうだ。ただな、同じものを作ることは不可能だよ。少なくとも、俺の知る限りエデンで作れる人間はいない。あれはな、恐ろしく手間が掛かってる上に、誰も真似できないような職人技の末に作られたもんだ。俺は弓は専門外だが、木材の一つとっても年単位の時間をかけてるはずだぞ。……一度だけちらっと見せてもらったが、貼り合わせてる木の硬さや種類も全部微妙に異なる上に、動物の骨や腱も複数使ってる。合わせてる膠《にかわ》にしたって、全部調合が違う。はっきり言って変態の所業だぞ、あれは」
なるほど、聞いているだけで頭が痛くなってくる代物である。
「確かに値段はつけれそうにないですね」
それに、簡単に手放すはずもない、とコトワリは胸のうちだけで付け足す。
「まぁな。この界隈だとあいつの弓はおっかなくて触れねえって有名だし、【生贄】の奴らに高額の金を渡す奴はいないよ。みんな大なり小なりアサには世話にはなってるからな」
アサ、と口の中で繰り返したコトワリはそれがイロハのことだと少しして気がついた。
「そもそも、あいつらが持ってくる武器や素材は正規のルートかも怪しいんだよな。混ぜ物が多かったり、呪われてたりするし。ああ、さっき持ってきた爆薬用の紅焔花《ピクラリダ》は珍しくマトモだったか。でもこの間だって」
「あ、あの。次はどこに行くとか言ってませんでしたか?」
放っておけば際限なく愚痴を続けそうな店主の言葉を、コトワリは遮った。
「うん? いや、すまん。特には何も聞いてない」
「多分、そこまで考えてないんじゃないー?」
いつになく辛辣だが、アロの見解にはコトワリも頷くしかなかった。
店主に礼を言い、店内へと戻るのを見送ったコトワリは「さて」と呟いて顎に指を当てる。
「当てずっぽうで追うのも無駄が多いですし……どうしたものか」
ちょうどその時、通りの入り口から新たな一団が職人通りに足を踏み入れた。
彼らが身に付けているのは揃いの赤い石だ。クラン、【赤嘴《ベックルージュ》】。入隊条件にハロの大きさを組み込むなど、実力主義の大手クランである。
その内の一人、白緑色の衣に包んだ少女がコトワリの姿に目を止めて足を止めた。
近くのメンバーに二言、三言断りを入れて輪を抜けてきた彼女が、コトワリの方に早足で向かってくる。
「コトワリくん、偶然だね」
「ゆあさん……」
仲間から離れた途端に弾んだ声をあげる彼女こそ、コトワリの恋人にして【赤嘴】きっての回復のエキスパートである、ゆあだ。
「こんなところで会うなんて珍しいね。あ、もしかして武器屋さんに用があったのはそっちの彼の方?」
ゆあに視線を向けられ、アロがにっこりと笑う。
「アロ・アローだよー」
「ありがとう。私はゆあ、よろしくね」
笑みを返したゆあは、ダックにも小さく頭を下げた。
「お久しぶりです」
「ああ。君の方は相変わらず忙しいようだな」
どうやら、二人は知らない仲ではないらしい。軽い挨拶だけで済ませると、ゆあは改めて首を傾げた。
「隊長さんも一緒って、ますますどういう状況?」
「僕らのクランのメンバーが持ってた武器を、別クランの人が持ってたんですよ。ここで売ろうとしてたみたいなんで理由を聞いたら、逆上されまして……。隊長さんには、そこを助けていただきました。ただ、その間に逃げられてしまったから、どうしたものかと」
ため息をついたコトワリに、ゆあは「大変だったね」と顔を曇らせた。
「売ろうとして失敗したなら……。素材にバラして売ったりするかもしれないし、鍛治クランの方に行ってみたらどうかな?」
ゆあの言葉に、アロが「そっかー」と手を打った。一方、「バラす」という言葉に顔を引き攣らせたのはコトワリである。
先ほどの店主の言葉が本当なら、いよいよ取り返しがつかない。
「ありがとうございます、ゆあさん。行ってみます」
「手伝おうか?」
控え目な提案に、コトワリは小さくかぶりを振った。視界の端では、ゆあを待っている【赤嘴】の面子がコトワリ達に好奇の視線を注いでいるのが見える。あまり彼女に負担をかけさせるわけにもいかない。
「大丈夫ですよ、お気持ちだけもらっておきます」
それでもまだ心配そうな彼女に微笑すれば、隣から「むぅ」というダックの唸りが聞こえた。
「私も一緒に行ければいいのだが……。あいにく、この後はコダック達とダンジョンに行く依頼があってな」
「大丈夫ー」
心の底から無念そうなダックに、にぱっとアロが笑いかける。
「なんとかなるよー。ね、コトワリ」
「……そうですね」
正確には「なんとかしないといけない」ではあるのだが。
しかし、アロの笑顔を見ていると不思議と先ほどまでの焦燥はなりをひそめていた。
案外、「なんとかならない」ことなんて世界には少ないのかもしれない。そんな気持ちのまま、コトワリは足を踏み出した。
to be continued……
【エデン】世界の仕組みと神様について⑤ - 透峰 零
2025/03/15 (Sat) 18:24:30
「とりあえずどうする?」
教会から出たクエルクスは開口一番、ティトンに問うた。盟主はもうしばらく教会に留まるという。
「……職人通りに行ってみよう。武器に関することなら、何か情報があるかもしれない」
顎先を指で摘んで考えながら、さらにティトンは続ける。
「それから、通り道には鍛治クランもあるよね。そっちもついでに当たってみよう。ないとは思うけど、拾ったなら素材として売る連中が現れるかもしれない」
「そうだな。片っ端から聞いて回るか。あんな骨董品、持ってる奴がいたら相当目立つはずだしな」
頷きあった二人は、鍛治クランの方へと歩を進める。
鍛治クランとは、その名の通り武具や防具の製作に特化したクランである。彼らが作ったものの一部は鍛冶屋で売られたりもするため、クランルームは職人通りの近くに構えられていた。
赤煉瓦が特徴的な職人通りをしばらく進んだところで裏道へ入り、東へと進む。冬であるにも関わらず、この辺りは気温が高い。商品を扱う店舗ではなく、作業場が多くなるからだろう。現に今も、あちらこちらから鉄を打つ音と火の気配が漂っている。
「……いつもながら、ここらの熱気はすごいな」
コートのボタンを外しながらぼやいたクエルクスに、ティトンも頷く。
「凄いよね。火は屋内で使ってるはずなのに、ここまで熱が届いてくる」
「中はもっと暑いんだろうな。鍛治クランの奴らが年中半袖なのも納得行くってもんだ」
話しながらも、二人の目は油断なく周囲を探っている。だが、情報が入ってきたのは耳からだった。
「ほらよ。持っていきな」
低い女の声と、ジャラリという重々しい音。
二人が同時に首を回した先の路地では、一人の女が三人組に小袋を渡しているところだった。頭上高くで一つにまとめられた真紅の髪と難燃性の作業着。腰に吊られた何本もの鎚からして、鍛治クランの人間なのだろう。女性ではあるが身長は高く、コトワリと同じくらいに見えた。
彼女が手渡した小袋はいかにも中身が詰まっていそうであり、先ほどの音はここから発されたと見て間違いないだろう。
「【生贄】の奴らじゃねえか……。なんでこんなところにいるんだ?」
声を潜めてクエルクスが囁く。
「確かに、妙だね」
ティトンも三人組の持つ刺青には覚えがあった。【生贄】は、他のクランと折り合いが悪い。ダンジョンの内外を問わず、彼らの素行の悪さは有名である。
そんな【生贄】のメンバーがわざわざ鍛治クランと取引などするだろうか。鍛治クランの人間にしても、応じるとは思えなかった。
「おい、あれ」
クエルクスが驚いたような声を上げる。その視線の先を辿り、ティトンもすぐに彼の動揺の理由を悟った。
小袋の代わりに女が受け取ったのは、見覚えのある小弓である。
「イロハの、だね」
【生贄】の三人はティトン達とは逆方向へと素早く踵を返すと、足早に離れていった。その背中を見送っていた女が振り返る。
振り返り、ぎょっと目を見開いた。恐らくは、路地の入り口に立つティトンとクエルクスに今になって気がついたのだろう。
だが、ティトンの首から下がる白い羽のついた首飾りを見た途端にその表情が安堵に変わる。
「なんだ、良かった。あんたら白羽の人か」
言いながら、彼女は腰に差した鎚の一つを手に取り打撃面を二人に見せた。
丸い小口の周囲を縁取るように彫られた茨冠の紋章。鍛治クラン【隠者の茨冠】――通称、【隠者】に所属するクラン員の証である。
「あたしは【隠者】のリーリェ。リーリェ・リフラン。ちょうど良かった。これ、ケノに返しといて」
笑いながら、彼女は手にした小弓を差し出した。手を出しながら、ティトンは首を傾げる。
「ケノ……って、イロハのこと?」
「そういやそんな名前だっけ。そう、そいつ」
女性の答えに、ティトンは「はぁ」と曖昧な声を出した。もしここにコトワリがいたら、「あの人、呼び名に頓着しなさすぎでしょ」と呆れたかもしれない。
「貸しひとつだよ、って。あいつら、価値のわからない馬鹿だから分解《バラ》しかねないからさ」
「それには同意するがな、あんたの目的はなんだ。結構な大金だったようだが?」
横から口を挟んだクエルクスに、女は軽く肩をすくめた。
「ああ、良いよ。あれ、一部は石だからね」
「なに?」
「硬貨は表面だけだよ。底の方には石を詰めてある。あいつら、よっぽど焦ってたんだね。碌に確認もしなかったよ」
「……それって、詐欺になるんじゃないの?」
ティトンの指摘に、女はけろりとして言った。
「あたしは具体的な値段の提示はしてないよ。「その弓ならこれくらい出してやる」って、袋を見せただけだもん。中を確認しないあいつらが悪い」
さすがは鍛治クランのメンバーである。呆れ半分、感心半分でティトンは目の前の女性を見上げた。これくらい抜け目がないと、武器屋や防具屋とも直接値段交渉はできないのかもしれない。
軽く頭を左右に振ったクエルクスが口を挟む。
「言い分はわかるが、あいつら相手に通じるのか?」
「さぁ? 文句言ってくるようなら相手してやるけどね。というか、何であいつらが持ってたのさ」
「それは俺らの方が聞きたいな。あんた、その辺は何も聞いてないのか?」
リーリェは返事の代わりに肩を大仰にすくめた。
「聞いたよ。でも、あいつら「拾った」の一点ばりでね。埒が明かなかったんだよ」
「拾った……ねぇ」
低い声でクエルクスは唸った。彼が何を考えているかは、ティトンにも分かる。あの弓が手放された時――すなわち、イロハが死んだ時に彼らは近くいた可能性が高い。だとすれば、彼の死と何らかの因果関係があると考えるのが自然だろう。
黙り込んだ二人の微妙な空気に、リーリェは眉を寄せた。
「なに。ケノのやつ、何かドジ踏んだの?」
「いや、何というか……」
言葉を濁したクエルクスが目を逸らした。ちょうどその時。
「ティトンとクエルさんだー」
折よくと言うべきか、アロの声が背後から聞こえた。
二人が振り返ると、疲労困憊しているコトワリと、いつもと変わらない様子のアロが路地を覗き込んでいる。
「あれー。それ、なんでティトンが持ってるの?」
軽く目を瞠ったアロが、ティトンの手元を指差して小走りで傍に寄ってくる。
「それ、【生贄】の人たちが持っていっちゃってたんだよー。大変だったんだから」
あまり大変そうでない口調で続けられたアロの言葉に、ティトンとクエルクスは無言のまま視線を交わした。
どうやらあちらの二人も、別ルートからこの弓の行方を追っていたらしい。
「この人が取り返してくれたんだよ」
ティトンの言葉に、リーリェが軽く会釈をする。
「ありがとうございますー」
「お手数おかけしました」
「良いって、良いって。困った時はお互い様だよ。あいつにもよろしく言っといて」
ニッと笑った彼女は片手を振って「じゃあね」と近くの建物へと姿を消した。
あとに取り残された四人は誰にともなく顔を見合わす。
「さて、と」
最初に口を開いたのはティトンだった。
「ちょっと、情報整理の必要がありそうだね」
【エデン】世界の仕組みと神様について⑥ - 透峰 零
2025/04/29 (Tue) 23:34:24
ティトンの提案に、他三人はその場に留まって続く言葉を待つ。
「僕とクエルは教会に行ってたんだ。【秩序】の人が盟主さんを教会に呼んだから、それについて行ったんだけどね。呼ばれた理由ってのは、昨夜から生き返らない【白羽】のメンバーがいるから確認して欲しいってものだった」
そこでティトンは一度言葉を切る。誰とはなしに、ティトンの持つ短弓に視線が集まってしまうのは仕方のないことだろう。弓を顎でしゃくり、クエルクスが後を引き継ぐ。
「まーそこで、アレがないのに気がついてな。職人通りに行く道すがら、鍛治クランの方も覗いてみようって話になったんだよ。あの武器オタクどもなら、なんか情報拾ってるかもしれんからな。そしたら、【隠者】の女が【生贄】の連中からその弓を買い取ってたんだ」
「実際には買い叩いたって感じだけどね。で、その【隠者】の人が「持ち主に返しといて」って僕らに弓を渡してくれたんだ」
なるほど、とコトワリは顎に手をあてる。彼らの話はこれで全部なのだろう。次はこちらの番、とでもいうようにティトンが右手をコトワリに向けてくる。
「……というか、生き返らない?」
今さらながらの重大情報に、コトワリは愕然と呟く。
「イロハさん、死んじゃってたのー?」
「うん」
アロの確認に、ティトンが頷く。
「外傷は?」
「今のところないよ。でもそもそも、生き返らないってのがイレギュラーだから、傷だけ治ったってことも考えられるよね」
言って、ティトンはクエルクスを見上げる。彼の意を汲んだクエルクスも「そうだな」と答えた。
「俺も一緒に確認したが、でかい傷は見当たらなかった。髪がほどけてたから、戦闘の類はあったのかもしれんがな。呑気に寝てるだけに見えたぜ。だから、死因は分からん」
「イロハのことだから、毒ってことも考えられるけど……」
ティトンが顔を曇らせる。彼がその推論に辿り着いた理由は、コトワリにも理解できた。
イロハは戦闘手段の幅広さ・ハロの大きさ共に手堅い実力を持つが、短所がないわけではない。
毒に弱いのだ。
これは毒が効きやすいというより、より正確に言うと「状態異常からの回復がしにくい」というものだった。
それは本人にも自覚があるのだろう。
回復薬を多めに消費する負い目もあってか、中途半端な解毒状態で自室で伸びているところを発見されたこともある。
解毒ポーションの精製に伴う毒舌状態のコトワリが怒って以降、そういうところは見ていないが、だからといって彼の体質までが変わるわけではない。
外傷がないというなら、確かに中毒死と考えるのが自然ではあるだろう。
だが、今回は――
「違うと思うよー」
異を唱えたのはアロだった。
「だって、それなら【生贄】の人達が弓を持ってるのおかしくない?」
「それだ。連中、「拾った」って言ってたらしいが本当なのか?」
クエルクスに問われ、コトワリは素直に「そうですね」と頷いた。
「何でも、《《僕のような雑魚一人では行けないダンジョンの底》》で拾ったらしいですよ」
「コトワリさん、もしかして根に持ってるー?」
「ははは、まさか」
コトワリは乾いた笑いを響かせた。二人の話を聞いたティトンが眉を寄せる。
「コトワリ一人では行けない……。それに《《底》》ってことは、ある程度の深度と難度のある地下型ダンジョンってことか」
「だが、あいつが一人で短期突破できると考えたってことは……ランクはB+。いってたとしてもA+ってところか」
「うん、Sランクではないだろうね」
ティトンとクエルクスのやり取りに、コトワリは眉を寄せる。
「あの、彼は教会にいたんですよね。でしたら、ログが残っているはずでは?」
「ログ自体はあるんだけどね。読めないような変な文字の並びになってるし、色も青じゃなくて赤色になっててさ。それもあって、神父様も怖かったみたい。だから、イロハがいつ・どこで死んだか分からないんだよ」
「なるほど、そういうことだったんですね」
「だが、今のでだいぶと絞り込めたんじゃねえか? でかしたぞ、ガキ共」
クエルクスがニヤリと笑う。そこでアロが「あ」と小さく声を上げた。
「そういえばー。【生贄】の人達がおかしなこと言ってたよ」
「おかしなこと?」
おうむ返したティトンに、アロは「うん」と頷いた。
「「そこまで気になるなら本人に聞いてみたらどうだ? 聞ければな」って。他の二人も、それ聞いて笑ってたんだ。気持ち悪かったー。あれ、イロハさんが死んでたの知ってたのかな」
ティトンとクエルクスの顔色がさっと変わった。
「あいつら……!」
呻き、クエルクスが歯を軋らせた。その前で、コトワリは慌てて両手を振る。
あの三人が何かをしたのは間違いないだろうが、彼らが殺したと考えるのは短慮に過ぎないだろうか。
「いや、待ってください。彼らの実力でイロハさんが殺せるとは思えません」
「阿呆、俺だってそこまで単純じゃねーよ。おいアロ、他にはあいつら何か言ってなかったか? 何でもいい」
「んっとー」と顎に指を当てて中空を睨んだアロに、ティトンが助け舟を出す。
「さっき、アロは「他の二人も笑ってた」って言ってたね。その時、どんなことを話してたか覚えてる?」
「確か「それは良いな」って。あと、「どうなったんだろうな」って言ってたと思うよ」
「へぇ」と、ティトンの声の温度が下がった。思わずコトワリは一歩後ずさる。
「……僕の推論を話すよ」
「ど、どうぞ」
「たぶん、あの三人はイロハを直接殺してはいない。けれど、いずれ死ぬことを理解して放置した。あるいは、殺されるように仕向けた。そんなところじゃないかな」
「俺も同感だ。じゃねぇと、「どうなったのか」なんて感想は出てこない。まぁ、それは――」
と、クエルクスはそこで言葉を切って半身だけで振り向いた。
「本人共に直接聞きゃ済む話だわな」
彼の視線の先。路地の入り口では、軽くなった袋を片手に憤りの表情を浮かべた【生贄】の三人がやって来るところだった。
「飛んで火にいる何とやら、だ」
獰猛に笑ったクエルクスが、腰に下げた短剣の柄を軽く叩いた。